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 Change of perspectiv ~Arthur~



 勇者パーティーの旅が始まってから、俺たちは悠久の時間を共に過ごした。
 空は相変わらず黒雲に覆われているので時間経過は分かりにくいが、感覚的に半年くらいは経過していると思う。
 先の見えぬ道を歩み続け、現在は魔王城のすぐそばまで辿り着くことができた。

 旅を通してわかったことだが、意外にも魔王軍も人類と同じく戦力が枯渇しているようだった。
 魔王城は前方に見える丘の向こうにあるはずだが、魔族の気配はそれほど多くない。

 ここまで辿り着いたということは、既に旅は終わりを迎えかけている証拠だ。
 ヴェルシュ、セシリア、そしてバザークは、焚き火を中心に食事をしながら、和気藹々と談笑している。
 束の間のリラックスした時間だ。

 少しでも心を安らげて、魔王討伐へ備えている段階にある。

 こんな旅になるだなんて想像もしていなかった。

 だって、俺はずっと孤独だったから。

 物心がついた時から忌み子の烙印を押され、村中の人々から侮蔑的な視線を浴びせられた。
 ルイズ村は外部と交易をしない閉鎖的な村だったから、勇者候補の独特な雰囲気をその身に纏う俺は徹底的に迫害されていた。

 村の人々は勇者候補という概念すら認識していなかったのだろう。

 やがて、五歳になる頃。
 気がつけば村から追い出されていた。
 村から立ち去る俺の名を叫ぶ父さんと母さんの顔が忘れられない。

 それから、俺は通りすがりの馬車の荷台に転がり込み、アルス王国に辿り着いた。

 死にたくなるような毎日だった。
 身寄りも知恵も何もなく、困窮した生活を強いられ、薄暗い路地裏で長い時を過ごした。
 腹が減ればゴミを漁り、喉が渇けば濁った泥水を啜る。
 何度も何度も盗みや殺人で己の欲を満たそうかと考えたが、父さんと母さんの教えを思い出し、悪事に手を染めようとする心を自制した。

『悪いことをしたら必ず自分に返ってくるから、誰かのために生きなさい。自分のことを理解してくれる人を大切にしなさい』

 この言葉が俺の人格を形成したんだと思う。


 アルス王国に来てから一年が経ち、六歳になったばかりの頃。

 その頃から、自分が勇者候補であるという自覚が芽生え始めていた。
 タイミング良く、路地裏には錆まみれの剣が投棄されていた。
 剣を目にした瞬間、妙な使命感が胸中に湧き出し、無意識に剣を手に取っていた。
 剣のグリップなんて初めて握るはずなのに、自然と手に馴染む感覚があった。

 まるで将来は戦いの場に転じることを運命付けられているかのような感覚だった。
 
 それから、一年、二年……五年と着実に年月を重ねた。剣を振っていくうちに、使命感は増長していった。
 時間を追うごとに魔王を討伐したいと思うようになっていた。

 遂には夢にまで出てくるようになった。

 未熟な俺が魔王に挑み、惨殺される夢だ。
 似たような夢を繰り返し見ることで、夢の内容が俺の未来を示唆していることに気がついた。
 同時に魔王の強さもわかるようになったが、それは絶望以外の何者でもなかった。

 毎晩のように夢を見た。その度に敗北を喫した。
 俺の剣は、一度として魔王に届くことがなかった。
 いつしか、深い眠りにつく事ができなくなっていた。
 夜半に鼓動が高鳴り、唐突に目が覚めてしまうのだ。
 そして、使命感に抗えず、剣を振り始める。
 “魔王を討伐しないといけない”という使命感を孕んだ強迫観念に駆られ、全ての時間を剣に費やす日々が始まった。

 時には一人で国を抜け出し、モンスターや魔族の討伐へ赴いたこともある。
 何度も死にかけた。怖い思いをした。しかし、同時に更なる強さを求めるようになった。


 アルス王国での暮らしを始めてから約十年が経ち、十五歳になった頃。
 俺はセイクリッド・アカデミーの存在を知った。

 アカデミーなんかに入学せずとも魔王討伐は可能だと思っていたので、実を言うと入学に前向きではなかった。
 しかし、魔王討伐のためには最低限の知恵が必要だという事も理解していた。
 一般常識や世界情勢とは無縁の暮らしをしていたので、然るべき機関で学びたいと考えた。
 
 結果から言えば、アカデミーへの入学は正解だった。
 あらゆる知識を取り入れることができたからだ。
 識字や計算は相変わらず苦手だが、モンスターや魔族に関する情報や世界の地理や地形、天候などに関しては深く学んだ。
 主に魔王の手に支配されたテリトリーやその近辺については、誰よりも、何よりも、神経を注ぎ込んで頭に叩き込んだ。
 
