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二日目③ 危険な魔法

 今日の予定、最近の学生の在り方について、自分の非ごろのストレスを生徒にぶつけるような関係のない説教、悪口……。

 いつもの担任の朝礼を聞き流しながら、太郎は小さく溜め息を吐いた。

 ああ、今日は朝から疲れたな。

『おい、タロー』

 ふと、頭に響くタロの声。

 まったく、あれ程大人しくしていろと言ったのに。
 まあ、いいや。無視しよう。

『こら、タロー。名前を呼ばれたら、返事くらいするものだぞ?』
「……」
『はいはい、シカトでーす。これは立派な虐めでーす。慰謝料を請求しまーす』
「……」
『おい、タロー』
「……」
『タロータロータロータロータロータロータロー……』
「……」
『この幼馴染ヲタク』
『何だよ!』

 しまった。思わず筆談で返事をしてしまった。

『何だ、やっぱり聞こえているんじゃないか、この幼馴染信者』
『その呼び方止めてくれる?』

 再び無視しても彼は一人で騒ぎ出すだろうし、何より返事をしてしまったし。

 仕方がない。このままノートとシャーペンで話をしてやろう。

『それで何? 担任のハゲとホクロ毛についてなら聞かないよ』
『違う、違う。真面目な話だ』
『真面目な話?』

 しかしタロの事だ。真面目とは言え、どうでも良い話だろう。

『ヒナコはどこだ? 姿が見えないが?』

 訂正。どうやら本当に真面目な話だったらしい。

『妃奈子ちゃんは違うクラスだよ。僕は三組、彼女は二組』
『何? では、学校では会えないのか?』
『そうだね。会えるとしても廊下で擦れ違って、ちょっとお話するくらいだよ』
『なんと、そんな僅かな時間であったか』

 どうやらタロにとっては、意外な事実であったらしい。
 うーんと何かを考え込むような声が聞こえてきたが、程なくして、『あ!』と何かを閃いたらしい彼の声が聞こえて来た。

『ではタロー。次の休み時間に、ヒナコに告白して来たまえ』
『来たまえ、じゃないよ。嫌だよ、そんなの』
『む? 何だ、タローはムードを大事にする男か?』
『そうじゃなくって』

 ふう、と困ったように溜め息を吐いてから。
 太郎は更にペンを走らせた。

『昨日も言ったけどさ、僕には告白する勇気なんかないんだよ』
『大丈夫だ。ボクが協力する』
『協力って?』
『ここで応援歌を歌ってやろう』
「……」

 出来れば、もう少し魔法使いらしい応援をして頂きたい。

『それに僕なんかが告白したら、妃奈子ちゃんに迷惑だよ。妃奈子ちゃんが僕を好きになるわけがないんだからさ。そしてそれが原因で、今の関係が終わってしまったらって考えると、凄く怖いんだよ』
『ふむ……』

 ようやく太郎の言いたい事を分かってくれたのだろうか。
 しばらく何かを考えていたらしいタロであったが、程なくして、彼は不意にポツリと呟いた。

『つまり、ヒナコにフラれて友達ですらなくなるのが怖いから、キミは告白したくないと言うのだな?』
『え? うん、まあ、そうなるね』
『と言う事は、万が一その告白が失敗した場合、その告白がなかった事に出来るのであれば、キミはヒナコに告白出来るのだな?』
『どう言う事?』

 なかった事に出来るとは一体……?

 太郎が不思議そうに首を傾げれば、絆創膏からタロの笑う声が聞こえた。

『ボクのお得意魔法の一つ、『忘却魔法』を使用する』
『忘却魔法?』
『記憶の一部を消去する魔法だ。タローの告白が失敗した場合、ヒナコの記憶から、タローが告白した時の記憶だけを消し去る』
『そんな事出来るの?』
『うむ。ボクレベルの魔法使いだからこそ、出来る術だ。だが、これは少々危険な魔法でな。出来れば使いたくはない』
(え……?)

 お気楽自信家ハチャメチャ魔法使い、タロが魔法を使う事を渋るなんて。
 それ程までに、その忘却魔法とは危険なモノなのだろうか。

『どんな魔法なの?』

 恐る恐る、太郎はそう尋ねた。

『うむ。呪文を唱えつつ、ボクの全腕力を駆使して、ヒナコの後頭部をぶん殴る。その衝撃でヒナコは気を失うが、彼女が目覚めたらもう一つの呪文を唱える。「え? 僕が告白? ハハハ、ナイナイ。それはきっと夢の中の話だよー」と、唱えるのだ! これでヒナコの記憶から、キミの告白だけを消す事が出来るのだ!』
「……」
『この魔法を使うと、ボクの腕が痛くなったり、魔法のステッキが折れてしまったりする危険があるから、極力使いたくはないのだが……。しかし、これでキミが告白出来るのであれば致し方がない。失敗した場合は、必ず忘却魔法を使う事を約束しよう!』
『絶・対・やめて!!』
『ンなっ!? な、なんと、タロー! もしかしてキミは、ボクの腕を心配してくれているのか!? なんと、なんと良いヤツなんだ! ありがとう、タロー! さすがこっちの世界のボク!』
『ちがう!!』

