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壱章「伊能の異能」ノ参

 ゴブリンが、伊能の脳天に斧を振り下ろす――!

「うわぁあああっ!」

 ――ガキィイイイン!
 無我夢中で振り上げたわんか羅鍼が、ゴブリンの攻撃を辛うじて受け止めた。だが、たった一度の応酬で伊能はすでに限界で、足腰がガクガクと震え、立っているのもやっとという有り様だ。反撃は愚か、逃げることすらままならない。

(何かないか、助かるための方法は!? 何か――そうじゃ!)伊能はわんか羅鍼を振り上げ、自身が使える唯一の異能を使う。「【測量】!」

 目の前の空間がぱっと輝き、地図がウィンドウ表示された。が、それだけだった。

(だ、ダメじゃ! この異能、いくさでは何の役にも立たぬ!)

「ゴブゴブッ!」ゴブリンが、再び斧を振り下ろしてきた!

(嗚呼っ)伊能は思わず、目を閉じる。果たして、

「ギャッ!」

 倒れたのは、伊能ではなくゴブリンの方だった。

「…………?」伊能は恐る恐る、目を開く。

「大丈夫かしらァん、ア・ナ・タ?」

 目の前に、大男がいた。身の丈二メートルを超える偉丈夫が、馬にまたがって、伊能を見下ろしていた。偉丈夫が携える長大な剣は、ゴブリンの血で汚れている。伊能を殺そうとしていたゴブリンを、倒してくれたのだ。

(倒した……いや、殺した、か)胴体を真っ二つにされたゴブリンの死体から、伊能は目を背ける。(と、とにかく何か言わねば。そう、助けてもらった礼を)

「近隣の村々には、戦闘が終わるまでは外出禁止令を出しておいたはずなのだけれどォん」下馬した偉丈夫が、にっこりと微笑みかけてくる。「あぁ、別に咎めているわけじゃないのよ。アナタ、このあたりの村娘……には見えないわねェん。ちょっと見たことのない服装だもの」

 伊能は言葉が出ない。気圧されてしまっているのだ。伊能家当主・大店の店主・佐原村名主としての経歴が長く、何事にも物怖じしない伊能にとっては珍しいことだった。それほどまでに、偉丈夫の雰囲気は異常だった。
 何しろ偉丈夫は、『筋肉モリモリ』で『モヒカン頭』で『オネェ』だったのである。もちろん、江戸時代生まれの伊能の辞書に『モヒカン』や『オネェ』などという単語はない。伊能の中にインプットされたミズガル帝国語がそのように翻訳したのだ。

陰間(オカマ)……いや、傾奇者?)

 身の丈二メートルの巨体は分厚いフルプレート鎧に包まれており、刃渡り一メートル五〇センチの両手剣(ツヴァイハンダー)を片手で軽々と携えている。モヒカンは七色に染め上げられており、いかつい顔は歌舞伎役者の隈取を思わせる強烈な真紅のアイシャドウと、口紅で彩られている。顔立ちは、彫りが深い異人風だ。

「あらあら、あらあらあらあら、近くで見たら、ずいぶんと可愛らしいお嬢さんねぇ~ん」その巨人が、何やらクネクネとしている。

「たっ、旅の者でして」伊能はようやく、振り絞るようにそう言った。「迷っておりましたところを、このとおり貴方様に助けていただきました。本当にありがとう存じますじゃ」

「旅。ふぅん、こんな何もないところを? まぁいいわ。こんな血みどろの戦場で、せっかくこうして生き残ったんだもの。生き延びなきゃ損ってなもんよね。ほら、ここは危ないからついていらしゃい」

 偉丈夫に抱き上げられた伊能は、ひょいっと馬に乗せられる。偉丈夫が手綱を握ると、馬は風のように戦場を駆け抜け、人間軍が本陣を構える丘の上へと至った。

「てーっ!」

 ――ドンッ! ドンッ! ドンッ! 
 大砲を撃つ砲兵隊の後ろで、伊能は馬から降ろされた。

「戦闘が終わるまで、ここにいなさいな」偉丈夫がにっこりと微笑む。「敵もここまでは来ないはずよ。まァ戦争は水物だから、来るときには来るのだけれど」

「く、来るのですかな!?」殺されかけた時の恐怖を思い出す伊能。

 丘の上から見下ろしてみれば、先ほどまで伊能たちがいた場所以外にも、至る所で人間部隊対ゴブリン集団の戦闘が発生している。さらにその後方、地平線の向こうから、続々とゴブリンの軍勢がこちらへ向かいつつある。