 代償として、村で受けた迫害以上の苛烈な扱いを受ける事になったが、それらは将来の糧になるから気にしていなかった。
 殴られる事で痛みに強くなれたし、罵詈雑言を浴びせられる事で精神を鍛えることができた。
 身分だけで他者を判断する愚劣な貴族を反面教師にすることで、より剣の腕に磨きをかけることもできた。

 更なる発見として、勇者候補が特殊能力を持つという情報を耳にした。

 ある勇者候補は手のひらから神々しい光の刃を顕現させた。
 またある勇者候補は聖なる光を全身に纏うことで、極限まで身体能力を向上させた。

 どれもこれもが凄まじい能力だった
 しかし、それだけでは魔王には届かない。俺はそう確信していた。
 いくら特殊能力が強かろうと、根本的な基礎能力を鍛えなければ魔王の元に辿り着くことすら叶わない。
 それは過去の勇者候補たちが身をもって証明してくれていた。
  
 例に漏れず、俺も特殊能力を内に秘めていたが、それは皆のように万能で汎用性の高い力ではなかった。

 発動方法も限られていた。
 使えるのはたった一度きり。
 言わば最後の切り札のようなものだった。願わくば、発動する瞬間が訪れてほしくない。
 考えるだけでゾッとする。
 ただでさえ、俺は他の誰よりも魔王討伐への使命感が強いというのに、特殊能力さえも特異なものだったのだ。

 死にたくない。死にたくない。死にたくない。
 臆病な俺は死に怯える恐怖とは裏腹に、使命感に駆られて剣を振り続けるしかなかった。

 この頃からだ。

 俺は魔王討伐を成し遂げたいと思う一方で、死にたくないという思いが顕著に現れ始めた。
 だが、夢を見るたびに現実を叩きつけられた。
 いくら怯えていようとも、いずれその時はやってくるのだと、薄々勘付いている自分がいた。

 特殊能力を使えば死ぬ。その事実を曲げることはできない。そして、強すぎる使命感から逃げることもできない。
 俺はがむしゃらに剣を振り続けるしかなかった。
 一度でも特殊能力を使う覚悟を決めてしまえば、もう引き返せなくなる自覚があったから……

 パーティーを組んでしまえば、確実に仲間に迷惑をかけてしまう。尊い命を奪ってしまう。自分が死にたくないのは当然として、自分のことを信じてくれた仲間を無駄死にさせたくなかった。

 だから、俺は誰とも馴れ合わなかった。
 アカデミーに入学した時からずっと孤独だったから、それは別に惨苦ではなかった。

 剣だけで魔王を討伐できれば、特殊能力なんて使わずに済むんだ。仲間なんて必要ない。
 俺は死ぬ事なく、平和な世界を取り戻す。

 勇者として……魔王を討伐する。

 心に決めた瞬間でもあった。



 アカデミーに入学してから一年ほどが経った頃。
 レミーユ・ヴェルシュに出会った。
 
 彼女は俺の特殊能力を知りたがっていた。
 高貴なハイエルフだというのに、人間である俺と共に行動したいと志願してきた変わり者だ。
 その実力は本物だろう。
 五属性からなる魔法を満遍なく扱う事ができる魔法使いなんて、世界でも片手で数えられるくらいしかいない。賢者を目指すだけのことはあった。
 
 同じく、セシリア・ルシルフルも変人だ。
 彼女はアルス王国の第二王女だが、執拗に俺に構ってきた。
 どうして俺が剣ばかりを振り続けるのか、特殊能力を明かさないのか気になっているようだった。ヴェルシュと同じだ。
 アカデミーに所属していないというのに僧侶を目指しており、回復魔法で俺の傷を癒してくれたこともある。
 間違いなく、類い稀なる才能の持ち主だと言える。
 突発性のある感情的な行動が目立つ一方、現実主義な一面もあり魔王討伐への気概は本物だった。
 
 最後に出会ったのは、バザークだった。
 彼が持つ優れた耐久力は目を見張るものがある。
 実力的には前者二人と比べて乏しいように思えるが、デコイをかってでる勇敢さと挫けない精神力は他に類を見ない。
 明るい性格や朗らかな雰囲気にも助けられた。

