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 突如として現れた人類の救世主、勇者。

 勇者は生まれながらにして、強大な特殊能力と類い稀なる高い知性、そして桁外れの身体能力を有していた。
 
 勇者は人類の宿敵である魔王討伐へ旅立った。

 道中、勇者は運命に導かれて、賢者、僧侶、戦士の三名と出会う。
 彼らはいつしか勇者パーティーとして名を馳せていき、様々な困難に立ち向かう。
 全ては魔王を討伐し、世界に平和をもたらすために。

 やがて、勇者パーティーは魔王の元へ辿り着くが、討伐を成し遂げることはできなかった。
 
 しかし、魔王軍に大打撃を与え、魔王の侵略を十数年ほど停止させることに成功した。
 
 その間、人類が悲しみに暮れる猶予はなかった。
 各国は手を取り合い、いずれ迫り来る魔王の脅威に対抗するため、新たな勇者探しに奔走した。



 月日が流れ、魔王は侵略を再開した。

 新たな勇者は一向に現れない。

 特殊能力を持った存在——勇者候補は生まれてくるものの、彼らの大多数は勇者になり得ない。

 今も尚、人類は魔王の脅威に怯えて暮らしている。

 未だ現れぬ救世主を夢に見ながら……震えて夜を明かすのだ。



 
 ・・━━・・━━・・━━・・━━・・━━・・━━・・



 これは勇者様と魔王の起源を記した文献の一節です。

 今では、世界の半分以上が魔王の手中にあり、人類は絶望的な状況に陥っています。

 私が在籍している勇者育成学校——セイクリッドアカデミーは、世界を救い出す勇者様を見つけるための機関でした。
 勇者、賢者、僧侶、戦士を目指すため、四つのコースが設けられており、勇者候補の中から本物の勇者様を見つけ出し、勇者様の仲間となる存在を育てる事を目的としています。

 以前までは、自然発生的に現れる勇者様を待ち望んでいたようですが、それではあまりにも効率が悪いということで、アカデミーの設立に乗り出したのです。
 それが数十年前の話。
 
 しかし、そんな策を講じても尚、百年前を最後に勇者様は現れていません。
 
 本来、勇者様は魔王を殺せるほどの強大な特殊能力を持つ『勇者候補』という、特別な存在の中から選ばれるのが当たり前ですが、そう上手くはいきませんでした。
 というのも、勇者候補の絶対数が限られているせいで、アカデミーは慎重に慎重を重ねた生ぬるい教育ばかり続けているからです。
 おかげで人材が殆ど育っていないのが現状です。

 過去には未熟な勇者候補から優秀な勇者候補まで……多くの勇者候補を魔王討伐へ赴かせたこともあるみたいですが、そのどれもが失敗に終わっています。

 そんな状況に私は辟易していました。

 私たちエルフの英雄である賢者モルド様が百年前の勇者パーティーに所属したように、私も賢者として世界を救いたいと考えていたのに……アカデミーの現状は悲惨そのものです。

 アカデミーに入学して一年になりますが、このままいけば勇者様が現れることなく人類は滅びるでしょう

 そう悲観していたある日のこと……
 私はある一人の人間の姿が目に止まりました。

 ふと興味が湧いたので何の気なしに声をかけてみたのです。



 ◇◇◇◇◇



「なぜ貴方は毎日剣を振るのですか」

 ハイエルフである私が人間に興味を持ったのは初めてでした。
 ましてや、こうして声をかけるなんて普通ではありえません。

 ですが、気になってしまったのです。

 どうして、彼はそれほどまで剣に執着しているのか。
 ひと気のない寮の裏手で、毎日欠かすことなく剣を振る彼の姿は、傍目からは異常にしか映りませんでした。

 表情は真剣そのもので、今も滝のように全身から汗を流しています。
 また、剣のグリップからは鮮血が滴り落ち、縦横無尽に振られる剣は小刻みに震えており、既に限界を超えているのが一目でわかりました。

「……まだだっ……」

 彼は私の声など全く届いていないのか、剣を振る手を止めませんでした。
 むしろ、より凄みを持った顔つきに変わると、尚も力強く剣を振り続けます。
 布切れのような黒い衣服はところどころが擦り切れていて、丁寧に手入れされたであろう剣は銀色に光っています。

 容姿はごくごく普通。少し見窄らしい黒髪に黒目、平均的な身長。どちらかと言えば地味ですが、何ら特徴のない人間です。

 いったいどういう想定をして剣を振っているのか、私にはまるで理解できません。
 あまりにも大胆な剣の振り方は、お世辞にも優れた太刀筋には見えませんし、バタバタと地面を駆け回る様子は見るに堪えません。

 霊体とでも戦っているのか……そう思うくらい、がむしゃらな彼の姿は滑稽でした。

「無視ですか?」

 彼の姿を見て呆れた私は続けて声をかけてみますが、そんな私に全く興味がないのか、またも無視されました。

 私のことを見る殆どの方は、邪な感情を孕ませた好奇の視線を浴びせてくるのに、彼は剣にのめり込んで見向きもしません。

 別にそうしてほしいわけではありませんでしたが、少々不服です。
 私の容姿や家柄は誰よりも優れているはずですから。

 こんな扱いを受けたのは生まれて初めての経験です。

「貴方のような田舎者が、ハイエルフである私のことを無視するだなんていい度胸ですね」

 癪に触った私は語気を強めました。
 もちろん本気で言ってるわけではありません。
 私は庶民を見下す器の小さな方々とは違うのです。

「……はぁっ!」

 しかし、それでも、彼は一瞥すらくれずに、剣を振り続けました。

 賢者を志す私には剣のことなど理解が及びませんが、今の彼は何を相手取っているのかわかりませんでした。
 彼は勇者候補に選ばれた存在のはずですが、その姿はまるで、乱雑に棒を振り回す子供のようにしか見えません。

「もういいです。貴方と話すことなんてありません」

 辟易した私は一つ息を吐いて踵を返しました。

 あれほどまで美しさに欠けた太刀筋は見たことがありません。

「……あんな剣では魔王には届かないでしょうね」

 一人でに呟く。

 あの人間の名前は、アーサー。
 家名も何もない、ただのアーサー。

 名家の生まればかりが在籍するアカデミー内において、彼だけは唯一の一般庶民でした。
 それも、田舎の小さな村の出自です。
 悪い意味で有名人でした。

 講師の方の話によれば、一般庶民から勇者候補が生まれた前例は一度としてないのだとか。
 私からすればどうでもいいことですが、階級を気にする方々からすれば、そんなアカデミーに彼が在籍しているのは問題なのでしょう。

 そんなことよりもです。
 私が気になっていたのは彼の身分なんかではなく、彼自身のことでした。
 
「勇者候補なのに……てんでダメでしたね」

 勇者候補は生まれながらにして凄まじい特殊能力を持つだけではなくて、身体能力や知性が他者よりも目に見えて高い事実は広く知られています。
 ですが、あの剣の太刀筋はそんな風には見えませんでしたし、噂によると一切魔法を使えないとか。

 確かに全く魔力を保有していなかったので、きっとその噂は真実なのでしょう。

「なぜ、あんなにも必死になって剣を振り続けているのでしょうか?」

 考えれば考えるほど、彼が剣を振り続ける理由がよくわからなくなります。

 まさか、自分が勇者様になれると、本気で考えているのでしょうか? 
 
 私はその夢を否定するつもりはありませんが、他の勇者候補の方々からすれば失笑ものでしょう。
 必死に努力を続けてあの太刀筋だなんて、既に才能が枯渇しているとしか思えません。

「とにかく、観察を続けてみますか」

 寮へ戻った私は自室で息をつく。

 明日からは彼のことをより深く観察してみることにしましょう。
 たまたま寮の私の部屋からは建物の裏手がよく見えますしね。

 意味のないアカデミーでの生活に嫌気がさしていたので、これはほんの興味です。
 貴方が必死に剣を振り続ける理由を教えてください。




 ◇◇◇◇◇





 今日もアーサーは剣を振っています。
 
 轟々と雷が鳴り響く大嵐の中だというのに、彼は気にも留めずに剣を振っています。

 観察を始めてから今日で一週間。驚くべき事実が判明しました。
 それは、アーサーが剣に費やす時間です。
 なんと、彼は一日のうち十五時間以上も剣に向き合っているのです。
 毎日の睡眠は僅か三時間程度で、早朝の四時に起きたかと思ったら始業する直前まで剣を振って、潰れた血豆を包帯で巻き付けてからアカデミーへ向かいます。
 いつも全身が痛むのか顔つきは険しいですが、一度も弱音を吐く姿を見せません。

 それから、真面目に座学を受け、僅かな空き時間があれば外へ出て剣を振り、演習の際も合間を縫って剣を振り、座学や演習を全てこなし終えると、また夜中まで剣を振り続けるのです。
 たまの休みを取ったかと思ったら、その間も剣を磨いて研ぎ上げる時間に充てている始末です。

 アーサーは私の想像を遥かに超える生活をしていました。

 賢者を志す私の立場で例えるなら、分厚い魔導書を読むだけでなく、魔力切れを起こして倒れるその時まで魔法を放ち続けているようなものです。そして、それを十五時間以上もぶっ通しで続けるのです。

 常軌を逸しています。
 心身の疲弊は計り知れないことでしょう。

 それだけでも辛いのに、更に辛いのは、アーサーが多くの方々から嘲笑されていることでした。
 誰もが剣を振る彼のことを指差して馬鹿にするのです。

「あいつは田舎者の出来損ないだ」
「あいつは魔法を使えない無能だ」
「あいつは才能がないのに努力をする変わり者だ」
「あいつは勇者候補の恥晒しだ」

 胸に突き刺すような数々の酷い言葉は、彼の耳にも届いているはずでした。しかし、彼はなりふり構わず剣を振り続けていました。

 剣に向き合う時間が長すぎるあまり、私的な時間が一切存在しない状態です。
 私は彼と同じ生活をするだけでも、寝不足になって精神がおかしくなりそうでしたが、彼は平然とその生活を続けていました。

 凄まじい努力を積んでいるのは明らかです。
 座学にも真面目に取り組んでいるようでした。
 しかし、学力テストの成績は平均より低いのが常なんだとか。
 勇者コースを担当する講師の方に話を聞いてみたところ、どうやら彼は田舎の出自ということもあり、学業面はかなり疎いらしく、数字の計算や識字なんかは全然ままにならない状態とのこと。
 
 唯一、魔王や魔族、モンスターに関する知識や世界の地理や天候についての分野だけは、特化して明るいらしいです。
 それらの分野に限っては誰よりも勤勉に学んでいるとか。

 ただ、それを加味しても、結局は魔法を使えないので、魔法演習は欠席扱いになってしまいます。
 剣技演習だって常に成績は最低位です。
 暗黙の了解として、庶民が貴族に切先を向けるのは許されていないから当然です。

 不憫でなりません。

「……考えるだけで嫌になりますね」

 アーサーに対する周囲の扱いは、まるで日常に溶け込むかのように繰り返されていました。

 時には言葉だけでなく、執拗な暴力を振るう方々がいたりして、彼は全身に酷い殴打によるダメージを負いながら日常を過ごしていました。
 普通であれば、苦悶の表情を浮かべて痛みに喘ぎ、涙を流して許しを懇願するはずですが、彼は違いました。
 彼は何食わぬ顔で攻撃を受け、何も抵抗しようとせず、誰にも助けを求めようとはしないのです。
  
 まるでサンドバッグです。
 無抵抗な彼が酷い扱いを受けているのに、講師の方々も見て見ぬ振りをします。

 さすがに可哀想でした。

 俯瞰した私でさえ目を背けたくなるというのに、どうして当事者の彼は文句の一つも言わずに、剣を振り続けられるのでしょうか。
 不思議で仕方がありませんでしたし、見ているだけで胸が痛みました。

 私には想像もつかない苦しみでしょう。
 強い精神力が必要なのは明白です。

 寝る間も惜しんで、死に物狂いで、死力を尽くして、全身全霊で、とはこの事を指すのでしょう。
 はっきり言って異常です。
 
 勇者候補に生まれた方々は、魔王討伐への強い使命感を持つというのは有名な話ですが、きっと彼の持つ使命感は他の誰よりも強いのでしょう。
 厳しい努力を続けて、苛烈な扱いに耐えることができるのは、各人が持つ使命感の強さに差があるからだと思います。

 どうして、アーサーは剣を振り続けているのか。
 どうして、絶え間ない努力を積んでいるのか。
 どうして、剣に向き合い続けることができるのか。

 私は一層の興味が湧いてました。

 だから、今日は彼と、アーサーと話をしにきたのです。



 ◇◆◇◆◇


 大嵐が過ぎ去り豪雨が上がると同時に、アーサーが鍛錬を終えました。
 私は待ち伏せて声をかけました。

「アーサー」

 雨に濡れた彼に向かって、綺麗なハンドタオルを投げ渡しました。

「……っ」

「やっとこっちを向いてくれましたね」

「……俺に何か用か?」

 アーサーは鋭い目つきを向けてきました。あまり他人のことを信用していないのかもしれません。

「なぜ貴方は毎日剣を振るのですか」

 それは一週間前と同じ質問でしたが、私が胸に秘めた思いはまるで違いました。

「魔王を討伐するためだ」

「そういう意味ではありません。なぜ身を削ってまで剣を振り続けているのですか? そう聞いているのです」

「……俺は皆が使うような魔法は何一つとして使えない。だから、剣を振るしかないんだ」

 アーサーは溜め息混じりに答えてくれました。

「貴方が魔法を使えないのは知っています。ですが、それ以前に貴方は選ばれし勇者候補なのですから、特殊能力を持って生まれたのでしょう?」

 聞いたところによると、彼は自身が持つ特殊能力を誰にも明かしていないのだとか。

 勇者候補は例外なく特殊能力を持つというのに、なぜそれを使おうとしないのか。
 何もかもが不思議で仕方がありません。

「……一つ聞くが、あんたは勇者コースの奴らを見たことがあるか?」
 
 アーサーは酷く無気力さを感じさせる表情でした。

「詳しくは存じておりませんが、少々傲慢で厄介な方々が多い印象ですね」

「傲慢とか厄介とかそういうことじゃない。俺が聞いているのは、あいつらがどんな風に過ごしているのか、その姿を見たことがあるかどうかだ」

「……そういうことであれば、しっかりと見たことはありません」

 勇者コースの方々のみならず、他のコースの方々も含めて、皆がアーサーを虐げているという事実は把握していました。
 ですが、それ以上に詳しくは知りませんでした。

「じゃあ教えてやる。勇者候補なんてもんは、魔王討伐に行く気なんてさらさらないんだよ」

「どうしてですか?」

「アカデミーにいる勇者候補は、魔王討伐への使命感を持っている。それは事実だが、それ以上に自分が勇者になるまいという思いが強いんだ。
 座学は居眠りし放題で、演習はヘラヘラしながら無駄な時間を過ごすだけ……本当は誰も魔王討伐なんていきたくないんだよ。誰一人として真剣な奴はいない」

「……そういうものなのでしょうか」

「勇者に選ばれることは名誉でもあるが、同時に死ぬことが決まりきった外れくじでもあるってことだ。
 他人の骨折よりも自分のささくれの方が痛いって思うだろ? 誰かのために自分を犠牲にしようとするなんて、酔狂な奴のすることだ」

 虚空を見つめるアーサーは静かに語りました。

 アカデミーの育成環境が緩くて脆弱なのは大前提として、それを学ぶ生徒たちもあまり勤勉とは言えません。少なくとも、私が所属する賢者コースの方々の殆どはそうでした。
 しかし、まさか勇者コースまでも同じだとは思いませんでした。
 彼らは勇者候補として生まれつき特有の使命感を持っているので、勤勉に過ごしているのかと勝手に思い込んでいましたが……全くそういうわけではないみたいです。

「……貴方はどうなんですか? 私が見ている限りだと、勇者候補としての使命感は相当に強いように見えますが?」

「使命感は他の奴らよりも遥かに強いだろうな。それは日を追うごとに、剣を振るごとに実感してる部分だ。でも……魔王の脅威が差し迫った時、いずれその気持ちに変化が訪れ、”死にたくない”と切に願うようになるはずだ」

 アーサーは瞳を閉じながら自分の胸に手を当てていました。
 鼓動を聞くことで生を実感しているように見えますが、力の入った口元は怯えているようにも感じ取れました。

「私は勇者候補ではないのでその感覚はわかりません。ただ、私は賢者として魔王討伐を成し遂げたいと思っています。死にたくないのは当たり前ですが、誰かがやらないといけないんです」

 皆、死にたくないのです。
 名家の生まれであるアカデミーの生徒たちは、裕福で充足感のある今の暮らしを手放したくないのです。
 自らの命をかけて魔王討伐へ赴くなんて嫌なのでしょう。

 その気持ちは十分にわかります。
 しかし、誰かがやらないと、人類が滅びるのは時間の問題なのです。

「大層な目標だな」

「貴方に言われたくありません」

 私は眉を顰めて反論しました。
 アーサーと比べると、優秀な私の方が魔王討伐を達成するに相応しい存在なのは明白です。

「そうかい」

 アーサーは気にも留めない様子で鼻で笑いました。

 それは決して私のことを馬鹿にしているわけではなく、単純にこちらに興味がないことを示しています。
 ただ、少しだけ上向いた口角を見るに、私と話すのが嫌というわけではなさそうです。

「……もしかして、貴方は魔王討伐を本気で成し遂げようとしているのですか?」

 私はアーサーの心持ちが気になりました。

「当たり前だ」

 アーサーは芯のある声色で即答しました。

「剣の腕を磨くのも、他の方々からの酷い扱いに耐えているのもそのためですか?」

「そうだ」

「では、特殊能力を使わないのはなぜですか?」

「……さあな」

 アーサーの顔つきは曇っていました。
 詳細はあまり語りたくない……そんな感じです。

 しかし、それでも気になった私は臆せず問いを重ねます。

「参考までにお伺いしますが、どのような能力ですか?」

「……自慢できるような能力じゃない」

「内緒ですか?」

「ああ」

「なぜですか?」

「使えないからだ」

「え? 生まれ持った能力なのに使えないのですか?」

 私は驚きました。
 もちろん、すぐに見破られる単純な嘘をついた彼の言葉に対してです。

 勇者候補は生まれながらにその宿命が決まる存在なので、誰がどう見ても勇者候補は勇者候補なのです。
 賢者コース、僧侶コース、戦士コースなどは、高貴な家柄の基に大金を積めば簡単に入学できたりします。
 その中でも勇者コースは違います。私たちとは一線を画す存在です。
 選ばれた者しか所属が許されていない、正真正銘の特別な存在なのです。

 勇者候補の方々は、例外なく一人一つの特殊能力を持ち、その全てが攻撃的な能力と言われています。
 彼らにとって特殊能力は一種のステータスであり、誇らしげに自慢してくるのが当たり前です。
 
 しかし、どういうわけか、アーサーは視線を逸らして答えようとしません。

「俺には皆が持つような優れた特殊能力は使えない」

「意味がわかりませんね。勇者候補の方々は虚空から無数の剣を召喚したり、聖なる光でモンスターを斬り裂くことができるはずです。使えないなんてことはあり得ません」

「……皆と同じくは使えないんだよ、俺にはな。話はそれだけか? レミーユ・ヴェルシュ」

 レミーユ・ヴェルシュ。それは私の名前です。
 エルフの中でも優れた血筋を持つハイエルフである私は、そんなハイエルフの中でもトップに君臨する最高峰の気品と風格、そして長い歴史と魔法の才能を持つ家系に生まれました。

 それがヴェルシュ家。エルフの一国を担う大貴族であり、私はそこの三女になります。

「私のことをご存知なのですね」

「有名だからな。生まれながらにして五属性全ての魔法を扱える稀代の天才魔法使いだったか。そんなやつ、こんな生ぬるいアカデミーなんかに来ても楽しくないだろ?」

「国を率いていくお姉様方とは違い、三女の私は勇者パーティーに所属して世界のために戦うことが求められているのです。まあ、貴方と同じく、私も慎重すぎるアカデミーの教育と周囲との温度差にはがっかりしていますがね」

「ふーん」

 アーサーは自ら聞いてきたというのに、心底興味がなさそうな反応でした。

「貴方は楽しいですか?」

 逆に聞き返す。

「楽しいとか、楽しくないとか、そういう感覚で過ごしていない。俺は勇者候補だからな」

「見たところ、ずっと一人ですよね? 寂しくはありませんか?」

 続けて尋ねる。

「寂しくない。辺境の小さな村で勇者候補として生まれた時点で、普通の人間の暮らしはできないんだ」

「……なぜですか?」

 アーサーはごく当たり前かのようにそう言いましたが、その表情はとても悲しそうに見えました。

「簡単だよ。俺は忌み子なんだ」

「忌み子、ですか?」

「ああ」

 彼はポツポツと語り始めました。

 本来、勇者候補というのは、奇跡の存在と称されています。
 生まれた時点で周囲から持て囃され、愛され、大切に育てられますが、彼が生まれた辺境の小さな村は違ったそうです。
 日頃から閉鎖的な暮らしをしているせいか、勇者候補の存在は認知されておらず、気がつけば‘忌み子’としての烙印を押されたとか。
 村から虐げられる彼のことを、彼の家族だけは守ろうとしてくれたそうですが、結果的には五歳になる頃に村を追い出されたそうです。

 それから、奇跡的にアルス王国へと辿り着き、路地裏での生活を始め、そこから十年間も死に物狂いで生きてきたとのこと。
 
 喉が乾けば泥水を啜り、お腹が空けばゴミを漁り腐った臭い飯を食らう……そんな生活を続けてきた、と。

 一切の危険が生じない環境で育てられてきた私とは大違いでした。
 
「悪い。聞きなくなかったよな、こんな話」

「いえ、そんなことありません」

 私は咄嗟に否定する。
 アーサーのことを知りたいと思っていたのに、いざ彼の過去を知ってしまうとかける言葉が見つかりませんでした。
 歴史ある高貴なヴェルシュ家の三女に生まれて、生易しく育てられた私とは正反対の生き方です。

 どこか……悲しくなってしまいます。

「なんで泣いてるんだ?」

「え?」

 アーサーに言われて気がつきましたが、私の瞳からは涙が溢れていました。

「……ごめんなさい。気にしないでください」

「ならいいが……顔色が悪いから休んだほうがいいと思うぞ」

 顔色が悪いのは私よりも貴方でしょうに。
 毎日の過酷な生活のせいで、貴方の風体は重い病を患っているようにしか見えませんよ。

「お気遣いありがとうございます」

 私は頭を下げた拍子に涙を指で拭う。
 そして、続けて問いかけました。

「アーサー、あなたは家族に会いたくならないのですか?」

「……別に」

 冷たい反応のようでしたが、言葉とは裏腹にその表情は僅かに翳りを見せていました。
 村の方々はどうであれ、家族は最後まで彼のことを守ろうとしてくれていたのでしょう。

「唯一の家族ですよね。私も故郷の皆様方のことが時折恋しくなる事があるのでよくわかります。いつか会えるといいですね」

「……そう、だな」

 私と彼では重ねてきた努力の数や歩んできた道のりの険しさがまるで違います。
 ただ、家族に会えない寂しさだけは共有できました。
 
 彼は何を思っているのでしょうか。
 悪人ではないというのは少し話しただけでわかりましたが、彼の本質は見抜けません。

 もっと、アーサーのことが知りたい。
 自然と私はそう思っていました。

「来週末は、全コース合同の屋外演習がありますよね」

 私は思い切って話を切り出す。

「ダンジョンが舞台だったか?」

 アーサーは眉を顰めて首を傾げました。

「ええ。よろしければ、私とペアを組んで参加してみませんか?」

「確か、一人じゃ参加できないやつだよな……」

「はい。必ず他のコースの方と二人以上のペア、グループを編成しなければ参加できません。ダンジョンを舞台にした演習はそう多くないと思いますし、どうせ相手は決まっていないのでしょう?」

 相手が決まっていなければ、問答無用で欠席扱いになると講師の方が話していました。

「まあ……そう、だな」

「ならちょうど良いではありませんか。私と組みましょう」

 アーサーはあまり乗り気ではなさそうでしたが、私が瞳を捉えて見つめると、しばしの沈黙の後に首を縦に振りました。

「……わかった。だが、付き合うのは今回だけだ。俺は仲間を作るつもりなんてないからな」

「仲間がいなければ魔王は倒せませんよ? そのための演習でしょうし」

「そうとも限らない。一人の方が良いこともたくさんある」

「そうですかね? 勇者、賢者、僧侶、戦士、この四人が揃わなければ、魔王討伐は厳しいと思いますよ?」

 絶対にパーティーを組んだ方が勝率は上がります。
 それは過去の勇者パーティーが示してくださった冒険をする上での最適解でした。

「さあ、どうかな」

「……よくわかりません」

 惚けるアーサーの反応は私の理解に及びませんでしたが、深追いする必要はありません。

 そもそも彼の実力に期待しているわけではありませんし、今回の演習を経て将来的に仲間になる可能性は限りなく低いでしょう。
 私が気になっているのは、秘密にしている能力の正体だけです。
 能力を他人にひけらかして悦に浸る勇者候補が多いのに、なぜ彼はひた隠しにしているのでしょうか。
 きっと、剣を一人で振り続ける理由はそこにあるはずなんです。

 勇者候補は特別なんです。
 生まれた家柄だけが良いだけの私たちとは訳が違うんです。

 だって、普通は魔王を殺しうる特殊能力を隠す意味なんてないのですから。

「俺はもう帰る」

 私が長考していると、アーサーはそれだけ言い残して立ち去りました。
 気がつけば、ハンドタオルは折り畳まれて側の手すりにかけられていました。

 掴みどころのない感じはしますが、やはり悪い方ではないのでしょう。
 きっと無愛想でぶっきらぼうで不器用なだけだと思います。

 さて、来週末の屋外演習で貴方のことを私に教えてくださいね?

