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交易都市エルラン

ニコニコ顔のねこみみメイドに男は警戒していなかった。
「あの、お兄さん、そんなにぶったら痛いと思いますけど?」
鞭で打たれた、まだ幼い亜人の娘に彼女は近づいた。
傷の具合を見る。いくつもの鞭の跡が痛々しくガーレッドは、冷静さを保つのに苦労した。
「なんだ、お前、邪魔するな」
「こんな幼い子をぶつとは、人間界の人間とは、ずいぶんひどいことをするものですね」
「なんだ、てめぇも奴隷のくせに」
男は俺の方に気付いた
「あんたが、こいつの主人か、人様に意見とは、しつけがなってねえんじゃねえか」
「申し訳ないが、それには私も手を焼いていて、何か文句があるのなら自分で何とかしたらどうだ?」
「いいのか、俺は、生意気な奴隷をしつけるのには慣れているんだぜ」
「ああ、どうぞ。それを何とかできると思っているのなら、やってみろ」
俺が挑発するように言うと、男はねこみみメイドを遠慮なく鞭で打とうとしたが、鞭の柄より先の部分が消えていて無様に空振りした。
「鞭が斬られているのに気付かないなんて、人間界の人間って随分、鈍いようね」
スッと指を伸ばし、手刀を作ったねこみみメイドが男を嘲笑するように笑みを浮かべる。
「この奴隷風情が!」
カッとした男は先のない鞭を捨て、彼女に殴りかかっていた。だが、スッと猫のような敏捷さで躱される。
「この、この、ちょこまか、ちょこまか、逃げやがって」
一発も拳が当てられなくて、男がイラつく。
「やれやれ、私の奴隷に何をやっているのかな」
見ているのに飽きてきたので、男の方に俺は近づいた。
「なぁ、勇者よ、自分の所有物が傷つけられそうになったとき、所有物を守る行動は人間界では許されているのか」
「あ、ああ・・・だが、やり過ぎたら罰せられるぞ」
「殺すなってことか、了解」
俺は、男に近づき軽く、足を払った。ズサッと地面に転ぶと、その男の仲間らしい荒くれ者たちがよってきた。用心棒というより、奴隷が逃げないように見張るための仲間たちのようだった。一応、武装している。
「強そうなやつは、いないな」
十数人、荒事になれてそうな面構えばかりだったが、魔法が得意そうとか剣技に秀でているような者はいないようだ。
こんな雑魚、一瞬で凍らせられるが、それだと、蘇生とか面倒そうだ。拳で眠らせるかと決めたとき、淫魔将軍がすぅと俺の前に立った。
「お兄さんたち、血の気が多いようだね。男相手より、あたしの方がいいじゃない?」
「おい、俺の獲物だぞ」
「陛下が手を汚すことはありません、ここは、私が・・・」
淫魔将軍の色香に釣られた男たちが、もう俺なんか無視して淫魔将軍に向かっていく。
淫魔将軍も心得ているのか殺さないように軽くいなしていた。が、男たちは腰が砕けるように地面に座り込んだ。
淫魔の吐息は男を魅了する一種の幻覚剤だった。淫魔将軍は群がる男たちを躱しながらその吐息を吹きかけていたのだ。
酔っ払ったような顔をして男たちが次々呆ける。
「なんだ、これは!」
隠れて馬車から様子を見ていたいかにも商人風のデブった男が馬車から、わざとらしく出て来る。
「お、おい、あんた、儂の部下になにをしてくれてるんだ」
どうやら、すべて俺がやらせていると思ったらしい。別に俺は命令してないが、彼女たちを止められるのは、この場で俺だけだったので、商人が俺に声を掛けたのは正しい。が、細かい交渉が面倒だったので、俺は男の目の前に無造作にそれを放った。さすが商人、それを目ざとく慌てて拾い上げる。
「あ、あんた、これは・・・」
卵大のダイヤに商人の目が輝く。
「人間界でも、それだけの大きさの物は珍しいだろ。それと、この奴隷たちと交換というのは、どうだ?」
「なっ・・・」
いきなりの商談にデブが驚くが、そこは商人、すぐに承知はしない。
「これだけでは、ちょっと、この先のエルランで売るつもりの奴隷でして、すでに何人か買い手のついている奴隷もおりまして、これだけでは・・・」
