二日目① ただいま朝礼中につき
間もなく朝礼が始まるからだろう。
校内の廊下には、人っ子一人いない。
シンと静まり返った中、二年三組の教室を目指してバタバタと廊下を走る太郎の願う事はただ一つ。
先生がまだ来ていませんように!
「あ、おはよう、太郎」
「珍しいな、ギリギリだったぜー?」
太郎の祈りが届いたのか否か、どうやら教室に、まだ担任は来ていないらしい。
二年三組の扉を勢いよく開けた太郎に級友達が苦笑を浮かべれば、太郎はヘニャリと安堵の笑みを浮かべた。
「あははっ、どうしたんだよ、太郎。真夏でもないのに、汗ぐっしょりじゃないか」
「どうしたもこうしたも、走って来たからに決まっているじゃないか。僕の家って割と学校に近いから、自転車通学の許可がギリギリ下りなかったの、キミだって知っているだろ」
担任がまだ来ていないせいで、騒がしい教室の中を、太郎は友人達と挨拶を交わしながら通り抜ける。
一番奥の窓側の席。そこが太郎の席なのだろう。
太郎は隣の席でわざとらしく笑っている友人に、白い目を向けた。
「生徒指導のホクロハゲ、遅刻ぐらいでガタガタとうるせぇもんな」
「僕みたいな地味男と女子にだけだけどね。それが担任だから嫌になるよ」
「三年になったらホクロハゲ以外の先生が良いよな。出来れば……ムチムチボインの武田先生なんてどうだ?」
「どうだ、と聞かれても……」
仲の良い隣の友人と会話をしながら、太郎は鞄を下ろし、カタンと音を立てながら椅子に腰を下ろす。
ふう、間に合って良かった。
「あ、ムチムチボインと言えばさ、太郎」
「なに?」
ボインボイン煩いな。別に、彼のそんなところも嫌いじゃないけど。
「生徒会長の枯野会長って、お前と幼馴染なんだろ? 何とかしてオレとお近付きにさせてくれよ」
「何で?」
「お前は知らないかもしれないけどさ、枯野会長って、
ちなみに藤西とは、太郎達が通うこの学校、
「オレも枯野会長の事、ちょっと良いなーって思っててさ。だからさ、ちょっとだけお近付きにさせてくれない?」
「お近付き? 無理だよ、姉ちゃんには好きな人いるもん。他の男には興味ないって」
「はっ!? 何それ、初耳なんだけど! えっ、誰、その幸運なヤツは!?」
「ディアン様」
「は? え、誰?」
「某漫画の主人公。姉ちゃん、ヒロインへの妬みが凄くてさ、漫画のヒロインの台詞、修正テープで全部消して、代わりに「う〇こ」って書き込んでいた」
「なるほど、某漫画の主人公か……。うん、相手に取って不足なし」
(何で僕の周りって、妃奈子ちゃん以外変なヤツしかいないんだろう……)
主人公に勝つ自信はある、と何故か不敵な笑みを浮かべる友人を眺めながら、太郎は小さな溜め息を吐いた。
「あ、それはそうと太郎。お前、その怪我どうしたんだ?」
「え」
友人が指摘したのは、太郎の右頬にペタリと貼られた絆創膏であった。
「あ、えっと、これは……あ、そう、猫! 猫に引っ掛かれちゃったんだ!」
「猫ぉ? お前、顔には気を付けろよ? せっかく可愛い顔してんだから、顔に傷作ったらもったいないだろ」
「可愛いって言われても……」
あんまり嬉しくない。
しかし、そう続けようとした時だった。
ガラリと勢いよく扉が開いて、担任が入って来たのは。
「……」
何と出来の良いクラスだろうか。
さっきまであんなに騒がしかったと言うのに、担任が入って来た瞬間、全員が席に着席し、私語一つもなくシンと静まり返っている。
担任の指導が良いのか、はたまた生徒達が優秀なのか……。
『こちらタロ、こちらタロ。応答せよ』
『何、タロ?』
担任が教室に入り、朝礼が始まった頃、どこからともなくタロの声が聞こえて来た。
直接脳に語り掛けているらしく、他の生徒が気付く様子は微塵もない。
周りの生徒達に気付かれぬよう、ノートとペンを駆使して筆談で聞き返せば、更にタロの声が太郎の耳に響いた。
『キミに一つ言いたい事がある』
『何?』
言いたい事とは何だろう?
樹の事か、猫の事か、はたまた隣の友人の事か……。
『あの担任の頭、電気が反射して光っているな。ほっぺにある大きいホクロから毛が一本生えているようだ。あれをピンセットで抜いたら、さぞ爽快だろう』
『くだらない事で話し掛けないで』
『黙っているのも苦痛なのだ。少しはボクとお話してくれ』
『大人しくしているからって約束で付いて来たのは、キミだろ? それに、こんなところでキミと話しているのがバレたら困るよ』
『む、むー……っ』
どうやら渋々ながらにも納得してくれたらしい。
タロの声が聞えなくなった事にホッと息を吐くと、太郎は担任の話声を聞き流しながら、ぼんやりと今朝の事を思い出していた。