 特殊能力を隠す本当の理由を。



 ◇◇◇◇◇




 今日は屋外演習の日。

 アカデミーの生徒たちは、講師陣に率いられて”モルドのダンジョン”まで足を運んでいました。

 私はアーサーと二人で順番待ちの列に並んでいます。

 あの日以降、アーサーとは接触していませんでしたが、今の彼の様子を見る限り、いつも通り剣に時間を捧げて過ごしてきたようです。
 顔が青白く、目の下には薄らと隈があり、気怠げな雰囲気を身に纏っています。相変わらずの不健康そうな出立ちです。
 ただ、服装はいつもと異なり、今日は演習だからか身軽そうな革鎧を装備していました。

「アーサー、よく眠れましたか?」

「ん……いつも通りだ」

「また三時間くらいしか寝てないのでは?」

「どうして俺の睡眠時間を把握しているんだ」

「実はこの前まで貴方と同じ生活をしていたので、どれだけ過酷な生活をしていたのかはわかりますよ」

「……よく変わり者だって言われないか?」

「いえ、全く」

「そうか」

 テンポよく会話が進む。
 変わり者扱いされるのは不服ですし、それはアーサーの方です。しかし、そんなやり取りすらも少しだけ心地よいと思っているのは気のせいではないのでしょう。

 私と会話をする方々は、その殆どが下手に出て敬語で接してくるので、こうしてフランクな口調でやり取りしたのは初めての経験です。

「ニヤニヤ笑ってどうかしたのか?」

 アーサーが横目で一瞥してきたので、すぐに私は平静を取り繕いました。

「何でもありません。ところで、本日の演習の舞台となる”モルドのダンジョン”についてはご存知ですか?」

「モルドっていうのは、勇者パーティーに所属していたハイエルフの賢者のことで、ここはそいつが踏破した地下十五層からなるダンジョンだろ?」

「ええ。高尚なハイエルフであるモルド様は、私たちのような未熟者が成長できるように、ご自身で踏破なされたダンジョンの内部を独自に整備、改良してくださったのです」

 モルド様はエルフの英雄です。
 賢者モルドという名を知らないエルフはいないでしょうし、皆が憧憬の対象としています。
 人間であるアーサーからすれば、モルド様自身にはあまり興味がなさそうですが。

「モンスターの強さなんかも上手く調整されてるって本に書いていたな」

「その通りです。具体的なダンジョン内部の原理や仕組み、なぜモンスターが現れるのか等については未だ解明されていませんが、内部に現れるモンスターの強さがダンジョンによって異なることだけはわかっています。
 モルドのダンジョンは、私たちのような未熟者が立ち入っても問題ないレベルだそうですよ」

「……だが、ダンジョンにはイレギュラーが付き物だ。油断はしないようにな」

 アーサーは全く浮き足だっておらずにむしろ冷静すぎるくらいでした。

「わかってます。授業で散々教わりましたし、講師の方々も口酸っぱくおっしゃられてましたから」

 ごく稀に、ダンジョンにはイレギュラーと呼ばれる変異が生じ、突如として強大なモンスターが出現したり、大きな地盤変化が起きたりすることがあります。
 アカデミーに通っていれば、誰もが知る一般的な知識です。
 イレギュラーが発生する確率は極めて低く、ベテランの講師の方々も遭遇したことは一度としてないそうです。
 
 今回もイレギュラーが発生するとは考えにくいでしょう。

「アーサー、あまり真剣になりすぎないでくださいい。少しくらいリラックスしたほうがいいと思いますよ?」

「そういうわけにはいかない。いつ何時であろうと真剣な気持ちで臨まないと、未知のイレギュラーに対応することはできないからな。ヴェルシュも気を引き締めておいたほうがいい。他の奴らのように生ぬるい空気感に飲まれないことだ」

「わかりましたよ。私も気を引き締めますね」

 と、私は口にしましたが、実際は、やはりこの程度のダンジョンであれば問題ないと思っている節がありました。
 なぜなら、私はエリートですから。
 魔法の練度もさることながら、若干十六歳にして五属性全ての魔法を満遍なく扱えて、アカデミー内における成績は常に最上位です。
 弱いモンスターでは相手にならないでしょう。

 それは周囲にいる他の方々も同じです。誰もが柔和なリラックスした雰囲気で和気藹々としていました。
 まるでピクニックに来た子供のようです。

 ずっとピリピリしているアーサーは完全に浮いてました。

「——次、準備はいいか?」

 そうこうしているうちに出番が回ってきました。
 私たちは入り口付近まで歩みを進めます。

「何度も説明している通り、ダンジョン内の各所には腕の立つ講師たちに点在してもらっている。もしも困ったことがあれば、無理せず声をかけるように。
 このダンジョンに現れるモンスターはお世辞にも強いとは言えないが、くれぐれも単独行動はしないことだ。
 アカデミーに入る優秀な人材に死なれたら困るからな。いいな?」

 度重なる説明が億劫だったのか、男性講師はつまらなさそうな口ぶりで淡々と説明しました。

「はい」

 返事をしたのは私でしたが、隣に立つアーサーは依然として真剣な顔つきでした。
 そんな彼の様子を見た男性講師は悪どい笑みを浮かべると、胸の前で腕を組み、偉そうにアーサーのことを見下ろしました。

「魔法を使えない無能、アーサーか。特殊能力の使用経験もなく、剣技演習は常にドベだったな。おまけに学力も平均以下ときた。
 このダンジョンの中にいるモンスターはどれもこれもが雑魚ばかりだが、お前だけはあっさりやられてしまいそうだな。
 しかも、アカデミーの歴史上、トップクラスに優秀なハイエルフのヴェルシュとペアを組んでいるとは、まさにおんぶに抱っこってやつか? アカデミーの落ちこぼれと高貴なハイエルフ様が一緒にいるだなんておかしなことがあるもんだ」

「そんな言い方は——」
「——ヴェルシュ、行こう」

 アーサーは口出ししようとした私の言葉を半ば強引に遮ると、表情を変えることなく先んじて歩みを進めて、地下へと続く階段を下り始めました。

 男性講師は大きく口を開けて品性の欠けた笑い声を響かせており、周囲にいる他の講師や生徒たちもつられて失笑していました。

 異様な光景です。差別や侮蔑を当然だと思っていて、アーサーの心情なんて何一つとして考えていません。

 私は彼の後を追って詰め寄りました。
 
「アーサー、貴方は悔しくないのですか? 貴方は馬鹿にされているのですよ? 本当にそれでよいのですか? 何か言い返そうという気にはならないのですか? 黙りこくっているだけでは現状は何も変わりませんよ?」

 私は胸中に湧き出た数々の疑問をそのままぶつけました。
 私なら悔しいです。出自をバカにされて、偉そうに言われたい放題なのは黙っていられません。

 ただ、アーサーは私とは違う心持ちらしく、一つ息を吐いてからぼそりと口を開きました。

「もう……慣れた……」

 アーサーはそれだけ言い残すと、私のことを置いて行ってしまいます。

 大切な尊厳を傷つけられることには絶対に慣れてはいけないはずですが……彼は勇者候補なので、本当に気にも留めていないのかもしれません。

 しかし、私は、そんな無機質な彼の感情を知るたびに、心が悲しくなっていきます。
 いつかその身を投げ出してしまいそうな儚さが、そこにはありました。




 ◇◆◇◆◇



 初めて入るダンジョンの内部は広々としていて開放感がありました。
 無骨な壁面と薄ら濡れた天井は不気味さを漂わせており、どこか湿っぽい空気感は呼吸を苦しくさせます。

 今にもどこからともなくモンスターが現れそうな雰囲気が漂っていましたが、既に三層目に到達したというのにモンスターは全く現れません。

「退屈ですね」

「良い事だ。モンスターなんて出ないに越したことはない」

「どうしてですか?」

「戦わずにダンジョンを踏破できるのなら、それが一番だ」

 やや前方を歩くアーサーは非常に淡白な反応でした。
 勇者を目指す者として、そんな情けない言動は許されるのでしょうか。

「……これはモンスターを討伐する為の演習ですよ? もしかして戦うのが怖いのですか?」

 私は茶化すようにしてアーサーの背中を指で突く。
 感情の起伏が少なく、真剣になりすぎている彼を少しでも和ませてあげたかった。

 ですが、彼は少しの沈黙を置いてから、予想だにしない反応を見せました。

「怖いよ」

「え?」

「俺は勇者候補として生まれたおかげで.魔王討伐に対する思いは誰よりも強い。でも、戦うのは怖いし、死ぬのはもっと怖い」

 アーサーの両手は細かく震えていました。
 震えを誤魔化すように、腰に携えた長剣に手を添えている姿が印象的です。

 こんなの彼らしくない。がむしゃらに剣を振って、敵を見つければ突撃する。私が勝手に思い描いていたアーサーは、無鉄砲で命知らずの人間でした。
 あの剣の太刀筋を見ればそう思うのは当たり前です。無闇矢鱈に剣を振る姿は、とても慎重に事を進めるタイプには見えませんでした。

 でも……本当の彼はそうじゃなかった。

 周囲が彼の事を身分階級だけで判断するように、私もまだ彼のことを知らないだけなのでしょう。

「だから……負けないように、死なないように努力を続けるんだ。そうすれば、全員を守ることができる」

「全員を守るなんて難しいのでは?」

「現実的には難しいのかもしれないが、俺が強くなればなるほど、相対的に周りは俺よりも弱くなる。つまり、守ることのできる対象が増えるってことだ。努力を惜しむことなく、可能な限り全てを救い出す。勇者っていうのはそういうもんだろ。困っている誰かを守ったり、助けてあげられる救世主なんだよ」

 アーサーの表情を背後から確認することはできませんでしたが、強い意志の込められた言葉に、嘘や偽りは一切ありませんでした。

 ですが、正直なことを言うと、アーサーがここまで気張る理由が、私には理解できませんでした。
 他の方々と同じベクトルで油断するのは間違っているのかもしれませんが、ここはたかがモルドのダンジョンです。
 イレギュラーだって、そうそう起こりません。

「……まあ、そんなに深く考えなくても、今日のところは私が一緒なので大丈夫ですよ。モルドのダンジョンに現れるモンスターの実力は知れていますし、私の魔法で簡単に討伐できますからね」

 私一人で何とかなるので、アーサーが弱くても何も心配はいりません。
 優秀な私にかかれば問題無いのです。

「だといいんだがな」

「それにしても、アーサーはてっきり怖いものなしの性格だと思っていたので意外でした。能力を隠しているのも、使うのが怖いからとかそういう理由ですか? それとも、まともに扱えないとか?」

「いや、どうだろうな」

 何とも不透明で澱みまみれの返事でした。
 能力の話になるとのらりくらりと躱されている気がします。

「それほどまでに自分の能力を言いたくないのですか? もしも自分では敵わないモンスターや魔族が出てきたらどうするつもりなんですか? 万が一の時に能力を使えないのはまずいのではありませんか?」

 私は矢継ぎ早に問いかけました。
 不躾なのは理解していますが、それ以上にアーサーが能力を隠す理由が気になるのです。

「そんな瞬間が訪れないように、俺は剣の腕を磨き続けているんだ。俺が持つ能力は他の勇者候補のように、いつでも縋り付けるほどの代物じゃないからな」

「……勇者候補の方々は例外なく優れた特殊能力を持っているものだと勝手に思い込んでいましたが、アーサーの能力はそういうわけでもないんですね?」

「ああ」

 ここで会話は途切れました。
 しかし、沈黙は苦ではなかった。

 アーサーが醸し出すピリついた雰囲気のおかげで、私たちの間にはどことない緊張感が走っていて、おちゃらけた空気なんて一切ありません。
 さながら本物の勇者パーティーのような雰囲気でした。
 彼が勇者で、私は賢者。後は僧侶と戦士がいれば完璧です。

 まあ、単なる妄想に過ぎませんし、彼の実力を顧みるならばあり得ない話ですが。

「そろそろ四層目だな」

 階段を下りながらアーサーが言う。

「……そういえば、誰ともすれ違いませんね。最初に出発したグループなんかは、既に十五層目から引き返していてもおかしくないと思いますが」

 単純な疑問でした。
 一度もモンスターに鉢合わせないのもそうですが、誰ともすれ違わないのはもっと不思議です。
 通路がわかりやすく示されていて、上下左右の道順がはっきりしているモルドのダンジョンでは迷うなんてあり得ないのです。

「確かにな」

「これもまたイレギュラーでしょうか? モンスターが出ないのであれば演習の意味がありませんね」

 しんとしたダンジョン内は不気味さがありましたが、何が起こるかわからないということを加味すると不思議ではないのかもしれません。

 突然たくさんのモンスターが現れることもあれば、現在のようにパタリと鳴りを潜めることもあるのでしょう。

「イレギュラー……」

 アーサーは顎に手を当て考え込んでいました。

「どうかしましたか?」

「……まずいかもな」

 何の気なしに尋ねる私と違い、アーサーは怪訝な顔つきで鼻を鳴らしていました。
 低い声色には柔和な雰囲気が全くありません。

「え?」

「急ごう。血の臭いがする」

「ま、待ってください!」

「気付くのが遅れちまった」

 アーサーは突然走り出しました。

 血の臭い? 意味がわかりません。
 ただ、焦燥感に駆られた彼の後ろ姿を見ていると、どことなく嫌な予感がしてきて自然と鼓動が早くなるのがわかりました。

 私は少し遅れて彼の後を追って、先の見えない緩やかな長い階段を駆け下りていきました。

 そして、あっという間に四層目に到着しました。

「やはり……」

 アーサーは階段を降りてすぐの場所で立ち止まっていました。

「はぁはぁ……い、いったい急にどうしたのですか!?」

 私は呼吸を整える間もなくアーサーに尋ねました。

 すると、彼はこちらに振り向き、険しい面持ちで首を横に振りました。

「見ろ」

「え?」

 アーサーに言われるがままに目の前の光景を見た私は、思わず言葉を失いました。
 
「……ど、どうして?」

 楕円状の広いフロアには四体の亡骸がありました。
 勇者コース、賢者コース、僧侶コース、戦士コースに所属する生徒が一人ずつ倒れ伏していました。
 どれもこれもが残虐非道な亡くなり方をしていて、賢者コースの女性は私の知り合いでした。彼女は非常に優秀な方で、非の打ち所がないくらいの実力者だったはず。
 他にも、勇者コースの男性は公爵家の跡取り息子ですし、僧侶コースと戦士コースの男女も相当に位の高い家柄で優秀な方だったと記憶しています。

 そんな彼らを中心にして、周囲には真っ赤な血が散らばっています。もはや誰のものなのかもはっきりしないくらいで……まさに地獄絵図と呼ぶにふさわしい光景でした。

「イレギュラーが起きたのかもしれない」

 驚愕して固まる私を尻目に、アーサーは四体の亡骸の元へ近寄り、息絶えて動かない彼らの姿を見下ろしていました。
 酷く冷静な形相で、先ほどまで手を震わせていた人間とは別人のようでした。

「ちょ、ちょっと待ってください! 彼らは、ここにいる四人は、皆揃って優秀な成績を収めていたはずです! 剣技演習や魔法演習では常に上位でしたし、頭だって良くてダンジョンやモンスターに関する知識をたくさん持っていました! こんなに簡単にやられるなんて思えません! それに、イレギュラーが起きるなんて確率的にも……」

「アカデミーのお遊びと戦場は別物だ。これまでの生易しい演習に意味があると本気で思っているのか? アカデミーの教育体制にがっかりしているんじゃなかったのか? まさか内心では、アカデミーで学んだことが本気で役に立つと信じていたのか?」

「っ!?」

 途端に私は我に返りました。
 モルド様の手で整備されているとはいえ、ここはれっきとしたダンジョンでした。
 何が起こるかわからない。そんな場所。平和なアカデミーとは訳が違うのです。

「確かにこの四人が優秀だった。それは紛れもない事実だ」

 アーサーは一呼吸置いてから言葉を続ける。

「だが、油断しすぎた。こいつらも、上にいる講師も、そしてヴェルシュ、お前もだ。全員がこういう事態になることを想定していないのが何よりの問題だろうな」

「……ごめんなさい」

 咄嗟に言葉がこぼれると同時に、名指しされたことで心臓が大きく跳ねる。
 アーサーは私が慢心していた事を見破っていたみたいです。呆れたような視線をこちらに向けています。

「仮に警戒の念を張り巡らせていても既に起こってしまったことだ。謝る必要はない。今回に限っては敵が悪かったのもあるからな」

「……どんなモンスターが現れたのか分かるのですか?」

「強いってことくらいはわかる。現に四人とも喉元や首元、脳天と心臓部なんかを一撃で抉られているし、きっと苦しむ暇もなかったはずだ。勇者候補の男なんて、能力の使用はおろか抜剣すらできてないしな。そして、それをやった元凶は下へ向かっている」

 アーサーは四体の亡骸を見下ろして息を吐くと、地面に付着した血痕を頼りに四層の奥へと足を進め始めました。
 呆然と立ち尽くす私を残して。

「ま、まさか後を追うつもりですか?」

「当然だ」

 アーサーは足を止めず、こちらに振り向く素振りすら見せませんでした。
 彼だって怖いはず。
 だって、あんな剣の腕しかないのですから、強大なモンスターには到底敵わないはず……。

「ま、まってください! 確かに皆が油断していたのは事実かもしれませんが、彼らは一斉にやられたのです! 私は一週間ほど貴方の剣を振る様子を見させていただきましたが、その実力ではどんなモンスターにも敵いません!」

 私は叫びました。

 賢者を志す私に剣技の心得はありませんが、彼の剣技は酷いものだったと記憶しています。
 無闇矢鱈に動き回りながら乱雑に剣を振るう姿は、とても優れた太刀筋ではないでしょう。
 むしろ、他の優秀な勇者候補の方や戦士コースの方を見ていると、剣技の美しさはまるで比にならないのは明白です。

 私は続けて叫ぶ。

「アーサー! 講師の方々も、今回参加している生徒の方々も、皆揃って貴方のことを馬鹿にしていたのですよ! そこに命をかける必要はありません! 引き返してください!」

 あまりこんなことは言いたくありませんでしたが、私なら自分を虐げてきた方々を助けたいとは思えません。
 勝手に死ねばいい……とまではさすがに考えませんが、そんな方々に進んで手を差し伸べる気にはなりませんでした。

 そんな私の言葉を聞いたアーサーは、ようやく足を止めてくれましたが、あまり反応は芳しくなさそうでした。

「ヴェルシュ。俺は勇者になって魔王を討伐するんだ」

 静かな語り口でしたが、その言葉には確かな覇気が込められていました。

「っ!」

 そこに私が口を挟むことは許されませんでした。

「俺は守るべき対象を限定することはしない。誰であろうと救う。それが勇者だ」

 アーサーは振り向き様に剣を抜き払う。

 その瞬間。辺りには突発的な暴風が巻き起こり、彼の全身には身の毛がよだつほどの神々しい光が宿り始めました。
 これはおそらく、私が彼との圧倒的な力の差を感じたことで見えた幻覚の一種。

 直感的に理解させられました。

 私は、彼には敵わない……と。
 それは力量だけではなく、心の器の大きさまでも。

「俺は負けない」
 
 アーサーはそれだけ言い残すと、フロアを抜けて私の前から姿を消しました。

 あれが……勇者候補? 

「……いえ、本物の勇者様……?」

 取り残された私はアーサーの背中に勇者様の影を見ました。
 鳥肌が収まらずに全身が小刻みに震えています。初めての感覚です。

 ただ、今はそれに浸っている余裕がありません。

「——は、はやく戻って助けを呼びに行かないと!」

 私はふらふらとした足取りで階段を駆け上がり、来た道を逆方向に進んでいきました。
 膝はガクガクと震え、荒い呼吸は落ち着くことを知りません。
 情けないことに、私はアーサーのように立ち向かうことはできそうにありませんでした。

 でも、助けを呼ぶことくらいはできます。
 アーサーを一人で行かせてしまった私にも多大な責任があるのです。

 
 やがて、三層、二層、一層、地上へと順に戻っていく私は、下を目指す方々に漏れなく警告を促し、各所に点在している講師陣に助けを求めました。

 それから私は数多くの応援を率いて、あっといぅに十五層にまで到達していました。
 
 混乱と恐怖に頭が支配されていながらも、十五層に立ち入ると、なんとそこは既にしんと静まり返っていました。
 フロアの中央には、アーサーが一人佇むだけです。

「アーサー……?」

 私はアーサーに声をかけましたが、彼は微動だにしませんでした。

 十五層のフロアの中央には漆黒の物体が横たえ、その周辺には十数名の生徒と講師たちが倒れており、真っ赤な血の海ができていました。
 応援に駆けつけた方々が思わず吐き気を催すくらいの残酷な光景です。

 しかし、アーサーは無数の亡骸の中心に堂々と佇んでいました。地面に剣を突き立て、瞳を閉じています。まるで死者を弔っているように。さながら至極当然の行いをしたかのように。誇らしげな表情なんて一切見せません。

 救うべくして救った……英雄とはこうあるべきだという認識を抱かせてくれます。

 その姿を見て私は確信しました。

 アーサーこそが本物の勇者様なのだと。
 彼以外にその役目が務まるはずがないのだと。
 栄誉を与えられて然るべきだと。
 誰もがそう思うはずでした。
 しかし、そうはならなかったのです。

 私以外の全員は、アーサーのことを他の生徒を踏み台にしてトドメだけを刺した卑怯者だと嘲笑し、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせたのです。

 原因は明らかでした。
 アカデミーでは平々凡々、あるいはそれ以下の成績だった田舎者が脅威を討ち取った……誰一人としてそんな現実を信じられなかったのです。

 いえ、信じたくなかったのです。

 私以外の誰もがアーサーの実力を疑っているのは明白でしたし、何よりも彼のことを見下す醜い心が先行してしまい、先入観のない評価ができていませんでした。

『お前が逃げずに戦っていたら、他のみんなは助かったんじゃないのか!』
『お前がみんなを殺したんだ! 優秀な奴らに嫉妬してたんだろ!』
『だから貴族でも何でもない田舎者は信用できないんだ! ヴェルシュ様を唆して仲間に引き込んで何を企んでいたんだ!』

 異様な光景でした。
 この場で多くの命が失われたばかりだというのに、責任の全てを彼一人に押し付けようとしているのです。
 事実関係なんてつゆ知らず、脅威を打ち滅ぼしたアーサーが非難に晒されていました。

 しかし、当のアーサーは、どういうわけか自らの功績を何一つとして語ろうとせず、そっと瞳を閉じて口をつぐむだけでした。
 まるで祈りを捧げているかのように、地面に突き立てた剣のグリップを強く握りしめています。

 彼は何を考えているのでしょうか……彼は、アーサーは、どうして何も言わないのでしょうか?
 本当は、私がアーサーを守ってあげられる言葉を一言でも口にできれば良かったのですが、並々ならぬ空気感と大勢が犠牲になった恐怖によってそれを憚られてしまい、彼は格好の標的になってしまったのです。


 その後、一頻りの罵詈雑言を吐き出した彼らは、アルス王国から呼び寄せられた調査隊に有る事無い事を報告すると、ダンジョン内にアーサーの味方は完全にいなくなってしまいました。

 結局、王都にはイレギュラーモンスターの脅威とその強さ、及ぼした甚大な被害と、亡くなった多くの方々の名前が喧伝されたのです。
 当たり前のように、そこに功績を上げたアーサーの名前は含まれておらず、アカデミー内での彼の立ち位置は更に良くない方向に進んでいきました。

 あらましの訳を知る私が何もできないばかりに……。

 帰還後、私は決意しました。

 賢者として、アーサーと共に魔王を討伐する……と。




 ◇◇◇◇




 𝓒𝓱𝓪𝓷𝓰𝓮 𝓸𝓯 𝓹𝓮𝓻𝓼𝓹𝓮𝓬𝓽𝓲𝓿𝓮 ~𝓐𝓻𝓽𝓱𝓾𝓻~



 モルドのダンジョンで起きた出来事から早数日が経過したが、あれから落ち着きのない日常が続いている。
 調査によれば、死傷者は二十名近くにまでのぼり、数多くの生徒が精神的な問題を抱えることになった。

 そんな中、俺は毎日のように聴聞会に参加させられ、時間を拘束される日々を過ごしていた。
 どうやらアカデミーは、俺一人に責任の全てを押し付けたいらしい。
 高貴な家の出自ではなく単なる田舎者の俺は、誰から見てもうってつけの標的だった。
 聴聞会では、アカデミーの偉い人たちが高圧的なやり口で聴聞を実施し、事実関係の捻じ曲げに尽力している。
 腕の立つ講師や優秀な生徒が多く死んでしまったことで、関係各所から詰め寄られているのだろう。
 セイクリッドアカデミーは、一応アルス王国の直属機関なので、警戒を怠り慢心したアカデミーの責任となれば、よろしくない事態になるのは明白だ。

 俺としては特に気にする範疇ではないし、イレギュラーモンスターを討伐した事実を誇らしげに語るつもりはないので、全ての聴聞に対して口をつぐむことにしていた。

 そんな聴聞会も、つい先ほど開かれた会をもって最後となることが通達された。
 結局、”一生徒にイレギュラーモンスターの討伐など行えない”という客観的推測が基となり、俺一人に責任の全てをなすりつけるのは不可能だという判断に至ったようだ。

 よって、今回の件は不問とされ、モルドのダンジョンで起きた出来事の真相は闇に屠られた。
 周囲からの風当たりの強さは変わらないが、何もないならそれはそれで良かったのかもしれない。



 そして、現在の時刻は深夜。
 ようやく終わりを告げた聴聞会から帰ってくると、寮の自室には一通の手紙が届いていた。
 差出人はレミーユ・ヴェルシュ。
 アカデミーで唯一の知り合いであり、モルドのダンジョンでペアを組んだハイエルフの女性だ。

 既に一過性の関係は終わったと認識していたのだが、向こうは何やら用があるらしい。

 手紙を開くと『夜半、寮の裏で待っています。いつもの場所で』とだけ書き記してあったので、俺は呼び出された場所へと赴いた。

 幸い、時間が遅いこともあり周囲には誰もいない。

「……ヴェルシュ、待たせたな」

「いえ、今来たところです」 

 ヴェルシュは木陰のベンチに座っている。

「そうか。それで、俺に話ってなんだ?」

 そうは聞いたものの、何の話をされるのかは目に見えていた。

「ベンチにでも座ってゆっくりお話ししませんか」

「ああ」

 俺はヴェルシュの隣に腰を下ろした。

「……アーサー」

「なんだ」

 俺はヴェルシュを横目で見ながら言葉を返す。
 彼女は膝の上で拳を強く握り込んでいた。

「本日の朝、貴方が討伐したイレギュラーモンスターの推定ランクが公開されました。ご存知でしたか?」

「いや、知らないな」

 モンスターはランク付けされている。
 最上位はS、そこから下にはA、B、C、D、Eといった具合に、細かく分けられているのだ。
 また、魔族は別で、下級、中級、上級といった具合に三段階で分けられている。
 ちなみに魔王は強すぎるが故に例外だ。