 俺は三人と立て続けに出会い、結果的に勇者パーティーを結成することになった。
 賢者モルドが過去に提唱した『勇者とその仲間は惹かれ合う』という推論は、おそらく正しかったのだろう。
 時間が流れていくにつれて、俺も三人のことを賢者、僧侶、戦士だと思うようになっていた。
 偶然と言えばそれまでだが、それは賢者モルドの推論を信じるに値する運命的な惹かれ方だった。

 俺は勇者だ。

 勇者候補ではない。

 本物の勇者だ。

 そう、確かな自覚が芽生え始めていた。

 剣を手に、一人だけで魔王討伐を成し遂げる。
 そう考えていた過去の自分とは決別していた。
 もしかしたら、三人と一緒なら魔王を討伐できるかもしれない。
 勇者パーティーを結成したあの日、確かにそう思っていた。
 特殊能力を使用することなく、俺たちが力を合わせれば……きっと魔王だって討伐できる。

 俺は三人と時間を共に過ごすことで、これまでにないほどの確かな自信が湧いていた。

 ——だが、いくら時間が経とうと、懸命な努力を続けようと、強大な魔族を討伐しようも、一度も夢の内容は変わらなかった。
 むしろ、勇者パーティーの結束が固まるごとに悪化していった。
 当初は俺が単騎で魔王に挑み、惨殺される夢だったはずなのに、今では四人全員が惨殺される夢に変化していた。
 俺の見る夢が必ず正しいとは言わない。
 ただ、俺の実力や心情に応じて夢の中身が変動しているのは事実だった。
 おそらく……このまま魔王に挑んでも勇者パーティーが壊滅するのは明白だった。

 それほどまでに、魔王の強さは計り知れないのだ。

 どうせ死ぬ事実に変化がないのであれば、犠牲は少ない方が良い。

 三人と共に魔王を討伐する。そう心変わりしたはずなのに……そんな思いは無残に思えるほど儚く打ち砕かれた。

 だから、俺は——————


「——アーサーくん、考え込んじゃってどうしたの?」

 考えに耽っていると、隣にセシリアがやってきた。
 小さな岩に座り込む俺の顔を、下から覗き込んでくる。

「……少し、ぼーっとしていただけだ」

「そう? 最近はますます顔色が悪いよ? ちゃんと休めてる?」

「アーサー、あまり一人で抱え込まないでください。私たちが見張っているので休んでいても大丈夫ですよ?」

 セシリアとヴェルシュは揃って憂いた表情だった。

「……問題ない」

 俺は二人から目を逸らして答える。
 その背後ではバザークが不安を顔に滲ませている。
 自分たちも疲れているだろうに、俺の事を気遣うなんてな。やはり、三人に残酷な真実は教えられない。

「本当に大丈夫?」

「ああ」

「ならいいんだけど……バザークくん、魔王城はもう近いの?」

「かなり近いと思うよ。かつての大国にあったお城をそのまま流用しているって聞いたことがあるし、その話が本当ならそこの丘を越えたらすぐ見えると思うよ」

「そっか……ついに、魔王と戦う時が来たんだね」

 セシリアが呟くと、ヴェルシュとバザークも緊張した面持ちになる。
 三人とも十分に覚悟ができているようだ。

「そういえば、アーサー」

 緊迫した空気感の中、ヴェルシュは思い出したように手のひらを叩いた。

「どうした?」

「今日まで、ずっと聞くのを我慢してきましたが、そろそろ貴方の特殊能力について教えてくれませんか?」

「……」

「隠したい理由があるのはわかります。ただ、やはり私たちは知りたいです」

 それはヴェルシュだけの嘆願ではなく、セシリアとバザークも同じらしい。三人が真摯な視線を向けてくる。

 真剣さは十分に伝わった。
 しかし、この局面でそれを明かすわけにはいかなかった。

「知りたいか?」

「ええ」

 三人は期待を笑みに変えて力強く首肯していたが、これから俺が告げるのは紛れもない大嘘だ。

 どうか、許してほしい。

「……俺の特殊能力は……剣識だ」

「けん、しき……って何? ニュアンス的に剣に関係する能力のこと?」

 疑問を抱いたのはセシリアだった。顎に手を当て小さく唸っている。
 後は話を広げて信憑性を持たせてあげるだけだな。

「バザークにはそれとなく伝えたことがあったが、俺は剣のグリップを握っただけで対象の剣が業物か否か判別することができるんだ」

「あっ! そういえばそんな話もしてたね。じゃあ、聖剣の話は本当だったってことかい?」

 案の定、バザークは食いついた。聖剣に特別な力が秘められていない事に気がついたのだって、本当は特殊能力なんかじゃなくて単なる特技と慣れだ。
 何の気なしにバザークに話したことがあるが、ここにきてそれが活きてくる。
 バザークには悪いが、利用させてもらう。

