弐章「継続は力なり」ノ参
「わ、わわわワタクシ、人が撃てないんです!」
「……は?」伊能は放心する。計画のすべてが吹き飛んだ。「ええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」
伊能三郎右衛門忠敬、おっ魂消げる。
「い、いやいやいや【魔弾】持ちの天才狙撃手殿や、冗談は良いから早う撃ちはじめてくだされ。ほら、敵が迫ってきておる!」
「む、むむむ無理です!」カスパールが、いやいやをする幼子のように首を振る。「ワタクシには人を撃つことなどできません!」
「人を撃てずして、どうやって軍務を果たしてこられたのじゃ!?」
「で、ですから、ワタクシは祖国を追われたのです。い、幾つもの国を転々としてきて……どの国も、どの領も、最初こそ【魔弾】持ちだともてはやしてくださるのですが、わ、ワタクシが人を撃てないと知ると、手の平を返して冷遇し……。う、運良くミドガルズ伯爵に拾っていただいた今も、軍では『宝の持ち腐れ』と言われてはみ出し者扱いでして。で、ですが、ワタクシには人殺しなどという恐ろしいことなどできるはずがありません」
(いや、今は身の上話など聞いている場合ではないのじゃが……ん?)伊能は、現状を打破するためのヒントを見つけたような気がした。「アナタ様は今、『人を殺せない』と仰いましたかな?」
「そ、そのとおりです。ひ、人殺しなど、なんと恐ろしい……。ほら、今もこうして手が震えております。ですがそれで良いとも思っているのです。か、神様は、人を殺めるなど、絶対にお許しになるはずがないのですから」
「確認ですが、『人を撃てない』のではなく、『人を殺せない』のですかな?」
「はい」
「あっはっはっ。カスパール殿や、ワシははなからアナタ様に人殺しなど命じておりませぬ。殺さぬように、手足を狙ってくだされば良いのです」
もとより探検隊に『不殺』を命じたのは伊能本人である。
「で、でででですが、どれだけ狙っても、当たりどころによっては人は死にます」
(ふぅむ。正直、ワシの【測量】で狙えば、誤射の恐れなんぞ皆無なんじゃが……説明しておる時間など、もうないしな)敵は今や、目前に迫りつつある。「そうじゃ、コレを使ってくだされ」
伊能が懐から取り出したのは、スライム製の非殺傷弾。伊能がミドガルズ城に招かれたあの日、無理やり決闘させられた時に使った弾である。
「なるほど!」カスパールの目が輝いた。
彼は非殺傷弾を受け取ると、流れるような所作でリボルバーマスケットから弾を抜き、非殺傷弾を装填していく。その間、わずか数秒。ほれぼれするほどの見事な手際である。
「【測量】、【測量】」
二度の異能で、伊能はリボルバーマスケットの諸元と、先頭を走る敵との距離を測る。さらには敵の体格、走る速度、剣を持つ利き手の振り幅に至るまで、あらゆる事柄を瞬時に把握する。
カスパールが銃を構えた。途端、銃口から光り輝く白いラインが生じる。伊能にしか見えないライン。現代地球のレーザー距離計すら裸足で逃げ出すほどの、正確無比な弾道予測だ。
「右腕を狙え。仰角ヨシ。角度は――」ラインの先端は、先頭を走る敵の右手首のやや右――胸の辺りに当たっている。「あとほんのわずか右に」
「いえ、これで良いのです」カスパールが、言った。今まで一度も聞いたことがないほどの、落ち着いた声。初めて見る、落ち着いた表情。「撃ちます」
カスパールが撃った。弾丸は、まるで吸い込まれるようにして敵の右手首に着弾した。敵が剣を取り落とし、うずくまる。すぐ後ろを走る二人目の敵が、うずくまった敵に足を引っ掛けて転んだ。
「今は風が出ておりますから」銃を構えたまま、自信に満ちた笑みを湛えたカスパールが、呟くように言った。
「な、なるほど」言われて見てみれば、木々の葉が強く揺れている。左方向から強めの風。(そうじゃ。ワシは何を余計なことを。相手は一流の狙撃手ではないか!)