「推定B~Aランクで、上級魔族に相当すると結論付けられたそうです」

「そうなのか」

 俺には特段興味がない話題だった。
 倒すことができればそれで良い。

 しかし、ヴェルシュからすればそれは違うのか、彼女は首を横に振った。

「私も先ほど最終的な聴聞結果を聞きました。あの悲劇は貴方の責任にはならず、不問になったみたいですね。そして、イレギュラーモンスターを討伐したのは貴方ではなく、亡くなってしまったアカデミーの講師と生徒たちということになっています」

「そうか」

 俺もつい先ほどそれらを聞いたばかりだから把握している。

「……どうしてですか」

「何がだ?」

「どうして、貴方はもっと誇らしげに振る舞わないのですか? 私には分かります。イレギュラーモンスターを討伐したのは、アーサー、貴方ですよね」

「……」

 誰がヤツを討伐したのか、それを隠していたつもりはなかった。しかし、誰もが信じない中、ヴェルシュだけは俺が討伐したのだと信じている様子だった。

 真剣な眼差しに嘘の色はない。

 彼女は言葉を続ける。

「皆から罵詈雑言を浴びせられ、責任をなすりつけられる中、貴方はその力を誇示しませんでしたね……私は悲しかったです。どうして、貴方が責められなければならないのか、どうして、私はあそこで貴方のために言葉をかけてあげられなかったのか……」

「力の誇示か……考えたこともなかったな」

「え?」

 ヴェルシュは素っ頓狂な顔になる。
 どうやら、俺と彼女の思い描く勇者の偶像には明確な齟齬があるようだ。

「勇者は誰かを助けたら見返りを求めるのが普通なのか? その力を誇示して、偉そうに踏ん反り返るのが普通なのか? 皆を脅威から救えたのなら、それで何も問題はないんじゃないか? たとえ俺が責められようともヤツは既に死んだ。皆が救われた結果に変わりはない」

「……確かに見返りを求めて偉そうにしている勇者様が存在したら、きっと嫌われ者になるでしょう。ですが、今回に関してはそうしないと貴方の為になりません。本来、今回の貴方の功績はもっと多くの方々に語られて然るべきなのです」

 ヴェルシュの表情は悲哀に満ちていた。
 俺のことを思って言ってくれているのはよく伝わる。
 しかし、俺からすればその名が知れ渡ることへの執着は皆無だった。

「俺の功績なんてどうでもいいし、真実なんてもんはもっとどうでもいい。大事なのは結果だ」

 世間は誰が何を討伐したかなんてまるで興味がない。
 つまるところ、魔王を討伐するのは別に勇者じゃなくてもいい。
 魔王が消えれば世界が平和になる。その事実に変わりはない。
 誰がどうしようと魔王が消えればそれでいい。俺はそう考えているし、口には出さないが世間もそう考えていると思う。

 結局は誰もが勇者という偶像を生み出し、未来への希望を信じたいだけに過ぎないのだ。
 
「貴方は、本当にそれで満足なのですか?」

「俺は皆から慕われてチヤホヤされたい訳じゃない。勇者候補として生まれたからには、その使命を遂行したいだけだ」

 迷いなく答える。
 俺は勇者になりたい。
 そして魔王を討伐したい。
 ただ、それだけだ。他には何も必要ない。

 他の勇者候補は、特殊能力を自慢げに晒し、剣技と魔法は異性から注目を集めるために学んでいるが、あんなのは勇者のやることじゃない。
 あれほどまでに低い当事者意識と希薄な使命感を持って生きているだなんて、勇者候補として失格だ。

「……そうですか」

 渋々納得したというよりは、説得を諦めたかよような返事だった。

「話はそれだけか?」

 俺はベンチから立ち上がった。
 ここ最近は聴聞会ばかりで落ち着く暇がなかったので、今日はもう早々に眠りにつきたかった。

 しかし、ヴェルシュは俺の手首を掴んで引き止める。

「もう一つ、聞かせてください」

「何だ?」

「どのようにして推定B~Aランクのイレギュラーモンスターを単騎で討伐したのですか? もちろん特殊能力を使用しましたよね?」

 おかしな質問だった。
 俺がモンスターを討伐する方法なんて限られているだろうに。

「剣だ」

「え、剣だけ……ですか?」

「前も言ったはずだ。俺は能力を使えないってな」

 使えない、使わない……言い方は様々だが、勇者として魔王討伐を目指す以上、俺はその時が来るまで能力を《《使えない》》。

「……嘘。剣だけで推定Aランクのモンスターを討伐したというのですか? 特殊能力を一切使わずに? 考えられません。ですが、本物の勇者様だからあり得る……?」

 ヴェルシュは疑いの眼差しを向けてくるが、どこか俺のことを信じる気持ちも持っているようだ。
 何をもって俺のことを信じてくれているのか、それはわからない。
 ただ、彼女が本質を見失っているのは明らかだった。
 そもそも、勇者の能力は強力だが無敵じゃない。
 発動までにはそれなりのインターバルが必要だし、生まれ持った能力だからといって上手く扱うには鍛錬が必要だ。
 横着するとまともに扱えないなんてのは常識だ。
 
 隣の芝生は青く見えるという言葉があるくらいだし、きっと賢者を志す彼女のみならず、世間は勇者が持つ能力を過信しているのだろう。
 そんなに良いもんじゃない。
 特に俺みたいな、限定的で局所的な使い方しかできず、たった一度きりの能力だったら尚更だ。

「ヴェルシュ。お前はどうして、俺がヤツを討伐したと思うんだ?」

「簡単です。貴方は本物の勇者様ですから」

 ヴェルシュは微笑みを向けてきた。
 突拍子もない理由に聞こえてしまうかもしれないが、同時に、嘘偽りないその言葉からは信憑性の高さも窺えた。

「……それだけか?」

「ええ。誰が何と言おうと、アーサーは勇者様です。この先、魔王討伐を成し遂げられるのは貴方しかいません。私はそう思います」 

「直感か?」

「ええ。抽象的な判断はあまり信じていませんが、貴方が勇者様であるという事だけは信じられるような気がします。
 現に私は貴方のおかげで生きていますし、貴方がイレギュラーモンスターを討伐してくださったおかげで多くの人命が救われました。それは勇者様と呼ばれるに相応しい功績だと思います」

 ヴェルシュは一つ呼吸を置いてから言葉を続ける。

「遅くなってしまいましたが、私のことを助けてくださって、本当にありがとうございました。油断していた私は本当に愚かだったと思います。いざとなると膝が震えて何もできませんでした。貴方がいなければ……あの場にいた全員が死んでいたことでしょう」

 ヴェルシュはゆっくりと立ち上がると、深く頭を下げてきた。
 見返りを求めれば当然起こりうる事態だったが、孤独を極める俺にとってこれは初めての経験だった。

「……」

 俺は返すべき言葉がわからなかった。

「救われた恩は必ず返します」

「いや……気にしなくていい」

「そうは言いますが、感謝をされるのも悪くはないでしょう?」

「まあ、そうかもな……」

 誰からも感謝されずにひっそりと生き、結果だけを求めていけばいいと思っていたが、面と向かって感謝を伝えられる感覚はそれほど悪くなかった。

「それと……アーサー。私はまだまだ貴方のことが気になっているので、明日からは私と共に行動してください」

「はぁ? 何でだよ」

 ハイエルフの彼女が人間である俺と、しかも貴族でも何でもない田舎者と行動を共にするなんてあり得ない事態だ。
 演習だけならまだしも、それ以外の時間を共に過ごすなんて尚更おかしな話である。

「私は貴方のことをもっと知りたいです」

「俺のことなんて知っても何も得られないぞ?」

「いえ、私は貴方こそが本物の勇者様だと思っているので、得られるものは無数にあるかと」

「……俺はそんな器じゃないから無駄だと思うがな」

 勇者候補として生まれた宿命からか、本物の勇者だと言われて内心は喜ばしい気持ちもあった。
 しかし、まだまだそんな地点には到達していないので、やんわりと否定し断っておく。

「今はそうかもしれませんが、貴方はいずれ世界を救う勇者様になる運命です」

 ヴェルシュは尚も食い下がる。

「俺なんかと一緒にいたらヴェルシュへの風当たりも強くなるぞ」

「問題ありません。アーサーのことを何も知らない方々には勝手に言わせておけばいいと思っていますし、酷い噂なんて私が吹き飛ばしてあげます」

 固い意志は梃子を使っても変わらなさそうだった。
 真摯な目つきに澱みはない。

「……わかった。明日からはなるべく一緒に行動してみよう」

 押し問答になる予感しかしなかったので、俺はやむなく了承した。
 それほどまでにヴェルシュは真っ直ぐだった。

「ありがとうございます。いつか、能力のことも教えてくださいね? 私も頑張って賢者になってみせますから」

「いつかな」

 俺は踵を返して自室へと戻った。

 俺が能力を使うような時が来ないことを願うが、魔王討伐を目指す以上、免れられない現実もある。

 犠牲は最低限に留めなければならない。

 俺は多数の犠牲を出した今回の出来事を胸に刻み込んだ。

 



 ◇◇◇◇



 𝓒𝓱𝓪𝓷𝓰𝓮 𝓸𝓯 𝓹𝓮𝓻𝓼𝓹𝓮𝓬𝓽𝓲𝓿𝓮 ~ 𝓡𝓮𝓶𝓲𝓵𝓵𝓮 ~



 今や、魔王の勢力は世界の半分を収めるほどまでに拡大を続けており、人類存続の危機が差し迫っています。
 勇者候補は人類存続の危機を救うために生まれました。

 勇者候補が勇者様へ栄転するためには、重大な一つの条件を満たさなければなりません。
 しかし、その条件を満たせた勇者候補は約百年間も現れていません。

 また、本題となる重大な一つの条件達成に挑戦するためにも、更なる細かな条件が設けられており、それらを満たすことも容易ではありません。

 細かな条件は全部で三つ。

 一つ、道徳的な資質や正義感を持ち、人々を守る意志を示すこと。

 二つ、重要な使命を果たすための冒険心や決断力を持つこと。
 
 三つ、勇気と犠牲を厭わない覚悟を持つこと。

 どれもこれもが抽象的な判断基準にはなりますが、それらの細かな条件を満たせるか否かを判断する機関こそが、私たちが通う勇者育成学校——セイクリッドアカデミーなのです。

 また、モルド様によると、勇者様を見つけ出す方法は他にもあるみたいです。
 それは、資質を持った賢者、僧侶、戦士が”直感で勇者を見つけ出す”……という、これまた曖昧なものでした。
 勇者様を見つけ出すだけではなく、賢者と僧侶と戦士の三名も互いに惹かれ合う運命なんだとか。

 ただ、モルド様の提唱には全く裏付けがなく、実際はアルス王国のみならず世界的に参照にはしていないようですが。


 話は戻りますが、三つの細かな条件を全て満たした勇者候補は、やがて王宮へと呼び出され、古の祠に祀られる勇者の聖剣を抜く儀式に招聘されます。
 しかし、招聘されたからといって、必ず聖剣が抜けるわけではありません。
 過去数百人が挑戦しては、全てが失敗に終わっています。

 それこそが勇者様になるための本題となる一つの条件です。
 勇者様になるためには、古の祠に祀られる聖剣を抜けなければなりません。

 ちなみに、聖剣の儀式が始まったきっかけは今から数千年前に遡ります。
 当時の勇者様は単騎で魔王に挑み敗戦し、帰還した後に自らの生命の全てを一振りの剣に込めたそうです。
 いつしか勇者の聖剣と呼ばれるようになったそれは、勇者候補が勇者様に栄転するための関門とされました。




「……アーサーには聖剣を抜けますかね?」

 古い文献を閉じた私は向かいに座るアーサーに問うた。
 場所は彼の部屋。モルドのダンジョンで起きた悲劇から二週間が経ち、今は妙な噂や話題も徐々に収まりかけていましたが、やはり外にいると目立ってしまうのも事実でした。

 なので、ここ最近は彼の部屋で時間を過ごすことが多くなっています。

「聖剣か。どうだろうな」

 一瞥すらしてくれませんが、私は彼こそが勇者様であると信じています。

「聖剣には凄まじい力が込められていますからね。一振りで大地を両断したり、海を斬り裂いてしまうとか何とか……」

「まあ、聖剣を持ってしても、百年前の勇者は魔王を倒せなかったけどな」

 アーサーは昼食どきでお腹が空いているのか、椅子に座りそっぽを向いたまま固そうなパンを齧っています。
 やはり、聖剣にはあまり興味がなさそうです。

「百年前の勇者様は、魔王の元へ辿り着きはしたものの、後一歩のところで敗れたそうですね」

 百年前の勇者パーティーに所属していたハイエルフの賢者モルド様は、満身創痍で帰還すると、敵戦力の情報を可能な限り世界に残してこの世を去ったというのは有名な話です。
 それ以来、数多くの方が聖剣を抜く儀式に招聘されたものの、本物の勇者様は誰一人として現れていません。

「ちなみに、どうでもいい質問をしてもいいか?」

「ええ、どうぞ」

「確か、聖剣は持ち主を失うと、勝手に古の祠に戻ってくるんだったよな」

「そのはずです」

 数千年前の勇者様が現存しない古代の魔法を聖剣に封じ込めたそうです。
 それは聖剣を抜いた勇者様が没すると同時に、持ち主を失った聖剣が自動的に古の祠に戻ってくる魔法なんだとか。
 つまり、勇者様の死は古の祠を注視していれば目に見えてわかるということです。

「他に聖剣の力に関する情報はないのか? 俺は数々の文献を漁ったつもりだが、聖剣の詳しい力についての記載は見つけられなかったんだ。何か知ってるか?」

「いえ、聖剣の力については周知の事実となっていて、それらを詳細に語る文献はないですね」

 世界中にいる誰もが聖剣の力を認識しています。
 今更語ることなどないということです。

「……そうか。賢者モルドも、聖剣については何も口にしていなかったよな」

「はい。誰もが知る情報を広めるよりも、未知の情報を広めるほうが優先順位は高いですからね。ただ、モルド様は一点だけ気になる事を言っていたそうですが……」

 実を言うと、私は賢者モルド様の遠縁にあたるので、世間が知らない情報を持っていたりもします。
 中でも、聖剣に関する情報は一つしかありませんが。

「気になる事?」

「ええ。これは世間には周知されていない話ですが、百年前の勇者様は聖剣の力を上手く扱えなかったみたいですよ。空を裂いて大地を両断する離れ業なんてもってのほかだったとか。モルド様は、聖剣の力が強大すぎたのが原因だったと持論を展開していました」

 聖剣の力を上手く扱えなかったのであれば、魔王討伐を後一歩のところで失敗してしまうのも納得のいく話です。
 勇者様であろうとそうなるのですから、一般の方々が抜くことすらできないのは当然です。

「……それは知らなかったな」

「大したことのない話ですけどね」

「いや、そんなことはない。教えてくれてありがとう」

 アーサーは初めて満足げな笑みを浮かべていました。

「少しは聖剣に興味が湧きましたか?」

「まあ、そうだな」

 その笑みが何を意味するのかはよくわかりません。

「……で、今日は何しに来たんだ?」

 一つ息を吐いたアーサーはおもむろに視線を向けてきました。
 もう聖剣について気になることはないのでしょうか。

「あぁ、そうでした。本日の午後、アルス王国の第二王女である、セシリア・ルシルフル様がアカデミーにいらっしゃるので、そのご報告をしようかなと。
 私も詳しくは聞かされておりませんが、何でも、勇者候補や他のコースの優秀者の視察が目的だとか……最近は魔王の侵略も一層進んでいますし、おそらく実力のある方を自らの目で確かめに来るおつもりなのでしょう」

 たまたまアーサーの部屋にあった古い文献を開き、勇者の話に夢中になってしまいました。
 本日、アーサーの部屋に来たのは、その話をする為でした。

「ヴェルシュ、お前はその王女様と知り合いだったりするのか?」

「幼い頃、両親の付き添いでパーティーに出席した際、何度かお会いしたことがあります。ただ、特段親しい間柄というわけではありませんね。当時のセシリア様はお転婆な性格だったと記憶しているので、堅物だった私の母はそんな彼女のことを私から意図的に遠ざけていました」

 私は懐かしい記憶を呼び起こしました。

 セシリア様とは何度か顔を合わせて少しだけ会話を交わした程度だったはずです。
 綺麗なブロンドヘアに黒を基調としたゴスロリ服を合わせていたのはよく覚えています。
 今でもその格好とは限りませんが、とにかく貴族らしからぬフランクな性格だったような気がします。

「んで……その話が俺とどう関係しているんだ?」

 アーサーは溜め息混じりに尋ねてきた。

「これは風の噂ですが、セシリア様がイレギュラーモンスターを討伐した人物との接触を図ろうとしているみたいです」

「つまり……俺と?」

 アーサーは瞳を細めて考え込んでいました。
 あまり芳しい反応ではありませんでしたが、それは私も同じでした。

「はい。セシリア様は回復魔法を大の得意としていて、勇者パーティーには深く興味があるようです。そういう意味での視察もあるのでしょう。
 彼女の父親である国王様が乱暴に権力を利かせれば、セシリア様を僧侶にすることだってできるはずです。おそらく、アーサーと接触を図りたいのは噂の真意を確かめたいからだと思います」

 とまあ、長々とまとめましたが、実はあくまでも風の噂なので私にもよくわかりませんでした。
 未だアーサーが皆の注目を集めているのは事実でしたが、わざわざセシリア様がアカデミーに来訪するだなんて、少々怪しさを感じても不思議ではありません。

「接触は控えたほうがよさそうか?」

「その方が賢明かと」

「……そうか」

 アーサーはパンを口の中に放り込むと、面倒臭そうに立ち上がる。体を伸ばして嘆息している。

 普通は王女様の話題を出したら少しは反応するものですが、全くの無関心なのは彼の良いところなのでしょう。
 私もハイエルフの国の第三王女ではありますが、媚び諂うこともなく対等に接してくれるので非常に嬉しい限りです。

「ヴェルシュはどうするんだ?」

「私はこれでも賢者コースの首席でエルフの国の第三王女なので、セシリア様をお出迎えして付き添いをするようにとお達しが出ております」

 私は賢者にならなければいけないので、積極的に行動して評価を上げる必要があるのです。

 細かな条件が求められる勇者選定とは違い、賢者や僧侶、戦士はコース毎の最優秀者が選ばれることが常です。
 他にも勇者様が自ら仲間を決める習わしもあったりするみたいですが、具体的な選定方法については秘匿にされているので詳しくは誰も知りません。
 更に、ここ百年は勇者様自体が現れていないこともあり、その辺りの基準はかなり曖昧なのです。

 モルド様の話を信じるならば、勇者様と他三名が運命的に惹かれ合うものなのでしょうが、今のところそういった話は聞いたことがありません。
 だからこそ、何もかもがはっきりしない以上、常に優秀な成績を収め、品行方正を維持する必要があるのです。

「大変なんだな」

「それほどでも。とにかく、今日は外で剣の鍛錬をせずに部屋で大人しくしていて下さい。何があっても部屋の外へは出ないでくださいね?」

「いや、むしろ外へ出た方が人目につかないんじゃないか? 俺の部屋なんて調べられたらすぐバレるわけだし、敷地の外の森の中にでもいた方がマシだと思うが……」

「アーサーは単に剣を振りたいだけでは?」

 私がじっと見つめると、アーサーは居心地が悪そうに目を逸らしました。
 彼の視線は壁にかけられた剣に向けられており、外へ出たい意図が丸わかりでした。
 意外にも性格は素直なので分かりやすいです。

「……もちろん剣は持っていくが、それとは別として、部屋に閉じこもるよりは良い案だと思うけどな」

 やっぱり、アーサーは外に出たいらしいです。
 鬱憤が溜まっているのでしょう。
 それなら部屋に留まるよりは良い気がします。彼を部屋に閉じ込めておく権利は私にはありませんから。

「では、そうしましょう。セシリア様は夕方にはお帰りになられると思いますので、その時までは人目につかない場所で過ごしていてください。約束ですよ?」

「わかった」

 私が念を押すのも当然でした。

 ここ二週間は私と共に時間を過ごすことで、彼の悪い噂が徐々に収まり始めていましたが、やはりまだ彼に憎悪を向ける方々が多いのも事実でした。
 聴聞会でアーサーの罪は不問とされたのにも関わらずです。

 セシリア様の耳にもそれが届いているかもしれませんし、もしもそのことを聞かれたらしっかりと真実をお伝えしなければなりません。

 私はあの時、何もできなかった分、彼の為に頑張らないといけないのです。

「……では、私はこれで失礼します。あまり無理はしないでくださいね?」

 私はそれだけ言い残して部屋を後にしました。
 最後に見たアーサーの表情は、少しばかり明るくなっていて、外で剣を振れる喜びを肌で感じているようでした。

 剣の鍛錬を日課にしていて、毎日死に物狂いで努力を積む彼からすれば、何もしない時間は苦でしかなかったのでしょう。

 これからも彼の生活が脅かされるのは流石に可哀想なので、彼のためを思うなら、私が悪い噂を払拭しなければなりません。

 あの時、十五層で何も言えなかった私が、今度は彼のことを助けてあげる番です。

 



 ◇◇◇◇




 𝓒𝓱𝓪𝓷𝓰𝓮 𝓸𝓯 𝓹𝓮𝓻𝓼𝓹𝓮𝓬𝓽𝓲𝓿𝓮 ~𝓐𝓻𝓽𝓱𝓾𝓻~


 
 ヴェルシュと別れた後、剣を携えてアカデミーを抜け出していた。
 向かう先は、アルス王国から歩いて数十分程度の場所に位置している小さな森の中。

 そこはアカデミーが所有している土地で、演習目的に利用されることが多い。
 今日は第二王女のセシリアが来訪するからか、ひと気は全くない。
 正真正銘の一人きりになれる場所である。

 ここなら夕方まで存分に剣を振ることができる。
 おまけに森林という地理特性を活かし、障害物を用いた動きのある鍛錬を行える。

「始めよう」

 俺は森林の中心にある湖畔に足を運ぶ。
 早速、剣を振るう。

 上から下へ、右から左へ、ここ最近はまともに鍛錬に励めていなかったので、まずは感触を確かめながら振るっていく。

 腕はもちろん衰えていないが、軽いウォーミングアップは欠かさない。

 俺は魔法が使えない分、剣に全ての時間を充てることができる。
 一秒たりとも無駄にしない。
 限りある時間を大切にし、実りのある鍛錬を行うことがより重要となる。
 一つ一つの動作を丁寧かつ俊敏にこなし、まだ見ぬ強大なモンスターを想定した動きに移っていく。

 こうして全力で集中していると、滝のような汗が流れ出し、全身の筋肉が小刻みに震えているのがわかる。
 それでも休むことなく限界を追い求めることで、常に肉体と精神は成長を続ける。
 毎日の鍛錬を繰り返し、俺は日を追うごとに強くなる。

 ただひたすらに、がむしゃらに、誰に笑われようと、馬鹿にされようと、そんなのは知ったことではない。
 人目なんて気にしていたら努力はできないのだ。

 やがて、数時間後。
 空が赤く染まり始めたので、時刻は夕方ごろだろう。

 俺は剣を杖代わりにもたれかかり、息を整えていた。

「はぁはぁ……」

 相変わらず息が苦しく体が重い。
 体力は既に底をついていて、限界を超えていることがわかる。
 この感覚を味わうのはもう何度目だろうか。この苦しさを超えるたびに強くなった実感が湧く。
 きっと、勇者候補なんかじゃなかったら……魔王討伐への使命感なんてなかったら……こんな真似はできなかったと思う。

「……まだまだ、足りない」
 
 俺は勇者候補であるからか、魔王の強さはそれとなくわかっている。
 ついこの前、モルドのダンジョンに現れたイレギュラーモンスターとは訳が違う。今の俺と魔王では、おそらく大人と赤ん坊くらいの力量差が存在する。
 魔王を相手取るには今の力ではまるで足りないのだ。

「はぁぁぁ……」

 俺は大木に背を預けて座り込んだ。
 どれほどの努力を継続すれば魔王討伐を達成できるのか、百年前の勇者は魔王を追い詰めるためにどれだけ長く苦しい鍛錬を積んだのか……想像し難い。

 だが、先を思いやられることはない。
 待ち受ける苦難すらも糧にする。
 幸いと言うべきか、魔王の侵攻はとめどなく進んではいるものの、今すぐに戦闘参加を強いられるほどの脅威は差し迫っていない。
 
 猶予はある。時間が許す限り、俺は鍛錬を続ける。

 俺は少しの休息を挟むと、笑い続ける膝を動かし立ち上がった。
 刹那、背後の茂みが蠢いた事に気が付く。

「誰だ」

 俺は警戒心を露わにして体勢を整えた。

「——そんなに怖がらなくてもいいじゃんかよ。俺たちは同じ勇者コースの仲間だろ?」
「そうそう。警戒すんなって、な?」

 茂みから現れたのは、二人の男だった。
 どちらも名前は知らないが見覚えはある。
 確か、二人は双子で大商人の子息だったか。
 燻んだ銀髪は印象に残っている。
 腕っぷしはなくて頭もからっきし、アカデミーでは俺と同程度の成績だったはずだ。
 到底、勇者にはなり得ない存在だろう。

「……何の用だ。今は第二王女が来ているからこんな場所に顔を出す暇はないんじゃないか?」

 俺は疲弊の色を隠すことなく尋ねる。
 正直、平静を取り繕うほどの余裕は今の俺にはなかった。

「それがよ。オレ達の得意先だった貴族の子息が、ついこの前のあれで死んじまったからよ、そのせいでむしゃくしゃしてんだわ」
「父さんからは八つ当たりされるし、勇者候補に生まれたせいで毎日演習ばっかだし、とにかくイライラが止まらねえんだよ」

 二人は顔を見合わせて悪どい笑みを浮かべていた。
 武器は持っていないが、拳は固く握られており、これから何をされるのか目に見えてわかった。

 ここ最近はヴェルシュと共に行動していたから、こういうことは一度もなかったが……やはり、単独行動をすると当然のように起こりうるな。
 しかも、モルドのダンジョンの一件もあり、勘違いをした輩が襲って来るのは簡単に想像できた。

 仕方ないか。

「……好きにしろ」

 俺は背後に剣を投げ置いた。

「はぁ? もう降参かよ。つまんねぇし、ムカつく野郎だな。ヴェルシュさんに少し気に入られたからって良い気になるなよ」
「父さんはヴェルシュ家との商談も失敗して大変なんだぞ。お前が取り持ってくれるなら許してやってもいいぜ」