「なんだ、信じてなかったのか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……あんまり詳しく聞けてなかったし、まさかそれが特殊能力だとは思わなかっただけさ」

「……通説だと特殊能力はその全てが攻撃的な力のようですが、アーサーは違うのですね。まさか、その力を用いて聖剣の力を判別した……ということですか?」

 ヴェルシュが顔に疑念を滲ませるのも無理はない。聖剣の力に関しては、ここにきて初めて明かすのだから。

「その通りだ。剣識を用いて聖剣の力を確認させてもらったが、正直期待外れだった。
 聖剣には何の力も込められていない。
 大方、数千年前の勇者が周囲を安心させるために虚言を吐いたんだろうな。あんな剣なら持たない方がマシなくらいだ」

 俺はあたかも全てが真実かのように断言した。

 そもそも剣識などという特殊能力は存在しないが、聖剣に何の力も込められていないのは事実だ。
 古の祠とやらは確かに実在していたし、祠の最奥には剣が突き刺さっていた。
 しかし、その剣からは何も力を感じられなかった。手入れの施されていない剣は錆が目立ち、とても魔王を斬れるような代物ではない。まさしく数千年前の使えない遺物だった。
 唯一、古代の魔法である『聖剣を抜いた持ち主が死んだら、聖剣があるべき場所へ戻される力』については本当だろう。
 なまくらの剣は、一目でわかるほど使い古されて年季が入っていたし、抜けなかった勇者候補が多数存在したのも事実だしな。

「待って待って! アーサーくん、その言い方だと、君は本当は聖剣を抜くことができたって言ってるように聞こえるんだけど……まさか、わざと抜かなかったってこと?」

「ああ」

「え、そうなんだぁ……アーサーくんが最初から聖剣の力をあまり信じていなかったのは、特殊能力で確かめられるからなんだね?
 でも、どうしてあたしたちにそれを隠してたの? もっと早く打ち明けてくれてもよかったんじゃないの?」

「俺の特殊能力と聖剣の力に関する真実をこれまで隠してきたのは、お前たちのことを不安にさせないためだ」 

「アーサーくん。それじゃあ、特殊能力を使うのにも覚悟が必要って話は何だったの? 剣識は攻撃的な力ではないから戦闘には使わないもんね?」
 
「あれは俺の見栄だ。こう見えても、俺は他の勇者候補に比べて自分の特殊能力が劣っているのを気にしているんだよ」

「本当?」

「本当だ」

 三人からの追求をそれとなく誤魔化していく。

 咄嗟に見苦しい嘘を吐く自分に嫌気が差す。
 三人は俺のことを信じて仲間になってくれたのに……俺はこうして裏切るような真似をしている。

 でも、仕方がない。
 
 俺が持つ本当の特殊能力を明かしてしまえば、情が湧いた三人が全力で俺のことを強く引き止めてくるだろう。そうすれば、魔王討伐を成し遂げることができなくなる。

 残念ながら、今の俺たちの実力では、魔王に敵わない。

 俺が以前にも増して眠れない原因はそこにあった。
 ここに至るまでの約半年間、俺たちはあらゆる困難を乗り越えてきた。
 最初に、勇者パーティーを結成したあの日から、何百体もの強大な魔族と再三再四に渡り対峙した。その度に力を合わせて討伐した。
 時には命の危機に瀕したこともあるが、勇者パーティーは強かった。そう簡単に瓦解しなかった。
 着実に力をつけていた。俺には十分な手応えがあった。

 だからこそ、眠りにつく度、夢の変化に期待した。それなのに……現実は非情だった。
 今日に至るまで幾度となく夢を見たが、勇者パーティーは一度も魔王に敵うことはなかった。あえなく滅ぼされ続けた。
 無論、俺が剣を手に一人で挑んでも結果は変わらなかった。全てが失敗に終わった。

 もう残された手段は一つしかなかった。
 俺が覚悟を決めたその時、夢の中身は大きく変動するだろう。

「……ヴェルシュ、セシリア、バザーク。少し仮眠をとらせてもらう」

 俺は涙を呑んで決意を固めると、三人に声をかける。
 鼓動が早くなり、自制ができないほど全身が小刻みに震える。
 少しの間、眠りにつこう。
 覚悟を決めた今、夢がどう変容するのか見ておく必要がある。

