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四日目④ ドリームジュース

 ジェットコースターに乗るための長蛇の列。
 そこにどれくらい並んだ頃だろうか。

「タロー兄ちゃん、タロー兄ちゃん!」
「え?」

 不意に、グイグイとパーカーの裾を引っ張られる。

 その犯人は分かってはいるものの、それでも視線を下へと落とせば、案の定、タロが太郎のパーカーを掴んだまま、キラキラと輝かんばかりの瞳で太郎を見上げていた。

「何? タロ……太郎?」

 太郎をタロー兄ちゃんと呼んでいるあたりで、既に嫌な予感がしているが。

 それでも一応用件を聞いてやれば、タロはそのキラキラ光線を送りながら、とある方向を指差した。

「アレ飲みたい!」
「アレ?」

 何かと思い視線を向けた先にあったのは、小さな売店。
『ドリームワールドに着たら飲まなきゃソン! どちゃくそに美味しいドリームジュースあります』と書かれた紙が貼ってある。

「アレ飲みたい! ドリームジュース!」
「えー?」
「走り回ったら、喉乾いちゃったんだよぅ!」
「……」

 何が『だよぅ!』だ。
 走り回って喉が渇いているのは、こっちの方だと言うのに。

 甘えた猫撫で声を出すタロに、心底嫌そうな表情を見せる太郎であったが、タロだって太郎の反応くらい予想していたのだろう。
 ニヤリと口角を吊り上げると、タロは再び手招きで太郎を呼び寄せた。

(フフン、タロー。これは今度こそラブラブ大作戦の一環なのだぞ!)
(今度こそって事は、やっぱりさっきのは、キミがジェットコースターに乗りたかっただけの言いわけなんだね?)
(過去の話をいつまでも引きずるのは止めて頂きたい)
(……)

 言いたい事は山程あるが、取り敢えずジロリと睨むだけに留めると、タロはその続きをヒソヒソと耳打ちした。

(キミがボクにジュースを買って来てくれる事で、キミに対するヒナコの好感度が上がるのだよ)
(何でだよ?)
(フッ、そんな事も分からぬのか、パンピーめ。見るからにヒナコはお人好……優しい子だろう? 大抵の優しい女の子は、優しい男の子が好きなのだ。だからキミがボクにジュース買ってくれれば、キミは『子供にジュースを買ってあげられる優しい人』として、ヒナコの目には映るのだ。そしてヒナコもそんなキミにキュンとする。どうだ? 中々に良い作戦だろう?)
(……)

 騙されている気がするのは、気のせいだろうか。

「ねぇ、お兄ちゃん。ボク、ジュースが飲みたいよぅ! 買って来てよーぅ!」

 騙されている気がするのは山々だが。
 でもどちらにせよ、ジュースを買ってやらないうちは、タロはこの『駄々っ子タロ太郎』の演技を止めはしないだろう。

(まあいいか。そんなに高いモノでもないんだし)

 グイグイとパーカーを引っ張りながら、猫撫で声を出すタロに溜め息を吐くと、太郎はこれまた仕方がなさそうにタロを見下ろした。

「分かったよ。買って来るから待ってて」
「うわわーいっ! うわわーいっ!」

 万歳をしながら大袈裟に喜ぶタロは、演技でやっているのか、それとも素でやっているのか。

 とにかく一度ジェットコースターの列から抜けた太郎は、売店の列に並んでジュースを買うと、それを持ってタロ達のところへと戻って来た。

「はい、タロ太郎。ドリームジュース」
「わーい、ありがとう、タロー兄ちゃん! 大好きー!」

 差し出された紙コップのジュースを受け取ると、タロは美味しそうにグビグビとジュースを飲み始めた。

(まったく、しょうがないな、タロは)

 ゴキュゴキュと喉を鳴らしながらジュースを飲むタロを眺めていると、無意識のうちに頬が緩んでしまうのは何故だろうか。

 やっぱり何だかんだ言って、憎めないヤツなんだろうな、タロは。

「ふふっ、優しいんだね、太郎君」
「え?」

 ふと、その場に響いた優しい声。

 二人のやり取りをずっと見ていたのだろう。
 振り向けば妃奈子が、クスクスと笑いながら太郎を見つめていた。

「タロ太郎君におこずかいでジュースを買ってあげるなんて。やっぱり優しいよね、太郎君は」
「えっ!? あ、えっと……っ」
「私、太郎君のそう言うところ好きだよ?」
「ええッ!?」

 その一言に、太郎は顔を真っ赤に染めた。

 そりゃ意味は違うが、妃奈子に「好き」と言われたのだ。

 ありがとう、タロ! 今だけは感謝するよ!

