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壱章「伊能の異能」ノ弐

 気が付くと、伊能は何もない草原に立っていた。嗅いだことのない若草の匂い。暑くも寒くもない、心地良い風。季節は春だろうか。

(異なる世界、見知らぬ土地!)だが今の伊能には、異世界の気候に思いを馳せる余裕などなかった。なぜなら、(測量、測量したい! 測量したい測量したい測量したい!)

 測量欲が、限界を迎えつつあったからだ。

「【測量】――ッ!」

 伊能の叫びに、いつの間にか右手に握りしめられていたわんか羅鍼(らしん)が輝き出す。目の前に広がる一メートル四方の平原がぱっと輝いたかと思うと、目の前にウィンドウが表示され、たった今測量したばかりの範囲が地図として表示された。地図と言っても、何もない野原が対象だったため、表示されたのは単なる白紙だったが。

「ふむ、これがワシの異能【測量】と、付帯機能の『うぃんどう』か」

 人並み外れた理解力で、さっそく異能の検分を始める伊能。
『こ、ここは?』とか、『本当に転生したのか!』といった、常人ならば必ず経るはずのお約束なリアクションを、伊能はすべて省略してしまう。そんなことをしても時間の無駄だと、よく理解しているからだ。そして何より、

「【測量】! 【測量】! 【測量】! むほほ、本当に唱えただけで測量できるわい」

 早く測量がしたくてたまらなかったからである。

「なるほど、このわんか羅鍼(杖の先に方位磁針を付けた、生前の伊能が愛用した測量道具)が、異能を生じさせるための道具なのじゃな。女神様には本当に感謝せねば。じゃが……【測量】」

 また、目の前の二メートル四方が測量・地図化される。

「確かに、道具もなしに一瞬で測量できるのはたいそう便利じゃが、たったの六尺六寸(約二メートル)ではのぅ。女神様のお話では、異世界転生者の異能は非常に強力なものが多い、ということじゃったが」

 ――ポロロン♪
 場違いな通知音とともに、伊能の目の前に新たなウィンドウが表示された。

「『実績解除』?」ウィンドウに表記されている文章を、読み上げる。「『五回測量する。特典:一度に測量できる範囲が二倍になる』。ほほぅ。【測量】!」

 伊能が唱えると、四メートル四方の範囲が一度に測量された。文章のとおり、確かに測量範囲が二倍になっている。
 ウィンドウには他にも、

『十歩歩く:一度に測量できる範囲が二倍になる』
『十回【測量】する:一度に測量できる範囲が二倍になる』
『高低差一メートル以上移動する:地図に自動で等高線が書き加えられるようになる』
『一メートル以上の穴を掘る:土中の資源有無を自動で調査できるようになる』
『土に種を植えて芽吹かせる:土壌を自動で調査できるようになる』
『井戸を掘り当てる:地下水脈の有無を自動で調査できるようになる』
『百歩歩く:一度に測量できる範囲が二倍になる』
『百回【測量】する:一度に測量できる範囲が二倍になる』
『高台から地平線を眺める:一度に測量できる範囲が十倍になる』
『千歩歩く:一度に測量できる範囲が二倍になる』
『千回【測量】する:一度に測量できる範囲が二倍になる』
『百メートル以上の見張り台から眼下を眺める:一度に測量できる範囲が十倍になる』
『一メートル四方に限定して測量する:?????』
『一、六〇〇キロメートル歩く:?????』

 と、実に様々な『実績』と『解除特典』が羅列されている。

「こ、これは! 胸が踊るのぅ! さっそく歩いて実績とやらを解除せねば……ん?」

 歩きはじめてから、伊能はようやく『ソレ』に気付いた。体に対する、猛烈な違和感に。自身を見下ろすと、

「な、何じゃこの体は!?」

 体が、小さい。いや、生前の伊能も、けして大柄な方ではなかった。身長一六〇センチと、江戸時代の平均よりも若干背が高いくらいで。だが、この体は全体に、こう、『ちんまり』しているのだ。まずもって手が小さい。そして、

「これは……髪? 白髪かの? じゃがここまで伸ばしておった覚えは……」

 それに、今さら気付いたが、声も変に高い。不安になってきた伊能は、辺りを探し、幸いにも水溜まりを見つけた。覗き込んでみて、

「な、な、な、なんじゃこれはぁああああああああああああああああああ!?」

 おっ魂消た。異人の顔になっていたからである。それも、童女の。長い銀髪に、真っ碧な瞳。伊能には異人に対する美的感覚が希薄だが、それでも『美しい』『可愛らしい』と思える可憐な容姿。

