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15.3日間の夢。

「魔女の言う通り、3日間の夢でした」
私から2メートル離れたところでレナード様が呟いた。

私は最近、刺繍にはまっていて部屋で夢中に針をさしていた。
そこに暇さえあれば、私に寄ってくる彼がやってきたのだ。
アーデン侯爵家で暮らすようになって1週間が経った。

結局、彼が条件反射のように私に触れようとしてくるので、常に私から2メートル離れるようにルールを変更したのだ。

実は私自身アーデン侯爵邸での天国のような暮らしが気に入っていて、脱走をしたくないと思っていた。
彼から触れられたら脱走しなければならないので、ルールを変更したのだ。

「魔女とは姉ステラのことですか? お姉様から私には3日で飽きられるとか言われました?」
私の中で魔女といえばお姉様だ。
3日と言えば、私がレナード様に3日で飽きたことが当てはまる。

「ミリアはステラ皇太子妃をどう思っているのですか? 彼女を恨み復讐したいと思っていますか?」

姉は皇太子妃になったが、来月にはラキアス皇太子が皇帝に即位すると同時に皇后になる。

「彼女の思い通りに利用されて憎んだことはありますが、復讐したいと思ったことはありません。彼女は彼女の思い通りにしてあげたいと人に思わせる不思議な魔力を持っているとは思います。姉は愚かな皇太子妃だと思われていますが、私はいつも彼女は誰より賢いのではないかと考えていました。レナード様も姉は賢い女性だと思っているのですね」

私はアーデン侯爵家で1週間過ごしただけで、父の支配から心を解放することができた。
父は恐怖で私を支配していたと気がついたのだ。
今は私の努力を踏みにじり公爵にしてくれなかった父など滅んでしまえとさえ思うことがある。

それでも、姉がレナード様を失墜させて欲しいと願ったら私はその意向に従ってしまうかもしれない。

私を利用ばかりしていて私は彼女を憎んでいるはずなのに、そのような気持ちになる自分が不思議で仕方がない。

「私がステラ皇太子妃を賢いと思っていると感じるのはなぜですか?私たちの会話を聞いていたのですか?」
レナード様は慌てると失言をすることがある。
今の会話で、私は彼が姉と通じていたことと、姉が彼には賢さを見せていたことが分かってしまった。

やはり、私に執拗に彼が迫ってくるのは姉からの指示だということだ。
アーデン侯爵家の居心地がいくらよくても、姉に屈する彼には心を開きたくないと本能的に思った。

「頭の悪い魔女が登場する話を、聞いたことがないからです」
なんだか、急激に彼と距離を置きたくなった。
私の心はいつだって振り幅が激しくてコントロールが難しい。

すぐに怒りを感じるし、落ち込むし、だから誰かに支えて欲しいと思うことがある。
でも、私が支えて欲しいのは相手は姉の手下になるような男ではない。

「そういえば、第4皇子がエスパルに出兵になったそうですが、道中、途中の橋が崩落してしまったそうです」
私は自分の計画がうまくいったことにホッとした。

「そうですか、行方不明になった皇子殿下が見つかるとよいですね」

私が彼に目線をやりながら言うと、彼が珍しく怖い顔で私を見つめていた。
美しい人の怒った顔はやはり美しい。

「ミリア、私は第4皇子が行方不明になったとは一言も言っていませんよ? 彼を他国に逃しましたか?」
私は人のことを言えないようだ。
慌ててもいない静かな気持ちの時でさえ、私は失言してしまった。
こんな簡単に失言してしまうのだから、私にカルマン公爵は務まらなかったかもしれない。

今の快適な環境を思うと、姉に感謝してしまう。
姉は隠居生活で遊びたいと言っていたが、今思えば、あれはラキアス皇太子の気を惹くリップサービスだった。

私は自分の努力が水の泡になってしまうということに焦って冷静に状況を見られず、泣き崩れるという失態までしてしまい恥ずかしい。

遊びたいもなにも、姉は生まれてからずっと朝から晩まで好き放題しているではないか。
隠居した後も、一緒にいてもらえると信じている哀れな皇太子を思うと笑ってしまう。

せいぜい、彼が彼女を囲えるのは彼が皇位を退くまでだ。
それ以上、彼女が彼の機嫌を取り側にい続ける理由はない。

「そうですよ。このままだと、第4皇子は戦死するまで出兵され続けます。だから、私は彼が逃げられるようにしました。今頃、新しい名前で過ごしているはずです」

レナード様が言い当てたのだから、白状してあげるのがフェアだろう。
どうせ、どこの国に逃したのかも分からないだろうし、レナード様が私が彼を逃亡させたことを明らかにして得することは何もない。