「お前らとヴェルシュ家の商談なんて、俺には何も関係がないことだ。手を貸すことはできない」

 とんちんかんな言い草は理解に及ばなかったので、適当に断りを入れておく。
 
「強がれるのは今のうちだぞ。やっちまうぞ」
「おう」

 二人は拳を構えて接近してきた。
 酷く鈍足で、もしも彼らがモンスターだったら一閃して戦いは終わることだろう。
 
 しかし、この攻撃は《《いつものように》》受け入れる。

 俺は防御も回避もしない。

「死ね!」

 乱暴に放たれた二つ拳は鳩尾と顔面に突き刺さる。

 俺は勢いのままに後方に吹き飛ばされるが、受け身を取って即座に立ち上がった。

 ほんの少しだけ痛い。口の中には血が溜まり、呼吸を困難にさせる。
 だが、それでいい。そうじゃないと意味がない。

「くそが!」

 今度は蹴りが飛んできた。それは俺の左右の脇腹に突き刺さり、俺は二人の足に挟み込まれるような形になる。

「ぐっ……」

 またもノーガードで攻撃を受けるが、俺は倒れない。
 一瞬のうちに呼吸を整えて、二人と向かい続ける。

 二人はそんな俺の様子を見て気持ち悪さでも覚えたのか、露骨に頬をひくつかせていた。
 まるで幽霊でも見たかのように。

「そんなものか?」

 俺が挑発的に笑みを浮かべると、今度は何も言わずに殴りかかってきた。

 脳天から足の指先まで、至る所を殴打される。
 骨の芯まで響くような拳の応酬は、俺の全身を完膚なきまでに痛めつける。
 
 それから十数分が経過した。

 俺は痛みに顔を歪めながらも二本の足を地につけて佇む一方で、目の前の二人は息を荒げて拳から血を流していた。

「……なんだよ、こいつ。剣技演習ん時もそうだけどよ、ネジがぶっとんでやがる」
「気色悪ぃな」

 何とでも言え。
 どうして、俺が誰からの攻撃にもやり返すことなく、ただひたすらに耐え続けているのか、その意図が分からないのだろう。

「もう、終わりか?」

 俺は口に溜まった血を吐き出してから尋ねる。
 顔面は大きく腫れていて呼吸が苦しくなっているが、ただ、それでも尚、俺はあえて挑発的な言い草を心がけた。

 二人はそんな俺の態度が気に食わないのか、苛立ちを隠すことなく互いに顔を合わせて頷く。

「任せろ。一瞬で殺してやる」

 一人が前に躍り出ると、全身に力を込め始めた。

 どうやら、勇者候補が持つ特殊能力を使うらしい。
 何となく雰囲気でわかる。

「まさか演習以外で、しかも人間相手に使う時が来るなんて思わなかったな。いくぜ!」

 男の全身からは、眩いばかりの金色の光が溢れ出てきた。
 神秘的に揺らめく光は儚げな美しさと底知れない力強さを感じさせた。
 これこそが、勇者候補が持つ特殊能力だ。

 演習での使用は許諾されているが、その力が強大きすぎるあまり、基本的には講師の許可がないと使用はできない。
 つまり、こんな森林の中で扱うのは当然のように禁止されているわけだ。

「——聖なる光よ、我が身に宿りて——」

 男は両手を合わせて瞳を閉じると、ぶつくさと詠唱を始める。
 その間にモンスターの攻撃を受けたら敗北は必至だが、そんなことは想定していないらしい。
 俺から反撃されることはないと踏んでいるようだ。

 実に呑気な考えだが……別にいい。

 俺も一度は特殊能力をその身に浴びてみたかった。


 やがて、一分ほどが経ち、ようやく詠唱が完成したのか、男はカッと目を見開き手のひらをこちらに向けると、得意げな顔で不敵に笑う。

「アーサー、てめぇはオレたちを怒らせた。憂さ晴らしに死んでもらうぜ!」

 言葉を吐き捨てると共に、男の眼前には聖なる光の色合いをした金色の鉄槌が顕現していた。

 これがこいつの特殊能力か。
 
 確かに……凄い力を孕んでいる。
 ただ、俺の想像よりは遥かに下だ。
 これでは魔王は倒せない。それどころか、先日のイレギュラーモンスターにすら致命傷を与えるのは不可能だろう。

「弱き者に鉄槌を! セイクリッド・パニッシュメント!」

 俺の思考を妨げるかのようにして、男は金色の鉄槌を横薙ぎに振るった。
 動きは遅い。ただ、広範囲に及ぶその一撃は、並のモンスターであれば容易に倒せる威力だろう。

 受けてみる価値がある。

 俺は防御や回避行動を取ることなく、モロに喰らった。左の脇腹に強い衝撃を覚えると、そのまま湖の中心部を目掛けて吹き飛ばされた。

 脱力した俺は宙を舞う。
 
 既に満身創痍の肉体に浴びたこの追撃は、相当なダメージが期待できる。
 ただ、再起するには時間を要しそうだ。

「……」

 俺は無言で顔を歪める。

 その最中、二人の男は喜びと焦りが混じったような表情で、ガッツポーズを見せている。

「よ、よっしゃぁ!」
「早くずらかるぞ! バレたらアカデミーにいられなくなる!」
「そうだな!」

 二人はそそくさと森から消えた。

 いつから俺のことを見ていたのか、それはわからない。
 ただ、俺への憎悪をむき出しにしていたことから、最初から俺を痛ぶることが目的だったのだとわかる。

「……ほんとに、それでも勇者候補かよ」

 呆れた俺は湖の中心へと落ちる。

 深い水中へ、まるで吸い込まれるようにして落下していく。
 徐々に光が遠のき、先ほど受けたダメージが痛みとして全身を駆け巡る。

 中々の一撃だった。
 普段の殴る蹴るの暴行も悪くないが、ああやって本気の攻撃を喰らうなんてそう経験できることではない。

「最高だ」

 水中で笑みをこぼした俺は、痛みに耐えながらも手足を動かし上を目指す。

 誰から攻撃を受けようとも一切抗わず、剣技演習では一方的に痛ぶられていたのには、明確な理由があった。


 それは——肉体の防御力と回復力、ひいては精神力を高める為だ。

 
 実戦の場では、モンスターや魔族、最終的には魔王との戦いが待ち受けているが、戦闘中に攻撃を喰らうのはかなりの痛手となる。
 なので、基本的には回避や防御を用いて、何とか攻撃を喰らわないようにするのが当然の判断だ。
 ただ、万が一がある。
 徹底的に集中して回避を続けようと、不意打ちや予期せぬ一撃を浴びることも考えられる。
 そんな時、ダメージを受けた経験がなければ、その時点で体は脆く崩れ去り、以降の戦闘が不利になる。
 回復魔法をかけてもらうにしても、一瞬の油断が命取りになるので、痛みに耐えておく鍛錬は必要不可欠だった。

 だから、俺はアカデミーに入学してからずっと、あえてダメージを負うために抗うことをやめた。
 勇者コースの連中から罵詈雑言を浴びせられようと、執拗な暴力を振るわれようと、賢者コースの連中から魔法の実験台にされようと、僧侶コースの連中から全身に異常をきたすような毒薬を盛られようと、戦士コースの連中からサンドバッグにされようと……。またある時には、演習と称して、複数の講師から木剣で嬲られようと……俺はただひたすらに耐え続けた。

 全ては今後のため。

 魔王討伐を成し遂げるため。

 攻撃を受けても立ち上がり、肉体の防御力を高める驚異的な回復力を身につけるために。

 最初は泣き叫びたくなるほど苦しかったが、一年間も繰り返すと徐々に慣れてきた。

 今ではある一定ラインまでであれば、肉体に負ったダメージは感じなくなったし、どんな酷い言葉を浴びせられようと何も思わなくなった。
 ポーカーフェイスにも磨きがかかり、たとえ再起困難な一撃を浴びようとも、平静を取り繕うことができる。

 
「……はぁぁはぁ……っっ……」

 俺は泳いで湖畔へと戻ると、仰向けになって息を荒げた。
 左の脇腹は大きく損傷しているようで、体は自由に動かせない。
 興味本位から勇者の特殊能力をモロに喰らうことにしたが、生身の人間が喰らうとこれほどのダメージがあるのかと実感する。
 あの男の性格からして特殊能力は全く洗練されていないのだろうが、それでもこの威力になるとは……鍛えたらどの程度まで伸びるだろうか。末恐ろしいな。
 
 何にせよ、このダメージは数日そこらで自然治癒するような感じではない。
 もう既に夕方を過ぎて空は暗くなり始めているし、ヴェルシュとの約束通りアカデミーに戻らないといけない。
 あまり心配をかけるとまた変な追及を受けてしまう。

 でも、体が満足に動かせない。

「……ダメだ」

 寝返りを打ち体勢を変えようとしたが、痛みが邪魔をして無理には動けそうにはなかった。
 這いつくばることも許されない。

 こんな時間にこんな森には誰も足を踏み入れないだろう。

 困り果てた俺は天を仰いで息を吐く。
 明日の朝には少しくらい回復することを祈ろう。放っておいても数日くらいなら死にはしないだろう。

「……?」

 俺が痛みに耐えて空を見ていると、……またもや茂みが蠢いた。何者かが森へとやってきたようだ。
 草木を踏みしめる足音は徐々に近くなっていく。
 さすがに、あの二人がまた戻ってきたら今度は抗えないが……今回は一人のようだった。

「——きみ、何であんなことをしたの?」

 やってきたのは、一人の女性だった。
 黒を基調として、白い装飾があしらわれたゴスロリ服を身に纏い、一つに結われた長い金髪は片方の肩からだらんと垂れ下がっている。
 女性は俺のことを上から覗き込み、不思議そうな面持ちで首を傾げている。

「……体が動かないから肩を貸してほしい」

 俺は質問の答えを返さずに、素直に助けを求めた。
 もしも女性がアカデミーの生徒なら俺のことを知っているはずなので、断られるのは明白だった。
 ただ、助けがなければどうしようもなかったのも事実だった。

「わぁー、酷い怪我だね。あれが勇者候補の特殊能力ってやつだよね……モンスターとか魔族じゃなくて人に撃つって凄いことするよね」

 女性は脇腹を凝視して驚いている様子だった。
 俺は自分の脇腹がよく見えないが、この様子だと目に見えるほどの酷い外傷がありそうだ。

「……なんでもいいから少し手を貸してくれ」

「いいよ。これでもあたしは回復魔法を使わせたら右に出る者がいないくらい優秀なんだから!」

「……頼む」

 回復魔法を使えるなら手っ取り早い。
 多少なりとも傷が癒えれば、ゆっくりでも歩いて帰ることができそうだ。

「——エクストラ・ヒール!」

 女性が即座に唱えたのは、最上級の回復魔法だった。
 アルス王国中を探し回っても、使えるのは数名しかいないとされる代物だ。
 歳は俺と同じくらいに見えるが、さぞ優秀な魔法使いなのだろう。

 おかげで、傷はみるみるうちに治っていく。
 痛みが引いていき、全身が軽くなり、朧げだった視界は徐々に鮮明になる。

「……助かった。ありがとう」

 立ち上がった俺は早々に謝辞を伝えた。
 回復魔法を浴びたのは初めての経験だったが、これほどまでに早急なリカバリーが可能だとは思わなかった。
 完全に治ったわけではないが、およそ一分ほどで全身の傷がほとんど癒えていた。
 失った体力や擦り切れた精神力が回復することはないが、外見上の傷は消えているように見える。
 
「いいよいいよ。でも、傷が深すぎて完全には治ってないと思うから無理はしないように!」

「わかった。それにしても凄いな」

「ふふんっ、だから優秀って言ったでしょ。きみこそ、脇腹が深く陥没して原型を留めないくらいの怪我を負っていたのに、普通に意識を保ってたからびっくりだよ! ほんとに人間? 逆に怖いんだけど」

 心の底から驚いているのか、俺の顔と全身を何度も見やっていた。

「……どうりで痛かったわけだ」

「ところで、きみはどうしてあんなことされてたのに抵抗しなかったの?」

「見てたのか?」

 集中していたのもあるが、最後は疲弊のせいで気配や視線には鈍感になっていたから、見られていたことに気付かなかった。

「うん。全部ね。なーんも抵抗しないから変だなーって思ったんだよね。どうして?」

「痛みに慣れるためだ」

 おそらく、この女性はアカデミーの生徒ではない。
 なぜこの場にいるのかはわからなかったが、隠すことでもないので素直に訳を話す。

「痛みに慣れる……? そんなことする必要はあるの?」

 随分と前のめりになってぐいぐい聞いてくるな。

「いざという時にダメージを負ったら一瞬の隙が生まれてしまう。そして、それが命取りになることもあるから、常に痛みには慣れておく必要があるんだ」
 
「凄いやり方だね。なんていうか、きみは注意深い性格なのかな」

「臆病なだけだ」

 俺のことを油断しない慎重な性格だと勘違いしているみたいだが、実際は怖がりで死ぬことが怖い臆病なだけだった。
 だから、細心の注意を払って事に臨む。

「ふーん……それより、きみはセイクリッドアカデミーの人?」

「ああ」

「コースは?」

「一応、勇者コースだ」

「へー! 勇者コースなんだぁ!」

「……そんなに珍しいか?」

 確かに勇者コースに所属していることをひけらかしながら街を歩けば、周囲からの注目を浴びることはあるらしい。良い意味でも悪い意味でも。

「ううん。あたしはさっきアカデミーに遊びに行ってきたばかりだし、勇者候補の人たちはたくさん見てきたよ。でも、みーんなパッとしないんだよね。
 見るからにやる気がなさそうだったし、本当に魔王討伐に行く気があるのかなぁって……想像と違うからびっくりしちゃったよ。それに結局は目的の人にも会えなかったし、あんな場所に行く意味なんてなかったね」

 女性は金髪を揺らしながら首を傾げていたが、俺はその言葉を聞いて一つの疑問が湧いていた。
 疑問というよりは確証に近いか。

「……今更だが、名前は?」

「あたしはセシリア・ルシルフル。一応、アルス王国の第二王女なんだけど、知ってるかな? 顔くらい見たことある? 見た目は割と目立つほうだと思うし、どうかな?」

「……」

 俺は苦笑するしかなかった。
 普段ならポーカーフェイスでやり過ごすところだが、今だけは心身に疲弊が溜まっているからそれも難しい。

「なに、その反応」

「いや……何でもない」

 ゴスロリ服の金髪の女性は、あのセシリアだった。今も疑り深い視線を向けてくる。
 理由はわからないが、俺のことを探していたというのは本当らしい。
 ヴェルシュからは接触を控えた方がいいと言われていたが……まさかこんな場所で会うことになるとは思いもしなかった。

「ねぇ、きみってさ……伸びかけの黒髪に黒い瞳、アカデミーの生徒に似つかわしくない質素な服……もしかして、噂のアーサーくんだったりする?」

「……」

 俺は息を呑んで口をつむぐ。しかし、一瞬口角が動いてしまったのか、それを見逃さなかったセシリアはパァッと晴れやかな顔になる。

「え、ほんと? アーサーくんなの? モルドのダンジョンでイレギュラーモンスターを倒したって噂の、あの!?」

 眼前に端正な顔が近づけられたのことで、俺は思わず目を逸らしてしまう。
 それは彼女にとって確信めいた反応だったらしく、もう否定するのは困難な状況だった。

「……ああ。俺は、アーサーだ」

「うわぁぁぁっ! まさかこんなところにいるなんて思わなかったよー!」

 セシリアは俺の両手を取ると、上下に勢いよく振って喜びを露わにしていた、
 てっきり責め立てられたりするのかと思っていたので予想外の反応だ。

「……嫌じゃないのか。俺のことが」

「どうして?」

「俺は田舎の出身で貴族じゃないし、本当にイレギュラーモンスターを倒したのかすら定かじゃないだろ? それに、悪い噂もたくさん流れてる。そんなやつと話していて嫌じゃないのか?」

 差別が横行するアカデミーであんな扱いを受ける俺と、アルス王国の第二王女である彼女が対等に接していいはずがなかった。

「地位とか権力とかそんなのあたしには関係ないよ。アカデミーの人たちがどう思ってるかは知らないけど、あたしはきみのことを探してたんだよ。だって凄いじゃん。推定B~Aランクのイレギュラーモンスターをたった一人で倒すなんてさ!」

「俺が倒したと本気で信じてるのか?」

「うん! だって、レミーユちゃんが言ってたもん!」

「あいつが?」

「そう。あの子、真面目で顔に出やすいから、問い詰めたらすぐに話してくれたよ。本当は後からあたしに教えてくれるつもりだったみたいだけど、気になったからグイグイ聞いちゃった!」

「……そっか」

 ヴェルシュなら有り得なくもないか。
 それほど親しい間柄ではないが、そう思ってしまう。
 俺もセシリアからグイグイ詰め寄られたら隠し事を白状してしまいそうだ。現に表情の変化を悟られてすぐに名前がバレたしな。

「うんうん。それで……本当に剣だけで倒したの?」

「まあ、そうだな」

「勇者の特殊能力を使わずに?」

「ああ」

 ヴェルシュが思いのほかペラペラと話したらしく、セシリアは知ったような口ぶりで聞いてくる。

「どうして? レミーユちゃんは何も知らないって言ってたけど、きみの能力は何? あたしに教えてよ」

「内緒だ」

「ふーん……そこまで隠すってことは、何か訳ありってこと? まさか能力を使わずに魔王を討伐するつもりなの?」

「まだわからない」

 特殊能力を使うか使わないかは現段階では何とも言えない。剣だけで済むならそれが最善だろう。

「どういう意味?」

「さあな」

「ちぇー、レミーユちゃんの言う通り本当に強情だね。でも、いいや。いつか教えてよね」

「いつか?」

 不満そうに頬を膨らませているが、そんな”いつか”なんて来ないと思う。

「うん。あたし、アカデミーの見学をして決意したんだ。勇者パーティーの僧侶になるってね。勇者はアーサーくんで、賢者はレミーユちゃん。戦士は……よくわからないけどそのうち見つけるよ!」

「悪いが、俺は誰かとパーティーを組むつもりはない」

 即座に断りを入れる。

「えー、絶対にパーティーを組んだ方がいいよ。魔王だけじゃなくて色んな強い魔族を相手にするんだから、一人で挑んだって勝てないよ?」

 続け様に尋ねてくるが、俺の考えは変わらない。

「どうなるかはやってみないとわからない」

「もしかして、それも勇者の特殊能力が関係しているとか?」

「……さあな」

 察しの良いセシリアの追求を俺は誤魔化した。
 色々と気になる性格なのかもしれない。初対面の相手にこんなに詰めてくるなんて中々だ。
 悪い人ではないと思うが。

「あ、そうそう。さっきの二人組いたでしょ? こんな場所で人間相手に特殊能力を使うのはダメだから捕まえようと思ったんだけど、いかんせん逃げ足が早くてね。取り逃しちゃった!」   

 あの二人組についてはどうでもよかったが、第二王女がその目で現場を目撃していたのであれば、裁かれるのは時間の問題か。
 俺からどうこうするつもりはないし、テキトーに話を流しておくか。

「どうでもいい。それより、帰らなくていいのか? 一人で来たわけじゃないだろ?」

 もう遅い時間だ。王女が一人で出歩くような空の明るさじゃない。

「あー、うん。帰りが遅いとパパがうるさいから今日はもう帰ろうかな……執事も待たせているしね。じゃ、またね?」

 セシリアは暗くなり始めた空を眺めて残念そうに呟くと、踵を返して小さく手を振ってくる。

「ああ。またな」

 また今度が訪れることはないと思うが、俺は手を振り返して別れを告げる。
 二人組のよくない行いを見てくれていたし、アカデミー内における俺の立場が少しは正常に戻れば幸いだな。

「パーティーか……」

 一人残された俺は嘆息する。

 ヴェルシュとセシリアが言っていた通り、やはり四人編成のパーティーを組むのが最善というのは確固たる事実だろう。
 各々が役割分担をして戦闘に臨んだ方が効率的に事を進められるし、要所の得意分野を活かした連携によって危険を減らすことができる。

 ただ、それは俺の持つ特殊能力に何も問題がなかった場合に限る。

 確実に魔王を倒すためには、特殊能力を使わざるを得ない場面が必ず到来してしまう。

 そうすれば……全員が死ぬ。パーティーを組めば、巻き込んでしまう。
 死ぬのは俺だけでいい。
 犠牲は少ないに越したことはないのだ。

 ましてや、一国を担えるほど優秀なヴェルシュやセシリアを巻き込むのは論外だ。

「もう少し、剣を振ってから帰るか」

 俺は地面に転がる剣を手に取る。
 
 魔王討伐を成し遂げたい。その気持ちは強いが、まだ剣の腕が及んでいない。
 死に物狂いで努力を積む必要がある。

 最悪、魔王の元にさえ辿り着くことができれば、 俺は剣の腕なんてなくても勝利を手にすることができる。その場合は身を滅ぼす事になるが。

 ただ、それは避けたかった。
 情けない事に、俺は死ぬのが怖い。
 先ほどセシリアにも告げた通り、俺は臆病だ。
 いくら勇者候補であるといえど、まだ見ぬ脅威に挑み、戦いの中で命を落とす恐怖は捨てられなかった。
 イレギュラーモンスターに立ち向かった時もそうだ。結果的に、剣のみで勝ちをものにすることができたが、その実は常に死の恐怖に怯えていた。
 
 気丈に振る舞ってはいるが、本当の俺は弱い。
 それは実力という面だけではない。

「もっと、もっと強くならないと

 俺は時間を忘れて剣を振り続けた。
 結局、ヴェルシュとの約束を守ることなく、帰還した頃には夜半過ぎになっていた。

 全ては魔王を討伐するためだ。
 俺は早くこの使命感から解放されたかった。

 日を追うごとに剣の腕に磨きがかかり、同時に勇者候補としての使命感が強くなっている実感が湧く。
 並行して心中には焦燥感と恐怖が芽生え始め、己が持つ強い使命感からの解放を望むようになる。
 魔王討伐を成し遂げたい気持ちが強い一方で、死に怯える実直な感情が増していくのがわかる。

 結局、俺も皆と同じだ。

 死にたくないんだ。

 死ぬのが怖いんだ。

 でも、増長していく使命感は止めることができない。
 早く、やり場のない使命感から解放されたかった。
 これは魔王討伐を成し遂げなければ収まることがない。

 だから、特殊能力は使わずに魔王を討伐する。
 そして、平和な世界が訪れたら、使命感に囚われずにのんびり生きてみたい。
 戦いの場からは遠く離れた地点で暮らしたい。

 父さんと母さんに、また会いたい。


 




 ◇◇◇◇◇






 𝓒𝓱𝓪𝓷𝓰𝓮 𝓸𝓯 𝓹𝓮𝓻𝓼𝓹𝓮𝓬𝓽𝓲𝓿𝓮 ~𝓒𝓮𝓬𝓲𝓵𝓲𝓪~



「つかれたー」
 
 夜もすっかり更けた頃。
 あたしはセイクリッドアカデミーから王宮に帰ってきた。

 噂の勇者候補アーサーくんにも会えたし、昔馴染みのレミーユちゃんと話すこともできた。
 アーサーくんに会う前までは残念な気持ちが強かったけど、今は凄く満足している。

 でも、なぜかお付きの執事メリヌスは呆れ顔だった。

「セシリアお嬢様」

「なーにー」

 帰ってきたばかりのあたしは楽しい気分で階段を上る。

「国王様が謁見の間へ来るようにと仰せでした」

「えー、パパと話したくないんだけど……どうせまたいつものでしょ?」

「さあ、詳しくは存じ上げません」

 メリヌスはしらばっくれていたけど、パパと仲良しだから訳を知ってるはず。
 どうせ、勇者パーティーを目指すのはやめろとか何とか言うのは目に見えていた。
 将来はお兄ちゃんがパパの後を継いで王様になるし、お姉ちゃんはどこかの国の王子様と結婚するだろうから、あたしは別に自由にしていて良いと思うの。
 なんでそんなに縛り付けるのかな。

「パパってば、そんなにあたしが勇者パーティーに入るのが嫌なのかなー」

「そういうわけではないかと思います。愛娘が健気に頑張る姿を望まない父親なんておりませんから」

「じゃあなんで?」

 立ち止まったあたしは後ろを向いてメリヌスに聞いた。
 メリヌスは、もう孫まで生まれた年齢のお祖父さんだから、聞いたことには何でも答えてくれる。

「簡単です。勇者が現れる保証がないからかと。過去、勇者の聖剣を抜けぬ本物の勇者ではない者たちを勇者パーティーと称し、魔王討伐を任せてみた事例は幾つかございますが、そのどれもがあっけなく失敗に終わっています。
 やはり、特殊能力を持っていようとも、聖剣がなければ魔王の元へ到達することすら難しいのです。それを踏まえると、現状は本物の勇者が現れていない以上、そのような危険な賭けにお嬢様を巻き込むなんて、国王様が許すはずがありませんからね」

 アルス王国だけじゃなくて他の国もそうだけど、何年に一度か勇者候補の中から本物の勇者じゃない人を、魔王討伐に赴かせることがある。

 もちろん魔王討伐に行ってみたい人を有志で募るんだけど、結果は全て失敗。
 魔王の元へ到達するどころか、その道中であっけなく皆殺しにされちゃうみたい。
 あたしの知り合いの騎士の人とか、他国の王子様もそれで死んじゃったことがある。

 でも、本物の勇者ならそうはならない。

「本物の勇者なら見つけたよ」

「はい? どちらで? お嬢様は辟易していたように見えましたが?」

「実はこっそり見つけてたんだよ。あたしはアーサーくんこそが勇者だと思う」

 ぼさっとした黒髪に中肉中背に見える普通の背格好の男の子。
 でも、二人組の男に嬲られている時から、ずっとアーサーくんの体幹は揺らいでいなかったし、むしろ確かな余裕を感じさせる出立ちだった。
 しかも、破けた服の隙間から見える肉体は生々しい傷だらけだったけど、異様なまでに発達していた。
 それはまさしく努力の賜物だった。
 アカデミーでぬくぬくと普通に過ごしていたら、ああはならないと思う。
 
 だって、アカデミーって優秀な人たちが集まるのはいいけど、みんな魔王討伐に行きたくないからやる気がないし、アカデミー側も慎重になりすぎてるせいで育成が上手くいってないしね。
 そんな場所にいてあんな風になるなんて、アーサーくんはかなり異質だよ。

