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壱章「伊能の異能」ノ肆

 話した。正直に、包み隠さず。さすがに『てーえす』のことまでは省略したが。

「なるほど」将軍が頷く。「異世界転生に、転生特典のユニーク異能【測量】ねェ。いろいろと納得だわ」

「あの、ワシが言うのも何ですが、信じてくださるので?」

「アタシってば、とある事情で『迷い人』には詳しいのよォん。あ、迷い人というのは、アナタみたいに異なる世界からやって来た人の総称ね。帝国においても、まったく例がないわけではないの」

「ほぅ」

 などと話をしている間にも、森に潜んでいたゴブリンの奇襲部隊が人間軍の歩兵部隊に包囲殲滅されつつある。地平線の向こうへ逃げようとするゴブリンの残党たちを、伊能の指導によって精度を上げた砲兵隊たちが狙い撃っていく。

「こんなにも軽微な損害でゴブリン軍を追い払えたのは初めてよ」それらの光景を、将軍が眩しそうに眺めている。「アナタのお陰ね。でも、良かったの? アタシたちに異能を開示しちゃったりして」

「え?」

「アタシたちが悪い人間だったらどうするつもりだったのよ」

「ワシを救ってくださったアナタ様が指揮するもののふたちです。悪い人なわけがないでしょう。もし仮に悪人だったとしたら、ワシの見る目がなかったと諦めも付くというものですじゃ」

「あらあら」

「それに」伊能は、勝どきを上げる将兵たちを眺める。「人が死ぬのは、もう嫌なのですじゃ」

「もう?」

「いや、お恥ずかしい。長生きしているとどうしても、いろいろとありましてのぅ」

「そう」察した様子の将軍が、ゆっくりと微笑んだ。「アタシはバルムンク。ミドガルズ伯爵家領軍を預かる者よ。アナタは?」

「伊能三郎右衛門忠敬。しがない測量士ですじゃ」

「イノーサブローエ……?」

「あー、この国の呼び方だと、そう。タダタカ・イノーですじゃ」

「タダタカ・イノー。タダタカ……うーん、異国の名前には詳しくないけれど、何と言うか女の子っぽくない響きねぇ」

「ぎくっ」

「イノーちゃァあん? 念のために聞くけれどォん、もう、隠していることはない?」

「実を言いますと……」伊能は、『てーえす』のことを話した。

「ぶっふぉ! そんな可憐な見た目で、実は七十歳のお爺さん!? どおりでどおりで、妙に貫禄があるというか、落ち着いていると思ったわァん」

 ずいぶんと、すんなり信じてもらえた。伊能は拍子抜けする。とは言え、考えてもみれば、異世界転生だのユニーク異能だのといった話の後だ。今さら性別が変わったくらい、驚くほどのことでもないのかもしれない。

「イノーちゃん。アナタのお陰で、本当に助かったわ」将軍バルムンクが、笑顔の将兵たちを嬉しそうに眺めている。「アナタは、あの子たちの命の恩人よ。イノーちゃん、アナタは対価に何を望むのかしら?」

「対価など。ワシがやりたくてやったことですじゃ」

「まァ、謙虚な英雄さんですこと。何でもいいから言ってごらんなさい」

「あー、それでは」伊能は、気恥ずかしさをごまかすように苦笑する。「今日の食事と寝床を頂けませんかのぅ。実はこのとおり、家無し職無し一文無しでして」

「うふふっ。とっておきの寝床を用意してあげるわよ」


   ◆   ◆   ◇   ◇


「そなたがタダタカ・イノーか!」

 数時間後、伊能はきらびやかな城の一室にいた。真紅のカーペットが敷かれた、いわゆる『謁見の間』というやつである。部屋には将軍バルムンクを始めとした、ミドガルズ伯爵家の重鎮たちが居並んでいる。
 そんな豪奢な部屋の最奥、大きな玉座の『上に』仁王立ちしているのは、

「余がミズガル帝国が誇る五伯家最大の家、偉大なるミドガルズ伯爵家が現当主、リリン・フォン・ミドガルズじゃ! 疾くひれ伏すがよい」

「ははーっ」ひれ伏せと言われたので、伊能は素直にひれ伏す。農民・町人上がりの伊能は、武士階級相手にひれ伏すことには慣れている。なんとなく、苗字帯刀を許されて江戸城へ参内した時のことを思い出す伊能だった。

「面を上げよ」

 言われて、伊能は顔を上げる。目の前にいるのは、驚くほど美しい少女だった。
 幼い。年の頃は十にも満たないだろう。腰まで届くウェーブ掛かった金髪に、灼熱のごとき赤い瞳。女神が見たら『のじゃロリのメスガキですね』と評したであろう、嗜虐心に満ちた目をしている。
 幼き領主リリンが身にまとうのは、黒を基調とした軍服に真っ赤なマントだ。一見すると男装だが、履いているのは際どいほど丈の短いスカート。編み上げブーツとスカートの間の白い肌が眩しい。

(【測量】――身長一二四センチ、体重二五キロ。ほっそい脚じゃのぅ。ちゃんと食っておるのか心配になってしまう)

 度重なる測量で育ちに育った伊能の異能は、今や無詠唱(脳内詠唱)で相手の体格まで測れるほどになっていた。

(それにしても、この偉大な雰囲気な何じゃろう。威容というか、威風というか)

