四日目⑤ 負の感情は伝染する
さて。
何やかんやあって忘れ掛けていたが、その時は遂に訪れる。
そう。
恐怖の絶叫マシーンに乗る時間である。
「お待たせいたしました! 次の方どうぞー!」
(そうだった! 僕、これからジェットコースターに乗らなくちゃいけないんだった!)
ジェットコースター担当のキャストから声を掛けられた瞬間、太郎の表情がガチンと強張り、全身からサッと血の気が引いて行く。
タロが好き勝手やっていたせいで忘れていたが……。
ヤバイ。どうしよう。
「だ、大丈夫、太郎君っ!? 顔面真っ青だよ!?」
顔色がみるみる青くなって行く太郎に気付いた妃奈子が、慌てて声を掛けるものの、太郎はコクリと無言で首を縦に振るだけで……。
本当に大丈夫なのだろうか。
「お客様、何名様でしょうか?」
「四人です」
「あ、四名様ですか……」
樹が指を四本立てる事によって、キャストにそう答える。
するとキャストは困ったように表情を歪めた。
「申し訳ございません。お席の関係上、お先に二名様をお通しする形になるのですが……」
どうやら次の回は、一番後ろの席が二つしか空いていないらしい。
つまり先に二人に乗ってもらい、その次に来るコースターに残りの二人に乗ってもらいたいと言うのだ。
「あ、分かりました。じゃあ、太郎ちゃんと妃奈子ちゃんは、次のヤツに乗って。私とタロ太郎ちゃんとで先に乗るから」
「えっ!?」
「はーい!」
「アイアイサー!」
物言いたげな声を上げる太郎になど構わずに。
樹は他二人の了承を得ると、タロを連れてさっさとジェットコースターに乗り込んでしまった。
「……」
ガタガタと音を立てながら去って行くジェットコースターを見送りながら、太郎は呆然と思う。
しまった。
妃奈子と二人っきりにされた。
と……。
(どうしよう……)
二人っきりにされたのは偶然なのだろうが、それでも樹とタロに嵌められた気がするのは何故だろうか。
ああ、そうか。
きっと二人の日頃の行いが悪いせいだ。
(僕は嫌だって言ったのにな……)
既に彼氏のいる、片想いの女の子。
そんな彼女と二人っきりにされるなんて、気まずくて仕方がない。
妃奈子は喜んで誘いに乗ってくれたようだが、もしも土田がこの事を知ってしまったらどうしよう。
例え幼馴染と言えど、他の男と出掛けたなんて、土田は快く思わないかもしれないし。
それによって妃奈子と土田が喧嘩して、気まずい雰囲気になってしまうかもしれないし。
妃奈子との関係も、土田との友情も壊れてしまうかもしれないし。
それに何よりジェットコースターに乗らなくちゃいけないし。
(ああ、最悪だよ……)
しかし、余計な事を企画した上に、太郎と妃奈子を放置していなくなったタロと樹に、太郎が心の中で悪態吐いた時だった。
「あ、あの、太郎君……?」
言いにくそうに、妃奈子がおずおずと口を開いたのは。
「もしかして太郎君、今日来たくなかった……?」
「えっ!?」
まさかその心が、顔に出てしまっていたのだろうか。
ほぼ図星である妃奈子の指摘に、太郎は思わず正直に驚愕の声を上げてしまった。
「あっ、え、あ、えっと……あ、ジェットコースターの事? ああ、うん、やっぱりちょっと怖くって……」
もちろん、妃奈子が差しているのはジェットコースターの事ではなくて、遊園地そのモノの事だろう。
当然、太郎だってそのくらいの事は分かっている。
だからわざとしらばっくれてみようとした太郎であったが、案の定、妃奈子は「そうじゃない」と首を横に振った。
「ううん。ジェットコースターの事じゃなくって、ドリームワールド自体の事。太郎君、何だかつまらなさそうだったから」
「……」
本当に他人の感情に機敏なんだな、と太郎は改めて思う。
確かに太郎は、遊園地に来るのは嫌だった。
けれども、ずっとつまらなさそうにしていたわけでもない。
ドリームワールドに入園する前は必死にタロを追い回していたし、入園してからだってタロや樹に振り回されっ放しだったのだ。
だからずっとしかめっ面をしている暇もなければ、つまらなさそうに黙っている暇だってなかったわけで、そんな態度は一度たりとも妃奈子には見せていないハズなのだ。
それなのに何故か妃奈子には伝わってしまった。
ドリームワールドには来たくなかった、と言う彼の本音が……。
「昨日、私の事を中々誘ってくれなかったのも、誘うタイミングを見計らっていたんじゃなくって、もしかしてここに来るつもりはなかったから、後でお姉ちゃんに断ろうと思ってて、私に誘いの言葉を掛けてくれなかったんじゃないかって、そう思ったの……」
何故か彼の心に勘付いてしまった妃奈子。
そしてその確信を得ていた妃奈子は、太郎に申し訳なさそうに言葉を続けた。
「太郎君、本当は来ないつもりだったんだよね? でも、私が喜んで来るなんて言っちゃったから、断るに断れなくなっちゃったんだよね? 私、嬉しくって、自分の事しか考えられなくって……。昨日のうちに、太郎君の気持ちに気付いてあげられなくって、ごめんね」
申し訳なさそうにそう謝ると、妃奈子はとても悲しそうにしゅんと俯いてしまった。
(妃奈子ちゃん……)
思い起こせば、妃奈子は昨日、とても嬉しそうに笑っていた。
今日、時計台の下に来た時も、とても楽しそうだった。
今の今までだって、自分の隣でニコニコと微笑んでいてくれたのに。
それなのに今現在、何故彼女はこんなにも悲しそうにしているのだろう。
さっきまでの笑顔をなくし、何故俯いてしまっているのだろう。
彼女にこんな顔をさせているのは、一体誰……?