「わかりました。私が見張っているので、セシリアとバザークも休んでもらって大丈夫ですよ」

「レミーユちゃんは休まなくていいの?」

「私は平気です。戦いを前にしてまだ眠れそうにありませんので」

「セシリアさん、僕たちが起きたらレミーユさんと変わってあげよっか。明日に備えてみんな休まないといけないしね」

「そうね。あっ、アーサーくんは眠ってていいからね?」

「悪いな」

 俺は三人に背を向けて横になる。

 死ぬのが怖いのは相変わらずだ。
 ずっとそうだ。
 使命感からの解放を望む一方で、戦いへの恐怖を拭えた試しがない。
 だが、それももう終わる。俺はこの身を捧げて全てに決着をつける。

「お前たちのことは絶対に生きて返す」

 三人には未来がある。
 唯一の家族を魔族に喰われ、身寄りも何もない俺とは訳が違う。俺には帰る場所がない。
 以前、バザークから村長の話を聞いたが、復讐する気はさらさらない。だって、父さんと母さんはそれを望んでいないだろうから。

 魔王が死んだら勇者なんてお役御免だ。
 聖剣を抜いていないからこそ、勇者である俺の死が公になることはない。

 死ぬのは怖い。ただ……最小の犠牲で最大の戦果をあげる。世界を救う方法はこれしかない。

 放とう。誰にも明かしていない俺の本当の特殊能力を。

——“終焉の一撃”を。



◇◆◇◆◇



 目が覚めると、焚き火の前にはヴェルシュが座っていた。他の二人はまだ眠りについているのか、安らかな寝息が聞こえてくる。

「何もなかったか?」

 体を起こした俺は小さな声でヴェルシュに尋ねる。

「ええ。見ての通りです」

 ヴェルシュは柔らかな笑みを浮かべる。
 感覚的に、眠りについていたのは二時間程度だろうか。
 短いとはいえ、その間は緊張感がある見張りとなる。
 彼女も疲れていることだろう。

「それにしても……」

 ヴェルシュは不思議そうな面持ちだった。

「アーサー、普段の貴方は眠ると決まってうなされているのに、今回は随分と楽しい夢を見ていたようですね? 笑っていましたよ? とても清々しい顔に見えました」

「……まあな」
 
 寝顔が筒抜けになっているのは恥ずかしいが、確かに俺は理想的な夢を見ていた。

「どのような夢ですか?」

「……魔王を討伐する夢だ」

「ふふっ、正夢にしましょうね」

「ああ」

 一聴すると、それは幸先の良い夢に違いなかったが、訳を知る俺と何も知らない彼女では捉え方がまるで異なる。

 俺を信じてくれているヴェルシュやセシリア、バザークのことを思うと、心苦しくなる。
 ただ、それは俺にとって悔いなく死ねる要因にもなり得る。

「……ヴェルシュ」

「どうしましたか?」

「もしも、俺が死んでも、お前たちは笑顔で帰還してくれるか?」

 消えかけた焚き火を眺めながら問いかけると、ヴェルシュは少し考え込んでから口を開いた。

「……名誉の死を遂げたのであれば、勇者様として誇らしいことかと思います。ですが、それはあくまでも世間から見た勇者様のあるべき姿です。
 私たちから見た勇者様はアーサーその人であり、ただ一人のかけがえのない仲間としか思えません。
 貴方は勇者様である以前に、私たちの大切な存在、仲間なのです。なので……死んでしまったら、私はとても悲しいです」

 ヴェルシュは俯きがちになりながら言葉を紡いだ。
 安眠するセシリアとバザークにも視線を向けており、彼女がいかに勇者パーティーという存在を大切に思っているのかがわかる。

 それは俺も同様だった。

 今の心持ちは違えど、確かなつながりを感じているのは事実だった。

「そうか……良かった」

「え?」

「俺にも悲しんでくれる人がいるんだって再認識できたから嬉しいよ。死んでも俺のことを忘れないでくれ」

 俺はかけがえのない仲間を手に入れることができたようだ。
 父さんと母さんが死んだ時点で自暴自棄になっていたが、三人が俺を追いかけてくれて、勇者パーティーを結成することができた。
 それは俺にとって確かな救いだった。
 俺が死んでも俺のことを忘れず、悲しんでくれる人がいる。十分すぎる。俺にはもったいくらいだ。

 これで……悔いなく旅立てる。

「……縁起でもないこと言わないでください。私たちは全員で生きて帰還するのです。
 そして、これまで貴方のことを貶めてきた方々を後悔させてやりましょう。本物の勇者様として胸を張って生きていきましょう。使命感に縛られることなく、のんびりと過ごしましょう。魔王討伐を成し遂げて……貴方は、本当の貴方でいられるようになります」

 ヴェルシュは慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
 つい踏み止まりたくなるほどの美しい面持ちだった。
 しかし、勇者としての使命感がそれを許さない。