「エルランと言うのは、この先にある町のことだな、なんだ、この奴隷を手放すのに、これでは足りぬと言うのか? だが、随分と痩せている者が多いし、傷のある者もいるようだがな?」
俺は値踏みするように奴隷たちを見た。
「傷物なら、こちらが値引きを要求するのが普通ではないのか? この先のエルランという街では、こんなガリガリの奴隷が高値で売れるのか?」
俺は商人をまじまじと見た。
その間に商人の使用人らしい男たちが全員、ねこみみメイドと淫魔将軍に地面に倒される。
うむ、みごとに誰も殺していないな。
へたり込んでいる男たちでひどいけがを負った者はいないようだ。そして、商人は使用人たちが役立たずだと判断したのか諦めたようにうなずいた。
「分かりました。全員、旦那さんにお譲りしましょう。ですが、これだけの奴隷。どうするんです?」
「魔界にでも連れて行って荒れ地でも耕させるさ」
俺は本気で言ったのだが、商人は冗談ととらえたようだった。
「そうですかい。ま、お好きになさってください。言っておきますが、後で高い買い物をしたと返品はなしですよ」
証人はダイヤを懐に仕舞い、奴隷の鎖を馬車から外して、その馬車に男たちを乗せて去っていった。
すぐ、奴隷たちの鎖を外す。
「さ、お前たちは、自由だ、行きたいところがあるなら。好きにしろ」
だが、奴隷たちには解放されたという喜びはなく、ただ一応に困惑するだけだ。
「自由と言われても、俺たちには、行くところなんて・・・」
「希望するなら、魔界に連れて行ってやる。豊かな土地ではないが、そこではお前たちは奴隷として扱われない、荒れ地だが、自分で田畑を耕し、自分が生きるだけの食い物を自由に作れる。富は約束せん。だが、この人間界で奴隷として生涯を終える人生より、マシにしてやる、この魔界の魔王の名に賭けて」
「ま、魔王・・・」
奴隷たちがざわつく。
「そうだ、この方こそ、魔界を統べる王、魔王様だ!」
淫魔将軍にねこみみメイド、マント姿の吸血姫が、俺にかしずく。
「さ、自由に選べ、お前たちは自由だ、魔界に期待するか、この人間界に残って奴隷のままで終わりたいか好きしろ」
ねこみみメイドが助けた鞭打たれていた亜人の娘が、真っ先に声を上げた。
「魔界に、行きたい。魔王様、連れてって」
「お、俺も、俺も」
「わ、私も・・」
亜人の奴隷たちが次々と声を上げる。
「うむ。よかろう、魔王の名において,みなを魔界に連れて行くぞ」
「お、おおっ」
「おい、魔王!」
さすがに焦った勇者が口を挟む。
「なんだ、勇者?」
「なに勝手なことを」
「自分で買った奴隷を連れて行くだけだ、なにも問題あるまい?」
「こんなこと、許されると・・・」
「どう許されないというのだ、元々亜人は魔物や魔族と一緒に光の神が魔界に封じ込めようとした種族であろう。それを魔界に連れて行くのはお前たちの神も文句は言わぬであろう」
「うっ・・・」
そう、神が卑しき魔物や魔族を封じるため人間界から分断した魔界に亜人を連れて行ってはいけないという法も戒律もなかった。
むしろ、亜人を魔界に送るのは神の意に沿うのでは。
そして、何より、目の前の魔王を止められる実力は今の勇者にはことは自覚している。
「分かった、ならば、今すぐ引き返し、この者たちを連れて魔界に帰れ」
「ん、今すぐ帰れと? まだ人間界に来たばかりだぞ」
「この奴隷たちを連れて人間界を動き回れると? 目立ってしょうがないと思うが」
「・・・・・・」
我ながらいい返しだと勇者はしてやったりと笑った。
「では、あの、魔王様、魔界に帰るまでの間、この奴隷たちをこの近くの領主に預けては」
賢者が俺に助け舟を出すように言った。
「預ける?」
「はい、ちょうどこれから向かう街に、この辺りを治める領主の屋敷があります。領主に一時預けて、人間界を散策というのは。我らが魔界に向かう際にも領主にご挨拶しましたが、事情を話せば、お力になってくれる方かと」
「なるほど、よし、とにかく、街に急ぐか。これから街に向かう、動けぬ者はおらぬな」
奴隷たちは、俺の言葉にうなずき、一団となって街に向かった。
街に近づくと、俺たちは勇者の言う通り目立った。エルランに近づくと街道を行き交う交易商人の好奇の目にさらされた。確かに物見遊山の集団には見えないよなと俺も納得した。