「ま、安心なさいな。ここまで敵が迫ってくるときは、アタシたちが全滅する時だから。だとしたら、諦めもつくってなもんでしょう」

 そう言ってカラカラと笑った偉丈夫は、馬を駆って最前線へと戻っていった。途端、なんとも心細い気持ちになってしまう伊能。

(い、いやいやいや。何を小童のように怯えておるじゃ、ワシは)

 自分などよりもずっと年若い青年・成年たちが必死にゴブリンと戦っている風景を眺めているうちに、伊能は冷静さを取り戻していく。

(女神様も仰っておられたじゃろう。ユグドラは魔物に溢れた危険な世界なのじゃ、と)

 ならば、こうして保護してもらった自分は、せめてできることをしなければ。

(何か、ないか。非力なワシにもできることが)

 そこら中を忙しく駆け回る将兵たちの邪魔にならないよう気をつけながら、伊能は周囲を見回す。

「てーっ!」

「次弾装填急げ!」

 どうやらここは、本陣であると同時に、砲兵隊が展開している場所でもあるらしい。丘の上には十数機の車輪付き大砲が設置され、火を吹いている。が、

「【測量】! ……むぅ」

 砲弾は、ちっとも命中していないようだ。
 伊能の【測量】は今や、もうもうと立ち込める爆炎と土埃の中でも、ゴブリンたちがどこにいるのかを判別できるまでになっていた。道中で【測量】をさんざんに育ててきたことにより、生物の有無を地図上に点として表示させることができるようになったのだ。しかも、伊能が『敵』と認識する相手(ゴブリン)は赤い点、味方と認識する相手(人間の将兵)は青い点、中立と認識する相手(小動物など)は白い点として表示される優れものだ。女神が知れば、「レーダーですか。チートですね」と喜んだことだろう。

(いけ、当たれ! あぁ、また外してしもぅた)

 弾が当たれば、敵が減る。敵が減れば、人間軍の将兵が白兵戦をする必要がなくなり、人間軍の死傷者が減る。だから、弾にはぜひ当たってもらいたい。なのに実際は、ちっとも当たらない。砲兵隊の砲術がお粗末すぎるのだ。
 人間軍が本陣を敷いている小高い丘の手前には、平野がある。だが『平野』とは言っても、実際には窪地もあれば岩山もあり、遮蔽物には事欠かない。ゴブリンたちは大砲が当たらないのをいいことに、地平線の向こうから続々と進軍し、平野の遮蔽物に逃げ込みつつある。

(【測量】。あの岩陰に潜むゴブリンは、四十。あの大木の陰には十。あの窪地には百も潜んでおるのか。他にも――)

 ざっと調べただけでも、こちらの数百メートル圏内に二百体ものゴブリンが潜んでいた。対する砲兵隊はたったの五十名。他の人間軍――歩兵や騎兵は、左右から押し寄せるゴブリン軍への対処に忙しく、助けに来てくれそうにもない。

(このままでは、ここは全滅じゃ。当然、ワシも死ぬことになる)

 その時、ゴブリンの集団十数体が岩陰から飛び出してきた! こちらを殺そうと、鬼の形相で丘を駆け上がってくる!

(何かないか!? 非力なワシでも戦う方法が――!)伊能はあたりを見回す。

 砲弾の一つが、その敵集団の近くに落下した。が、当たらない。

「次弾装填急げ! この機を逃――あぁっ、クソ!」

 砲兵隊長の言葉は最後まで続かなかった。ゴブリンたちの姿が、真っ白な霧に包まれたからだ。

(アレも異能なのじゃろうか? さしずめ、姿をくらます異能か。じゃが、【測量】!)

