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四日目② 初、ご対面

「太郎君! 樹お姉ちゃん!」
「っ!」
「あら、妃奈子ちゃん!」

 その名を呼ぶ少女の声に、太郎は緊張しながらも勢いよく振り返る。

 そしてリュックを背に背負って走り寄って来る彼女の姿に、太郎の心臓がドキリと跳ね上がった。

 いつもは一つに束ねている髪を肩にふわりと下ろした彼女の本日のコーデは、空に吸い込まれそうな青色コーデ。
 薄い空色のニットに、青色のフレアロングスカート。
 胸元で揺れるネックレスと、左腕を飾る銀色のバングル。
 遊園地と言う事もあり、歩きやすい靴を選んでくれたのだろう。
 学校に履いて来ているモノとはまた違った、お洒落なスニーカーが足元を彩っていた。

(か、かわいい……)

 いつもは制服か、もう少しカジュアルな服装しか見ていないために、尚の事そう見えたのだろう。
 ふわふわと揺れる青いスカートに、目が釘付けになってしまう。

 滅多に見られない妃奈子のキレイめコーデ。
 そんな彼女に太郎は、ただ茫然と見惚れてしまっていた。

「わ、みんなもう来ていたんだね。ごめんなさい、遅くなってしまって!」
「遅くないわよ、だってまだ十時前だもの。私達が張り切り過ぎて早く来すぎちゃっただけよ。だから気にしないで」

 おそらく太郎達の姿が見えて、慌てて走って来てくれたのだろう。
 はあはあ、と肩で浅く呼吸をしながら詫びる妃奈子に、樹はニッコリと微笑んだ。

「それよりも妃奈子ちゃん、今日は一段と可愛いわね。その青色の服もアクセサリーも、妃奈子ちゃんにすっごく似合っているわ」
「あ、ありがとう、お姉ちゃん……。でも、何か私だけ気合入れてお洒落して来ちゃったみたいで、ちょっと恥ずかしいかも……」
「あら、良いじゃない、だって可愛いんだから。ほら見て。太郎ちゃんなんか、妃奈子ちゃんに見惚れてグウの音も出ないみたいよ。ね、太郎ちゃん?」
「えッ!?」

 その瞬間、太郎と妃奈子の二つの声が重なった。

 驚いて顔を上げる妃奈子と、ずっと見惚れていた太郎の瞳と瞳がぶつかれば、二人の顔が同時に真っ赤に染まる。

 そして恥ずかしそうに視線を逸らした二人のうち、妃奈子の方が、先におずおずと口を開いた。

「あ、あの、太郎君……、その、変、かな?」
「うええっ!? あ、ああああの、その……っ!」

 可愛い! むっちゃ可愛い!
 と、叫びたい太郎であったが、本人を前にして、そんなはっきりと言えるわけがない。

 太郎は、妃奈子の恥ずかしそうにしている愛らしい仕草に、更に真っ赤になると、ゴニョゴニョと口籠りながら照れ臭そうに俯いてしまった。

「可愛いです! むっちゃ可愛いです!」
「え?」

 しかしその時だった。

 その場の雰囲気をブチ壊すような、幼い少年の歓喜の声が上がったのは。

「すごくすごく可愛いぜ、セニョリータ! さすがは僕の前に舞い降りた麗しの天使(マイスイートハニー)。キミの纏う柔らかな香りに、僕の心は今、眩暈を起こしている……と、タローが言っております」
「んな……ッ!?」

 何をまたそんな適当な事を言い出すんだ、コイツは!
 しかもそんな恥ずかしい台詞、言ってもいなければ思っても……い、いや、思ってはいたけれど!

