弐章「継続は力なり」ノ陸
バルムンクは、答えを叫んだ。
「アナタたち、異能を融通しているわね!? アナタたちは『トリプルホルダー』なんかじゃない。けど、二人とも『ダブルホルダー』。そして、二人揃って『クアドラプルホルダー』! 【俊足】の大男ちゃん、アナタの二つ目の異能は、さしずめ【異能の入替え】! そうでしょう!?」
【鑑定】と【怪力】の小男。
【俊足】と【入替え】の大男。
【入替え】を駆使して、二人は【怪力】と【俊足】というバトル向けの異能を受け渡し合っているのだ。大男が【俊足】と【怪力】を同時に扱っている瞬間があることからして、【入替え】自体を相手に譲渡することも可能なのだろう。
テンペスト兄弟の異能を看破したバルムンクは、勝ち誇る。タネが分かれば攻略は簡単。だと思っていたのだが、
「分かったところで何になる!?」【怪力】かつ【俊足】の小男が見えない動きでバルムンクの背後に回り込み、切りつけてきた。
フルプレート鎧の弱点である関節部を狙ってきた攻撃を間一髪避けたバルムンクだったが、激しく動揺した。テンペスト兄弟の攻撃はますます鋭くなり、激しさを増す。
バルムンクはてっきり、彼らの異能を看破することにより、彼らが動揺し、弱体化するに違いないと思っていたのだ。あわよくば逃げ出してくれるかも、とすら。少なくとも、生まれてこの方ずっと異能を隠し続けてきたバルムンクの常識では、そうだった。
だが、実際はそうはならなかった。刺客たちは、異能のカラクリを見破られたことをものともせず、むしろ看破されることを織り込み済みの気安さで一蹴してしまったのだ。
「何を驚いている?」見えない動きで背後を取った小男が、嘲笑う。「殺してしまえば、同じことだというのに」
今やバルムンクの鎧は砕け散る寸前で、剣はひび割れ、全身傷だらけだ。ついには体力の限界が訪れて、バルムンクは無様に転んでしまった。起き上がろうとするが、大男に背中を踏みつけられてしまった。動けない。
「そのまま押さえていろ、弟よ」小男が馬乗りになり、ナイフでバルムンクの首を掻き切ろうとしてくる。が、バルムンクがもがくため、上手くいかない。
(どうする、どうする!?)異能の看破、という奥の手は不発に終わった。もはや起死回生の手段など残されていない。(このまま殺されるわけには――ッ!)
その時、
「カッツェ、カスパール殿!」遠くから、伊能の声が聞こえてきた。「刺客ですじゃ! 敵の異能は正体は――」
「ちっ」鎧の隙間からバルムンクの首を掻き切ろうと四苦八苦していた小男が、立ち上がった。「異能の正体を吹聴されるのはまずい。ここは私が押さえておくから、お前はさっさとあの娘を殺してこい」
(なんてこと!)
バルムンクは激しく己を恥じた。自分は、よりにもよって護衛対象に助けられてしまったのである。
伊能は、カッツェやカスパールと合流できたのかも知れない。だが、実際は合流などできておらず、ブラフの可能性も高い。伊能が、不自然なほど声を張り上げているからだ。だとすると、伊能はバルムンクのピンチを見かねて、自分に注意を引きつけるために一芝居打ったということになる。
バルムンクの背中から、大男の体重が消えた。
(イノーちゃん……!)
◆ ◇ ◆ ◇
伊能は森の中を走る。しゃにむに走っている。自分にはもはや、逃げる以外のことなど何もできない。
【測量】によって伏兵を見つけ出し、逆に奇襲を掛けることができる――それが、【測量】を戦闘スキルとして見た場合の最大の長所だ。伊能は伏兵に対して無類の強さを発揮する。
だが相手が隠れていない場合、伊能は【測量】の使い所を失う。あの刺客たちは、自ら姿を現すことで、索敵特化型異能である伊能の【測量】をいともたやすく封じてしまったのだ。
だから伊能は、ひたすら走る。進行方向一キロメートル先にカッツェとカスパールの反応がある。合流すれば勝ちの目も見えてくるだろう――そう思って安心しかけた、その時。
(む。まずい!)
後方でバルムンクが倒れ、止めを刺されつつある様子を【測量】が伝えてきた。
(ええい、迷っている場合ではない!)伊能は思いっきり息を吸い、叫んだ。「カッツェ、カスパール殿! 刺客ですじゃ! 敵の異能は正体は【鑑定】、【怪力】、そして【俊足】!」
もちろん、ブラフだ。だが嘘でもなんでもいいから、刺客たちの注意をこちらに引きつける必要があった。これで一人でも釣り上げられれば御の字だろう。一対一ならば、バルムンクは遅れなど取るまい。
(来たっ。大男の方がこちらに来る!)