そこから先は、一方的な戦いだった。カスパールが落ち着いた様子で、正確に、一秒に一発の間隔で立て続けに六発撃った。さらに数秒足らずで弾を装填し、二発撃った。すべての弾丸が敵の利き手に着弾し、すべての敵が武器を取り落とした。
(これが、【魔弾】か!)まるで遠くから舞台を観ているような、冗談じみた光景だった。【魔弾】の射手がひとたび撃てば、弾は必ず当たる。そういう演目を観ているようだった。(【魔弾】の射手。空恐ろしいほどの力じゃな)
伊能の視界の先では、バルムンクとカッツェによって盗賊たちが次々と捕縛されつつある。
こうして、明け方の襲撃戦は終わった。
◆ ◇ ◆ ◇
「やっぱりねェん」盗賊の体を検めていたバルムンクが、ニンマリと微笑んだ。「思ったとおり」
「何の話ですじゃ?」
「ご覧なさい、ほら」
バルムンクが、盗賊の粗末な服を引き裂いた。中から出てきたのは、
「えっ!? ミドガルズ家領軍の皆さんが着ている物と遜色ないほどの、立派な鎧ではありませんか!」
「そう。それに、剣もね」バルムンクが、盗賊の腰から剣を引き抜く。
「貴様、触るな!」
盗賊が抗議するが、バルムンクがひと睨みで黙らせる。
「ほら、柄頭に紋章が……ってアラ、さすがに紋章は潰してあるのね」
伊能が覗き込んでみると、柄の先に描かれている紋章が意図的に削り取られている。
「でも、これで逆に確定ねェん」
「くっ……」観念したように、盗賊がうなだれる。
それを見て、他の盗賊たちも観念したようにうなだれた。
「どういうことですじゃ? この賊たちが、どこぞの貴族家の装備を奪ったと?」
「違う違う。この子たち自身が、どこぞの貴族家の領軍なのよォん」
「え? ……えええっ!? 帝国の臣民同士のいくさはご法度では!?」
少なくとも、伊能がミドガルズ家に拾われてから叩き込まれた従士基礎講座では、そのようになっていた。
「ご法度よォん。だからこうして、身元が分からないように紋章を潰してあるんじゃなァい」
「どういうことです?」
「それほどまでに、イノーちゃんの【測量】が注目されてるってことよ。今回の『測量戦争』においては、特にね」バルムンクが、盗賊あらため『どこぞの家の従士』の目の前に剣を突き立てる。「ア・ナ・タ、どこの家の子かしらァん? ヘル家? ムスペル家? ニヴル家? ドヴェル家?」
「ひぃぃッ!」従士が怯える。抜き身の剣が怖いのか、バルムンクのオカマ顔が怖いのか。
その後も尋問を続けるバルムンクだったが、拷問を嫌う伊能の手前、彼らの身元を聞き出すことができず、結局、彼らをミドガルズ城まで連行することになった。
◆ ◇ ◆ ◇
一週間後。
伊能は主リリンとともに、皇城の廊下を歩いていた。
「ここに来るのは久しぶりじゃァ」
いつもはミニスカ軍服姿のリリンだが、今日ばかりは丈の長いドレスを着ている。赤を基調とした、プリンセスラインのドレス。バッスルで腰回りをしっかりと膨らませている。リリンの浮世離れした容姿も相まって、南蛮のメルヒェンに登場する妖精女王のようだ、と伊能は思う。
一方の伊能もフリフリなドレスを着させられたのだが、文字どおり『着せられている』感がすごい。
「何も、ワシまでこんな格好しなくとも……。ん、『久しぶり』ということは、初めてではないのですな」
「そりゃァ、余はこのとおり伯爵じゃからな」
歩きながら、リリンがアコレード(騎士の肩を剣で叩く儀式)の振りをしてみせる。伊能自身も、従士になった時にリリンにやってもらった儀式だ。
(なるほど、叙勲の際には皇城へ赴かねばならんのか。伯爵は皇帝の直臣なのじゃから、当たり前の話か)
「皇帝陛下、きっとそなたの精緻な地図を見て、度肝を抜かすぞ。楽しみじゃのう……ん?」
リリンが眉をひそめた。向かい側から、人が歩いてきたからである。
「これはこれは、ミドガルズ女伯爵。ご機嫌麗しゅう」
でっぷりと肥え太った、いかにも『金満貴族』という言葉が似合いそうな壮年男性だった。趣味の悪い装飾だらけの衣服に、大きな大きな巻き毛のカツラ。ぞろぞろと、幾人もの従者を引き連れている。
「相変わらず顔だけはお美しいですなぁ、お・ん・な・伯爵」