 デカデカと。そしてはっきりと。
 太郎はノートにそう書き殴った。











 告白しろ、告白しろと、一日中言われ続けるのは、想像以上に辛かった。

『なあ、タロー。いい加減に告白しておくれよー』

 昼も過ぎた六限目。
 その授業準備のための短い休み時間に廊下を歩いていた太郎は、朝から言われ続けているその言葉に、うんざりと溜め息を吐いた。

「やだって言っているじゃないか。それに告白とかってさ、他人にやれって言われてやるモノじゃないと思うんだよね」
『なんと。じゃあ、黙っていればやってくれるのか?』
「いや、そう言うわけでもないんだけど……」
『じゃあ、どげんしたらええねん?』
「いや、どうと言われても……」

 朝、学校に来てから、休み時間も授業時間もずっと告白告白と言われているため、精神的にもかなり参っているのだろう。
 何故かどこかの方言で話し始めたタロに、大したツッコミも入れられず、太郎はげんなりと溜め息を吐いた。

「太郎君?」
「え?」

 ふとその時。
 その場に聞き覚えのある少女の声が響く。

 反射的に振り返ってみれば、そこには思った通り、ポニーテールを揺らした小柄な少女の姿があった。

「ひ、妃奈子ちゃんっ!?」
「あ、やっぱり太郎君だ。良かった。違う人だったらどうしようかと思っちゃった」

 好きな女の子に話し掛けられただけでドキドキしてしまう自分は、やはりかなり彼女に惚れ込んでしまっているらしい。
 しかしそんな太郎の気持ちなど知るハズもない妃奈子は、ニッコリと柔らかな笑みを浮かべながら彼に歩み寄って来た。

「ふふっ、今日会うのは初めてだね。だから「おはよう」で良いのかな? でももうお昼過ぎだし……ちょっと変かな?」
「う……ううううんっ、全っ然変じゃないよ! えと、お、おはよう、妃奈子ちゃん!」
『いや、昼過ぎにおはようって、バイトの挨拶かよ』

 タロのいらんツッコミは無視しようと思う。

「ねぇ、昨日の肉じゃがどうだった?」
「え? あ、すごく美味しかったよ! 全部食べちゃった!」

 本当は半分以上タロと樹に盗られたけど、それについては触れないでおこう。

「本当? 良かったあ。あの肉じゃがね、私も少しだけ作るの手伝ったんだよ。だから太郎君に喜んでもらえて凄く嬉しいな」
「えっ、あの肉じゃがって、妃奈子ちゃんの手作りだったの!?」
「え!? あ、違う、違う! 私はちょっと手伝っただけで、ほとんどがお母さんが作ったんだよ!」
「あ……え、あ、そう、なんだ……」

 でも少しは妃奈子が作っている。
 全てではないが、ちょっとだけ妃奈子が作ってくれた手作りの肉じゃが。
 それなのに、その半分以上をタロと樹に食べられてしまっただなんて。

 そう考えた太郎は、ちょっとだけ……いや、かなり落ち込んでしまった。

「今日はね、たぶんカレーなんだ。だからまた後でお裾分けに行くね」
「え? あ、いいよ、いいよ、そんなに気を遣ってくれなくても!」
「気なんか遣っていないよ。それに家のお母さんって、何でも多めに作ってしまうの。だから太郎君にも食べるの手伝ってもらえて、逆に感謝している」
「で、でも……」
「それに、太郎君の事よろしくって、太郎君のお母さんに言われているんだもん。だからお母さん達が帰って来るまで、毎日行くね!」
「ええっ!? そ、そんな、母さんの言う事なんか真に受けなくって良いのに!」
「ふふっ。あ、そろそろ六時間目始まっちゃうね。じゃあ太郎君、また後でね!」
「あ、う、うん……っ」

 バイバイと手を振ると、妃奈子は自分の教室へと戻って行った。

(また後で、かあ……)

 両親が留守にしている間、妃奈子は毎日太郎の家にお裾分けを持って来てくれるらしい。
 勝手に出掛けて行った両親のせいで、妃奈子に迷惑を掛けてしまっている事については、素直に悪いとは思う。
 けれどもその『悪い』と言う気持ちよりも、『嬉しい』と言う気持ちの方が、太郎の中では勝っていた。
 だって好きな女の子が、わざわざ自分の家を訪ねてくれるのだぞ? しかも私服と言う、制服が指定されている学校では中々見る事の出来ない、レアな姿でだ。
 恋する少年にとって、これ以上に嬉しい事は、中々にないだろう。

『タロー、一つ忠告しておくが……』
「えっ! あ、な何、タロ!?」

 妃奈子の背中が完全に見えなくなってから、頭に響いて来たタロの声。

 どうせまた、幼馴染がどうこうのとか言うのだろう。
 思わず緩んでいた口元を引き締めながら聞き返せば、彼のその言葉の続きが頭に響いた。

『女子の『ちょっと手伝う』と言うのは、『完成した料理をタッパ―に入れる』だけなのが大半だ。それすなわち、昨日の肉じゃがにヒナコ要素は皆無である』
「煩い! 夢を壊すなッ!」

 現実を叩き付けて来るタロに、太郎は全力でそう叫んだ。

 周りに人がいなくて本当に良かった。

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