四日目③ 天使と悪魔の攻防戦
予想通り、園内は混雑していた。
オープンしたてと言う事や、土曜日と言う関係もあるのだろう。
遊園地・ドリームワールドは、家族連れやカップルなど、沢山の人でごった返していたのである。
「わあ、やっぱり混んでいるね……」
「想像はしていたけど……。でも、いざ目の当たりにすると凄い人混みね」
いくつアトラクションに乗れるかな?
一時間から二時間待ちは当たり前かな?
などと話をしている女性陣の傍らで、太郎はグッタリとしながらゼーゼーと荒い呼吸を繰り返していた。
その原因は言わずもがな。
タロを捕まえるために走り回ったからである。
「どうしたタロー。あの程度の距離を走っただけで、もうギブアップか?」
ボクはまだピンピンしているぞ、と得意気なタロの態度が癪に障る。
まったく、一体誰のせいだと思っているんだ?
「お願い、タロ。大人しくしていて……」
「何を言う。子供は元気に走り回るモノではないか。逆に大人しくしていては、ヒナコに怪しまれてしまうぞ? 遊園地に来ているのに、子供がはしゃがずに大人しくしているなんて怪しい、と不審に思われたら困るではないか!」
「……」
子供のふりをするためにわざと騒ぎ回っているのか、それとも素で暴れているのか。
まあ、どう考えても確実に後者なのだろうが。
とにかくさっきは大変だった。
タロは思ったよりも、すばしっこかった。
チョロチョロチョロチョロと、まるでネズミの如く走り回っていたのである。
入り口で入園を待っている待機列を擦り抜け、入場券も見せずに係員の脇を通り抜けて園内に入り込み、これまた人の波を駆け抜け、ジェットコースターの前で足を止め、それをキラキラとした瞳で見上げているところをようやく捕まえた太郎は、遊園地のお偉いさんにこっぴどく怒られてしまった。
一応厳重注意だけで済んだものの、次やったら出禁だそうだ。
開園早々出禁は嫌だ。
タロにこれ以上問題行動を起こさせてはいけない。
目を離さないようにしよう。
「とにかくここで突っ立っているのは、時間がもったいないわ。何でも良いから、取り敢えず列に並びましょう」
一日中遊べると言えば聞こえは良いが、この人混みだ。
乗れるアトラクションの数は限られて来るだろう。
ならば一台でも多く乗るために早く何かに並んでしまおうと促すと、樹は他三人に視線を向けた。
「何に乗りたい?」
「ジェットコースター!」
「ええっ!? ちょっと待ってよ! 僕、絶叫系は……」
「じゃあ、それにしましょう」
「えええええええええッ!?」
ジェットコースターをキラキラと見つめていたタロの事だから、そう言うと思ったが。
太郎の意見など聞き入れず、さっさとジェットコースターの長蛇の列に並ぶ樹に、太郎は反論の声を上げた。
「待ってよ! 僕が絶叫系苦手なの、姉ちゃんも知っているでしょ!?」
そうだ、太郎は絶叫系が大嫌いなのだ。
ガタンガタンと恐怖を煽るようにしてゆっくりと昇り、そして超スピードで真っ逆さまに落ちて行くコースター。
何故、高いお金を払い、自ら進んで恐怖体験をしなければならない?
恐怖を感じて、キャーッと叫んで何が楽しい?
自分には意味が分からない。
「そりゃ、太郎ちゃんには意味が分からないかもしれないけど。でも、タロ太郎ちゃんがジェットコースターに乗りたいって言っているんだから、彼の意見を尊重してあげないと」
「ぼ、僕の意見はどうなるの!?」
「じゃあ、太郎ちゃんは何に乗りたいの?」
「え!? えっと、それは……」
「ほら、すぐには浮かばないじゃない。だったらあそこで突っ立って意見を交わし合うより、タロ太郎ちゃんの意見を尊重して、ジェットコースターの列に並びながら意見を交わしていた方がよっぽど利口だわ」
「う……」
「別に、太郎ちゃんの意見を尊重しないつもりもないわよ。ジェットコースターの後に、太郎ちゃんと妃奈子ちゃんの乗りたいモノにも乗るつもりだし。だからジェットコースターに乗るまでに、次に何に乗りたいのか、ちゃんと考えておいてね」
「……」
別に太郎は、樹がタロの意見ばかりを聞き入れた事に文句を言っているのではなく、ただ単に絶叫マシーンに乗りたくないから、文句を言っていただけなのだが。
最もである樹の意見には納得出来るものの、それでもやっぱり恐怖のマシーンには乗りたくない。
だったら三人がジェットコースターに乗っている間、自分は下で待っていれば良いのではないだろうか。
そう意見しようとした太郎であったが、しかし彼がそれを口にする前に、二人の会話を聞いていた妃奈子が、おずおずと助け船を出した。
「ねえ、樹お姉ちゃん。だったら私、太郎君と他のアトラクションに乗っていても良いかな?」
太郎が絶叫系が苦手である事は、もちろん妃奈子だって知っている。
だから嫌がる太郎を、無理矢理ジェットコースターに乗せるのは可哀想だと思ったのだろう。
しかしそんな妃奈子の気遣いに何を勘違いしたのか、樹は不思議そうに首を傾げた。
「あれ? 妃奈子ちゃんも絶叫系苦手だったっけ?」
「ううん、そうじゃないけど。でも、太郎君が怖がっているのに、ジェットコースターに無理矢理乗せるのは良くないと思うの。だから私達、二人がジェットコースターに乗っている間、別のアトラクションに乗っているよ。それで後で合流すれば良いんじゃないかな?」
なんって良い人なんだろうか、彼女は!
