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第三十四話 あなたに優しいおまじない

 エレベーターが第四階層にたどり着いた。降りてみれば、薄暗い夜だったがそこは会社だった。再び何故? と私が思っていると、あー、なんかあったのかな。とヒューノバーが呟く。

「同じ場所に現れることはあるんだ。捜査官側が意図を感じ取って重要な場面を出してくれたのかもしれない」
「感じ取るってできるんだ」
「ナオミは重度のPTSDだ。事前に心理潜航捜査官が潜ることは潜航対象者には話すんだけれど、協力的だと無意識下でも導いてくれる場合がある。捜査官側の力量も重要ではあるけれども」

 捜査官側も意図的に重要場面に出会えるよう意図するとそこにたどり着ける場合がある。前回の補佐の時、最下層で取引現場に立ち会えたのも捜査官側が意図してそこに降りれるように降りたのだそうだ。

 私にも出来るのかと問うと可能だそうだ。今までヒューノバーと潜った際に色々と探れたのは、ヒューノバーが操作してくれていたのだろう。

 シルバーとシルビアは夜の会社の廊下を歩く。どこからか怒鳴る声が聞こえてきた。音の元を辿れば、社長室だった。

 二人が扉の前に張り付いて会話に耳を澄ませた。

『シリノ! どうしてマフィアなんかに資金の横流しなんて……! どうして?』
『……僕は幼い頃、マフィアに食わせてもらっていた。ただ、恩返しみたいなものだ』
『そんな理由があっても、やってはいけないことがある! ねえ、今すぐに手を引いて? まだ間に合う!』

 ナオミの悲鳴と共に、どだん! と大きな物音がした。シルバーが入るべきかどうか、シルビアと話をする。シルバーは開閉パネルに手を近づけて、突入の機会を窺っている。

『いやあ! やめて!!!』

 びり、と何かが裂ける音がする。他の男の声が聞こえてきた。嘲笑うような笑い声だ。シルバーが開閉パネルを押してシルビアと共に突入した。

 ナオミは床に押し付けられ見知らぬ人間の男に服をびりびりと裂かれている。こちらに気が付いたナオミが助けて! と叫ぶと共に銃声が響いた。モニターから見える映像からは、シルバーが銃を構え数発人間の男に撃ち込んだ。次いで社長、シリノに銃を向けて発砲し、どさ、と死体が二つ作り出された。

 う、と引き攣った声が喉から漏れ出た。銃を召喚したらしいシルバーは、ナオミの上に倒れ込んだ人間の男を足蹴にして転がした。動くことはなかった。

「銃、呼び出せるんだね……」
「一応身を守る術は持っていないとね。心理内で小さなものなら訓練すれば呼び出せる」

 情報を抜こうとした男に強姦された。と言う前情報だったが、どうやら違ったらしい。シリノがナオミにけしかけて口を塞ごうとしたのではないか、とヒューノバーが言う。PTSDになるほどだ。まともな聴取は受けることが出来ず、状況証拠から口を塞ごうとしたのでは、と結論付けていたのかもしれない。

『あ、ああ……あなたたち、は?』
『心理潜航捜査官の者です』
『ありがとう……うう』

 心理内で救うことが出来たとしても、現実で強姦された事実は変わりない。一応これは誰かに助けられた。という意識を作るために打った芝居のようなものなのだろう。

 血に塗れたナオミは恐怖から体を震わせていた。シルビアが肩を抱いて、もう大丈夫だから。と優しく告げた。ナオミは泣き出してシルビアの手を強く握っている。

 しばらくそうして付き添って居てやれば、ナオミは落ち着き始めた。シルビアがナオミの目元を手で覆い、もう大丈夫。と呟けばナオミは脱力した。シルビアは床にゆっくりとナオミの体を倒す。どうやら眠っているらしい。

『最深部に行こう』

 ナオミを残して二人はエレベーターへと向かう。この階層は調べなくていいのか。と聞くと、ナオミとシリノとの会話でマフィアとの繋がりの裏付けは取れたから、あとはナオミの心の傷を少しでも癒すために潜る。とのことだ。

 エレベーターに乗り込んだ二人はしばらく無言だった。

『…………心理世界だとしても、ヒトを殺すのはいい気分じゃあないな』
『まあね。なんだかんだで、殺したこと何度かありはするけれども』

 二人にかかる黒い噂を思い出す。心理世界で潜航対象者を傷つけたと言う噂があったことを。一応、シリノと人間の男はナオミの世界の一部だ。ナオミ本人ではない作り出されたものでしかないが、自身に危険が及べば潜航対象者を傷つけるのは厭わないのでは、と考えた。