「あ、あああ……え、えと……っ」
「そうなんです! タロー兄ちゃんは優しいのです!」

 嬉しさと緊張と恥ずかしさのあまり、何と答えたら良いのかが分からず、太郎が真っ赤になりながら口籠っていた時だった。

 既にジュースを飲み終えたらしいタロが、張り切って声を上げたのは。

「タロー兄ちゃんはとても優しいのです! ベロベロンに優しいのです! 世界一優しいのです! 誰かさんなんかよりもずっとずーっと優しいのです! だからタロー兄ちゃん、ジュースもう一杯買って」
「……」

 妃奈子に一生懸命アピールしてくれているのか、ジュースがもっと飲みたいだけなのか。

 パーカーを引っ張りながら再びキラキラ光線を送って来たタロに、太郎は白い目を向けた。

「あの、ねえ、樹お姉ちゃん……?」
「うん? 何、妃奈子ちゃん?」

 そんな時だった。

 笑顔で三人の様子を見守っていた樹に、妃奈子がどこか寂しそうな表情で話し掛けたのは。

「さっきから思っていたんだけど……。タロ太郎君って、太郎君にすごく懐いているよね? 前から知り合いだったの?」
「え? ああ、うん、ちょっと前からね」
「ふーん……。じゃあ、タロ太郎君と今日初めて会ったのって、私だけなんだ……」
「……」

 気のせいだろうか。
 漫画などでよく見掛ける、あの寂しげな黒い影が、妃奈子に陰って見えるのは。

(どうしよう、姉ちゃん。妃奈子ちゃんが、何か疎外感を感じちゃっているよ……)
(そ、そうね、どうしましょうか……)

 まるで除け者にされ、いじけている妃奈子も可愛いなあ……じゃなくて。

 悲しそうな笑みを浮かべながら、どこか遠くを見つめる妃奈子に罪悪感を覚えると、樹は慌てて取り繕ったような笑顔を浮かべた。

「あ、あああのね、妃奈子ちゃんっ! 前から知り合いって言っても、実際に会ったのって、つい先日……えっと、昨日! そう、昨日会ったばっかりなのよ! ねえ、太郎ちゃん! タロ太郎ちゃんとは、昨日会ったばっかりよね!?」
「う、うん! そう! そうなんだよ! 昨日会ったばっかりなんだよ! ねえ、タロ太郎!?」
「はい、一昨昨日に会ったばっかりです!」
「……」

 お前、話合わせろよ!

 妃奈子に気を遣う樹と太郎であったが、タロがバカ正直にそう答えてしまえば、妃奈子に陰っていた寂しげな黒い影が、更に増した気がした。

(タローッ!)
「や、ヤダなータロ太郎ちゃんってば! 何か勘違いしているのかなー?」

 お前何とかしろよと言わんばかりの鋭い視線と、お願いだから察してくれと言いたそうな涙目を、それぞれ太郎と樹に向けられれば、さすがのタロも状況に気が付いたらしい。
 彼はハッとすると、突然妃奈子に飛び付いた。

「ヒナコお姉ちゃん、大好きー!」

 とか叫びながら。

「ボク、誰かさんよりも優しいタロー兄ちゃんも好きだけど、ヒナコお姉ちゃんも大好きだよー!」

 ニコリと子供らしい無邪気な笑顔を見せれば、それだけで十分だったらしい。
 タロの行動にポカンとしていた妃奈子だったが、その機転の利いた行動に機嫌を直したらしい彼女は、ニコリと嬉しそうな笑みを浮かべた。

「あ、ありがとう、タロ太郎君。すごく嬉しいよ」
「はい。ボク、優しいお姉ちゃん大好きです」
「ふふっ、私もタロ太郎君大好きだよ」
「だから優しいヒナコお姉ちゃんには、優しいタロー兄ちゃんがお似合いだと思うのです。……誰かさんよりも」
(タロ!?)
「きっと相性もぴったりなのです。……誰かさんよりも」
(タローッ!)

 さっきから思っていたが、ちょいちょい「タローと付き合ってくれ」とか言わんばかりのアピールは止めてくれ。その後の自分の反応に困るじゃないか。
 それに何なんだよ、さっきから誰かさんって!

 お節介すぎるタロに、太郎は「これ以上余計な事を言うな」と、涙目で釘を差した。

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