 けして強そうな相手ではない。例えばバルムンクのように、物理的に強そうな見た目をしているわけでもない。が、リリンからは曰く言い難いカリスマ性のようなものが立ち上っている。
 事実、この場に居並ぶ彼女の家臣たちはみな、彼女に対して恭しく礼を取っている。十歳にも満たない少女を慕い、心から主と認めている様子だ。大の大人が十人近くも居並んでいて、誰一人として少女を小娘と侮っていない。驚くべきことである。

「して、そなたの異能は何じゃ?」リリンが子供のように目を輝かせながら――事実子供だが――言った。「【発火】か、【飛翔】か、【怪力】か、それとも【瞬間移動】か?」

 リリンが挙げる異能は、いずれも戦闘向きのものばかり。伊能は嫌な予感を覚えつつ、答えた。

「【測量】、でございますじゃ」

「そ・く・りょ・う~~~~? ソレは、何ができるのじゃ?」

「測量ができます」

「測量して、どうやって魔物を屠れるというのじゃ」

「そ、それは……」最弱の魔物・ゴブリンにあっさりと殺されかけたことを思い出し、言葉に詰まる伊能。

「はぁ~……!」リリンが苛立たしげにため息をつく。「何じゃ、そのゴミ異能は。そなた、そんなゴミを余に披露するために、超多忙たる余の時間を奪ったのか?」

「そ、そのようなつもりは」

『隠れた敵を見つけ出すことができる』とか、『大砲と組み合わせることで、遮蔽物の向こうの敵を狙撃することができる』とか。言うべき言葉はいくらでもあったはずだが、リリンの放つ強大なオーラに気圧され、伊能は上手く言葉が出てこない。

「万死に値する」リリンが、冷えきった声でそう言った。「バルムンクよ」

「何かしらァん?」

「この者を処刑せよ」

「なっ――!?」伊能は真っ青になって顔を上げる。

「リリちゃん閣下、この子の本領はバトルじゃないのよォん。それに、ちょっとくらい言い分を聞いてあげてもいいんじゃないかしらァん?」

「ふむ。では、タダタカ・イノーよ。そなた、この男――帝国最強の騎士バルムンクと決闘せよ。そなたのゴミ異能を駆使して見事生き延びられたなら、その命、許してやっても良い」

「そんなっ、ワシはバルムンク殿に連れて来られただけで――」

「余は言い訳を好まぬ。身の潔白は成果で示せ」

 戸惑う伊能をよそに、状況は着々と進んでいく。家臣たちが壁際に退避し、【結界】の異能を持つ家臣がリリンと家臣たちを防護結界で包み込む。謁見の間の中央、四方十数メートルが、決闘場に早変わりした。

「ごめんなさいねェん、イノーちゃん」笑いながらも、バルムンクが真剣を抜く。あれは、伊能をゴブリンから救ってくれた剣だ。「ウチのご主人様、言い出したら聞かないのよ」

 一方の伊能には、家臣の一人から三丁の拳銃が手渡された。一丁は手に持たされ、残り二丁はホルスターで腰に下げる形となる。

火打ち石(フリントロック)式マスケットよォん。単発式。引き金を引けば、弾が出るわ」

「バカなっ、なぜ殺し合わねばならぬ!?」

「じゃァ、始めるわね」

 言うや否や、バルムンクが四足獣のごとく身をかがめ、駆け出した。全身鎧に刃渡り一メートル五〇センチの大剣という超重量の装備だというのに、まるで猫のような素早さで飛び掛かってくる!
 バルムンクの大上段からの振り下ろしを、伊能は間一髪避ける。

(……おや、意外と動ける?)伊能は自身の軽さに驚く。

 すかさず、バルムンクが横薙ぎの第二撃を打ち込んでくる。これも、辛うじて避けることができた。二十年分の若返りは伊達ではない。それに、なぜか相手の太刀筋がよく見えるような気がするのだ。戸惑いつつも、伊能は自身の変化に希望を抱く。
 続く第三撃、四撃も避けきった伊能だったが、すぐに体力の限界がきた。足をもつれさせたところをバルムンクの剣の腹で殴打され、吹き飛ばされる。

「ぎゃっ」無様に地面を転がる。(ワシは死ぬのか、こんなところで?)必死に起き上がり、マスケットを握りしめる。人殺しの道具を使うことに強い抵抗を覚える伊能だったが、(このようなところで死ぬわけにはいかぬ!)

 腹を、決めた。震える手でマスケットを構え、撃つ。だが猫のように俊敏なバルムンクに、銃弾はあっさりと避けられてしまった。
 伊能は弾の切れたマスケットを捨て、腰から二丁目を抜く。今度は、より慎重に狙う。だがバルムンクが踏むステップはあまりにも素早く、かつ複雑で、一秒後、いやゼロコンマ五秒後に彼がどこにいるのかが、まるで予想できない。

(集中せよ、三郎右衛門!)

 伊能の精神が研ぎ澄まされていく。先ほど太刀筋が見えた時のように、バルムンクの移動予測地点が『視えた』ような気がした。伊能は息を止め、バルムンクが一瞬先に到達する地点へと、偏差射撃を行う。
 ――タァーンッ!
 だが弾は、バルムンクの鼻先をかすめていった。バルムンクが、人外じみた筋力で急制動を掛けたのだ。大理石の床にヒビが入る。避けられた銃弾は、バルムンクのはるか後方の壁に当たって、『跳ねた』。
 伊能は二丁目を捨て、三丁目を取り出す。が、その時にはもう、バルムンクがこちらの目の前に到達しきっており、大きく剣を振り上げ終わっていた。

「惜しかったけれど。これでお仕舞いねェ」

 バルムンクが、剣を振り下ろす――!

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