第4皇子の安全は保障されている。
レナード様には私が何故そんなことをしたのかさえ理解できないはずだ。

「ひゃっ! やめてください」
急に彼が私の手首を握ってきたので、驚いて持っていた刺繍針が落ちてしまった。
彼は、私に触れないという約束なのに、また約束を破ってくる。
私はこの天国のような生活を続けたいのに残念だ。

本当は深層心理で押し付けられた私を追い出したいとでも思っているのではなかろうか。

「ミリアは彼のことが好きなのですか? 前に彼となら結婚しても良いというようなことを言ってましたよね?ここから逃げたら、彼のところに行くのですか?」
彼は今度はやきもちをやくフリをしているのだろうか。
それなら全然嬉しくない、むしろ穏やかな時間を過ごしていた時に急に尋問がはじまったようで不快だ。

「なぜ、私が彼を好きだという話になるのか分かりません。彼の元に行くなんて考えたこともありません。確かに、彼は私と似ているのでレナード様よりは相性が良いかもしれませんね」
レナード様には理解できないだろう。
身分も名も捨てでも、生きていたい自由になりたいと願う気持ちが。

レナード様は生粋の貴族だから、平民として暮らすくらいなら貴族のまま死ぬことを選ぶ。
私は外では貴族だが、家では自分のことを貴族ではなく人間でさえない駒に過ぎないと感じていた。
だから、駒ではない人としての生活が得られるなら身分も名も喜んで捨てる。

「ミリアが彼を逃したということが露見したら、大変なことになることは聡明なあなたならお分かりですよね。どうして、あなたはそんなリスクを彼のために犯したのですか?」
彼が私の手首を掴む手が震えている。
私はそんな彼を哀れに思い洗いざらい話すことにした。

「私は姉の付き添いで様々な舞踏会に出席してきました。でもダンスに誘ってくれた男性はお恥ずかしながら、たった1人です。それが第4皇子だったのです。彼と踊った時、王子様に連れ出されたお姫様のような気持ちになれました。だから、私は彼の為なら何でもします。彼のことは彼が私を必要なくなるまでサポートし続けるつもりです」

私は誰にもダンスに誘われなかった自分をさらけ出すのは恥ずかしいけれど、真実を話した。

「たかが一度ダンスを踊ったのと、彼が逃げるのを手伝い自分が破滅するかもしれないリスクを負うことがイーブンとは私には思えません。」

彼が私の手首を持つ手が震え続けている。
私の持つ価値観が狂っていると思っているのだろうか。

「私にとっては当然のことです。消えたいくらい惨めな時に、救い出してくれた王子様を助けるのは当たり前のことです。今でも鮮明に覚えています、彼が私に跪いてダンスに誘ってくれてお姫様のように扱ってくれた瞬間を。生まれながらの王子様であるレナード様には私の気持ちなどわからないでしょうけれど、第4皇子にはわかったのです。皇子に生まれながら皇子の扱いをされなかった彼には、公女に生まれながらモノでしかなかった私の気持ちが。だから、私を救い出してくれたのでしょう」

第4皇子の緑色の瞳に、私の死にそうな赤い色の瞳が映った瞬間を思い出した。

2人で何者でもない人間に生まれたかったと囁きながら踊った日のことを。
私はその後に、彼を助ける計画をたて、そっと彼とやり取りをした。
彼と私は紛れもなく同士だった。

私とレナード様は結局お互いをどう思っていようと夫婦になるしかないのだ。
正直、最初の3日間は彼にときめいて頭が麻痺していた。

今は冷静に彼を見られていると自認している。
だからこそ、私はしっかりと彼と向き合いたいと思っていた。
これから暮らしていけるパートナーとして、私の価値観を知ってもらう必要がある。

なぜならば、私達は恐ろしいほどかけ離れた環境で育っていると自覚しているからだ。

逃げ出そうと思っていたくせに、天国のようなアーデン侯爵邸の環境を手放したくなくなってしまったのだ。
彼にはただ私に無関心で、何のトラブルも犯さない夫でいてくれればそれ以上のことはない。

「ミリア、私もあなたと踊りたいと思ってましたよ」
彼が絞り出すように言ってくるが、彼が他の女たちと密着して踊る光景が蘇り不快感しかない。

「レナード王子は他のお姫様に夢中だったではありませんか。私は、自分を無視して他の方たちと踊る方と結婚しなければならないのですよ。私はこの侯爵邸での暮らしは気に入っております。あなたの目的は果たせるので、もう私に必要以上に関わらないで頂けませんか。あなたの不誠実さは目に余るものがあります」

きっぱりと私は彼に対して思うことを言った。

不誠実で簡単に嘘をついて自分の男の魅力で女など、どうにでもなると見下している。
本当にこれ以上彼といると彼を嫌いになりそうだ。

「ミリア、挽回の機会は頂けないのですか?」
彼が潤んだ瞳で私を見つめてくる。

一瞬で人の心を掴めるような彼の美しさが嫌になる。

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