伊能は再び、全力で走りはじめる。刺客の片割れ、大男の反応がものすごい速さで迫りつつある。
「……逃さない」
すぐに追いつかれてしまった。【俊足】の大男が目にも留まらぬ動きで現れ、伊能の行く手に回り込んだ。
片や、身の丈三メートルの大男。しかも【俊足】持ち。片や、大男の半分しか身長のない少女。しかも異能は戦闘向きとはとても言えない【測量】。どう考えても、どれだけ工夫しても勝ち目のない、絶望的な戦いだ。
(じゃがっ)伊能は必死に己を鼓舞する。(バルムンク殿と合流するまでの時間さえ稼げれば良いのじゃ。そのための策なら用意しておる)
『策』は二つある。一つ目は、
(【空間支配】!)
【測量】能力のすべてを目の前一メートル四方に凝縮させた、白兵戦特化型の異能【空間支配】。伊能がバルムンクとの決闘を経て身につけた、【測量】の派生能力である。
大男が掴みかかろうとしてくる。伊能の視界では、そんな大男の数秒先までの未来がコマ送りのように見える。未来予知に従い、伊能は大男の手を間一髪避けた。
速い。大男の動きはあまりにも速く、とてもではないが目で追えない。【俊足】と言いつつ、腕や体全体の動きまで加速しているらしい。が、
(視える。実際の動きが目で追えずとも、数秒先の未来がワシには視える)
【空間支配】が見せる未来図に従い、伊能は最小限の動きで大男の攻撃を避けていく。だが、何しろ相手の動きが速すぎて、すぐにも追いつかれそうになる。が、それでも死力を尽くして避け続け、少しずつ後退し、二つ目の『策』が待つ場所――崖へと至る。
ガラガラ……転がり落ちる小岩に恐怖を感じたが、大男になぶり殺しにされるよりはよほどマシである。
(ええい、ままよ!)伊能は崖下へと飛び降りた。「ぐえっ」
落下は三メートル程度のことだった。それでも華奢な少女の体には響いた。が、骨折したということもなく、立ち上がることもできた。
「……に、逃さない!」すぐさま大男が飛び降りてきた。が、
――グゥォォオオオオオ!
大男は、ちょうど歩行中だったクマの上に飛び乗る形となった。あらかじめクマの存在を探知し、その移動進路を補足し続けてきた伊能が、そうなるように仕向けたのだ。
「……な、なんだ!?」
――グゥオオオ! ガァウッ!
戸惑う大男と、怒り狂ったクマの格闘が始まる。大男とクマを戦わせ、その隙にカッツェたちと合流すること――これこそが、第二の『策』だったのだ。
(今のうちに逃げ――)
――グゥオオオアアッ!?
クマの、戸惑った声。走り出そうとしていた伊能は、思わず声の方へ振り向いてしまった。そして、驚愕した。
クマが、空高く放り上げられていたのだ。
(バカな。バカなバカなバカな!)
大男に投げられたクマは、地面に叩きつけられるや否や、恐れをなして逃げていってしまった。
(そんなっ。どうすればいい、どうすればいいのじゃ――)あり得ない光景を見て、思考力の限界を迎える伊能。「ぐっ」
大男が、そんな伊能の首を掴み、持ち上げた。伊能の足が宙に浮く。首が締まる。呼吸ができない。苦しい。苦しい苦しい苦しい!
(こ、こんなところで死んでしまうわけには――)
「イノーちゃん!」
バルムンクの声。絶望の淵にある伊能にとって、その声は泣きたくなるほど心強かった。だが、
(いかん!)
暗転寸前の視界の中で、伊能はバルムンクの背後に迫る小男の姿を見た。バルムンクは、小男の存在に気付いていない。小男が、【俊足】の異能でもってバルムンクの目前に瞬間移動し、唯一フルプレート鎧で覆われていない弱点――バルムンクの顔面を切りつけた!