「ああ、可愛い以外の感想も持てない僕に、敢えてその感想を求めるキミは、まさに天使の皮を被った小悪魔。そんなキミを今すぐ抱き締め、愛の言葉を囁きたい僕に、何と言う惨い仕打ちだろうか。いっその事、理性をかなぐり捨て、欲望のままにキミをこの胸に抱けたらどんなに楽だろうか、むぐぐぐぐ……っ!」

 これ以上こっぱずかしい心の声を代弁させるわけにはいかない。

 更なる恥ずかしい台詞を吐き続けるタロの口を両手で塞ぐと、太郎は真っ赤になりながら、涙目でタロに小声で怒鳴り付けた。

(い、いきなり何を言い出すんだよ、タロ!)
(うぐぐぐ……ぷはっ! い、いきなりはこっちの台詞だぞ! 苦しいではないか!)
(いきなり変な事を言い出すキミが悪いんじゃないか!)
(変とは何だ! キミの心の声を代弁してやったまでだ! 感謝はされても怒られる筋合いなどない!)
(煩い、煩い! 勝手に心を読むなッ!)

 ヒソヒソと続く、二人の器用な口喧嘩。

 それをポカンとしながら眺めていた妃奈子であったが、不意にハッとすると、彼女はその視線を樹へと向けた。

「ねえ、お姉ちゃん。もしかしてこの子が昨日言っていた……」
「え? あ、そう、そう、そうよ。この子が家の親戚の子よ」
「へえ、そうなんだあ」

 樹からの紹介に納得したように頷くと、妃奈子はタロにニッコリと微笑み掛けた。

「こんにちは。沢山誉めてくれてありがとう。嬉しかったよ」
「え? あ、いえ、いえ……」

 ヒソヒソと太郎と口喧嘩中だったタロであったが、妃奈子に優しく話し掛けられれば、彼はハッとして慌てて彼女に向き直った。

「これはボクの台詞ではありません。全てタローの正直な感想です」
「……っ、……ッッ!」

 サラリと言い切ったタロに声にならない声を上げる太郎はさておき。

 妃奈子はクスクスと笑いながら、屈む事によってタロと視線を合わせた。

「初めまして。私は水城妃奈子。樹お姉ちゃんと太郎君とは、昔からの仲良しで、幼馴染なんだよ。あなたのお名前は?」

 ニコニコと笑いながらそう問い掛ける彼女は、どうやら先程のタロの戯言など気にしていないらしい。
 まあ、彼女から見れば、小さい子の言う事なのだから気にしないのは当然の事なのかもしれないが。

 とにかくそんな妃奈子の様子に、太郎はホッと安堵の息を吐いた。

「……」
「……?」

 しかし次の瞬間、太郎はタロの異変に気が付いた。
 タロが押し黙ったまま、何も答えないのだ。

 あのお喋りで自信家のタロが、妃奈子の問いに何も答えないのはおかしい。
 一体どうしたのだろうか。

 そう不思議に思いながらもタロに視線を向けた太郎は、彼の表情を見た瞬間、物凄く嫌な予感を覚えた。

「……」

 タロのその表情。
 口をパカンと大きく開けた彼は、正に「しまった!」と言う表情をしていたのである。

(まさか……)

 そう思い、続いて樹に視線を向ければ、彼女もまた、タロと同じく「しまった!」と言う表情をしている。

 どうやら、偽名を考えて来るのを忘れたようだ。

(何でそんな重要な事、考え忘れちゃったんだろう……)

 妃奈子とタロは初めて会うのだ。
 名前を聞かれる事くらい予想済みだろう。設定云々よりも先に偽名を決めておけば良かったのに。

「え、えっと……?」

 ほら、名前を答えられないでいるチビッ子に、妃奈子が困っているじゃないか。
 と言うか、名前なんてそのまま『タロ』でよくない? いや、『太郎』と似ていて、正体がバレそうだから嫌なのか……?

(バレないと思うけどなあ……)

 でも自分が「タロだよ」なんて紹介して、後で二人に怒られるのは嫌だから黙っていよう。

「え、えっと、樹お姉ちゃん、この子は……」
「太郎……そう、タロ太郎ちゃんよ!」
(たっ、タロ太郎ッ!?)

 遂に困り果てた妃奈子が樹に助けを求めた時、樹が思い付いたようにしてタロをそう紹介する。

 タロ太郎って……。何、その「男の子だから取り敢えず『太郎』をくっ付けてみました」みたいな名前は? 他に何か思いつかなかったのだろうか?