 だがそれは心理潜航捜査官全員に言えることだ。自身の精神が傷つく恐れがある場合、自衛に回るのは無理はないのではと思う。

 最深階層にたどり着き扉が開いた。真っ黒な空間だ。何も見えないまま、二人はエレベーターから出る。

 誰かの啜り泣く声が聞こえる。少し遠くにナオミの姿を確認した。体育座りで縮こまりながら泣いている。

『ナオミ』
『あ、なたは、……ああ、助けてくれた』

 第四階層での出来事を覚えているらしい。近くシルバーに怯えが見てとれ、代わりにシルビアが近づいた。

『もう大丈夫よ。ナオミ。怖いものは何もないの』
『でも、わた、私、穢れているわ』
『そんなことはないわ。あなたは人として正しいことをしようとした。あいつらが卑劣だっただけで、あなたは高潔な獣人よ。もう怖くない。……怖くないから』

 シルビアに抱きしめられて泣きじゃくるナオミに、自分がもし彼女の立場だったのなら、きっとどんな言葉も届かず、自分を責め続けるだろう。と考えた。私の性格故のことではあるが、どうかナオミにシルビアの言葉が届いてほしい。

 痴漢だけでもやられれば精神的にくるものがあるのに、その上身内からセカンドレイプなんてものを受けた友人を知っている。苦しげに、自分が悪いのかな。なんて泣き出しそうな顔で告げられた時、そんなことは絶対に有り得ない! と言ったことがあった。重かろうが軽かろうが、性犯罪は被害者に強い衝撃をもたらすものだ。

 自責の念に駆られる人間も少なからず居るものだ。彼女の精神が自分を傷つける方へと向かわなければいいが。

『ナオミ、私、あなたはとても強い人間だと思うの』
『私は弱いわ……』
『怖くても正しいことを言った。それは誰にでも出来ることでは無いのよ。怖かったわね。頑張ったわね。もう誰もあなたを傷つけるヒトは居ないからね』
『……う、ああ……あ』

 顔をぐしゃぐしゃにしながら、ナオミは弱々しくも笑みを作った。

『ありがとう……スフィアダイバーさん』
『いつでも私を呼んで。すぐに駆けつけて、そいつのことぶん殴ってやるから。シルバーが』
『俺かよ』
『ふふ』

 小さく笑ったナオミをシルビアは抱きしめた。もう大丈夫だから。そう言い続けている。

『あなたはそのうち全部忘れられる。帰ったら、美味しいものを食べて、楽しいことをして、いっぱい寝て、大好きな友達とお話して、いっぱい遊ぶの。そうしたらね。段々思い出さなくなってくるようになるから。私の声を思い出して、ずっと守るから』

 シルビアがナオミの額に口付けを落とした。ぽう、と白い光が散ったのを確認した。
 おまじないよ。と呟いて再び抱きしめて、ナオミから離れ立ち上がる。

『ナオミ、またね。おまじないを思い出してね』

 映像が途切れた。今回の潜航は終了したようだった。二人は座り込んでいる。目覚めるのには時間がかかるだろうからとヒューノバーと話す。

「おまじないって効くの?」
「あれは暗示みたいなものなんだ。深層に近い場所で、記憶を閉じ込めるように暗示して実際段々思い出すことが無くなってくる。フラッシュバックしてしまうことも無いとは言えないんだけれど、捜査官の言葉を思い出して、落ち着くことが出来るそうなんだ」
「へえ。暗示なんて出来るんだ。……じゃあ偽の記憶植え付けられるとかあるの」
「出来はするけれどかなり高度な技術がいるね。もしかしたらミツミだったのなら出来るかもしれないけれども」

 ヒューノバーの話を聞きながら、軽食の携帯バーを食べてコーヒーを飲み干すと、シルバーとシルビアが起きたらしく監視室へと戻ってきた。

 お疲れさまです。とヒューノバーと出迎えるとお疲れ〜と緩く返ってくる。

「いや〜、なんか黒い噂とか聞いていましたけど、自分の身守るなら多少荒事は覚悟したほうがいいんですね」
「何、あの噂信じてたの?」
「まさか。お二人がそんな方じゃあ無いことくらいもう分かりますよ」

 調書の制作しよか〜とシルビアの言葉に少々げんなりした。この仕事をする上で逃れられない調書。私は慣れることは出来るのだろうか。

「ヒューノバー、調書手伝えよぅ」
「はいはい。苦手だねえ君も」
「お、奇遇、私も調書苦手だからシルバーに押し付けてる。ミツミもヒューノバーに押し付けるといいよ!」
「お前はちゃんと手伝え、馬鹿シルビア」

 監視室から出ようとした時、一瞬潜航室を振り返った。……どうか彼女が幸福な人生を送れますようにと、ささやかな思いを願った。

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