血のように染まりつつある夕日の中、夕焼けよりもなお赤い鮮血が飛び散った。
◆ ◇ ◆ ◇
【Side バルムンク:幼き日々の思い出】
「お前は失敗作だ」
それが、父に言われた最初で最後の言葉だった。
「我が家門の者と思われぬよう、一生涯、息を潜めて生きていろ」
物心ついたころにそう言われ、十代の半ばでとある『転機』が訪れるその日まで。バルムンクは己の異能を恥じ、父の言葉を遵守して生きてきた。
【継続は力なり】――ただでさえ弱いとされる『性格系異能』の中でも最弱の異能。ただちょっと、人よりも根気強くなる、それだけの異能。
『剛剣』、『剣豪』、『剣聖』。剣の道を極めるうえで強烈なスタートダッシュとなり得る異能に恵まれた兄たちに比べ、バルムンクのそれはあまりにも弱かった。兄たちが次々と名家の従士として召し抱えられて名を馳せていく中で、バルムンクはただひたすら剣を振り続けた。根気強さしか強みのない自分には、それしかできることがなかったからだ。
やがて努力の甲斐あって、ミドガルズ家に従士として拾ってもらうことができた。十代半ばのころのことだ。領軍でもやはり、強力な異能力者揃いの新人従士と比較されてバカにされるバルムンクだったが、そこでも愚直に剣を振り続けた。
そんなある日、訓練を視察中のミドガルズ伯爵――リリンの父に、たまたま話し掛けられる機会があった。長身痩躯のミドガルズ伯爵は、魔物討伐の戦闘で常に最前線に立っていると評判の猛将で、バルムンクはそんな伯爵に憧れてミドガルズ家の門戸を叩いたのだ。
◆ ◇ ◆ ◇
【Side バルムンク:現在】
「――――はっ!?」
目覚めたバルムンクは、起き上がろうとして失敗した。体が動かない。胸を何者かに踏みつけられているらしい。さらに、目を開いたのに、目の前が真っ暗なことに驚いた。唇に、血の味。血だ。自分は小男に顔面を斬りつけられたのだ。
震える手で顔面の血を拭うと、視界が戻ってきた。良かった、目は無事のようだ。
(状況は――)
自分を踏みつけているのはやはり、刺客の小男。【怪力】状態のようだ。
数メートル離れたところには大男がいて、伊能の首を掴んで伊能を釣り上げている。
小男が、こちらにむかって剣を振り上げている。バルムンクの大剣だ。ナイフならいざしらず、【怪力】状態の相手にあの剣で顔面を斬られれば、さすがに死んでしまうだろう。
だからバルムンクは、腹を決めた。
『奥の手』を使うと決めた。
だが、『奥の手』の発動には数秒を要する。敵は今にも、こちらの頭部を輪切りにしようとしている。
(時間を。時間を稼がなければ)バルムンクは無理やり口角をねじ上げ、「ホント、よわっちいわねェアナタ。これだけ隙を見せてあげたのに、未だにアタシを討ち取れずにいるなんてェん」
「粋がるなよ、無能力者が!」果たして小男は、バルムンクの目論見どおり挑発に乗ってくれた。登場した時の口上といい、今といい、コイツは喋りたがりなところがある。「貴様ら無能力者は異能力者様の足でも舐めて、慈悲にすがって生きていくのがお似合いなのさ!」
小男が、バルムンクの顔面目掛けて剣を振り下ろす!
だが、
「無能力なんかじゃァないわよォ~ん」
バルムンクの頭は、輪切りになどなっていなかった。
「アナタ自身が言ったんじゃない。【継続は力なり】って」
間に合ったのだ、『奥の手』が。小男が饒舌に語っていたその数秒間をもって、バルムンクは胸の中で己の異能力を最大限にまで練り上げ終わっていた。
「はんっ。たかだかほんの少し根気強くなれるだけの性格系異能使いが何を――な、ななな!?」
小男が飛び退く。バルムンクが、大剣の刃先を指でつまんでいたからだ。【怪力】の異能を載せた全力の振り下ろしを、バルムンクがいともたやすく受け止めてしまったからである。
「何だその怪力は!? まさかお前もダブルホルダーなのか!? いやしかし、【鑑定】の結果は確かに――」
「【鑑定】の結果は確かよォん。アタシの異能は【継続は力なり】」
バルムンクは立ち上がる。体の震えや気だるさは収まり、全身が力に満ち溢れている。それだけではない。彼の全身が光り輝いている。
◆ ◇ ◆ ◇
【Side バルムンク:思い出】
ミドガルズ伯爵に声を掛けてもらった時。自分がどう答えたのか、バルムンクは正確には覚えていない。きっと、兄たちや優秀な同僚たちと比較して、自分の異能を卑下するようなことを言ったのだろう。家族以外に自分の異能を明かすのは、この時が初めてだった。
だが、この時に伯爵が言ってくれた言葉は、一言一句覚えている。彼はまず、優しく微笑んでくれた。そして、こう言ったのだ。
「努力し続けられる才能――まさに異能だな。いっそう励むとよい」
それから毎日十数時間、バルムンクは剣を振り続けた。
いつしか、剣は音を超えるようになっていた。
◆ ◇ ◆ ◇
【Side バルムンク:現在】
「【真・継続は力なり】――解・放!」