「はい、只今ご紹介に預かりました、タロ太郎です。とても良いヤツで、彼女になれた女が妬ましいアンケート第一位を獲得しました、タロー兄ちゃんの幼馴染であるイツキお姉ちゃんの遠い親戚の子でありますタロ太郎です」

 決定した。
 タロが樹に合わせて、その奇妙な名前で名乗ってしまったので、彼の名前はタロ太郎で決定してしまった。

 と言うか、何だ、その摩訶不思議なアンケートは。
 そんなアンケート、取った事も聞いた事もないぞ。

「え、えっと、タロ太郎君って言うのね? うんと、じゃあ何歳かな?」
「五歳くらいです。タロー兄ちゃんは、花も恥じらう十七歳です」

 くらいってなんだ?
 あと、花も恥じらった事なんか一度もないぞ。

「そっか……。あれ? でもどことなく小さい頃の太郎君に似ているような……?」
「!?」

 瞬間、三人に戦慄が走る。

 まさかもう気付かれたのだろうか。太郎に似ている事に。
 さすがにパラレルワールドの事には気付かないと思うが、それでもどうやって誤魔化そう。

 しかし、一行が妃奈子の一言に狼狽える中、いち早く冷静さを取り戻した樹が、ニッコリと微笑みながらさも当然のように答えた。


「そりゃそうよ。だってタロ太郎ちゃんは、私の遠い親戚なんだもの」
「う、うん……?」

 いやいやいやいや、それは理由になっていないだろう。
 だって太郎は樹の幼馴染なだけであり、血縁者でも何でもない、まったくの赤の他人なのだから。

「えっと……そうなんだ?」

 意味の分からない樹の説明に困惑の表情を浮かべていた妃奈子であったが、それ以上追求する事は気を遣って止めてくれたらしい。
 ああ、彼女が良い人で本当に良かった。

「うん、じゃあ、よろしくね、タロ太郎君」
「はい、よろしくお願いします。ボクではなくてタロー兄ちゃんを」

 よろしく、と手を差し出す妃奈子と握手を交わすタロであったが、どうもさっきから一言多い気がする。

 どういうつもりなんだと、タロにアイコンタクトを送るものの、タロはそれをガン無視している。
 しかしタロの事だ。
 これも太郎と妃奈子を恋仲にするための、何らかの作戦なのだろう。

「さてと。それじゃあ早速行きましょう。フリーパスって言っても、一日しか使えないんだから。今日は一日遊び回らなくっちゃね!」
「うんっ、そうだね!」

 頃合いを見計らった樹が早速とばかりにそう促せば、妃奈子が楽しそうに大きく頷く。

 すると、

「うわわわーいっ!」

 タローとヒナコをラブラブにするんだ! とか言いつつも、やはり遊園地で遊び回る事も目的だったのだろう。
 ウキウキワクワクな気持ちが抑えられなかったらしいタロが、一目散に入り口に向かって走り出してしまったのである。

「えっ!? ちょ、ちょっと、待ってよ、タロ……太郎ッ! 迷子になったらどうするんだよ!」

 太郎としては、このままタロが追試の事なんかすっかり忘れて、遊びに没頭してくれた方がありがたいのだが。

 しかしだからと言って、このまま放っておくわけにもいかない。

 ここは遊園地と言う名の人混み地獄。
 タロが迷子になんかなったら、おそらく一日中ここで、彼を捜索しなければならなくなってしまうだろう。

 広い敷地内の人混みの中から、タロを見付けるのはそう簡単な事ではないだろうし、例え呼び出しの放送を掛けてもらったところで、自由人である彼がそれに応えてくれるとも考えにくい。

 大変だ。早く確保しなくては……!

 突然の事で一瞬反応の遅れてしまった太郎であったが、事の重大さを瞬時に理解すると、彼はあっと言う間に走って行ってしまったタロの姿を、慌てて追い掛ける事にした。

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