(僕だ。僕が妃奈子ちゃんに、こんな顔をさせちゃっているんだ……)
もちろん、彼とて彼女にこんな表情をさせるつもりなんてなかった。
自分のこの黒い感情だって、表に出しているつもりなんてなかったし、彼としてはいつも通りに妃奈子や他の二人と接しているつもりだったのだ。
(だけど、それは全部言い訳だ。だって他でもない僕が、妃奈子ちゃんを悲しませているんだから)
そうだ、結果的に妃奈子は、太郎の内側の感情に気付いてしまった。
そしてそれを自分のせいだと悔やみ、そして悲しんでしまっている。
それはタロのせいでも、樹のせいでもない。
全て、太郎のせいだ。
(悲しませるつもりなんて、なかったのにな)
ああ、やっぱり自分は、妃奈子の事がどうしようもないくらいに好きなんだな、と太郎は唐突に思った。
だって彼女のこの表情を見て、自分までもが悲しくなってしまっているのだから。
胸が締め付けられたように苦しい。
あの花のように愛らしい、彼女の笑顔が恋しい。
そう、思っているのだから。
(僕が、こんなんじゃ駄目なんだよな)
彼女を笑顔にするには、どうしたら良い?
そんなの簡単だ。
太郎が心から楽しめば良いのだ。
そうすれば妃奈子は罪悪感などに苛まれる事なく、いつものように笑っていてくれるハズなのだから。
(僕が……僕から変わらなくっちゃ……!)
今日だけは土田の事は忘れよう。
樹やタロの作戦にも乗ってやろうじゃないか。
そして心から楽しむんだ。
そう、全ては妃奈子と彼女の笑顔のために……。
ちくちくと痛む胸の奥に密かに苦笑すると、太郎は申し訳なさそうな笑みを妃奈子へと向けた。
「ごめん、妃奈子ちゃん。実は僕、まだちょっと眠たくて……。ほら、僕の家って、今、両親がいないでしょ? だから樹姉ちゃんが、しょっちゅう夜中まで居座っているんだよ。それで昨日もあのままずっと家にいてさ、結局徹夜で神経衰弱やらされていたんだ」
「え?」
もちろん、全て嘘だ。
昨日、あの後樹はすぐに帰ったし、「明日に備えて早く寝るのだ!」と、タロに無理矢理布団に入れられたため、昨夜はいつもより早く就寝している。だから寝不足なわけがない。
でもこう言えばきっと、妃奈子は納得してくれるだろう。
こう言えばきっと、また笑ってくれるのだろう。
だからそう思い、太郎は嘘を吐いたのだ。
「だからその……つまんなかったわけじゃなくって、ボーッとしてしまっていたんだ。だからその……妃奈子ちゃんのせいとかじゃないんだよ。僕だって、みんなと久しぶりに遊びに行くの、楽しみにしていたんだよ。でも寝不足のせいで、集中出来ていなかったみたいだ。僕の方こそ、勘違いさせてしまってごめんね」
「あ……そ、そう、なんだ……」
言い方は悪いが、どうやら妃奈子は、太郎の嘘に上手く騙されてくれたらしい。
申し訳なさそうに眉を顰める太郎にキョトンとしていたものの、その意味を理解すると、妃奈子はフワリと柔らかな笑みを見せてくれた。
「そっか……そうだったんだ……。うん、それなら良いの。でも私の方こそごめんなさい。勘違いした挙句、一人で落ち込んでしまって……」
恥ずかしげに顔を赤くしながら俯くその仕草も可愛いな、なんて、うっかりと場違いな事を思ってしまう。
そんな自分自身に内心で困ったように苦笑を浮かべると、太郎は「気にしないで、僕が悪いんだから」と笑って見せた。
「うん、ありがとう。でも良いな、徹夜で神経衰弱なんて。私も誘ってくれれば良かったのに」
「ええっ!? そんなの誘えないよ! だって夜通し神経衰弱なんて、どう考えても迷惑じゃないか!」
「迷惑なんかじゃないよ。……太郎君がいるなら」
「え?」
聞こえるか聞こえないかくらいで囁かれた、後半の言の葉。
しかし、それが聞き取れなかった太郎が首を傾げた時だった。
ガタンガタンと音を立てながら、タロ達の乗ったジェットコースターが戻って来たのは。
「はーい、お帰りなさーい! じゃあ、ゆっくり下りて―! あ、急がないでくださーい! はーい、また来てねー!」
コースターが制止し、キャストの声が響けば、ゾロゾロと下りて行く乗客達。
その中にいた樹と目が合うと、彼女はニコリと二人に笑顔でアイコンタクトを送った。
(楽しかったよー! 頑張ってねー!)