『あ、伝え忘れてましたけど』

 その時、隣から女神オルディナの声が聞こえた。見れば、ウィンドウが現れていて、女神様が映されている。

『ご覧のとおり、TSさせちゃいました』

「て、てーえす? てーえすとは何のことですじゃ!?」さしもの伊能も、冷静さを欠いてしまう。「いや、それよりも女神様、この体はいったい!?」

『ですから、TSです。長く蛇口役をやってもらうには若いほうが良いですし、どうせなら可愛いほうが良いですから。いいですよねぇ、銀髪碧眼美少女。じゅるり』

「は、はぁああああ!?」話の流れから、『てーえす』というのが性別を変換させることらしい、と推察する伊能。「いやいやいや、この世界にくる前に、生前から二十歳ほど若返った姿を見せてくださったではございませんか!」

『あぁあれは、話をスムーズに進めるためのフェイクです』

「なっ、なっ、なっ……」

『その世界、その国は、江戸時代日本にも負けず劣らぬ男尊女卑社会ですが、同時に異能至上主義社会でもあります。【測量】の異能さえあれば、食い扶持に困ることもないでしょう。何より、その体は若い。十代半ばの設定です。体も江戸時代日本の男性より丈夫なので、これから六十年以上は測量し続けられますよ』

「おおおっ、それは素晴らしいですな! では、『てーえす』のことはひとまず置いておいて、さっそく――【測量】!」

 そう言って、【測量】三昧に戻っていく伊能。

『ふふふ。そうなるように誘導したとはいえ、TSほどのことをひとまず置いてしまえるとは。伊能三郎右衛門忠敬さん、アナタは本当に測量狂なんですね。それでは、ごきげんよう。良き測量ライフを』

 ウィンドウが消えたことに、伊能は気付かない。測量で忙しかったからだ。


   ◆   ◇   ◆   ◇


「――はっ!?」数時間後、伊能はようやく我に返った。「いかんいかん、夢中になっておったわ。【測量】!」

 ウィンドウには、広大な範囲の地図が等高線付きで表示されている。解除した実績の数々により、伊能の【測量】はもはや、たった一度で数百メートル先まで地図化できるまでになっていた。

「いやぁ、育った育った。これが、女神様が仰っていた『ちーと』というやつなのじゃろうか。楽しいのぅ、コレ。やればやるほど異能が育っていくのがクセになるわい」

 伊能は実績一覧をすいっすいっとスワイプさせながら、

「穴掘りと種撒きは街で道具や種を買ってからじゃのぅ。井戸は、ちと難易度が高い。が、あれば絶対に便利じゃ。あとは、最後の実績……」

『一六〇〇キロメートル歩く:?????』

「四〇七里余り。はて、何やら恣意的な数字じゃが、何じゃろうなコレ? まぁ、今日明日で歩ききれるものでもなし、コイツは当面、後回しじゃな」

 その時、ぐぅ~……と伊能の腹の虫が鳴いた。

「む、まずい。測量のこととなると寝食を忘れるのは、悪いクセじゃな」

 女神から教えてもらった地理情報によると、ここはミズガル帝国の東部・ミドガルズ伯爵領。東に半日歩けば領都があるはずだ。

「【測量】、【測量】、【測量】」

 手癖のように異能を使いながら、伊能はてくてくと歩きはじめる。すでに数時間も歩き回ったはずなのに、その足取りは軽く、まるで疲れを感じさせない。それどころか、

「いやぁ、体が軽い軽い! このまま日本列島を横断できそうなほどじゃ!」

 若返ったことで、伊能は全盛期に匹敵するほどの健脚を手に入れていた。
 疲れ知らずのまま歩き続けること、さらに数時間。小高い丘を登りきったその先で、伊能は異様な光景を見た。
 緑色の肌をした小汚い異形――魔物『ゴブリン』数十体と、鎧を着込んだ人間数十人が、壮絶な殺し合いをしていたのである。太平の世を生きてきた伊能が初めてみた、それは『戦場』の光景だった。

「なっ、これは……」

 理解力の権化である彼の脳を持ってしても、伊能には目の前で何が起こっているのかが理解できなかった。
 ゴブリン数十体、対、人間数十人。二つの集団が、互いに槍や剣、斧でしきりに刺し合い、斬り合っている。つまり、殺し合っている。

「な、何をしておるのじゃ!?」

 伊能は激しく狼狽する。目の前で、生き物と生き物が殺し合っているということが、頭では理解できても心が処理できないのだ。
 伊能が呆然と突っ立っていると、

「ゴブ。ゴブゴブ」

 小汚い魔物・ゴブリンの一体と目が合った。伊能を獲物だと判断したゴブリンが、斧を
振り上げながら駆け寄ってくる!

「あ、あぁ……」伊能は、体がすくんでしまって動けない。

 ゴブリンが、伊能の脳天に斧を振り下ろす――!

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