 一度、決意を固めたからこそ、俺はもうやるべきことを心に決めていた。

「ありがとう」

「いえ。ただ、今のアーサーは、出会った頃のような今にもその身を投げ出してしまいそうな感じがしたので、こうして言葉をかけておかないとどこかに消えていってしまいそうです」

 潤んだ瞳でじっと見つめてくる。

 思惑が揺らぎかける。
 心中、夢は本当に正しいのか? と、俺は何度も自分に問いかける。答えは出てこない。だが、もしも夢を信じることなく魔王に挑み、勇者パーティーが全滅する未来を考えてしまうと、そんな安易な決断は絶対にできなかった。
 現実でそれが起こり得たら、もう取り返しがつかないことになる。

 それならば、より最善の策を実行に移すのが今の俺にできる唯一の行いだ。

 俺は本物の勇者だ。

 世界を救う正義感を持ち、困窮した人類を救い出す使命がある。
 己の犠牲を厭わずに、覚悟を決めなければならない。

「……ヴェルシュ、勇者になり得るための三つの条件を覚えているか?」

「ええ。もちろんです。突然どうされたのですか?」

「いやな……ただ、俺はお前の目から見て本物の勇者になれたかなって、そう思っただけだ」

「ふふふ……なれてますよ。貴方は、本物の勇者様に。何度も言うように、適任者は貴方しかいないのですから」

 ヴェルシュは唇を綻ばせた。

「ならいい」

 返答に満足した俺は、照れ臭さを鼻で笑って誤魔化す。

 話をしたら、少し心が和んだ。
 実を言うと、二時間の睡眠で濃厚すぎる夢を見たせいで、少しばかり心身に疲れがあった。
 俺には魔王討伐後の三人の様子を知り得ることはできないが、この調子なら問題なさそうだ。
 
 ヴェルシュは間違いなく乗り越えられる。
 そして、セシリアとバザークも同様に、俺の死を糧に更なる高みを目指せることだろう。

「ヴェルシュ、お前も休め。ずっと気を張っていて疲れただろ? 俺が見ておくからゆっくりしろ」

「……よろしいのですか?」

「大丈夫だ」

「すみません。では、お言葉に甘えて……少し疲れたので休ませていただきます」

「ああ、おやすみ」

 ヴェルシュはものの数十秒で安らかな寝息を立てた。
 よほど疲労が溜まっていたんだな。真面目な性格だからか、周囲を気遣う事も多かっただろうし当然だ。
 セシリアとバザークも、持ち前の明るい性格とフランクさで、パーティーの空気と規律を保ち、戦闘面においては多大なサポートをしてくれていた。
 皆が自分にできる最大限のことをやっていた。

 その結果、俺たちは……勇者パーティーは、ここまで辿り着くことができた。

 最後は勇者である俺が使命を果たす番だ。

 俺の特殊能力——終焉の一撃は、確実に魔王を殺すことができる絶対的な力だ。
 発動する為には魔王に一太刀浴びせる必要があり、更には発動対象は魔王に限られる。
 しかし、発動するにあたって、大きな対価が必要となる。

 それは——俺の命だ。

 俺が自らの命を捧げる事で、終焉の一撃は初めて完成する。

 本当は魔王を剣だけで討伐したかった。
 剣が及ばずとも、三人と協力すれば討伐は叶う……かつての俺は、そう信じていた。
 そうすれば、皆で帰還し、笑顔で勝利を分かち合うことができたはずだ。

 だが……俺の実力ではそれができない。

 いくらたくさんの夢を見て、多くの時間を経て、寝る間を惜しんで努力を続けても、俺はもうこれ以上の力を手に入れることができそうにない。
 実力は既に頭打ちだ。

 せめてもの救いとして、俺が放つ渾身の一閃は魔王に届く事が判明した。
 それだけでは致命傷を与えることは叶わないが、終焉の一撃を放つための条件としては十分足りる。

 もう、俺には皆を救う手立ては一つしか残されていない。
 俺の剣は魔王に及ばないんだ。意気込んで挑んだところで、負けるのは目に見えている。

 だから、こうするしかない。

「ヴェルシュ、セシリア、バザーク。今日まで本当にありがとう。そして、嘘をついてすまなかったな。俺はお前たちと出会えて幸せだった。先に父さんと母さんに会ってくるから、お前たちは生きて帰って、平和な世界を謳歌してくれ……じゃあな」