 眼前数百メートル四方の地図がウィンドウ表示される。ウィンドウの中では、霧の中でもゴブリンたちの姿――赤い点が正確に表示されている。

(なんとかして、あの集団を狙い撃ちせねばならぬ。もたもたしておっては、ゴブリンどもがここまで到達してしまう)

 ゴブリンの、あの恐ろしげな表情。つい先ほど、ゴブリンに殺されかけたことを思い出し、伊能は震え上がる。

(何か――そうじゃ!)伊能は装填中の大砲に歩み寄り、熱い砲筒に触れた。「【測量】」

 途端、伊能の脳にこの大砲の諸元がインプットされた。続いて伊能が地図の中で蠢く赤い点をタップすると、伊能の視界に大砲からゴブリン集団へと至る放物線が映し出された。

「もののふ殿、もののふ殿、仰角二◯度上げですじゃ」

 伊能に砲術の知識などない。が、伊能は神が授けてくれた【測量】を信じることにする。

「はぁ!?」伊能に話し掛けられた砲兵隊長が、驚く。「誰だお前は。何を言っている? だいたい、仰角を二◯度も上げてしまったら、空に弾を打ち上げるようなものじゃないか」

「いいから、早く! 今ならばまだ、あの霧の中のゴブリンたちを狙い撃てますぞ」

「何を言って――あぁ、もう! 仰角二◯度上げ! 急げ急げ急げ」

 砲兵隊長の指示に、砲兵たちが慌てて大砲の角度を変えはじめる。

「てーっ」

 空を目掛けたかのような砲弾が、放物線を描いて落下し、霧の中のゴブリンたちに着弾した。

「【測量】――よし!」十数個あった赤い点が、半分に減った。「当たりましたぞい」

「だから、何で分かるんだよ!?」戸惑う砲兵隊長が双眼鏡を覗き込む。やがて霧が晴れ、倒れ伏すゴブリンたちの姿があらわになった。「おお、おおおお!? 本当だ! 今までちっとも当たらなかったのに。嬢ちゃん、次はどうすればいい!?」

「仰角二度下げ。あの窪地の中を狙うのですじゃ」

「任せろ!」

 すっかり伊能に心酔した砲兵隊長が、伊能に言われるがまま大砲を動かし、次々と物陰のゴブリンたちを狙撃していく。

「嬢ちゃん、俺たちの砲も指揮してくれ!」

「俺たちのも頼む!」

 他の砲を担当していた砲兵たちが、伊能の元に集まる。瞬く間に、丘の上に並ぶすべての大砲が伊能の指揮下に入った。
 遮蔽物に隠れても、なぜか狙い撃ちされる――そのことに気付いたゴブリンたちが、遮蔽物から出て丘を駆け上ろうとしてくる。そんなゴブリン軍を、伊能が指揮する大砲が次々と狙撃する。ゴブリン軍は霧の異能を駆使して姿を隠し、進軍する。が、そんなものは伊能の【測量】によるウィンドウ表示の前では無力だ。全滅必死かに思われていたはずの砲兵隊は、今やゴブリン軍相手に無双していた。
 やがて、平野に集結しつつあったゴブリン軍が潰走をはじめた。

「さぁ、追撃です。嬢ちゃん――いや、砲兵隊長殿、ご指示を!」

「いや、隊長はワシではなくアナタ様では……まぁよいでしょう。第一から第五砲、仰角五度下げ。第六から第十は――」

 伊能が丘の上で砲兵隊を指揮する一方、丘の下では人間軍の歩兵たちが集結し、ゴブリンが潰走しつつある平野に向かって進軍しはじめる。

「【測量】――ん?」伊能は違和感を覚えた。「こりゃいかん!」

「ちょっとちょっとォん、なになにどうしちゃったのォん?」その時、例の偉丈夫が再び現れた。

「将軍閣下!」砲兵隊長が偉丈夫に駆け寄る。

(なんと、オカマ殿は将軍様であらせられたのか!)