「はてはて、それはまたどうしてそう思われたのですかな?」

「アーサーくんは真っ直ぐだったんだ」

「はぁ……よくわかりませんが、あまり国王様の心労になるような事は控えて下さいね。魔王の侵略は今も続いているのですから。」

「わかってるよ。でも、誰かが魔王を討伐しないとその侵略は止まらないんでしょ? あたしにはその覚悟があるよ」

 パパが疲れているのは知ってる。
 各国の偉い人と協力して、魔王の侵略を少しでも遅らせるために強い人材を派遣して戦いに向かわせているし、お金だってたくさん使っている。
 でも、それは一時凌ぎにしかならない。

 今こそ、勇者パーティーは必要とされている。

「セシリアお嬢様の回復魔法と補助魔法は一級品ですから、僧侶と呼ぶには相応しいでしょう」

「そうでしょー? そこにアーサーくんの剣とレミーユちゃんの攻撃魔法、いつか戦士の人を見つけ出してみんなで力を合わされば怖いものなしだよ」

 アーサーくんが剣を振る様子とかは見たことがないけど、推定B~Aランクのイレギュラーモンスターを倒したのなら疑う余地はなかった。
 レミーユちゃんの攻撃魔法が凄いのは色んな人から話を聞くし、実際に見た人も驚きすぎて言葉を失ったらしい。
 それくらい二人は凄い。だから、魔王討伐はできる気がする。

 あたしは意気揚々と階段を上る。

 そして、王宮の最上階にある謁見の間に到着した。

「パパー、話ってなに?」

 みんなはやめろと言うけれど、あたしはノックなんてしないでそのまま部屋に入った。

 だって、血の繋がった親子がそんなよそよそしいのは嫌だもん。

「……セシリア。メリヌスから聞いたが、 セイクリッドアカデミーに行っていたのか?」

 金ピカの玉座に座るパパは、足を組んで踏ん反り返っていた。
 何年か前までは綺麗な金色だった髪は、ストレスのせいか今では白髪混じりになって燻んでいる。

「うん。初めて行ってみたよ。悪い?」

「良いか悪いかで言えば悪い。お前は我の大切な娘なのだ。死にゆくことが確定している魔王討伐の旅に同行させる事はできぬ」

「だーかーらー! 何度も言ってるけど、こうやって誰かが行動に移さないとずっと戦況は変わらないんだよ?」

「その誰かはお前ではない。アカデミーにいる生徒たちのことだ」

 この押し問答は何度も何度も続けている。
 でも、今日はこの目でしっかりと見てきたから、新しい進展があるはず。

「アカデミーにいる人たちは魔王討伐に行くつもりなんて全くないよ。知らないの?」

「なぜそう思う?」

 不思議そうに聞いてきた。
 アルス王国直属の機関とは名ばかりで、国王のパパは内情を何もわかってない。

「今日、四つのコースの色んな人とたくさん話したんだ。みんな口では魔王討伐とか冒険とか旅とか何とか口にしてるけど、心の底から魔王討伐に行きたいって言ってる人なんて一人もいなかったよ。
 貴族たちはみーんなお家の事情でアカデミーに入ってるだけだし、勇者候補なんか特にそう。魔王討伐への使命感なんて殆どなくて、みんな力を自慢して将来のお婿さんを見つけるために入学しただけ。”誰かがやればいい”って、みんなそう思ってるんだよ。そんな人たちが魔王討伐に行くと思う?」

 あたしは半日かけてしっかり見聞してきた。
 みんな口では偉そうに言ってたけど、実際は誰も本音で話していなかった。
 レミーユちゃんからは強い意志を感じたけど、他はダメ。
 当たり前だけど、やっぱり死ぬのが怖いんだと思う。
 それはあたしも同じ。でも、誰かがやらないといけない。
 ずっとうじうじしてたら、魔王の侵略は止まらないし、滅ぶのを待つだけになっちゃうしね。
 
 でも、アーサーくんは本気だった。
 魔王を一人で倒すだなんて冗談みたいなことも言ってたけど、ぶれない心は間違いなく本物だった。
 彼は、彼だけは、本気で魔王を討伐しようとしている。

「……勇者候補は選ばれし存在だ。魔王討伐に行く義務がある。そこに一個人のやる気は加味されぬ」

「でも、本物の勇者はもう百年も現れてないよ? それに聖剣を抜けなかった人たちを魔王討伐に行かせても、全部失敗してるんだよね? アカデミーの勇者育成だって、慎重すぎて進展が見られないみたいだし……そもそもあの条件を満たせるような勇者候補が一人もいないのは、さすがにマズいんじゃないの?」

「っ……」

 パパは動揺して眉を顰めた。
 あたしの言葉が核心を抉ったんだと思う。
 みんなが目を背けているけどそれが事実。
 他国もそうだけど、呑気にアカデミーとか何とか言ってる場合じゃない。
 今は地位とか権力とか儀式とか何とか気にせずに、本当に実力のある人が選ばれるべきなんだよ。

 そもそも、勇者になる条件は聖剣を抜くことだけど、聖剣を抜く対象に選ばれるためにも条件がある。
 その細かな条件は全部で三つ。

 一つ、道徳的な資質や正義感を持ち、人々を守る意志を示すこと。

 二つ、重要な使命を果たすための冒険心や決断力を持つこと。
 
 三つ、勇気と犠牲を厭わない覚悟を持つこと。

 これを満たせる人が現れていないって事は、本当は誰も魔王討伐なんかに行きたくないって事。
 そして、アカデミーにいる人たちがみんなそうだったって事は、あんな場所に意味なんてないって事。

 でも、その中から、あたしは見つけた。

「一人だけ、本物の勇者になれそうな人がいるんだよね」

「其奴は……我に勧めるほどの逸材なのか? どこぞの貴族家の出自だ?」

「ううん。アーサーくんは、これまで話題作りのために勇者として名乗りをあげてきた貴族とは違うよ。少なくとも、あたしは彼こそが本物の勇者なんだって思うし、何よりもびびっときたからね」

 聖剣を抜けない勇者候補を勇者パーティーと称して魔王討伐へ赴かせたが、一様に全て位の高い貴族家の人間だった。
 彼らは自分の息子、娘が勇者パーティーの人間として力を証明すれば、更なる権力を獲得できると踏んでいたからだ。
 悲しいことに、結局は実力が伴わずに全滅する以外に道は無かったんだけどね。

「では、今すぐここへ連れてくるがよい。我が直接確認してやろう」

 パパはあたしに核心を突かれて少しだけムキになっているのか、思いのほか乗り気だった。
 けど、ここに連れてくるのはまだ早かった。

「んー、それはもう少し待ってほしいかな。あたしはまだアーサーくんの実力をこの目で見ているわけじゃないからね。
 でも、アーサーくんが本物の勇者になれそうっていうのは本当。むしろ、もう本物の勇者なのかもしれない。だから少しだけ時間がほしいかな」

 アーサーくんを一目見た時の直感でそう思っただけで、まだあたしは彼の本質を知らない。
 実力については、イレギュラーモンスターを討伐したし全く問題ないと思うけど、一度この目で直接確認してみたい気持ちもあった。

 それを知るにはもう少しだけ時間が必要だった。

「ふむ。よかろう。そこまでお前がアーサーとやらの実力を買っているのなら、一週間だけ時間をくれてやる。それまでに我が御前に其奴を連れてくるがよい」

 パパはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
 それはもう偉そうな口調だったけど、人を見下しているわけじゃなくていつものことだから別に気にしない。
 差別とかもしない人だから、多分アーサーくんのことを正しく評価してくれると思う。

 むしろ、あたしと同じく彼を見て直感するかもしれない。

 “アーサーくんが勇者になり得る素質を持つ人”なんだって。

「わかったよ。じゃあ、あたしは明日から一週間だけアカデミーで過ごすから、根回しだけよろしくねー。見学って感じでいいと思うよ。お部屋は寮の空いてるところを使うから」

「根回しはしておくが、外にいるメリヌスには事情を伝えておけ。無論、何かおかしな噂を耳にしたらすぐに連れ戻すからな。あそこには我が王宮から派遣している講師も何名かおるからな」

「うん。じゃあ、また一週間後ね」

 あたしはパパに別れを告げて謁見の間を出ると、部屋の外にいたメリヌスに事情を説明して自室へと戻った。

 明日からは、一週間だけアカデミーで過ごすことになる。
 そこでアーサーくんの実力を見させてもらおうかな。

 まあ、そんなの見なくても、あたしは彼こそが勇者だと思ってるけどね。




 ◇◇◇◇◇




 𝓒𝓱𝓪𝓷𝓰𝓮 𝓸𝓯 𝓹𝓮𝓻𝓼𝓹𝓮𝓬𝓽𝓲𝓿𝓮 ~𝓐𝓻𝓽𝓱𝓾𝓻~

 


 よくわからないが、剣技演習のために訓練場へ向かったら、なぜかそこにはセシリアがいた。

「アーサーくん、昨日ぶり!」

 セシリアはかなりフランクに挨拶してきた。

「……帰ったんじゃなかったのか」

 俺は小声で返す。
 剣技演習だから周囲には勇者コースと戦士コースの連中がいるし、セシリアと話すと目立って仕方がない。

「今日から一週間、アカデミーを見学させてもらうことになったんだ。昨日別れる時に言ったでしょ? またねって」

「はぁぁぁ……そういうことなら大人しくヴェルシュの元に行ったらどうだ?」

 何食わぬ顔で俺の隣に立っているが、行くならヴェルシュのところの方がいいと思う。
 多分、実りのない剣技演習を見てもがっかりするだろうからな。

「あたしはアーサーくんを見に来たの。それに、ここには勇者候補がたくさんいるし、この中から勇者が現れるかもしれないでしょ?」

 セシリアは華麗なウインクを魅せたが、俺は大きな溜め息が溢れそうになるほど呆れ返っていた、

「……俺なんか見ても、得られるものは何もないと思うけどな」

「アーサーくんのことはあたしがこの目で見て判断するから大丈夫だよ。それより、顔色が悪いのが気になるけど……それは元々かな?」

「寝不足だ」

 セシリアは至近距離から覗き込んできたが、俺は体を逸らして背を向ける。
 顔色のことはヴェルシュにも言われていたが、それは仕方がなかった。

「えー、夜はちゃんと寝ないとダメだよ?」

「眠れないから仕方ない」

「どうして? 夜更かししてるの?」

「違う。勇者候補はそういうものなんだよ」

 勇者候補ではない者にはわからないかもしれないが、どうしても体が疼いて眠りにつけない夜がある。

 毎晩、魔王と対峙する夢を見てしまい、数刻おきに目が覚める。使命感が強すぎるが故の弊害なのだろう。いつ何時でも、魔王討伐のことが頭から離れない。
 力を欲する体は自然と剣を求め、呪いのように心身を貪っていく。
 今ではそれが当たり前になっていた。

 魔王に挑むのも、戦うのも、死ぬのも……全てが怖いはずなのに、過大な使命感に抗うことができなかった。

「ふーん……レミーユちゃんも心配していたけど、あんまり無理したらダメだよ? 冒険中に体を壊したら大変だからね?」

「気をつけるよ」

 そうは言うものの、全てを終わらせるためには魔王を討伐するしかなかった。

「うんうん。何かあったらあたしに言ってね?
 魔法で眠らせてあげることもできるから!」

 セシリアは優しい笑みを浮かべると、訓練場の壁際に向かって歩いていった。
 本当に見学するつもりらしい。

 皆の気合が入っているのがわかる。
 
 タイプは違えど、セシリアもヴェルシュと同じく容姿端麗なので、そういう目的意識が強い男たちは盛り上がりを見せている。
 普段は気だるそうにヘラヘラしながらやってるのにな。

「仕方ないか」

 俺は嘆息して納得した。
 
 そして、剣技演習が始まる。

 内容は至ってシンプルだ。
 講師が適当に選んだ数名が木剣を持ちステージに上がり、ひたすらに斬り合うだけだ。
 勝敗の基準は特に定められていないが、大体は頭を打たれたりどこかを強く殴打されたらギブアップする者が多い。
 ちなみに、普段の俺は極限まで痛みに耐えてからギブアップすると決めている。
 もちろん本格的な反撃はしない。
 反撃してしまえば、貴族に手を上げたといちゃもんをつけられて面倒だし、何よりも手加減を誤れば向こうが死にかねない。

「——最初は、勇者コースのアーサーとレイモンド兄弟。ステージへ上がれ」

 まさかの一番手だった。
 俺は溜め息をグッと堪えてステージに上がる。

「アーサー。お前はいつの間にか第二王女のセシリア様と関わりを持っていたのか。ハイエルフのヴェルシュさんもそうだが、おかしいだろ! しかも何で無傷なんだ」
「そうだぞ! 僧侶コースの誰かに治させたのか。昨日はあんなに可愛がってやったのに」

 目が合って早々に因縁をつけてきたのは……思い出した。昨日の二人組の双子だ。
 何やら苛立ちを隠せていない様子だが、特にこちらからは話すことがない。
 
 いつも通りにしよう。
 セシリアは今から起こる生ぬるい演習を見てガッカリするといい。

「……始め!」

 講師がスタートの合図を切る。
 既に結果は見えているというのに。

「うりゃ!」
「せいっ!」

 レイモンド兄弟は二人同時に斬りかかってきたが、まだ初撃なので俺は軽く木剣で受け止めた。
 次に二人はまたも揃って木剣を振るってきたが、こちらも同様に受け止めて軽くいなす。

 本来、これは二対一ではなく、一対一対一のはずだが、そうはならないらしい。
 誰も口出ししないのはいつものことだった。

 このまま後少しだけ鍔迫り合いを演じたら、キリの良いところで攻撃を受け続けてギブアップするか。

 俺は心でそう決めて木剣を構え直した。
 レイモンド兄弟も同じ気持ちだったのか、瞳を細めて睨みつけてくる。

 しかし、俺とレイモンド兄弟の間には、いつの間にやらセシリアが割り込んできていた。
 胸の前で腕を組みながら、静かな足取りでステージの上を歩き回っている。周囲に視線を這わせ、不満を露わにしている。
 駄々をこねる子供のようだ。

「もう、呆れた! ねぇーぇ、きみはアカデミーの講師なんだよね?」

「は、はい! そうでありますが!」

 セシリアから指を差された男の講師は背筋を伸ばす。

「なんでこんなつまらない打ち合いをさせてるの? アーサーくんが見るからに手を抜いているのがわからないの? それともわざと? 彼が貴族じゃないからってこんな真似をしているの? ねぇ、答えて?」

「っ……そ、そんなつもりでは……」

 セシリアに詰め寄られたら講師は顔を青褪めさせると、それ以上は何も言えなくなる。
 それは周囲も同様で、予期せぬ展開に困惑を露わにしている。

「なに? 誰も答えられない?? じゃあこれからあたしの言う通りにして! 今から全員がアーサーくんと戦って! ルールは特にないから、とにかく本気でやってね! アーサーくんに勝った人は、あたしがパパに優秀な人材として推薦してあげるからね!」

 セシリアは手を叩いて仕切り直すと、講師を差し置いて自らが指示を出し始めた。
 この場にいる勇者コースと戦士コースの生徒は併せて三十名ほどだったが、俺を除き皆が顔を見合わせて動揺していた。

 しかし、有無を言わさぬ彼女の鋭い眼光と目に見えぬ圧は確かに届いたのか、気がついた頃には全員が首を縦に振っていた。
 国王に優秀な人材として推薦するという、特大級のサプライズがあるからだろう。

 やってくれたな。

「……セシリア、どういうことだ」

 俺はセシリアに近寄りこそこそと尋ねる。
 すると、彼女は得意げに胸を張る。

「ふふんっ! イレギュラーモンスターを倒したっていう、きみの実力を見させてもらうよ。軽く全員やっつけちゃってよ。手は抜かないでね?」

「はぁぁぁぁ……勝手なことをしてくれたな」

 周囲を巻き込んだ以上、既に取り返しのつかない状況になっていた。
 皆が殺気立った目で俺のことを睨みつけており、普段とは違うギアのあげ方をしている。

「じゃあ、準備できた人から適当にステージに上がってねー。合図は出さないから勝手に始めちゃって?」

 セシリアは元々こういう性格なのだろう。呑気な口振りでそれだけ言うと、ステージを降りて再び壁際に背を預けた。
 ヴェルシュの母が彼女からヴェルシュを遠ざけようとした理由も頷ける。良い意味でも悪い意味でも貴族らしくない。

「ったく……」

 俺は木剣を握り直して感触を確かめると、眼前に立つレイモンド兄弟と向かい合った。

「お前たちは二人同時でいいぞ」

 セシリアの言っていた通り、合図なんてものはない。

「っ!」
「なめんな!」

 レイモンド兄弟は先ほどとは違い、彼らなりの全力を出して駆け出してきた。
 しかし、俺にとっては遅すぎた。

 二人の一撃を即座に回避し懐に潜り込んだ俺は、勢いのままに鳩尾目掛けて峰打ちを放つ。
 その間、僅か一秒足らず。

 相手にならない。

 二人は口から泡を吹いて倒れ伏した。既に戦闘不能だ。

「おー、やるねぇ! 次! 早く早く!」

 セシリアは興奮した面持ちで拍手していた。

 それからは早かった。

 ステージに上がってきた相手を五秒以内でノックアウトしていく単純な作業が続いた。

 やがて、十分程度が経過すると、ステージ上には俺一人だけが立っていた。

 時間に置き去られた講師は呆然として固まっている。

「うんうん! アーサーくん、やっぱりきみは強いよね。その無駄のない動きとブレない体幹の軸、そして卓越した剣の技……どれをとってもあたしが見てきた中でナンバーワンだよ」

 セシリアはそれはもう楽しげな表情だった。

「……そりゃどうも。それで、わざわざこんなことをさせた理由は何だ? まさかこんなことで俺の悪評を無に還そうって思ってるのか?」
 
 俺には彼女の思惑がわからない。

「それもあるけど本題は別だよ。外で話そっか。アーサーくんのこと借りるね」

「は、はい! ど、どうぞ……」

 講師はそれしか口にすることができず、視線をギョロつかせるばかりだった。

「じゃ、いこっか」

 俺はセシリアに手を引かれて訓練場の外へ出る。

 そして、どこへ向かうでもなく、建物の周りを歩きながら会話をする。

「……それで?」

「あたしがアカデミーの見学をしている理由だよね。知りたい?」

「そりゃあな」

「昨日、パパと勇者についての話をしたんだ」

「パパ……国王と?」

 セシリアの父親となると国王しかいない。
 何やら俺が知らぬ間に大それた話になっていそうだ。

「そう。もう百年も勇者が現れてない状況なのに、魔王の侵略は進み続けていて人類の存続は危ぶまれているでしょ?」

「ああ」

 周知の事実だ。侵略を止めるには親玉である魔王を倒すしかない。だが、人類は勇者という救世主が現れないからそれができていない。

「だから、勇者の選定は何よりも急がないといけないよね。でも、あたしが見た限りだと勇者になって魔王を討伐したいと思う人なんて、アカデミーにはいなかった。しかも、アカデミーの育成は慎重すぎるし遅すぎるよね。まともにモンスターと対峙する機会が少ないから演習は見ての通りだったし……正直、きみを除いて勇者コースの人たちはみんな失格だね」

「……」

 セシリアから見た俺の評価は存外に高いらしい。
 何をしたわけでもないが、彼女にはそう思う理由があるのかもしれない。
 ヴェルシュはそれを直感と呼んでいたが。

「あたしは知りたかったんだ。たった一人でイレギュラーモンスターを討伐したのに、耳を塞ぎたくなるような酷い噂を流布されている人がどんな人なのか。そして、その人はどれほどまでに強い力を持っているのか……。それを確かめる為にさっきは少し頑張ってもらっちゃったけど、おかげでわかったよ。アーサーくん、きみは強いね」

 セシリアは横目でこちらを見てきた。
 期待するような意味合いが込められている。
 ただ、そんな期待をかけられても、俺は勇者になり得るほど優れた人間じゃない。

「過信しすぎだ」

「ううん。きみは強いんだよ。誰よりもね。きっと、その剣は魔王にも届きうる」

「今の俺の剣では、魔王には到底届かない。俺には分かる。魔王はそんなに甘くない」

 考えるまでもなく俺は否定した。
 これは勇者候補にしかわからない感覚なのだろう。
 百年前の勇者が魔王討伐に失敗したように、今の俺が魔王に挑んでも破滅するのが目に見えている。

 命は一つしかないから何度も挑戦できるわけではない。たった一度のチャンスをものにしてこそ勇者なんだ。

「剣がダメなら勇者の特殊能力を使えばいいし、賢者の攻撃魔法と僧侶の回復魔法と補助魔法、戦士の防御力、精神力があれば、ピンチが起きても何とかなるかもしれないよ? 一人よりも四人いた方が強いからね!」

 何度も言うように、その言い分は俺ではない誰かが勇者だった場合に限られる。

「俺の特殊能力はそんな生半可な気持ちで使えるもんじゃないんだよ。使うには相応の覚悟がいるんだ。そして、覚悟を決めるのはもちろん今じゃないし、魔王討伐を目指す道中でもない。
 魔王以外の敵に追い込まれた時なんてもっと論外だ。俺は最後の最後に……なす術がない時、覚悟を決めなければならないんだよ」

「意味がわからないね……その覚悟ってなんなの?」

「決意を固めて滅びることだ」

 俺が覚悟を決めた時、それは全てが滅びる時。
 俺は戦うのも死ぬのも怖い。
 だから、そんなことが起きないように剣の腕を磨き続ける。
 剣があれば、剣で勝れば、剣が魔王の心臓に届けば、負けることはないのだから。

 勝利を手にすれば、使命感から解放されて楽になることができる。
 父さんと母さんの元へ帰って、平和な暮らしを送ることができる。

「え? それってどういう——」
「——とにかく、俺は誰ともパーティーを組むつもりはない。無論、国王の頼みでもな」

 これでセシリアが折れてくれると助かる。
 ヴェルシュもそうだが、彼女も彼女で中々に強引だ。
 俺の話を聞いてるようで聞いてない。

「そう。でも、あたしは諦めないよ!」

「はぁ? 俺の話を聞いてたか?」

 案の定と言うべきか、セシリアは意固地になって突っぱねてきた。

「うん。レミーユちゃんも言ってたけど、やっぱり勇者はきみしかいない。パパも一目見たら信じてくれるはずだよ。アーサーくんこそ、夢にまで見た本物の勇者なんだってね! 聖剣を抜いて魔王討伐に行くのはきみなんだよ!」

 セシリアは俺の前に立つと、瞳を捉えて離さずじっと見つめてきた。
 力強い視線は確かな意思表示を感じる。
 それほどまでに俺が勇者であると信じているのかもしれない。
 ヴェルシュも同じだが、何をどう見たら俺を本物の勇者だと思うのか。

 聖剣を抜き、聖剣の力を手にすることができれば、魔王討伐に一歩近づくのは自明だ。
 しかし、俺はそもそも聖剣に期待なんてしていない。

「どうして、そこまで俺を勇者だと信じられるんだ?」

 理由を尋ねてみることにした。

「よくわからないけど、びびっときたんだよ。もちろん、剣技とか体つきとか……色々判断材料はあるんだけどね。でも、やっぱり一番は直感だね」

「……直感か。ヴェルシュと同じことを言うんだな」

 勇者を選定するという重大な局面において、俺のことを一目見てそう感じたのなら二人とも少しばかりおかしいような気がする。
 過去の文献で賢者モルドも勇者の選定方法について言及してはいたが、その信憑性は疑われている。

「うん。レミーユちゃんは賢者モルドの遠縁だし、あたしだって勇者パーティーの僧侶だった人が祖先にいるよ。だから、直感は正しいと思うんだ!」

「……それは初耳だな」

 セシリアは何の気なしに口にしたが、それは直感という曖昧な判断の信憑性が増した瞬間だった。

「あれ、レミーユちゃんから聞いてないの?」

「あまりそういう話はしてないからな」

「そっ……とにかく、あたしもレミーユちゃんも生半可な気持ちで言ってるわけじゃないってことはわかってね? 直感を信じるのにも理由があるってことだよ。聖剣を持った勇者に怖いものなんてないよ!」

 セシリアは俺の胸を指で小突きながら微笑む。
 妖艶ながらもクールなヴェルシュとは違って、王女らしからぬお転婆さは彼女特有だろう。
 全く嘘をついているように見えない。

 だからこそ、勇者の特殊能力と聖剣の力を過信している事が危ぶまれる。

「……あまり聖剣には期待するな」

 俺は踵を返す。
 いくら彼女らの祖先に賢者と僧侶がいて、直感で俺のことを勇者だと判断しようとも、俺は一人で魔王の元へ向かう。その意思は変わらない。

「どこかに行くの?」

「部屋に戻る」

 剣技演習があんな形で終わったので、今日はもうやる事が何もない。
 この後に控える魔法演習は欠席する。午後は座学があったがそんな気分でもなかった。

「絶対諦めないからねー! 必ず王宮に連れていくからねー! パパだってきみのことを認めてくれるはずなんだからっ!」

 背後でセシリアが叫んでいた。
 王宮か。国王に会えば、聖剣の場所や魔王に関する詳細な情報を得られるのだろう。
 そして、聖剣を抜くことができれば勇者としての命を与えられることになる。
 
「……」

 部屋へと戻る。

 本能的に勇者になりたいのは事実だが、その肩書き自体は全くもって重要ではない。
 魔王を討伐する事で得られる地位や名声なんて欲しくはない。
 勇者が目立つのは御伽話の世界だけで十分だ。
 俺が成し遂げたいのは、魔王討伐だけだ。

 魔王討伐を成し遂げたら、平和な場所でのんびりと暮らす。
 俺は勇者候補としての使命感から解放されたい。
 一刻も早く、焦燥感と恐怖に支配される生き方を終わらせたい。

 だから、俺は生き残る。
 剣で魔王を討伐する。

「……」

 ベッドに入り瞳を閉じた。

 やがて、いつものように浅い眠りから目を覚ますと、既に外には夜の帳が下りていた。

 いつものように剣を振る為に外へ出ると、珍しく王宮の騎士がアカデミーに来訪しており、騎士は講師陣と何やら会話を交わしていた。
 何の気なしに俺は会話を盗み聞きしていたのだが、そこである情報を耳にする。

 それは、俺のことを即座に駆り立てるには十分過ぎた。

 気がつけば、俺は人目を憚らずにアカデミーを抜けて王宮を目指して駆け出していた。

 十年前に別れを告げた家族の存在が俺を駆り立てた。
 助けてあげたかった。
 それは勇者候補としてじゃない。
 俺は家族のために剣を振るいたかった。
 そのために国王に頭を下げた。
 
 やがて、俺は馬に飛び乗り、アルス王国から抜け出した。


 

 ◇◇◇◇◇

 


 𝓒𝓱𝓪𝓷𝓰𝓮 𝓸𝓯 𝓹𝓮𝓻𝓼𝓹𝓮𝓬𝓽𝓲𝓿𝓮 ~𝓒𝓮𝓬𝓲𝓵𝓲𝓪~




 アーサーくんはやっぱり勇者だった!