 俺は安眠する三人の元へ一通の手紙を書き残した。
 俺が背負っていたバックパックの奥底に入れたから、気付くのは帰還してからだろうか。

 真実はその時にわかる。
 悲観する必要はない。

 俺は勇者だから……この身を挺して世界を救い出す義務があるんだ。

 ここでお別れだ。

 素敵な冒険をありがとう。

 俺は……本物の勇者として使命を果たす。



 ◇◆◇◆◇

 


 Change fo perspective ~Remille~




 魔王が滅び世界は平和になりました。

 アルス王国を中心に、各国では大々的なパレードが開かれ、私たち勇者パーティーのことを大いに祝福していました。

 数ヶ月が経過した今でも、それは止むことなく続いています。
 それほどまでに、人類は困窮し、魔王の恐怖に怯えていたのです。
 私だって嬉しいです。
 魔王討伐を成し遂げたことによって、故郷が危機に瀕する事がなくなったのですから。

 しかし、世間はアーサーの、勇者様の死を知りません。
 パレードや式典に姿を見せない勇者様に疑念を抱いているものの、魔王が滅びた事実を喜ぶあまり、それほど深くは気にしていない様子でした。

 昔、アーサーの言っていた言葉が現実になった瞬間でした。

『俺の功績なんてどうでもいいし、真実なんてもんはもっとどうでもいい。大事なのは結果だ。世間は誰が何を討伐したかなんてまるで興味がないんだよ。誰がどうしようと魔王が消えればそれでいいんだ』

 確かにそうかもしれませんね。
 悪の元凶を絶てば、誰もが納得するのです。
 現に、世間は貴方の事を気にも留めていないでしょうし、そもそも”アーサー”という勇者様のことを認知していません。残酷ですがこれが現実でした。
 しかし、私たちはその現実を受け止めきれません。
 大切な人を一人失ったのですから。

「アーサー、貴方はどうして、ただ一人で魔王に挑んだのですか? 私たちと一緒ではダメだったのですか? 私たちのことが信用できませんでしたか? 一人で命を賭ける必要はありましたか? 勇者パーティーを組んだ時に見せた笑顔や旅の最中で深めた絆や信頼は全て嘘だったのですか?」

 無数の疑念が頭の中を錯綜しますが、答えは見つかりません。

 当然です。

 なぜなら、それを聞ける相手は、もうここにはいないのですから。




 ◇◇◇◇◇




 その日、私たちは王宮の一室でアーサーの遺品を整理していました。
 本当は気が進まなかったのですが、セシリアの提案で、心の整理も兼ねてアーサーの遺品を整理することになったのです。

 アカデミーの寮の彼の自室にある荷物は、王宮の執事、メリヌスさんに頼み、こちらに持ってきていただきました。
 加えて、アーサーは自分のバックパックを持たずに魔王の元へ向かったので、その中身も初めて確認してみます。
 
「……彼は何も持っていないのですね」

 手始めに、寮から持ってきていただいた荷物を確認してみましたが、これといったものは特にありませんでした。
 アカデミーで無償提供される日用品ばかりで、個人的に購入したような品々は一切見つかりません。
 文房具や固形石鹸、研ぎ石、肌着や簡単な羽織り、包帯などしかなく、目立った物は何もありません。

「でも、アーサーくんらしいんじゃない? パパが王宮で一番の剣をあげる前も、ずっと同じ剣を大事に使ってたんでしょ? 服装だって小綺麗な感じじゃなかったしね」

「そうですね。彼らしいと言えば彼らしいですね」

 私的な時間を過ごすアーサーの姿は見たことがありませんが、なんとなく彼の考えがわかるような気がしていました。
 冒険とはいえ、半年ほど時間を共に過ごしたからでしょうか。

「バザークは何か見つけましたか?」

 私は対面に座るバザークに確認する。
 彼は何やら興味深そうに数冊のノートを手に取っており、パラパラとめくっては驚嘆していました。

「見てよ、これ」

「……びっしりですね。数学や識字などの座学もちろん、演習における対戦相手の分析からモンスターや魔族の特徴まで……凄い量ですね」

 バザークが見せてきたのは十冊を優に超える数のノートの束でした。
 中を見開くと、そこには細かな文字が無数に羅列しており、その全てが勉強の痕跡でした。
 とてもアカデミーに在籍した一年で書き上げた量とは思えません。

 アカデミーで学べるあらゆる分野の勉学を全て書き記してあります。教科書顔負けの文量です。

「やっぱり、アーサーくんって努力家だよね。剣だけじゃなくて、こういう基礎的なところもゼロから学んだんでしょ?」

「おそらくは。田舎の出自でそういうのには疎いと聞いたことがありますし、座学については相当な量の努力を積んだのでしょう」

 幼い頃から学のある大人に教えてもらえる私たち貴族とは違い、アーサーは五歳になってすぐに孤独に堕ちた可哀想な境遇を持っています。
 座学における成績は平均以下だったと思いますが、それでも競争相手が英才教育を受けてきた貴族なら充分です。
 剣技も並行して取り組んでいたと考えれば、その異様さが容易にわかります。