送られたその『頑張れ』の意味が、「妃奈子と良い感じになれるように頑張れ」なのか、「恐怖で失神しないように頑張れ」なのかは知らないが。
とにかくそのアイコンタクトで、太郎は再度ハッと思い出した。
そうだ! これからこの恐怖のマシーンに乗らなくちゃいけないんだった!
「お待たせ致しましたー! じゃあ、順番に乗ってくださーい!」
キャストの声が響けば、太郎の恐怖のドキドキ感は徐々に高まって行く。
席はなんと一番前。
最ッ悪だ。
「お姉ちゃん達とは別れちゃったけど。でも、一番前の席だなんて、ラッキーだったね」
「……」
何がラッキーなモノか。
最初に上って、一番に落ちるのだぞ?
景色だって一番良く見えるし、風だって最も浴びるんだ。
どう考えても罰ゲームな席じゃないか。
「……」
ガチンとベルトで体を固定されてしまえば、太郎の顔がいよいよ真っ青に染まった。
「あ、あ、そっか、太郎君、苦手っだったね! ごめんね、一人ではしゃいじゃって! 大丈夫だよ! 落ち着いて! 私が側についているからっ!」
「……」
最早首をカクカクと縦に振る事しか出来ない、からくり仕掛けのおもちゃのようになっている太郎にハッと気が付いたのだろう。
しかし必死になって励ましてくれる妃奈子にも、やっぱり太郎はカクカクと首を縦に振る事でしか返せなくなっていた。
「太郎君、本当に、本当に大丈夫だから! 絶対に落ちたりしないから! だって、出来たばかりでまだ新品のコースターだもの! だから安心して! ねっ! ねッッ!」
必死に励ましてくれる妃奈子の声が聞こえているのかいないのか。
とにかく真っ青なからくりと化した太郎を乗せたまま、コースターはガタガタと音を立てながらゆっくりと出発したのであった。
□
「うーむ……」
「あら、タロちゃん、どうしたの?」
太郎が恐怖に震えながら出発した頃、一足早くジェットコースターを楽しんだトラブルメーカー二人組は、ジェットコースターの出口で、ゆっくりと上昇して行くコースターを見上げていた。
「イマイチだ」
「イマイチ?」
ジェットコースターに乗る前は、あんなに楽しそうにはしゃいでいたタロ。
しかし彼にとって、このジェットコースターは思っていたモノとは違ったらしい。
不機嫌そうに呟かれたその感想に樹が眉を顰めれば、タロは大きく頷いた。
「うむ。スピード感がまるでない。いくら何でも遅すぎる!」
「え、そう? 私は結構速かったと思うけど……。あ、もしかしてタロちゃんの世界だと、ジェットコースターってもっと速いモノなの?」
「む? 速いも何も、ここまで遅いモノの方が珍しいぞ。それに、少なくともコースを二周はする。何故、このコースターは一周しかしない? これではジェットコースターとは言わなんだ!」
「へぇ、そうなんだ。こっちの世界だと、スピードはだいたいこのくらいが普通だと思うし、コースも一周しかしないんだけどな」
「なんと、そうなのか? なるほど、どうやらこちらの世界の文明は、パラレルワールドに比べたら大分遅れているようだ」
……大きなお世話である。
「しかし、これではスリル感がなさすぎだ! こんなのでドキドキなど起きるわけがない! よし、ボクがこのジェットコースターを、パラレルワールドのジェットコースターのようにしてやろう!」
「えっ、タロちゃんって、そんな事も出来るの!?」
お決まりのペロペロキャンディステッキを取り出しながらそう宣言するタロに、樹がキラキラと輝く期待の眼差しを向ければ、タロは得意気に鼻を鳴らした。
「当然だ! ボクは天才魔法使いだからな! だからボクがタローに吊り橋効果をプレゼントしてやろう! 妃奈子とともにスリルを味わえば、二人の仲はきっと深まるハズだ!」
「なるほど。恐怖をともにした男女は、恋仲に陥りやすいって言うもんね。さっすが、タロちゃん! 天才がすぎるわ!」
「フフン、当然である。では早速……」
パチパチと楽しそうに手を叩く樹の前で、タロは高々と杖を掲げた。
「ペケポン、ペケポン、ジェットコースターよ、もっともーっと速く、長く走れー!」
そしていつもの奇妙な呪文を、声高らかに唱えたのであった。