 間違いない!

 あたしの直感は正しかった!

 でも、彼は勇者パーティーには全く興味がなかった。
 なのに、魔王討伐に対する意欲だけは異常なまでに高くて、不思議な感じがした。

 まるで、何かに取り憑かれているかのように、一人で魔王を討伐することに固執していた。

 その原因は何かわからないけど、やっぱりおかしいのは確かだった。

 きっと特殊能力が関係しているんだと思う。

 その話題を出した時の反応が明らかに変わっていたから。きっとそう。

『覚悟を決めるということは決意を固めて滅びること』

 滅びるってどういうこと?
 それくらい懸命に戦うってこと?
 言葉の意味がよくわからないけど、どこか不穏で嫌な感じがする。
 多分、あたしが考えている以上に、アーサーくんが持つ特殊能力は厄介なんだと思う。

 だから、あたしは彼のことをよく知るハイエルフの元を訪ねていた。

「ねぇ、レミーユちゃん」

「夕方のゆったりした時間だというのに、わざわざ私の部屋まで来て何の用ですか? セシリア様」

「様はいらないって、ね?」

「はいはい。セシリア」

 レミーユちゃんは呆れた面持ちで答える。
 真面目な性格だから、あたしと話すのは少し疲れるみたい。

「うんうん。それで……アーサーくんの事なんだけど」

「アーサーですか? 随分と執着していますね。聞きましたよ。今日の剣技演習でおかしなことをしたのでしょう?」

 睨みつけられちゃった。
 賢者コースのレミーユちゃんの耳にも届いてるってことは、かなり話題になっちゃったみたい。

「まあねー。でも、そのおかげでアーサーくんの強さがわかったし、彼が勇者なんだって確信を持てたよ」

「……貴女もそう思いましたか?」

「うん。アーサーくんは勇者だと思うよ。本人は否定してたけどね」

 レミーユちゃんも同じ考えらしい。
 やっぱり、アーサーくんは勇者だよね。

「ですね。彼はその資質があると思います。ただ田舎者で貴族ではないので選定される可能性は限りなくゼロに近いですがね」

「あっ、それなら安心して。パパには話を通してあるし、そんな悠長な勇者の選び方なんてしてられないでしょ? あたしはずっと思ってたけど、みんな変な慣習に従いすぎなんだよ。パパがアーサーくんを見たら、すぐにわかってくれるはずだしね」

「はい? 国王様に話を通されたのですか? つまり、もしもアーサーが首を縦に振れば、新たな勇者が誕生する可能性があるということですか?」

「そうだよー。晴れてアーサーくんが聖剣を抜けたら、本物の勇者が百年ぶりに現れたってことになるんだ!」

 レミーユちゃんは驚いているみたいだけど、本物の勇者であろうアーサーくんをミスミス逃すわけにはいかなかった。

 くだらない慣習に従うなら、勇者の誕生は結構面倒な道を進まないといけないけれど、国王であるパパが暗躍すればどうにでもなると思う。
 そもそも、百年も勇者が現れてないんだし、そんな悠長にしていられるほど人類には余裕がないからね。 

 アーサーくんが聖剣を持てばそれこそ百人力だと思う。

「……勇者パーティーについては何かおっしゃられてましたか?」

「一人で魔王を討伐することに固執しているみたいだったよ。勇者パーティーの話をしたらやんわり断られちゃったし、なんでだろうね? あたしたちの祖先に賢者と僧侶がいることを話したら驚いてはいたけど」

「そうですか」

 レミーユちゃんは特に驚くわけでもなかった。
 自分も断られたからに違いない。

「うん。勇者がアーサーくん、賢者がレミーユちゃん、僧侶があたし……って話をしたんだけど、国王であるパパの頼みでもパーティーは組まないって言われて断られちゃった。何であんなに意固地になるんだろうね。何か理由があるのかなー?」

「貴女も察しているかと思いますが、おそらく彼が持つ特殊能力が関係しているのだと思いますよ」

「だよねー。でも、詳しくは何も教えてくれなかったよ。レミーユちゃんも何も知らないんだもんね?」

「ええ」

 レミーユちゃんも知らないし、あたしが聞いても教えてくれないとなれば、もう打つ手はない。

 仲を深めて教えてくれるような感じでもなかったし……

 でも、アーサーくんは、特殊能力が無くても魔王討伐を成し遂げられるように、剣の腕を磨いているって話をしていたはず。
 そんな彼が聖剣を手にすれば、魔王なんて簡単に倒せそうな気がする。

「アーサーくんは聖剣を抜けるのかなー?」

 おもむろに聞いてみた。

「さあ、どうでしょうか。本人は興味がなさそうでしたよ」

「えー! 聖剣だよ? 持つだけで強くなれるんだよ? アーサーくんの剣技が合わされば怖いもの無しじゃないの?」

 大地を割り、空を裂き、あらゆるモンスターを両断する。それが聖剣だ。勇者しか扱えないそれは恐ろしいほど強いという言い伝えがある。

 聖剣の力を使えば魔王討伐は簡単になると思う。

「私もそう思いますが、彼は寝る間も惜しんで、肉体と精神を極限まで追い詰める程の努力に励んでいます。なので、彼は今の自分が魔王に敵う実力なのかどうかくらいわかっているかと思いますよ」

「寝不足って言ってたけど、やっぱりすっごい必死に努力してるんだね」

「ええ。怖いくらいに剣ばかり振ってますよ」

「勇者候補ってそういうものなのかな。でも、何も剣だけで倒すことだけに拘らなくてもいいのにねー」

 能力がどうであれ、剣だけじゃなくてパーティーを編成すれば倒せるかもしれないのに、アーサーくんはそれすらもしたがらない。

「そうですね」

「はぁ……じゃあ、結局はアーサーくんの判断次第なのかな。パパが命令してもあっさり断っちゃいそうだしね」

「彼を突き動かすような強いきっかけでもない限り難しいでしょうね」

 ゴールが見つからないまま会話は途切れた。

 レミーユちゃんの知恵を借りてみても、アーサーくんのことを説得するのは難しそうだった。

 いっそのこと外堀を埋めてみる?
 戦士になれそうな人をどっかから引っ張ってきて、勇者パーティーはもう完成間近な状態にしちゃって……まあ、それはダメだね。
 アーサーくんの意思を無視してやるのはさすがに違うよね。

 どうしよ。

 困ったな。

「そういえば……」

「なになに?」

 おもむろに口を開いたレミーユちゃんに聞き返す。
 顎に手を当てて、考え込むような顔つきだった。
 アーサーくんに関連した話かな?

「これまで長期にわたって侵略を食い止めていた最前線が数日前に突破されたようですよ。何かご存知ですか?」

「うーん……」

 全然アーサーくんとは関係のない話だったけど、かなり深刻を極める話だった。

「現在、魔族たちはクロノワール山脈に停滞しているようです」

「クロノワール山脈って、アルス王国から馬車で一ヶ月くらいかかる場所だよね? どうしてそんな場所に留まってるの? あの辺りには人里なんてなかったような気がするけど……」

「地図には載っていませんが、実は山の麓に小さな村があるとか。なぜそこに魔族たちが留まっているのかというと、村の救援に来た騎士団などを上から襲うためだと言われてます。中々に卑怯な戦法ですが、村の壊滅を易々見過ごすこともできず戦況は均衡しているわけですね」

「んー……残酷なことを言うようで悪いけど、小さな村なら戦略的に見捨てるってことはできなかったのかな?」

「それができないみたいです。どうやらクロノワール山脈には無数の資源が手付かずのまま眠っているらしく、それを取られるわけにはいかないのだとか」

「じゃあ、そこを守れるかどうかで今後が左右されるんだねー」

 単なる小さな村なら、見捨ててしまった方が戦略的なメリットがありそうだったけど、山に資源が眠っているなら取られるわけにはいかない。
 鉱石なら武器や防具の素材になるだろうし、山なら鉱石以外にも自然の食材がたくさんありそうだしね。
 何よりも標高が高い山脈を取られちゃえば、そこを拠点にされて周辺地域は確実に占領される。

「はい。まだ離れているとはいえ、そう遠くない未来にアルス王国にも攻撃がくるかと思われるので、私たちも気を抜いてはいられません」

「やっぱりうかうかしていられないね……あっ、そういえばさ」

「何か?」

「アーサーくんの故郷って無事なのかな? うちの執事に調べてもらったんだけど、彼って田舎の村から追放されてアルス王国に来たんでしょ?」

 ふと思った。
 辺境の田舎の村であれば、あっという間に侵略されてしまいそうだ。

「ええ。生まれながらに厳しい環境だったみたいです。五歳の時に村から見放され、奇跡的にここへ辿り着いたと彼は話してくれました。そんな中、家族だけは守ってくれたみたいで、彼は大切な家族と会いたそうにしていましたね」

 レミーユちゃんは悲しげな面持ちだった。
 端的にしかわからないけど、きっとアーサーくんはあたしの想像もつかないような相当辛い過去を持っている。

 勇者パーティーを編成したら旅は長くなるだろうし、いつか本人の口から聞いてみたい。

「とにかく、私たちは早急に彼と接触を図らないといけないわけですが、生憎今晩はもう遅いですし、明日は演習が詰め込まれていて放課後までは時間を作れそうにありません」

 レミーユちゃんは一つ手を叩いて空気を改める。

「じゃあ、明日の午後はアーサーくんのところに突撃しよっか。パパからは一週間の猶予をもらっているから、そんなに急がなくても大丈夫だしね」

「はい。午後になると、彼は決まって寮の建物裏で剣の鍛錬をするので、その時にでも突撃しましょう。ちょうどそこの窓から見えるあの位置です」

「うん!」

 明日の予定が決まった。
 魔王の軍勢の侵略が進んでいる以上、悠長にはしていられない。アーサーくんには事情を伝えて、何とか説得を試みるつもりだ。

 彼は優しいところがあると思うから、人情を揺さぶれたら首を縦に振ってくれるかもしれない。

 本当は今晩が良かったけど、あたしも慣れない環境のせいで疲れているから少し休みたかったし、明日はアカデミーの偉い人とお茶会があるからどのみち放課後までは時間を取れそうになかった。

 とにかく、明日はアーサーくんに突撃しにいこう!




 翌日の午後。

 あたしとレミーユちゃんは寮の建物裏に足を運んだけど、そこにアーサーくんの姿はなかった。

「……おかしいですね。剣に飢えた彼が鍛錬を怠るはずがないのですが」

「どこに行ったんだろうね」

 平坦で何もない建物の裏には隠れられるような場所はない。小さな木とベンチくらいしかないし、そこには誰もいない。
 たまたまここには来てないのかな?

「そういえば……昨晩も彼は鍛錬をしていませんでしたね。となると、もしかしたら疲れてお昼寝でもしているのかもしれません。例の件のせいで少し気疲れしていたようにも見えましたから」

「部屋に行ってみよっか。案内して?」

「ええ」
 
 レミーユちゃんはなんて事のない様子だったけど、あたしには嫌な予感がしていた。

 すると、案の定、アーサーくんの部屋はもぬけの殻だった。
 ベッドや椅子の座面は冷たいから、近々で部屋にいた可能性はかなり低い。

「……おかしいね」

 閑散とした小さな部屋の中。あたしは呟いて、レミーユちゃんと視線を交わす。

「ここにもいないとなると……アーサーが行く場所……すみません。ちょっとわかりませんね。彼は毎日欠かさずあそこで剣を振っていたので、それ以外の時間は部屋でしか過ごしていないはずですから」

 レミーユちゃんにもわからないらしい。
 それならあたしはもっとわからない。

 二人で並んで考え込む。

 すると、レミーユちゃんは部屋を見回して何かに気がついた。

「あ……あれ? アーサーの剣がありません」

「剣?」

「いつもは壁にかけられているのですが、それが無いのです。しかも、演習の時にしか装備しない革鎧とローブもありませんし、埃をかぶった小さめのバックパックもないですね」

「……ちょっと、おかしいかもね」

 あたしとレミーユちゃんは、揃って怪訝な面持ちになった。
 剣だけじゃなくて演習の時にしか装備しない革鎧とローブ、バックパックがないということは、どこかへ外出しているのは間違いなさそうだった。

 でも……アーサーくんは周囲から注目される存在だったはずだし、そんなことをすればすぐに誰かに気付かれるはず。

 もしかしたら、周りの人に聞けば何かわかるかもしれないね。

「ねぇ、ちょっといいかな」

 迷わず部屋を出たあたしは、たまたま目の前を通りがかった女の子に声をかけた。

「っ! セシリア様!? わ、わたしに何か用ですか!?」

「あ、ごめんね。びっくりさせちゃって。一つ聞きたかったんだけどいい?」

 あたしは適当にお詫びをしてからすぐに本題に入る。

「は、はい……何か?」

「黒髪でズボラな格好をした男の子って見なかった? アーサーくんっていう人なんだけど、この部屋を使ってる勇者候補の人」

「あっ、噂の彼ですか?」

 女の子はその特徴でピンときたようだった。

「そうそう。知らない?」

「えーっと……今日は見ていませんね。おそらくまだ帰ってきてないのでは?」

「帰ってきてない!? それってどういう意味かな!」

 あたしは即座に聞き返す。
 この女の子は何か知っていそうだった。

「え、あ……昨日の夜、夕食終わりの時間だったと思いますが、血相を変えて部屋から走って出て行ったんです。他の人がそんな真似をしてたらおかしいなぁって思うんですが、彼は一人で過ごすことが多い風変わりな人だったので、話しかけたりはしませんでした……もしかして、彼に何かあったのですか?」

 あたしが高圧的に詰めてしまったもんだから、女の子はびくびくしながら答えてくれた。
 ごめんね。今は朗らかな雰囲気ばかりではいられないんだ。

「ううん。なんでもないよ。じゃあ、アーサーくんは部屋を飛び出して行ったっきり、一度もこの部屋には帰ってきてないんだね?」

「お、おそらく……」

「わかったよ。ありがとっ! レミーユちゃん、行くよ!」

 それだけわかればいい。
 あたしは女の子に感謝を伝えると、すぐさま後ろにいたレミーユちゃんに声をかけて返事を聞く前に走り出した。

「ちょっと! セシリア!?」

 レミーユちゃんは焦りながらも追走してくるけど、今は止まって説明している暇はなかった。

 アーサーくんがどこに行ったのかはわからなかったけど、とにかくアカデミーから飛び出したっていうのは本当みたい。
 街の方に行ったのかな? といってもかなり広いし、アーサーくんを探すのは難しいね。
 じゃあ、彼の行きそうな場所に当たりをつけて探すしかないかな。

 でも、あたしは彼との付き合いが短いし、レミーユちゃんも彼のプライベートは全く知らなさそうだった。

「……まさか」

 あたしはふと閃いた。

「何かわかったのですか?」

 追いついたレミーユちゃんが走りながら聞いてくる。

「王宮に行ったのかも! アーサーくんは心変わりしたんだよ!」

「まさか」

 レミーユちゃんは信じられないといった様子だったけど、可能性としてはそれが一番高かった。

「それ以外にアカデミーを抜け出す理由がある? 日課の鍛錬を休んでまで、呑気に街に買い物なんて行くわけがないし、絶対に王宮に行ったに決まってるよ!」

 アーサーくんの様子を思い出す。頻繁に買い物をする性格ではないと思うし、むしろ剣にしか興味がないタイプだと思う。
 だからこそ、街へ飛び出す理由は限られた。

「確かに……でも、急に王宮に行くなんておかしくありませんか?」

「あたしが色々と話したから、それで王宮に向かったのかも。理由はわからないけど……だから行って確かめようよ。まだいるかもしれないしね! 急ぐよー!」

 あたしはレミーユちゃんの手を引いて走る速度を上げた。

 王宮は王国の中心部にあってアカデミーからは少し離れている。
 
 数十分くらい走ると、あたしたちは王宮に到着していた。

「さ、行こ」

 あたしは少し息を整える間も無く王宮を見据える。

「堂々と入れるのはさすが王女様ですね」

「まあねぇー。門番さん、黒髪の男の子ってここに来た? 青白い顔で不健康な感じで、すっごく普通の見た目の男の子」

 顔馴染みの門番さんにあたしは尋ねる。

「はっ! 黒髪のお客人でしたら、昨夜、お一人で参られました!」

「何か言ってなかった?」

「国王様に会いたいとおっしゃられていたので最初は追い返したのですが、かなりしつこいものですから武力行使に出ようした矢先、タイミング良く国王様が夜会からお戻りになられたので訳を話したところ、国王様がそのままお客人を連れていかれました! 何やらお知り合いではなさそうでしたが……」

 パパが連れていった? ということは、アーサーくんは直接パパと接触して何かをしようとしていたってことだね。
 あたしの予想は当たっているかも。

「彼はもうここにはいない?」

「すみませんが、そこまでは……ただ、国王様なら謁見の間にいらっしゃいますよ」

「そ、ありがと」

 あたしは門番さんに軽く会釈をしてから王宮に入った。
 アーサーくんがここにいないのはわかったから、とりあえず訳を聞くために謁見の間へ向かうことにする。
 
「セシリア、アーサーはどちらへ?」

「まだわからないけど、パパなら知ってると思う」

 階段を上りながら会話を交わす。
 アーサーくんの心境の変化はよくわからないけど、王宮に足を運んだということはそういうことだと思う。
 それはあたしにとっても、国にとっても、世界にとっても、凄く良いことなのは間違いなかった。

 でも、あたしたちがこんなにも勇者パーティーに誘っているってのに、一人で何でもしようとするその精神は少し気に入らないけど。

「アーサーってやっぱり不思議ですね。色々と想像がつかないというか、ミステリアスな一面もあるので彼がどんな人物なのか未だ 全然掴みきれません」

「だね。あたしもまだ全然わからないかなー。パーティーを組んだら、色々と聞いてみたいね!」

 あたしたちはアーサーくんのことを何も知らなかった。
 彼が一人で剣を振る理由も、特殊能力をひた隠しにして誰にも明かさない理由も、今こうして心変わりをした理由も……何一つとして知らない。
 でも、心変わりした彼が、もしも勇者として戦うことを決意して勇者パーティーを組むことがあるのならば、あたしたちは全力でサポートしてあげたい。
 付き合いは短いけど……なぜか強い心の繋がりのようなものを感じていたから。

「ここが謁見の間だよ。パパは中にいると思うから直接聞き出すよ」

「中にアーサーはいなさそうですね」

 扉越しに物音や話し声は聞こえてこない。
 アーサーくんがいないとなると、やっぱりパパから話を聞くしかなさそうだね。

「パパ! アーサーくんはどこ!」

 あたしは扉を乱暴に叩き開ける。
 入って早々、本題に突入する。

 パパはあたしが来ることを見越していたのか知らないけど、いつも以上に冷静な雰囲気で玉座に腰掛けていた。

「セシリア……と、ヴェルシュ家の三女か。早かったな。アーサーならば既にここにはおらぬぞ」

「どこに行ったの? それと、アーサーと何を話したの? 彼は魔王討伐へ向かったの?」

「そう焦るでない」

 立て続けに尋ねたあたしのことをパパは言葉のみで制した。
 悪い癖だ。気になったことがあったらとことん聞いてしまう。アーサーもあまり好ましく感じてなかったと思う。

「セシリア、落ち着いて下さい。それで……国王様。彼はどちらへ向かわれたのですか?」

 焦るあたしの背中を撫でるレミーユちゃんは、一歩前に出てパパと向き合う。

「昨晩、アーサーは我の元を訪ねてくると、馬を貸してほしいと懇願してきた」

「馬? 遠方へ向かったということですか?」

「うむ。クロノワール山脈へ向かいたい……そう言っておった」

 クロノワール山脈……意味がわからない。
 あそこは今は戦場になるのも時間の問題と言われている危険地帯だ。たった一人でそんな場所へ行くなんて命がどうなってもいいの?

「……どうしてアーサーがそこへ赴くのですか?」

 レミーユちゃんは眉を顰めていた。

「山脈の麓にある小さな村がアーサーの故郷らしい。現在、あの地は大量の魔族が根を張っておる故、一歩でも足を踏み入れたら戦火に巻き込まれてしまうのは明白であろう。命を落とす可能性は限りなく高いだろうな」

 パパは鋭く瞳を細めていた。
 国王だからこそ、パパは戦地がどれほど危険な場所なのかよくわかっていると思う。
 それはあたしも同じ。
 見知った騎士の人やアカデミーが排出した優秀な人材が、戦地へ赴いて魔族に殺されたって話は何度も聞いた事がある。

 だからこそ、冷静にはなれなかった。
 そんな危険地帯にアーサーくんは一人で行ったってこと?

「パパは止めないで一人で行かせたの!?」

 あたしはパパに詰め寄る。

「……うむ」

 パパは目を逸らして俯く。

「国王様、もちろん、アーサーは聖剣を持っていったのですよね?」
「……そうだよ。パパ、聖剣は? 勇者の聖剣は、アーサーくんに持たせたんだよね?」

 レミーユちゃんに続きあたしも続けて問いかける。
 勇者は聖剣を扱ってこそ最高の力を発揮できる。そんなことは子供でも知っている常識だった。

「いや」

 首を横に振るパパは怪訝な顔つきだった。

「聖剣は持っていっていない」

「ど、どうして!? まさか、聖剣を抜くための儀式を開いてないからとか、アカデミーに話を通してないからとか、そんなくだらない慣習のせいにする訳じゃないよね? もしそうだったらあたしはパパのことを許せないよ?」

 ばかげてる。聖剣を持っていっていないなんておかしいよ。
 今はそんな慣習とか習わしなんて気にしている場合じゃない。
 ただでさえ、アカデミーは呑気だっていうのに、国王であるパパもそんなんだったら魔王に侵略されるのは時間の問題だ。

「お前たち二人は、アーサーこそが本物の勇者であると信じておるのだな。」

 パパは質問には答えずおもむろに立ち上がると、詰め寄るあたしから距離を取って窓際に立った。

「……もちろん。アーサーくんは本物の勇者だよ」
「私もそう思います。彼しかあり得ません」

 あたしたちは有無を言わさず首を縦に振って賛同する。
 
 大前提として、勇者になるためには聖剣を抜けなければいけないけど、誰でも聖剣を抜く挑戦をできるわけではない。
 挑戦するに相応しい人材はアカデミーと王宮側が協議した上で選定することが殆どだ。
 日頃の成績とか態度とか、それに相応しい功績を上げたかどうか……色々選定基準はあるみたい。
 でも、賢者モルド様の話によると、賢者と僧侶と戦士になり得る器を持つ人だけは、誰が勇者に相応しいのかが感覚的にわかるものらしい。

 昔、本で読んだことがある。

 つまり、勇者候補の中から勇者を選ぶ方法は二つあるということ。

 賢者の資質を持ったレミーユちゃんがアーサーくんと接してそう感じたように、あたしが彼のことを見てびびっときたのもそうなんだと思う。
 それは、あたしは僧侶の資質を、レミーユちゃんは賢者の資質を持っているってことに他ならない。百年前の賢者と僧侶の血を引いているあたしたちだからこその理由だ。
 戦士の人にはまだ会ってないけど、そうに違いない。いや、それしかあり得ない。

 言っちゃ悪いけど、単なる田舎の出自のアーサーくんのことを、二人揃ってここまで評価するなんて信じられない奇跡でしかない。
 賢者と僧侶と戦士は勇者を見つけ出すことができて、運命的に惹かれ合うらしい。
 これは賢者モルド様が提唱しただけに過ぎなくて信憑性は低いってよく言うけど、あたしがレミーユちゃんと出会ったのは運命的だと思うし、アーサーくんに出会ったのもそう。

 だから、くだらない慣習は、あくまでも世間に勇者の存在を周知するための行事でしかなくて、見る人が見れば誰が本物の勇者なのかは一目で判断がつく。

 それこそがアーサーくんだった。
 
 そんなことはパパも当たり前のようにわかっていると思うし、勇者であるアーサーくんに聖剣を渡さないなんてばかげた話だった。

「我も同様、最初はそう思った。彼奴の目を見た瞬間、心臓が跳ねた。強き覚悟と揺るぎない固い意志は他の者とはまるで違う。アーサーこそが本物の勇者なのだと……そう直感した。セシリア、お前が彼奴を我に紹介しようとする理由がすぐにわかった」

「じゃあ、なんで聖剣を渡さなかったの」

 今のあたしは酷く冷たい声色に違いない。
 そこまでアーサーくんのことを評価するのなら、ますます聖剣を持っていかせなかった理由がわからなくなる。

「渡さなかった訳ではない。我は我の直感を信じ、アーサーを古の祠へと連れていった」

「古の祠に?」

「うむ。そこで我は聖剣を抜かせようとした。さすれば、彼奴は本物の勇者として聖剣の力を手に入れ、魔王討伐へ旅立つことができる。だが……彼奴は——」

 パパは大きく息を吐いて顔を俯かせた。
 そして、言葉を続ける。

「——アーサーは……聖剣を抜けなかった」

「え?」

 あたしは予想だにしない言葉を受けて、思考がままならなくなった。

 アーサーくんが聖剣を抜けなかった?
 嘘、だよね?