 誰に言われるでもなく、黙々と努力に励める姿は尊敬に値します。

「二人とも、これは何?」

 私が感傷に浸っていると、またもやバザークが何かを見せてきました。

「これは、手紙ですかね……?」

 バザークが手に持っていたのは、ぐしゃっと折り畳まれた手紙らしき紙でした、赤黒い血痕が付着しています。

「こういうのって勝手に開けていいのかなー? どこに入ってたの?」

「アーサーのバックパックの中だよ。一番奥に詰め込まれている感じだったね。全部荷物を出そうとしたら見つけたんだ」

 そう口にするバザークの足下には、アーサーが使っていた小さなバックパックがありました。

「……無許可で読むのはどうかと思いますが、私たちだけで中身を確認してみますか」

「じゃあ、レミーユさんが読んでよ」

「わかりました」

 バザークから手紙を受け取った私は、ゆっくりと紙を広げて中に目を通しましま。




 ・・━━・・━━・・━━・・━━・・━━・




 親愛なるヴェルシュ、セシリア、バザーク

 まずは謝りたい。
 お前たちに嘘をついていたことを。

 本当に申し訳ない。

 俺の特殊能力は”剣識”などではない。
 本当の特殊能力は”終焉の一撃”だ。
 それは、己の命を引き換えにして、魔王を確実に葬る力だ。
 この力は、他のどんな手段でも倒せない魔王に対して、唯一の勝機をもたらすものだ。
 しかし、発動には俺の命が必要だった。
 俺がこの力を隠していたのは、お前たちに無駄な心配をかけたくなかったからだ。

 本音を言えば、お前たちと共に魔王と戦いたかった。そして、魔王を討伐したかった。勝利を分かち合い、堂々と帰還したかった。
 だが、俺の能力を知ってしまえば、お前たちは俺を全力で引き止めようとしただろう。烏滸がましいかもしれないが、俺はお前たちから絶大な信頼を置かれていたと思う。
 だから、あの時、嘘をついて一人で魔王に挑む選択をした。

 俺が望んでいたのは、魔王の討伐だったが、俺は誰よりも使命感が強いからこそ、魔王の強さがはっきりとわかっていたし、自分が敵わないことも理解していた。
 それは、お前たちがいても同じだった。
 裏切るような真似をして申し訳ない。

 一つ誤解してほしくないのは、信頼していなかったわけではないということだ。
 お前たちが生き延びて、その平和を享受し、未来を築いてくれることが、俺の願いだった。
 俺の犠牲があったからこそ、お前たちが生き延び、そして世界が救われたのなら、それで俺は満足だ。

 どうか、俺の死を無駄にしないでくれ。
 お前たちが笑って幸せに生きることが、俺にとって何よりの報いだ。

 勇者として、使命を果たせたことを誇りに思う。



 アーサー




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 手紙を読み終えた私の頬に涙が伝う。
 隣にいるセシリアは声を荒げて泣き叫び、向かいに座るバザークは両手で顔を覆い隠していました。

「……アーサーくん。そっか……ずっと苦しかったよね。自分の命を犠牲にしちゃう特殊能力を持って生まれて、それなのに勇者としての使命感は誰よりも強くて……辛かったよね……」

 セシリアが静かに呟く。
 私たちには到底理解し得ない苦しみがあったことでしょう。
  
「アーサーは、最後まで僕たちのことを考えてくれていたんだね……」

「……そうですね」

 私が相槌を打つと、バザークが震える声で続ける。

「僕たちを守るために、そして世界を救うために……そんな君の頑張りを無駄になんてするわけないよ」

 私たちはしばらくの間、無言のまま手紙を眺めていました。
 それぞれの心に、アーサーの想いがより深く刻まれた瞬間でした。

「アーサーの犠牲を無駄にしないためにも、私たちはこの平和を守り続けなければなりません」

 私はセシリアとバザークを交互に見やると、二人は顔を歪ませながらも強く頷きました。

「そうだね。アーサーくんよ願いを胸に、あたしたちができることを精一杯やろうよ」
 
「アーサーのためにも、そして未来のためにもね」

 セシリアが力強く答えると、バザークも同意しました。
 
 私たちは、勇者アーサーを忘れることはありません。

 

 


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