 伊能は仰天する。が、伊能の脳内にあった『征夷大将軍』という言葉が女神からもらった知識の『大将(ジェネラル)』という単語に置き換えられ、『ミドガルズ伯爵家の領軍を統括する者』という意味だと理解できた。

「今まで、大砲がこんなにバカスカ命中することなんてなかったじゃなァい。大砲を操る異能にでも目覚めたのォん?」

「実は――」砲兵隊長が伊能を指し示しながら、事の次第を説明する。

「あらァ、アナタはさっきの旅人ちゃん」偉丈夫――将軍が怪しく微笑む。「いよいよもって何者なのかしらァん?」

「そんなことよりも、大変なのですじゃ!」伊能は必死に訴えかける。「あの森! 歩兵が進軍する先の、あの森の中に五百のゴブリンたちが潜んでおりまする。このままでは奇襲されてしまいますぞ!」

「そんなはずはない」将軍の後ろに控えていた副官が、否定した。「つい先ほど、斥候を放ったばかりなのです。あの森に伏兵はいません」

「だ、そうだけれど」将軍が伊能の顔を覗き込んでくる。「どうして分かったのォん?」

「それはその、ワシの異能で……」伊能は言い淀む。

 女神は、伊能の【測量】を『唯一無二のユニーク異能』だと言っていた。つまり伊能が【測量】のことを話せば、芋づる式に異世界転生のことまで話さなければならなくなる。正直に話したとして、信じてもらえるのか。いやそもそも、悠長に話している暇などないのではないか。

「閣下、この者の能力は本物です」砲兵隊長が加勢してくれた。「どうか信じてください」

「ふぅん?」将軍が砲兵隊長を見て、目をキラキラさせている砲兵たちを見て、大砲で壊滅したゴブリン軍を見て、「……分かったわ。副官ちゃん、悪いけど、もう一回調べてきてもらえる?」

「なっ」副官が気色ばむ。「閣下は、長年付き従ってきたわたくしよりも、この怪しげな異邦人をお信じになるので?」

「念のためよ、ね・ん・の・た・め。お願ァい、ね?」

「っ……承知いたしました」

 不服そうな表情とは裏腹に、副官はテキパキと斥候隊を編成し、迅速な動きで森の偵察へ出ていった。命令とあらば感情を抜きに即実行する。さぞ有能な将官であるらしい。

「そ・れ・で」斥候隊を見送った将軍が、伊能に微笑みかけてくる。「何者なの、アナタ?」

「ええと」伊能は、迷う。(どう話すべきじゃ? どう話すのが正解なんじゃろうか)

 女神様から様々な話をしてもらった際、伊能は異世界の地理が面白くて、地理の話ばかり聞いていた。そのため、肝心の、いざ転生してからの身の振り方についてまったく確認していなかったのだ。

(そもそも、異世界転生というのは一般的に知られていることなのじゃろうか。だとしたら話は早いが……。逆にワシしか転生者がおらんかったり、いたとしてもごく少数なのだとしたら、マズい。下手すればワシは狂人か異端者扱いじゃ)

『異世界から転生してきたのですじゃ』などと話してしまった日には、『あらァ、アナタ頭は大丈夫? 怪しいから牢屋に放り込んでおくわね』と返ってくるだろう。
『女神オルディナ様の導きで、この世界に降り立ったのですじゃ』と話した場合は、『神の使徒を名乗るなんて、恐れ知らずの不届き者ねェ。牢屋行きね』となるだろう。

(どうしたものか)決断力に定評のあるはずの伊能が、珍しく考えあぐねていると、

 ――ドーン、ドーン、ドーン
 と、歩兵部隊の方から太鼓の音が聞こえてきた。と同時に、歩兵部隊の進軍が止まる。つまり、斥候隊が無事、森の伏兵を発見したということだ。これで、歩兵部隊が敵の奇襲を受ける危険はなくなった。

(良かった)伊能は胸を撫で下ろす。

「へぇ」将軍の瞳が、輝きを帯びた。「アナタの能力は、信用に値するわ。アナタが何を話しても、アタシは信じる。だから、ね?」

 将軍が、優しく微笑んでいる。その笑みを見て、伊能は腹をくくった。

「実は――」

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