「アーサーは古の祠の奥地に突き刺さる聖剣を見るや否や、迷うことなくグリップを握った。その瞬間、表情が曇った。いや……不敵に笑っているように見えたが、確かに彼奴はグリップから手を離すと、首を横に振ったのだ」

「……本当に?」

「うむ。彼奴は本物の勇者ではなかったらしい。勇者になる得る資質や強い覚悟と心意気があるのは事実であろう。それは我も対峙した時に直感したからな。彼奴こそが本物の勇者なのだと……だが、結果的に聖剣は抜けなかった。何が足りなかったのかは分からぬがな。
 とにかく、我の直感が外れたのは残念だが、聖剣を抜けなかったのは事実であり、これもまたよくあることだ。そう簡単に奇跡は起こらんのだよ」

 パパはあたしたちと同じくショックを受けた様子だった。
 確かに、勇者になり得る素質のある勇者候補は度々現れるけど、ここ百年は的が外れて勇者は一人も誕生していないのが現実だった。
 そう考えると、アーサーくんもそのうちの一人なのかなって解釈はできる。

 でも、やっぱり信じられない。

「おかしいよ……そんなの、おかしいよ! あたしとレミーユちゃんだけじゃなくて、パパもアーサーくんが本物の勇者なんだって直感したんだよね? じゃあどうして聖剣を抜けなかったの!」

 あたしは年甲斐もなく騒ぎ立てた。
 でも、パパは至って冷静な顔つきだった。取り乱すことなく、腕を組んで窓の外を見つめている。

「我には理解が及ばぬ、が……アーサーが勇者に近しい存在であるのは事実だろうな。だが、聞いたところによると、彼奴は特に優秀な成績を収めていたわけでもなければ、目立った活躍をした経験もないそうではないか。であれば、単純に素養が足りなかったのだろう」

「……国王様はそれを知った上でアーサーを最前線に行かせたのですか?」

 レミーユちゃんもあたしと同じく疑問を呈する。

 ただ、尚もパパは淡白な態度で頷くだけだ。

「うむ。アーサーに賭けてみるのも悪くなかろう? 故郷を思う強い気持ちを糧に最前線で戦い、あわよくば魔族どもを追い返してくれれば最高の出来。万に一つの可能性になるが、奇跡的に魔王討伐すら成し遂げるやもしれんからな。まあ、現実的な話をするならば、上級魔族を一体でも倒せれば御の字であろうがな」

「そんな、アーサーのことを駒みたいに扱わないでください……国王様のお耳には届いていないのかもしれませんが、彼はとても強いのですよ?」

「残酷な話をするようで悪いが、聖剣を抜けなかった今のアーサーはただの勇者候補の一人に過ぎん。いくらお前たちが信じようともその事実は揺るがぬ。更に、彼奴は世間的に見たら特筆するような家柄もないごく普通の男だ。彼奴の小さな犠牲で何かが変わる可能性があるのなら、我は手段を厭わん。きっともう助からない。後を追うのはやめるのだな」

 パパの言いたい事はよくわかる。
 確かに、パパはあたしのパパでもあるけど、重大な責任を持つアルス王国のみならず国王様でもあったから。
 実力が計り知れないアーサーくんの事を直感的に評価しようとも、いざ聖剣を抜けなかったとなればフラットな視点で判断を下すのは自然だった。
 パパの耳にはアーサーくんがイレギュラーモンスターを討伐した話は入ってないだろうし、そもそも知っていたとしても確実に信じてくれないと思う。
 
 だって、あたしとレミーユちゃん以外の誰一人として、アーサーくんの凄さを何もわかっていないんだもん。

「……じゃあ、レミーユちゃん、行こっか」

「そうですね」

 あたしはレミーユちゃんに声をかけて踵を返す。

 納得したわけではないけど、パパの考えは理解した。互いに意図を理解した上で引くことにする。
 このまま話を続けても、アーサーくんへの想いと感情を交えるあたしたちの意見と、合理的だけど冷酷なパパの意見は折り合いがつかない。

 説得するだけ無駄だった。

「お前たち……」

 パパは途端に退身したあたしたちに対して、違和感を覚えているようだった。

「パパ。あたしたちは勇者を助けに行くね」

「勇者様を支えるのはパーティーメンバーの責務ですから」

 あたしとレミーユちゃんはパパにそれだけ言い残して謁見の間を後にした。
 最後に見えたパパの顔は酷く物寂しそうだったけど、今更そんな顔になる意味がわからなかった。

 だって、アーサーくんのことを一人で戦地に行かせるなんて普通じゃないよ。
 彼とどんなやりとりをしたかわからないけど、賭けとか何とか言って行かせるなんて許せない。

「セシリア。国王様はあのような冷たいお方ではなかったはずですよね」

 謁見の間から出てすぐにレミーユちゃんが尋ねてきた。

「うん。あたしもびっくり。あんなパパの姿は初めて見たよ」

 いつものパパは見た目こそ傲慢に見えて高圧的だけど、内面は優しくて民衆を思いやる優しい国王様だった。
 でも、今日は違った。妙にアーサーくんのことを突き放すような言動が多かったし、あたしたちと彼のことを無理に遠ざけようとしているように見えた。

「……とにかく早く助けに行かないといけませんね」

「放っておけないよ。いくらアーサーくんが強くても、魔族の数の力に押されたら破滅するのは時間の問題だからね。すぐに助けにいかないと」

「彼は一人で抱え込むところがあるので、私たちが手を差し伸べてあげましょう」

 完全に意見が合致した。
 アーサーくんを助けに行く。
 故郷の村や家族の事が心配なのはわかるけど、何も一人で行く事はない。ましてや地の利が悪いとわかっているのだから尚更だ。

 あたしたちは無言で首肯して謁見の間を離れる。

 すると、どこからともなく執事のメリヌスが現れた。

「お嬢様方、裏口に馬と旅の為のお荷物をご用意しておりますので、是非そちらを使ってください」

「メリヌス、やっぱり気が利くね」

「いえ。ご用意してくださったの他でもない国王様です。わたしは命令に従っただけに過ぎません」

 メリヌスは胸に手を当てて恭しく頭を下げている。
 口振りからして、どうやら扉の向こうで会話を全部聞いていたみたい。

「……パパが? そんな風には見えなかったけど?」

「国王様はあれでもかなり執拗にアーサー殿を引き止めたのですよ。ですが、アーサー殿が強く懇願されたのです。”今の自分には魔王に及ぶ力はないが故郷の村くらいは救ってやりたい……”と。悩んだ末に、国王様は彼に馬を貸し、加えて、王宮で最も優れた一振りの剣を託しておりました」

「ほんと?」

「本当です」

「じゃあ、あたしたちにあんな態度を見せたのはどうして?」

「簡単ですよ。国王様があえて冷たく接しておられたのは、たとえアーサー殿が聖剣を抜けずとも彼こそが本物の勇者だと直感すると同時に、その力でクロノワール山脈で戦果を上げ帰還してくれると信じていたからです。お嬢様方には危険な目に遭ってほしくなかったのですよ」

「……そう」

「とにかく、既に準備は整えられております。裏口から外へ出てください。全ては国王様からの計らいです。どうかお気をつけていってらっしゃいませ」

 メリヌスはそれだけ言い残すと静かな足取りで立ち去ってしまった。

 多分、パパはあえてアーサーくんのことを貶めて、彼があたかももう助からないかのように仕向けて、本当にあたしたちが後を追う選択をしてほしくなかったんだと思う。
 あたしたちに諦めてもらうのが目的だったんだ。
 それほどまでにアーサーくんの力を肌身で感じて信じていたってことなんだね。
 でも、あたしたちの意思の固さがそれを優った。

 そうなったあたしたちが、こういう風に動く事も見越していたんだ。
 素直に言えばいいのに。

 不器用なパパの言動を知ったあたしは少し不貞腐れちゃったけど、レミーユちゃんは立ち去るメリヌスに無言で深く頭を下げていた。
 相変わらずお堅い良い子なんだから。

 でも、パパ、ありがとう。

 絶対に生きて帰ってくるよ。もちろん、アーサーくんを連れてね。



 ◇◇◇◇◇




 𝓒𝓱𝓪𝓷𝓰𝓮 𝓸𝓯 𝓹𝓮𝓻𝓼𝓹𝓮𝓬𝓽𝓲𝓿𝓮 ~ 𝓫𝓪𝔃𝓪𝓪𝓻𝓴~


 

 夕暮れになり、今日もまた怖い夜がやってくる。
 精神が恐怖に貪られ、ストレスが限界を突破し、日を追うごとに皆のメンタルが崩壊していく。

 クロノワール山脈に派遣された僕たち連合騎士団は苦戦を強いられていた。

 そりゃそうだ。

 標高の高いクロノワール山脈の中腹部には無数の魔族が息を顰めていて、僕たちが村に近づこうとすると次々に攻撃を仕掛けてくるし、そもそも僕たちの実力が全く奴らに及んでいなかった。
 だって、僕たちは各国から寄せ集められた騎士が手を組んだだけだったから。
 村の窮地を救い出すという同じ役割を与えられてはいるけど、統率も何も取れていない。
 騎士団とは名ばかりの集団だった。

 でも、いくら待っても増援はやってこない。ここは何よりも防衛すべき地点になるはずだけど、百を超える数の魔族を恐れているんだ。どこの国も僕たちみたいな寄せ集めに時間稼ぎをさせるだけで、まともな策を講じてくれない。
 
 このままじゃ、クロノワール山脈が完全に魔族の手に渡るのは時間の問題だった。

 かれこれ一ヶ月くらいは今のような均衡した膠着状態が続いているけど、実際は向こうがこの状況を楽しんでいるだけだ。
 こちらの勢力が脆弱なのは丸わかりだ。

 僕は前線に立って、生まれ持った肉体の頑強さで皆のことを守っているけど、そろそろ心身ともに限界を迎えている。

「せめて勇者様が現れてくれれば……っ!」

 困窮した戦地の最前線で誰かが呟く。

 皆がそう思っている。
 でも、直近で勇者様が現れたのだって百年も前の話だし、勇者様なんてものはそう簡単に現れてくれない。

 もうダメだ。

 物資はあるし、人もいる。
 けど、精神的支柱がいない。
 全員のメンタルは既にボロボロだ。

 魔族たちがどのくらい遊びの猶予をくれるのかもわからないから、今はいつ死ぬのかを待つだけの時間になっている。
 
「……あれは——増援か!」

 俯く騎士団の中で誰かが叫ぶ。

 皆が一斉に後方へ振り向くと、遥か遠方から馬が駆けてくるのが見えた。
 馬には軽装備を身に纏う一人の青年がまたがっていて、待ち望んでいた勇者様や手練れ騎士のような風貌ではなかった。

 理解した僕たちは途端に落胆した。
 束の間の喜びだった。
 一騎程度の戦力が加わったところで、無数の魔族の軍勢には勝てっこない。

「——戦況は?」

 やがて、僕の側に到達した青年は、馬から飛び降りて険しい顔つきで口を開いた。
 黒髪に黒目、燻んだ黒色の薄いローブを羽織り、中には身軽な革鎧を装備している。足元のブーツは土まみれだったけど、腰に携えた剣だけは一目でわかるほどの上等な一振りだった。

 もしかしたら強い人なのかもしれないけど、さすがに一人でどうこうできるわけがない。

「戦況は最悪さ。僕たちは死を待つだけかな」

 本当は答える気力なんてなかった。
 でも、何かに縋りたい、誰かに話したい、痛みを分かち合いたい、苦しさを知ってほしい……僕の心は何もかもが飢えていた。

「村人たちは?」

「村人のうち二人だけは殺されちゃったけど、他の全員は無事だよ。でも、村には近寄れない。魔族の中には強力な魔法を放つやつが何体もいてね、村に近づこうとしたり、こっちが休まろうとすると、あらゆる方向から強力な魔法が飛んでくるんだ。今はなんとか僕が一人で持ち堪えているけど、もう五十人は殺されたね」

「……そうか。たった一人で耐えてきたんだな」

 青年は険しい顔つきから一転して少しだけ頬を緩めると、静かに抜剣してからゆっくりと村に向かって歩みを進める。

 僕のことを見るその視線には慈愛の念が込められていた。
 まるで、小さな子供を褒める逞しい大人のようだった。

「ね、ねぇ! 話を聞いてなかったのかい!? そこから先に足を踏み入れると魔法が飛んでくるから危険……というより、死ぬよ!」

 僕は元気がないなりに叫んで静止を促すけど、青年は一向に止まることなく、ついにはボーダーラインを超えてしまった。

 周りの騎士たちもハッと驚き、彼の行く末を見守る。

 山脈の中に茂る木々の隙間から眩い光が発せられる。
 魔族はボーダーラインを超えた青年を目掛けて魔法を放つ。

 死んじゃった。

 また一人……まだ若いのにね。

 僕は瞳を閉じて首を垂らした。

 直後、爆音が聞こえると、全身が吹き飛ばされそうなほどの暴風が辺りに舞う。

 それから十秒くらいした後に風と粉塵が収まった。
 僕はおもむろに目を開けて前を見た。

 そして、驚愕した。

「え?」

 青年は生きていた。
 先程の爆音と暴風は何だったのか。彼の周囲だけは大きく陥没していたが、彼自身は右手に剣を持ちながら歩みを進めていた。
 そして、またも光が発せられると同時に魔法が放たれる。

 五方向から放たれた炎の球体は火の属性を孕んだ強力な魔法だった。
 僕が喰らえば全身が焼け焦げて即座に死に至る。

 青年はどうやって対処するんだろう?

 今度は目を逸らさないで確認した。

「……斬った?」

 青年は炎の球体を全て斬っていた。

 明確な残像が見えるほど高速で振るわれた剣は、炎の球体をばらばらに斬り刻んでいた。
 
 切り刻まれた炎は細かくなって地面に着弾し、先のような爆音と暴風が巻き起こるが、青年には掠りもしていない。

 誰もが息を呑んだ。
 僕を含めて騎士団の全員が目を剥き、思わず感嘆の声をあげていた。

 青年はどこの誰なんだろう?
 魔族が放つ強力な魔法を最も容易く斬った。
 そして、怖気付くことなく、着実に村との距離を詰めている。

「いける……」

 僕は青年の背中を見て勝利の希望を見た。
 彼は強い。弱い僕でもわかる。澱みのない歩法と目にも留まらぬ剣裁きは誰よりも洗練されている。

 それは皆の目から見ても同じだったのか、その視線は青年へと注がれる。

 しかし、そんな希望を持った瞬間。
 魔族はここにきて初めて焦燥感を覚えたのか、今度は続々と山脈から降りてきてその姿を現す。

 その数は百を超えている。

 様々な大きさで様々な見た目の魔族はギラギラとした瞳でこちらを睨みつけている。
 予想よりも遥かに多い。

 人の言葉を操るような上級魔族はいないみたいだけど、いくら相手が下級魔族であってもこの数を相手にするのは不可能だ。

 やっぱりダメかもしれない。

 精神的にも肉体的にも参ってる僕たちが戦っても、倒せる魔族は精々数体がいいところだ。
 青年がいくら強いと言っても、たった一人で相手をするには限度がある。

 でも、目の前に敵が現れて、おめおめと逃げ出す騎士は本当の騎士じゃない。

「……みんな、戦おう!」

 僕は剣を抜いた。
 皆も立ち上がった。
 気合を入れて剣を構えた。

 でも、青年はちらりとこちらを一瞥すると、首を横に振る。
 それが何を意味するのかはわからなかったけど、勢いに反して膝が震える僕たちはその場から動けなかったのは事実だった。

 虚勢を張る僕たちが動けずにいると……青年は迷うことなく駆け出す。
 そして、気が付けば魔族たちの背後を取っていた。

「は?」

 何が起きたのかわからなかった。
 僕が一つ瞬きを終えたら、既に数体の魔族が絶命していたのだ。

 青年は血飛沫を上げる魔族の上に立つと、またも剣を構えて駆け出した。

 そこからは、まさに蹂躙だった。

 僕たちはただ立ち尽くすことしかできなかった。

 あれほど恐れていた驚異的な強さを誇る魔族たちは、なす術なく青年の剣技によって倒されていき、やがては最後の一体が首を飛ばされて絶命した。

 山脈の麓には約百五十体の魔族の亡骸が散らばり、積み重なる亡骸の上に青年は立っていた。
 達成感を得た顔なんかせず、まるで自分は何もしていないかのようなごく自然な表情だった。
 誇らしげにしているわけでもなく、魔族の亡骸を見て悦に浸るわけでもない。力を誇示して叫ぶこともせず……ただ、そこに佇んでいた。

 彼は何者なのか。

 それはわからない。

 でも、僕は平然と佇む彼の姿を見て、子供の頃に見た御伽話の世界を思い出した。

 そして、無意識に切望していた存在を口にしていた。
 

「勇者……さま……?」

 



 ◇◇◇◇◇




 
 約百五十体にも及ぶ魔族の亡骸をひとまとめにした僕たち騎士団は、そこに炎を放ち焼き払った。
 クロノワール山脈を牛耳っていた魔族に勝利した瞬間だった。

 ここを魔族に明け渡してしまえば人類の存続が難しいとまで言われていたのに、僕たち……いや、青年はただ一人でそれを成し遂げた。

 一体、誰の命を受けてこんな場所に来たのだろうか。

 巨石の上に座りこむ青年は、酷く寂しそうな表情だった。ただ黙々と、魔族の血がついた剣を布で吹いていて、なぜか膝下には一輪の白い花が置かれている。

「……君、名前は?」

 僕は恐る恐る尋ねた。
 彼は多分、二十歳になったばかりの僕よりも年下だと思う。体格は僕より細く見えるし、身長もごくごく平均的だ。でも、あの洗練された動きは規格外だったし、体にはしなやかさがあった。一応、これでも僕は一端の騎士だからそれくらいはわかった。

「アーサー」

「僕はバザーク。見ての通り、この寄せ集めの騎士団の一員だよ。助けてくれてありがとう」

 隣に座った僕は半ば強引に彼の手を握った。
 若い見た目に反して、手のひらはゴツゴツとしていて、それは剣を振り続けた努力の証明でもあった。

「大丈夫だ」

「君のおかげでクロノワール山脈は取り返せたし、そこの村の人たちも全員無事だったよ。アーサーは誰かの遣いで救援に来てくれたのかい?」

「……まあ、そんな感じだ」

 アーサーは村の方を一瞥すると、溜め息混じりに答える。
 何か村に用事でもあったのかな。

「そう。それにしても強いんだね。もしかして勇者様だったりするのかな? 不躾なことを聞くけど、こんな最前線に来たのに勇者の聖剣は持っていないのかい?」

 アーサーが持つ剣のグリップに刻まれた紋様はアルス王国の紋様だった。
 あの国には数千年前の勇者様が残した勇者の聖剣があるから、勇者様として旅立つなら必ず携えているはずだ。
 でも、彼が持つ剣は普通の業物に見える。聖剣を使えば目の前の山脈くらいなら一振りで両断できるって聞いたことがあるしね。
 
「聖剣は持ってない」

「そっか。アーサーはもう十分過ぎるくらいに強く見えたけど、聖剣があれば今よりも何倍も強くなっちゃいそうだね」

 反応からして勇者様ではないみたいだった。

「どうかな。聖剣はそんなに優れているとは思えないな」

 アーサーは首を横に振る。

「どうして? 凄い噂ばかり聞くけど……」

 空、海、大地、全てを斬り裂くって聞いたことがある。眩い光を発していて、軽く一振りするだけで山を両断するとか。
 とにかく、聖剣を持ったら敵なしだって話は有名だった。

「数千年前の勇者は聖剣なんて持たずに単騎で魔王に挑んだ。勇者はあえなく敗戦したが自らの力を剣に封じ込めた。それが後に聖剣と呼ばれるようになった。多くの文献にはそう書いてあった」

「知ってるよ」

「そしてつい百年前の勇者は仲間を集めて魔王に挑んだが、惜しくも敗れたと聞く。もちろん、勇者は聖剣を持っていたそうだ」

「……うん。それで?」

 ここまでは誰でも知る一般常識だった。
 聖剣を持った勇者とその仲間が魔王に敗北したという事実は、当時の人類に大きな絶望を与えた。それはよく知られた話だ。

 それがどうかしたのだろうか。

「どの文献を漁っても聖剣の力に関する詳しい情報が殆ど載っていないんだ。賢者モルドも聖剣については特に語っていないしな。皆が盲信してその力を過大評価しすぎている。あまり信じすぎないほうがいい」

「えーっと、それはつまり……どういうこと?」

「魔族や魔王、様々な攻撃魔法や回復魔法、補助魔法、ひいては世界の理について記載のある文献は多く出回っているのに、聖剣の力については全く触れられていない。おかしいと思わないか? まるで、聖剣のことなんて誰一人として知らないみたいだ」

「んー……確かに。変だね。どうしてだろう……」

 そう言われてみると、僕も勇者様と魔王の歴史なんかは本で読んだことがあるけど、聖剣についての具体的な話は読んだことがない気がする。

「簡単だ。数千年前の人類は聖剣の力を盲信しすぎて、その力を確かめようという選択肢すらなかったからだ。魔王に怯えるあまり、縋るものが勇者の存在と聖剣しかなかったんだろう」

「盲信?」

「ああ。おまけに聖剣の場所を知っているのは、世界でも限られたごく一部の人間だけときた。それじゃあ調べようがない。
 つまり、聖剣を取り巻く数千年前の古い歴史が事実を捻じ曲げ、皆の心に深く根付いたってことだ。
 実際、聖剣には何の力も秘められていないのに……だ」

 アーサーは確固たる意志を持って頷いているように見えた。推測や憶測ではなさそうだ。
 その話は半ば信じがたいものだったけど、考え自体に納得はいく。
 確かに、聖剣の力についての話は、どこかから風の噂やら御伽話やらで聞いただけで、具体的な文献なんかは見たことがない気がする。
 それを誰も疑問に思わなかったのは、彼の言う通り古くからの歴史が根付きすぎたからなのかもしれない。

「……ちなみに、アーサーは普通の剣を持っているけど、聖剣を抜けなかったってこと? 実際に使ってないのにわかるものなの?」

「俺はこんなんでも勇者候補だし、嫌というほど剣を振ってきたからな。剣のグリップを握って剣身を見れば価値がわかる。手のひらに伝わってくるんだ。個々の剣が持つ確かな強さがな」

「聖剣はどうだったの?」

「想像に任せる」

 アーサーは僅かに口角を上げていた。
 言葉はいらないだろ? そう問いかけてくるような表情だった。

「…………そんなことより、あそこの村について教えてほしい」

 少し沈黙を置いてからアーサーは村を指差した。
 聖剣の話はかなり興味深かったけど、今の彼の視線は村へと注がれている。

「いいけど……えーっと、あそこはルイズ村だね。こは一応、ここから少し離れた小国の領地内なんだけど、外部との交易は殆どしていないみたいだし、村人が外に出ることもないみたいだから、教えられるような情報はあんまりないかなぁ。何かあったのかい? さっきは村人と少し話してたよね?」

 アーサーは魔族を片付けると、後処理を僕たちに任せてすぐに村へと向かっていた。焦ったような顔つきで駆け出していた。
 
 村の入り口の辺りで年老いた村人の男性と会話を交わしているのは見えた。凄く感謝されてるみたいで何度も深く頭を下げられていたけど、対するアーサーは浮かばない顔になっていたのは印象に残っている。

「何でもない。ただ……この村は俺の生まれ故郷だから、少し聞きたいことがあっただけだ」

「へー、じゃあさっき話してた村人は知り合いとか?」

「あれは村長だ」

「村長さんだったんだね。ちなみに、何を聞いてたの?」

 初対面なのに前のめりに聞くのはどうかと思ったけど、アーサーはかなり元気がない様子だったから話し相手になってあげたい気持ちがあった。
 お節介かもしれないけど、彼は僕たちのことを助けてくれたから少しは力になれたらなって思う。

「家族の居場所だ」

「居場所? 見つかったのかい?」

「……」

 アーサーはゆっくりと首を横に振る。

 これが浮かばない表情になっている原因だと思う。
 家族のことだから上っ面で語ることはできないけど、やっぱり大切な誰かがいなくなると寂しい気持ちなるのは僕も同じだ。

「そっかぁ。また、会えるといいね」

 それ以上の事情は詳しく聞けそうもないけど、家族が見つかったのにそんな顔つきになるなんてちょっと不思議に思う。
 でも、救援に来てくれたのもその為だろうし、彼と彼の家族には感謝しないといけないね。

「もう、会えない」

 アーサーは顔を上げて夕焼け空を見ていた。
 横顔しか見えないけど、潤んだ瞳は悲しさを纏っている。

「……亡くなっていたんだね。白い花はその為に?」

「ああ。一月前、魔族に食われたらしい」

「……そう……そっか、犠牲者は君の家族だったんだね」

 僕はアーサーとは対照的に首を垂らす。
 かける言葉が見つからなかった。
 今回の侵略の唯一の犠牲者が彼の両親だったなんて思いもしなかった。

「そうらしい。だが、少し不可解なんだ。元々、俺の父親は傭兵で剣の扱いが上手くて用心深い性格だったはず。しかも、母親は魔法が得意で強かだった。二人がそう簡単に魔族に食われるとは思えない」

 アーサーは思慮深い面持ちだった。
 彼の過去に何があったかわからないけど、その視線は村の入り口に立つ村長さんに向けられている。
 まるで村長さんのことを疑っているような目つきだ。

「村長さんは何て?」

「……尊い犠牲だった、それだけだ」

「詳しいことは聞いてないの?」

「俺は真実を知りたかったが、なぜかはぐらかされた。何かを隠しているのは確実だな」

 アーサーは溜め息混じりに言葉を紡ぐ。
 呆れているのか、それとも悲しんでいるのかわからない。

「……家族とはずっと会えてなかったのかい?」

「最後にあったのは俺がまだ五歳の頃だった。忌み子と呼ばれて村で迫害される俺のことを、父さんと母さんだけは愛してくれた。俺は二人に会うために努力を積んできた。だから、俺は二人の最期を知りたい」

「素敵なご両親だったんだね」

「ああ」

 アーサーの表情は飄々としていたけど、当の僕は可哀想な彼の話を聞いて気が落ちていた。
 すると、彼は口をつぐむ僕のことを見かねてか、それとも知らずしてか、おもむろに尋ねてくる。

「ちなみに、騎士団はこれからどうするんだ?」

「僕たちは少し休んだら周辺の調査を済ませて、それからここに防衛拠点を展開するつもりだよ」

 顔を上げた僕は横目で彼を見た。
 既に夜になり始めているけど、もしも周辺に魔族が潜んでいたら闇討ちされちゃうから、疲れた体に鞭を打って何とか調査と探索くらいはしないといけない。

「了解。その間、俺のことは放っておいてくれて構わない。明朝には出発するからな」

「随分と早いね。急ぎの用事でもあるのかい?」

「まあな。それより、もう一つ聞いてもいいか?」

「うん、いいよ」

「ここに行くためには、どこを通るのが最短ルートかわかるか?」

 アーサーはローブの懐から大きな地図を取り出して広げると、印の付けられた位置を指で差して聞いてきた。

「ここは……山脈を右手側から迂回して、大森林を抜けた先にあるよ。でも、この大森林の先はもう魔王に侵略されているから単独で向かうのは危険だよ」

 アーサーが印をつけていた位置は危険地帯だった。
 魔王城は賢者モルド様が指し示してくれた正真正銘の敵の本拠地になる。その周辺はかなり危険で、近づけば近づくほど魔族の数は増えていく。