「ふふん、父と母から受け継いだ自慢の顔じゃァ。ヘル伯爵におかれましては、ずいぶんと羽振りが良さそうで、羨ましい限りじゃのぅ」
(ヘル伯爵。コイツが)初対面なのに、内心で『コイツ』呼ばわりしてしまう伊能。何しろヘル伯爵については、リリンやミドガルズ従士たちから悪い前情報をこれでもかと聞かされている。
曰く、民に重税を敷き、支払えなかった者を奴隷として鉱山送りにしている。
曰く、民の髪を男女の別なく無理やり刈って、カツラコレクションを作っている。
曰く、『暗殺ギルド』という恐ろしい組織と繋がりがあり、政敵や商売敵を何人も殺している。
リリンの父・先代ミドガルズ伯爵は、北の領境を視察中に、盗賊の大集団に襲われて殺害された。ちょうど、伊能たちが『白い蛇』内で『盗賊』に襲われたのと同じように。
だが、ウワサはウワサ、憶測は憶測。確たる証拠、もしくは証拠の有無を吹き飛ばせるほどの権力なくしてヘル伯爵を告発することはできない。貴族の世界は力がすべて。だからリリンは異能者を集め、家を復興させようと必死に戦っているのだ。
表面上はにこやかに、水面下ではバチバチと火花を飛ばし合いながら、リリンとヘル伯爵の挨拶は終わった。
「行くぞ」小さな吐息をひとつ。リリンが歩き出す。
進んだ先にあったのは、大きな大きな扉。この先に、ミズガル帝国を治める皇帝がいるのだ。
◆ ◇ ◆ ◇
「おもてを上げよ」
言われて、伊能は顔を上げた。
謁見の間の最奥で、この国を治めるみかどが微笑んでいる。皇帝ミズガルは、不思議なオーラを纏った人間だった。優しげなようでいて、冷徹。親しみやすそうでいて、冷厳。
(羊の皮を被った狼のような。きっとどちらも、このお方の本当のお顔なのじゃろう)
少なくとも、伊能に『死ね』と命じながら震えて手を握ってくるような、リリンのような矛盾した弱さはとうの昔に克服しているように見受けられる。リリンから教えてもらった知識によると、御年四十半ば。統治者として最も脂が乗っている時期だろう。
「久しいな、ミドガルズの忘れ形見よ」
「ははっ」リリンが完璧な姿勢でカーテシー。「陛下が直臣リリン・フォン・ミドガルズが、帝国の太陽にご挨拶申し上げます」
いつもふざけた様子のリリンしか見てこなかった伊能は、リリンの大人びた所作に瞠目する。そんな伊能へリリンがちらりと視線をやってきたので、伊能も慌てて頭を下げた。ひょこひょこと、カーテシーの真似事をしてみせる。声は出さない。皇帝が話し掛けたのはリリンのみ。声を掛けられていない下々の者が勝手に発言するのは、打ち首ものの無礼になるからだ。
◆ ◇ ◆ ◇
「要件を聞こう」二、三、挨拶の応酬があった後、皇帝がそう言った。
「ははっ。陛下のご命令に従い、『白い蛇』内の探索を進めて参りました」リリンが地図を捧げる。「このとおり地図化も済んでおりますので、測量済み領域の編入をお認めいただきたく存じます」
「残念だが、それはできない」
「なっ――なぜですか!?」
「つい先ほど」皇帝が一枚の地図を開いてみせた。「ヘル伯爵が『白い蛇』内の全領域を測量し終えたと報告してきたからだ」
「っ。拝見させていただいても?」
「良いだろう」
リリンは地図を受け取り、伊能と一緒に検分する。その地図は、『地図』と呼ぶのもはばかれるほどの、お粗末で、ほぼすべてが妄想で描かれた代物だった。
「閣下、恐れながら、こちらの地図をご覧いただけませんでしょうか。これなるは【測量】の異能を持つ我が配下タダタカ・イノーに描かせたものです」
「ほう? ……な、なんだこの精緻な地図は!? 水場の位置、開墾に適した地質の土地に、金銀銅・鉄鉱石・岩塩の埋蔵量まで!? 明日にでも開拓団を派遣できるレベルではないか」
いつぞやのリリンと同じようなことを言い出す皇帝。リリンと伊能がニンマリと微笑む。
「陛下、ヘル伯爵の地図の、ちょうどこの辺りが、我々の地図のここに当たります」
「ヘルめの地図は、まるでデタラメではないか」
「我らの地図をお信じいただけますでしょうか?」
「この二枚を並べられてしまうと、さすがにな」