絶叫系に乗りたくないと言う太郎の気持ちを汲み取って、樹に優しい提案をしてくれるなんて。
女神か!
(やっぱり妃奈子ちゃんは優しいよなあ……。姉ちゃんとは大違いだ)
しかし妃奈子の優しさに感動している太郎の横で、樹はニッコリと微笑みながら、悪魔の言葉を放った。
「太郎ちゃんが嫌だって言っているのは分かるわ。でもね、あんまり甘やかして育てると、将来ロクな大人にならないのよ」
「え……?」
「人生には避けては通れない道があるって事、今から教えておかなくちゃいけないの」
「う、うん……?」
「だから四人で一緒にジェットコースターに乗りましょうね」
「そ、そっか……。うん、そうだね……うん、わかった」
何だ、それ!? ちょっと意味が分かんないんだけど!?
人生には避けて通れない道があるかもしれないけど、それは今じゃないだろ! ジェットコースターは避けて通れる道だろ!
ああ、もう駄目だ。僕にはもう、この恐怖のマシーンに乗るしか道は残されていないんだ。
って言うか、誰だよ、ジェットコースターなんて恐ろしいモノ作ったヤツ!
こんな余計なモノ作るから悪いんじゃないか!
と、妃奈子が言い包められた事により、希望の道を失った太郎は、心の中で製作者に向かって迷惑な八つ当たりをする。
そうしてから、太郎は目の前で楽しそうにはしゃいでいるタロを、ギロリと睨み付けた。
「わーい、ジェットコースター! ジェットコースター!」
何がジェットコースターだ。人の気も知らないで!
ぴょこぴょこと長い耳を揺らしながら飛び跳ねている諸悪の根源を、深い恨みの目で睨み付けてやる。
するとその視線に気付いたのか、タロがクルリと顔をこちらに向けた。
「ひぃぃぃぃっ!?」
そして太郎の顔を見た瞬間、タロは悲鳴を上げながら、その表情を引き攣らせた。
どうやら太郎は、タロに悲鳴を上げさせる程の、恐ろしい恨みの表情を浮かべていたらしい。
まるで蛇に睨まれた蛙のようにその身を強張らせていたタロであったが、太郎の恨みの原因が分かったのだろう。
視線を逸らしながら何かを思案していたタロは、程なくしてその視線を太郎へと戻すと、ちょいちょいと彼に向かって手招きをした。
「なに?」
大分不機嫌になりながらも、しゃがみ込んでタロに高さを合わせてやれば、タロは太郎の耳元で、ヒソヒソと小さく耳打ちをした。
(そう怒るな、タロー。これは作戦なのだ)
「は?」
どの辺が作戦なんだと言わんばかりに顔を顰めれば、タロは得意気になりながら、更にヒソヒソと耳打ちを続けた。
(よく言うだろう? 恐怖をともにした男女の間には恋心が芽生えると! この作戦はそれを利用したモノだ。ヒナコが「怖いよ、太郎君」と言ったら、キミは「僕が付いているから大丈夫だよ」とでも言ってみろ。それだけでヒナコは胸キュンだ)
(その作戦、たった今即興で思い付いたモノだよね?)
さっき何か考えていたし。
(ギクッ)
(ギクッて言った)
やっぱりタロは追試のためではなく、ジェットコースターに乗って遊びたかっただけらしい。
今の胸キュン作戦も、太郎に睨まれてから思い付いたモノのようだ。
冷や汗を流しながらサッと視線を逸らしたタロに、太郎は更なる恨みの視線を送った。
「あ、あの、太郎君っ!」
「え? あ、な、何、妃奈子ちゃん?」
そんな時、背後から心配そうな妃奈子の声が掛けられる。
立ち上がりながらも振り返れば、そこではやっぱり妃奈子が、心配そうな視線を太郎へと向けていた。
「あのね、目を瞑っていれば、そんなに怖くないと思うの!」
「え?」
「だ、大丈夫だよ、太郎君! 私が付いているからっ!」
「……」
心配してくれるのは嬉しい。
しかし、これではさっきタロが即興で思い付いた作戦の逆バージョンではないか。
男の子が女の子に言ってやるのは胸キュンかもしれないが、女の子から言われるのって、男としてどうなのだろうか。
「わ、私が隣に乗るから! だから大丈夫だよ! ねっ!?」
「あ、ありがとう……」
必死に励ましてくれる妃奈子の隣では、樹がニヤニヤしながらこちらを見ている。
そのニヤニヤが、「作戦成功! 妃奈子ちゃんの隣を確保出来て良かったわね、太郎ちゃん!」のニヤニヤなのか、「太郎ちゃんの恐怖に強張る表情、楽しみだわー」のニヤニヤなのかは知らないが。
取り敢えずそのニヤニヤに腹が立った事には間違いないので、それだけは記述しておこうと思う。