交易都市エルランは、大小の建物が無計画に増殖して街を形成しているようだった。領主の屋敷はその街の郊外にあり、街並みを一望できる丘の上に立派に建てられていた。屋敷に着くと、まず先に勇者と賢者たちが屋敷の中に入った。
そして、しばらくして、俺たちが、中に案内された。
「失礼、父は忙しく、代わりに娘のこの私ローラ・ローリンがお話をお伺いします」
どうやら勇者は仔細を伝えていないようだった。おぜん立てはしてやる、後はお前たちで何とか交渉しろということのようだ。
「あ、それとお話の前に勇者様からおかしなことを聞きましたが、あなたが魔界の魔王だと。勇者様を利用して我がローリン伯爵家をペテンにかけるおつもりでしょうか」
「ペテンなど、とんでもない、ちょっと人間界を散策する間、成り行きで手に入れた亜人を預かって欲しいんだ」
「亜人、奴隷ですか? あの表にいる小汚い亜人たちですか?」
「小汚いというのはやめてくれ、この魔王の名に賭けて保護した者たちだ。魔王の大事な臣民というやつだ」
「臣民に魔王、あなたが魔王だという証拠は?」
「そうだな、近くに山はなさそうだし、これを見せるか」
俺は一瞬で邪神の鎧を身にまとった。邪神様の加護を受けた魔界の至宝であり、魔王のみが身に付けることを許された鎧だ。
一目見ただけで、その禍々しい気を感じて伯爵家のお嬢様も、あんぐりと口をあけた。
「こいつには、邪神様の加護が付いていて、攻撃を受けると。その攻撃を呪いとして相手にすべて返す」
「受けた攻撃をそのまま返すと、では、それを身に付けていれば無敵だと」
「ああ、だが、邪神様の加護が強すぎて、あまり長く身に付けていると魔王でさえ正気を失う」
俺の持っている魔剣と同じだ。強力ゆえに副作用も強いのだ。
「もっと魔王らしい品々を見せてもいいが、見るだけで呪われるような物騒なものもあるから、これで勘弁してくれ」
俺は、スッと元の格好に戻った。邪神様は無償で力を貸してはくれない、その代償が必要だったり、混沌や苦痛を眺めるのが好きなため、その加護には当然のように代価が求められたりする場合が多い。
苦痛や代価を求められるのに、なぜ魔界の住人は邪神を崇めるのか。それは邪神様は対価を求めるが、必ず力を貸してくれるからだ。失うものが多くても、それに見合うものが得られるのなら、邪神様を崇拝するのはおかしくない。
「あなたが魔王だということは信じましょう。ですが、魔王に手を貸したなど世間に知られたら我がローラン伯爵家の名に傷がつくというもの」
「俺が魔王だったと知らなかったと言えばいい。もしくは魔王に脅され仕方なくとな」
「すべて魔王のせいにして良いと?」
「そういうことだ。で、無理を頼む報酬として、これぐらいでどうだ」
あのデブ商人に渡したものより見栄えの良い宝石たちを彼女の前に数個差し出す。
「どうだ、足りぬか」
「いえ、私は、このようなものより、魔界のお話を。人間界で誰も知らないような魔界のことを」
「魔界のことを知りたいと?」
「はい、貴族の社交界では、誰も知らないような話ができる者が重宝されます。人間界では誰も知らない魔界の話は、貴族のおばさま方には、最高の茶菓子となるでしょう」
「誰も知らない話で目立ちたいと」
「そういうことです」
父の代理の伯爵令嬢は、魔王に微笑んだ。
「分かった。魔界のあれこれを教えよう。その代わり、亜人たちは頼むぜ」
「はい、魔王様。では、かれらになにか食事を運ばせますね」
小汚いと形容したが、それ以上に彼らがやせ細っていることも伯爵令嬢は気づいていて、屋敷の使用人をベルを鳴らして呼んで、食事の手配をテキパキと指示し、俺たちのいる部屋にも、とっておきのお茶とお菓子が運ばれてきた。
まず、社交界のおばさん連中を楽しませる前に、自分で俺から魔界の話を聞いて楽しむつもりのようだった。
そうして、魔王自ら、人間界の娘に魔界のあれこれを教えてやった。



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