「だろうな」

「ダメだよ、一人でこんな場所に行ったら! みすみす死にに行くようなもんだよ!?」

「……単なる興味だ。もう少し具体的な道順を教えてほしい」

 そうは言うものの、アーサーの瞳は真っ直ぐだった。
 多分、興味とかそんなんじゃなくて、確かな使命感を持っていそうな鋭い目つきだった。
 本当はこんなお願いは断ろうと思ったけど、僕は命の恩人の頼みを無碍にすることはできなかった。

 たとえ彼がそこを通って魔王城へ向かい、魔王討伐を目論んでいるのだとしても、それを止める権利は僕にはない。

「んー、わかったよ……行き方はね——」

 幼少期、僕は向こうに住んでいたことがある。
 当時はまだ魔王の侵略が進んでいなくて、ある程度平和な区域だったんだけど、今ではもう空が闇に覆われて禍々しい雰囲気に支配されてしまっているから地形は大きく変化していると思う。

 今では、そこはもう完全に魔王のテリトリーだ。

「ありがとう」

「今の説明だけでわかった?」

「魔王に侵略された土地の地理や地形は全て頭に入ってるから、今の説明だけで十分だ」

「凄いね……本当に単なる興味?」

 勇者育成学校はそんなことまで学ぶのかな。
 世界の地理や地形を把握するのはそう簡単じゃない思う。

「興味だよ」

「……ならいいけど、もしも魔王討伐に行くならそんなに焦らなくてもいいんじゃないかな? 最前線はアーサーが退けてくれたし、しばらくは戦いは落ち着くと思うよ?」

 多分、彼は興味本位で向かうわけではないと思うから、それを止めるつもりはない。でも、焦る必要はないような気がする。
 十分に準備をする時間は残されているし、僕は応援を待つべきだと思う。

「いいんだ。父さんと母さんは、もういないから……」

 空に視線を向けるアーサーは頬を濡らしていた。
 今アーサーが何を考えているのか、過去や境遇はわからないけど、家族を想う気持ちは伝わってきた。

「……そっか。僕も同行するかい?」

「必要ない。危険な目に遭わせるわけにはいかないからな」

「でも、一人で向かう方が尚更危険だよ。僕は体の頑丈さには自信があるし、アーサーがピンチになったら役に立てると思うんだ」

 アーサーは強い。それは僕にもわかる。
 だけど、もっと強い魔族を相手にしたら一人ではどうにもならないと思う。できるなら、僕はついていきたかった。命を救ってくれた恩もあるし、何よりも……アーサーにはどことない魅力を感じるから。

「……悪いな」

 少し悩んだ末にアーサーは肩をすくめた。

「わかったよ。もう聞きたいことはないかい?」

「ああ。ただ、最後に伝言だけだのみたい。近いうちにここへ訪れる俺の知り合いに——————と、伝えてほしい。来ない可能性も考えられるから、もしも来たらで構わない」

 アーサーは僕に変わった頼み事をしてきた。
 まあ、別に伝言くらいなら簡単だしお安い御用だけど……知り合いのことを突き放すような伝言なのはちょっと訳ありなのかな。

「伝言、確かに預かったよ」

「頼む。話し相手になってくれてありがとう。少し、気が楽になった」

「うん。こちらこそ。それじゃあ、またね」

 僕は巨石から降りると、彼に手を振り皆と合流した。
 最後に横目で見たアーサーは胸の前で拳を力強く握り込んでいた。鮮血が滴り落ち、下に置かれた白い花の花弁を赤く染める。
 あれほど力を込めて何を望んでいるのか、何を考えているのか、何を見つめているか……僕には全くわからないけど、彼はきっと誰かのことを考えているんだと思う。

 それは亡くなってしまった家族か、はたまた知り合いか、それははっきりしない。

 でも、一つだけ確かにわかったこともある。

 僕が思うに……彼は、アーサーは、多分勇者様なんじゃないかな。単なる直感だけどね。
 勇者の聖剣は抜けなかったみたいだから、正式に認められた勇者様とかではないと思うんだけど、ただなぜかそんな感じがするってだけ。
 そもそも、聖剣なんて要らなさそうな感じだったし、彼にとっては関係ないのかもしれない。

 多分、魔王討伐に行くんだろうなぁ。
 あのルートを聞いてくるってことは間違いない。
 そして、アーサーを追いかけてくる知り合いの人は、きっとまた更に彼のことを探すと思う。

 そんな人たちに向かって、あんな伝言は言えない。

 だって酷いよ。

 ——————お前たちは出来損ないだ。弱いやつは必要ない。

 なんてさ。




 明朝。既にアーサーの姿はなかった。
 彼の姿を目撃した騎士団員の話によると、彼は深夜に一人で剣を振ってから、日の出と共に馬を走らせて出発したみたい。

 あんな戦闘を終えてから一日足らずで出発するだなんて、彼の魔王討伐に対する意識の高さはどこからくるんだろう。
 家族の話をしている時の表情はとても悲しそうだったし、もしかしたらそれも関係しているのかもしれない。
 
 僕だってできることなら魔王を討伐したいけど、実力的には全く足りていないからそれは叶わない。

 だから、今は自分ができることをやる。

 村の人たちに魔王の侵攻状況を説明したり、悲観的にならないように精一杯の励ましの言葉をかけてあげたり、たまには子供たちと遊んで交友を深めたり……それは誰でもできることに変わりはないけど、僕みたいな一端の騎士にできる精一杯の事だった。

「こんな生活がこれからもずっと続くのかな」

 お昼になり休憩の時間になった。

 僕は一人で村の近くの大木に背を預けて、臭い干し肉を口に運ぶ。
 味気ない食事に休まらない環境。寝てもすぐに起こされるし、自由な時間なんて殆どない。
 仲間が死ぬのは当たり前で、数分後には自分が死んでいる可能性だってある。
 魔王の侵略が止まらない以上、騎士である僕たちはこうして最前線に駆り出されることになる。

 こんな暮らしはもう嫌だ。

 早く……魔王が滅んでほしいな。

「はぁぁぁ……」

「若いの。幸せが逃げるぞい」

 俯いて溜め息を吐く僕の隣にやってきたのは、ルイズ村の村長さんだった。
 昨日、アーサーと話していた姿を遠目で見たから覚えている。

「村長さん」

「黒髪の青年にも伝えたが、昨日は本当に助かったぞい。被害を最小限に抑えられたのは時間を稼いでくれた騎士団の方々のおかげですじゃ」

 村長さんは僕の隣に腰を下ろすと、あぐらをかいて朗らかに笑う。村の出自であるアーサーの呼び方が他人行儀すぎて気になったけど、今は自分たちの力不足を呪った。

「僕たちがもっとまともだったら、一月前に被害に遭われた二人のことも救えたのかもしれませんから……後悔ばかりですよ」

 クロノワール山脈に魔族たちがやってきた時、ルイズ村に住まう二人の男女が殺された。
 亡骸すらも残されず、僕たちの目の前で食い殺されてしまった。
 アーサーの両親だ。

「あまり気にするでない。其方らは最善を尽くしたまでじゃ。運命は変えられん」

「……」

 あまりに淡白な反応だったけど、これは村長さんの年の功なのかな。

「のう、若いの。村をあげて宴を催したいのじゃが……」

 村長さんは辺りを見回して聞いてくる。
 どうやらアーサーのことを探しているようだ。

「彼はもういませんよ」」

「はて、昨日の今日でどちらへ行かれたのかな?」

「さあ、そこまでは聞いてません」

 本当は行き先を知っている。
 でも、村長さんには悪いけど嘘をつく。
 アーサーはあまり他言してほしいような感じに見えなかったから。

「ほう。これほど早く出発なさるとは、もしかしてあの青年は通りすがりの旅人さんかのう?」

「はい? 旅人?」

 僕は耳を疑った。
 アーサーはルイズ村が故郷と言っていた。村長さんはなんでそんな赤の他人みたいな言い方をしているのか。

「旅人ではないのかのう?」

「……あの、彼はわざわざアルス王国から助けに来てくれたんですよ? 自分の故郷の村を救いたいと言ってね」

「故郷とな? 黒髪の青年はルイズ村の出自なのかえ?」

 ぽっかりと口を開ける村長さんは本当にアーサーのことを知らない様子だった。
 どちらが正しいことを言っているのかが全くわからない。でも、アーサーのあの悲しい顔に嘘はないと信じたかった。

「あのような好青年をわしは知らぬがな。名はなんと言っておった?」

 村長さんは続けて尋ねてきた。

「……すみません。僕の勘違いでした」

 少しだけ考えた末に、僕は誤魔化すことにした。
 もしかしたら、アーサーには何か隠したい事情があるのかもしれない。そう思ったからだ。

「ちなみに」

 間を置いて今度は僕が話を切り出す。

「なんじゃ」

「一月前に亡くなられたのはどんな方だったんですか?」

 唐突に気になった。
 優しそうに見える村長さんが淡白な反応を示す理由が。そして、自分の家族について聞くアーサーの追求をはぐらかした訳が。

「ごく普通の夫婦じゃよ。昔は一人だけ子供がおったが……ありゃあ、完全な忌み子じゃな」

「忌み子?」

 向こうの国や街なんかではあまり聞かない言葉だったけど、こういう小さな村ではまだそういう慣習があるのかもしれない。

「うむ。大体十五年ほど前の話じゃが……確か男の子じゃったか。赤ん坊の頃からやけに落ち着いておったんじゃ。泣かず、叫ばず、痛みに強く、常に木の棒を握り、まるで剣のように振り、時には山の小さな猪を狩ってきたこともあった。其奴の父親は剣の腕が良かったからその教えじゃろう」

「優秀で素晴らしい男の子じゃないですか。騎士団にほしいくらいですよ」

 幼児のうちからそんな実力を秘めているなんて凄まじいことこの上ない。

 でも、村長さんの面持ちは優れず、首を横に振っていた。

「その子は子供なのに子供らしい一面が一切なかったんじゃよ。しまいには、他の者とは違う奇怪なオーラを身に纏っておってなぁ……わしを含め皆が畏怖した結果、其奴を村から追い出すことにした。五つになる頃だったかのう」

「……ご夫婦の間に生まれた子供の名前は覚えてますか? その子供は先ほどの黒髪の青年に似てませんでしたか?」

 正直、聞いてて不快感が残る話だったけど、僕は核心に迫る質問をした。
 
「ふむぅ……先の青年と同じような黒色の髪の毛じゃったが、名前も顔ももう覚えてないわい。とうの昔に死んどるはずじゃからのう」

「そう、ですか」

 アーサーが悲しみに暮れていた気持ちがようやくわかったよ。
 そして、彼の辛い過去もね。
 ここは外部との交易すらない閉鎖的な辺境の村だから、勇者候補が纏う独特な雰囲気に関する知識がないんだ。そのせいで、アーサーは忌み子とされてしまったんだ。

 仕方がないと言えば片付けるのは簡単だけど、五歳の子供を一人で村から追い出すだなんて残酷な判断……普通はできないと思う。

 更に言えば、飄々とした村長さんの反応を見る限り、まだ何かを知っていそうだった。
 そしてもう一つだけ気になることが浮かび上がる。

「……質問、いいですか?」

「なんじゃ?」

 微笑む村長さんだったが、腹の中は少し黒そうだ。
 アーサーの両親が二人揃って見せしめとして殺されたのにも、何か理由がある気がしてならない。

「一月前に亡くなったご夫婦は、どうして魔族に殺されたのですか? 僕たち騎士団が到着してからすぐに、いきなり村から飛び出してきて魔族に追いかけられてましたよね?」

「……ふむぅ、わからんな。囮になるよう命令した覚えもなければ、外の安全を確かめるよう指示した記憶もないわい。運悪く魔族に捕まり殺されてしまったがのう。誠に残念じゃ。
 強いて言えば、あの二人は魔族の気配がどうこう言って村を捨てて逃げるとか何とか抜かしておったから……その報いじゃろ。現にわしらは生きておるし、死んだのはあの二人だけじゃからのう」

 村長さんはスッと瞳を細めると、わざとらしく目頭を押さえる。
 運悪くとか記憶がないとか報いとか、村の中から犠牲者が出たのにそんな言葉を使うなんて感性がズレてるらしい。
 その所作と言動を見ていると、かなり気分が悪くなる。

 こんな人だとは思わなかった。

 アーサーが不憫でならない。

「もう、行きます。僕は用事ができたので」

 僕は干し肉を口に放り込んで立ち上がる。村長さんには一瞥もくれてやらない。

 アーサーに真実を伝えたい、
 両親の死の真相を知らずにいるだなんて可哀想だ。
 
 君の両親は殺されたんだよ。村に。村長に。

 僕が追いかけて何かできるわけではないし、むしろ足を引っ張っちゃうと思うけど、それでも何か些細な事でも力になれるかもしれない。

 僕は周囲の空気を和ませたり緩衝役になったりするのは得意だから、戦力面では及ばなくても、精神的な柱として誰かのためになりたい。

 防御力も他の人よりは秀でていると思うから……やっぱり君の力になりたいな。

 まずは、アーサーの知り合いに接触してみようかな。
 




 ◇◇◇◇◇





 子供の頃、僕は勇者の御伽話が好きだった。

 もしかしたら、自分も勇者候補の一人として勇者になれるんじゃないかって思った時期もあった。
 でも、小さな国の小さな街で生まれた僕がそんな運命に選ばれる事はなかった。

 僕は勇者がダメなら戦士になりたいと思った。
 どこかの国の勇者育成学校で文武を学んで、勇者と賢者と僧侶と戦士の僕で勇者パーティーを編成して、たくさん冒険をしてみたかった。
 屈強な肉体と鋼の精神を持ち、パーティー全体の頂点に立って皆を守る役割は凄く魅力的だった。

 でも、結局、貴族でも何でもない僕の願いは叶わなくて、今は小さな国の騎士団で騎士をやっている。

 バザークという名前は高祖父と同じ名前だった。
 さすがに曽祖父のお父さんにあたる人だから会ったことはないけど、肖像画を見たら僕によく似ていた。
 高祖父を知る人の話によると、容姿が本当に似ているみたい。すらっと身長が高くて肩幅が広くて、燻んだ茶髪と冴えない顔立ち……一つ違うのは、剣の腕があるかどうかってことかな。
 高祖父は大国の騎士団で騎士団長を務めていたけど、今の僕は一端の騎士団員だからね。
 それを知っていた僕の父さんが高祖父と同じくらい強くなるようにと願いを込めて、高祖父と同じ名前を付けてくれたらしい。

 そんな高祖父は正義感がとても強くて、騎士として国を守るために戦死したみたい。
 書き残された最後の手紙によると、当時の勇者パーティーとも深い交友があったみたいだから、かなり腕の立つ人だったってことがわかる。
 僕も死ぬならそんな最期が良いなって思うことがある。

 だって、誰かを守って死ぬなんてカッコいいじゃん。

 もしもそれが叶わなくても、誰かのためになれるならそれが本望だよね。

 決して僕は強いとは言えないけど、根が明るいから空気を和ませることができるし、高祖父譲りで体は頑丈だから誰かを助けてあげることはできると思う。
 だから、僕はルイズ村を救うために最前線に立つことを選んだ。

 そして、勇者様に出会った。

 アーサー、君のことだよ。
 




 ◇◇◇◇



 


 アーサーが出発してから三日が経ち、今は空が赤く染まり始める時間。彼の言っていた知り合いとやらはまだ現れていない。

 容姿や性別なんかは聞き忘れちゃったけど、きっとアーサーと同じく馬を走らせてやってくるだろうから、彼がやってきたのと同じ方角を見ていればわかると思う。

「……あれかな」

 僕は小高い丘の上に立って遠方を見つめていた。
 すると、遥か向こうから二騎の馬が近づいてくるのがわかった。

 きっとあれがアーサーの言っていた知り合いだと思う。

 僕は丘を下りながら、両手を広げて手を振った。

 徐々に近づく二騎の馬の上にはそれぞれ一人ずつ女性が乗っていた。
 片方の女性は高級そうな真白いローブを羽織るエルフで、長杖を背中に携帯しているから多分魔法使いかな。
 もう片方の女性は黒っぽいローブの中に同色のワンピースみたいな服を着た金髪の人間で、武器らしきものは持ってなさそうだった。
 双方、急所部分はしっかりと防具で固めている。

 二人ともじっと僕のことを見つめている。
 いや、睨み付けられている感じだ。

「——ねぇ、きみ! 黒髪の男の子って来なかった!? っていうか、戦況はどうなのよ! 魔族はどうなったの!?」

 開口一番。金髪の女性は馬から飛び降ると、僕の胸ぐらを掴む勢いで距離を詰めてきた。
 初対面なのに凄い積極的だと思ったけど、その女性の顔はどこか見覚えがあるような気がした。後ろにいるエルフの女性もそうだ。会ったことがないのに、記憶の奥底がこそばゆくなる感覚に陥る。

「セシリア、落ち着いてください。彼が困っているでしょう?」

 僕が動揺していると、エルフの女性が間に入ってくれる。

「そ、そうね……ごめんなさい」

「えーっと……二人はアーサーの知り合いで合ってるかな?」

 僕は困惑しながらも尋ねる。

「ええ。その様子だと彼はもうここにはいないのですね。魔族も既に倒した後でしょうか?」

「うん。三日前に出発したよ」

 やっぱりアーサーの知り合いだった。
 エルフの女性は一見冷静そうな口調だけど、挙動は少し落ち着きがない。焦っているように見える。

「そうですか。どちらへ向かわれたのですか?」

「山脈を迂回した先にある大森林だね。目的地は更にその奥かな」

「……やはり。セシリア、追いかけましょう」

「そうだね」

 二人は僕から離れて馬に跨ろうとしていたけど、僕は咄嗟に呼び止める。

「待って。僕も同行してもいいかな」

「はい? 貴方が?」

「うん。ダメ?」

「ダメだよ! アーサーくんが向かう先は魔王のところなの! 悪いけどきみは強そうに見えないし、あたしたちの足手纏いになるだけだから!」

 強気な口調に聞こえるけど、その言葉に嫌みや棘なんかは一切なかった。
 単純に弱い僕のことを案じているみたいだった。

「貴方は強いのですか?」

「ううん。僕自身は弱いよ。強いモンスターや魔族を倒せる力は持ってないからね」

 強いか弱いかで聞かれれば答えは明白だった。
 僕は間違いなく弱い。騎士の中でも剣の腕は真ん中くらいだし、俊敏性を持ってたり頭が回るわけでもない。

「でも、体の丈夫さには自信があるよ。見ての通り君たちやアーサーよりも背が高くて体格がいいし、アーサーが助けに来る前は僕一人で魔族の攻撃を受け止めていたんだ。自分で言うのも恥ずかしいけど、性格も明るいからどこかで役に立てると思う」

 僕は両手を広げて胸を張る。ごく自然に自分をアピールした。
 人当たりの良さは自負しているから印象は悪くないと思う。

「……」

 エルフの女性は顎に手を当てていた。
 少し眉を顰めているから悩んでいるんだと思う。

「それに、アーサーは向こうの地理や地形なんかは全部把握しているみたいだったけど、それは君たちも同じだったりするの?」

 僕は言葉を続けた。

「っ……も、もちろん! ね、レミーユちゃん?」

「……セシリア、私もある程度は把握してますが、流石に全部がわかるわけではありませんよ」

 話を振られたエルフの女性は溜め息混じりに答えた。
 アーサーが規格外だっただけで安心した。

「え? そうなの? じゃあ、アーサーくんはなんで全部わかるの?」

「彼はモンスターや魔族、その他の地理や地形、天候に関する情報には詳しかったはずです。今思えば、それは魔王の元へ澱みなく辿り着くためでしょうね」

「ふーん……じゃあ、あたしたちだけじゃこの先に進むのは無理ってこと?」

「ええ。こうして地図を持って来ていますが、この先は魔王の侵略のせいで地形や天候が大きく変動しているでしょうし、私たちだけでアーサーに追いつくのは難しいかと」

 二人は揃って顎に手を当てて悩ましげな表情を浮かべたので、僕はここぞとばかりに手を上げた。

「僕なら山脈を超えた先の道がわかるから案内できるよ。多少変動していようとも歩き慣れているからへっちゃらさ」

「……本当ですか?」

「うん。昔、向こうに住んでいたからね」

「セシリア、彼に案内をお願いしましょう」

「うーん、そうだねー」

「決まりかな。自己紹介が遅れたけど、僕はバザーク。クロノワール山脈を陣取る魔族対峙のために派遣された騎士団の一員だよ。今はルイズ村の人たちを守りながら防衛拠点を展開している最中さ」

 話がまとまったところで僕は二人に握手を求めた。

「私はレミーユです。こちらはセシリア」

「よろしく」

 エルフの女性、レミーユさんと握手を交わす。

「ちょっと、レミーユちゃん! 勝手にあたしの名前を教えないでよねー」

 続け様にセシリアさんも不服そうにしながらも手を取ってくれた。
 わかっていたことだけど悪い人たちではなさそうで安心した。
 こんな人たちにアーサーから受けた伝言を伝えられるわけがない。

「良いではありませんか。旅をする上で他人行儀なのは命取りになります。連携が何よりも大事なのですよ」

 レミーユさんはくすくすと小さく笑う。

 そんな二人の仲の良さそうなやり取りを見ていると、どこか懐かしさを感じる。面識なんかないはずなのに不思議な気分だった。

「それはそうだけどさぁ……」

「何か気になることでもありましたか?」

「うーん……バザークくん、あたしとどこかで会ったことない?」

 セシリアさんはグッと距離を詰めて眼前から見つめてきた。眉間に皺を寄せて唸っているけど、それは僕も同じだった。

「それ、僕も思ってたんだ。でも、僕はアルス王国とは関係のない小国の生まれだし、多分勘違いなんじゃないかな?」

「そうかなー? レミーユちゃんとも面識はないよね?」

「ないね。エルフの知り合いなんて一人もいないよ。レミーユさんも僕のことなんて知らないもんね?」

「……そのはずなんですが、不思議とバザークとは初対面のような感じがしない気がします。なぜでしょうか?」

 僕の予想に反して、レミーユさんもセシリアさんと同じく眉を顰めていた。訝しげな目でこちらを見ている。
 知り合いではないはず、会ったことなんてないはず、なのに、僕たちは似たような感覚に陥っている。

「えー、なんだろうねー、これ」

「不思議ですね」

 二人は顔を合わせて首を傾げていた。
 共通の話題で会話を交わしたからか、少しばかり空気が緩んだ気がする。

 でも、話はこのくらいにして、早急に出発したほうがよさそうだ。

「二人は少し休憩する?」

 僕は交互に二人の顔を見やる。

「ううん、すぐにでも行けるよ。ね?」

「はい。のんびりしていられませんから」

「わかった。じゃあ、僕も急いで準備をしてくるから少しだけ待ってて」

 僕は二人にそれだけ告げて踵を返すと、駆け足で拠点へ向かいそそくさと準備を整えた。
 置き手紙だけを残し、馬を一頭拝借して二人と合流する。

 レミーユさんもセシリアさんも、アルス王国からここまで休まずに来たと思うから疲れているはずなのに、そんな様子はおくびにも出さないのは強い精神を持っている証拠だと思う。
 僕もアーサーに助けられるまでは死を覚悟して弱気になっていたけど、今は彼に真実を伝えたいから頑張ろうと思える。
 彼とは一日足らずの付き合いだけど、放っておけない感じがするんだ。
 レミーユさんとセシリアさんに感じる懐かしさも同じで、モヤがかかってはっきりしないけど、どこか赤の他人とは思えないしね。





 ◇◇◇◇◇





 僕はレミーユさんとセシリアさんを先導しながら馬を走らせていた。
 クロノワール山脈を右手側から迂回して、今は大森林の中を駆けている。

 進む先々に魔族の死骸や飛び立った血の跡があって、どれもまだ新しいものだった。

 それが何を意味するか。

 アーサーがここを通ったばかりだということだ。

 現に僕たちは一度としてモンスターや魔族と邂逅していない。ここは魔王軍のテリトリーになっているエリアだから、それは常識的に考えてあり得ない話だ。
 彼が迫り来る全ての敵襲を斬り倒しているに違いない。

「二人とも、馬とはここでお別れだよ」

 大森林を駆け抜けると、次に見えてくるのは広い荒野だった。
 地盤が酷く歪んでいて、とても馬が走れるような地形ではない。
 申し訳ないけど、馬は森の中に放つことになる。

「……酷い有様ですね」

「魔王の仕業、だよね」

 馬を降りて息を呑む二人の視線の先には、廃れた荒野が広がっていた。
 漆黒の空は分厚い黒雲に覆われていて、辺りには肌を刺すような鋭い空気が漂っている。
 人類が住む地とはまるで違う空気感だ。
 太陽が見えないから日光を浴びられず精神的な疲弊が溜まる。
 更に雑草すら生えない劣悪な地質は黒々としていて、辺りは静寂に包まれ風の音しか聞こえない。
 人間の五感の全てを苦しめるような悲惨な環境だった。

「バザーク、あの街はもう?」

 レミーユさんが指を差した先には街だった場所がある。

「うん。十年以上前に滅ぼされてるよ。僕の故郷さ」

 レミーユさんの問いかけに答えながらも歩みを進める。

 街を取り囲む高い石壁は崩れ落ち、その間からは雑草が無秩序に伸び放題となっている。かつて舗装されていた石畳の道は大きくひび割れ、ところどころに苔が生え、不気味な静寂が立ちこめる。

 僕は街の中へと立ち入り、久方ぶりに街の風景を眺める。
 ここよりもっと奥には、早々に侵略された大国もあったりして、魔王城に近づけば近づくほど凄惨な景色へと移り変わっていく。

「……すごいね。あたし、こういうの初めて見た」

 セシリアさんは街の中心にある大きな尖塔を見上げていた。

 かつてはこの街の人たちの手で守られていた街のシンボルだったはずなのに、今では僅かな衝撃を与えれば崩壊してしまいそうな状態だった。

「エルフの国の一部も魔王軍に攻め込まれています。今は幸いなことに魔法結界を張って対抗できていますが、破られるのも時間の問題です。この街と同じ未来を辿る日は近いでしょう」

 魔法に長けているエルフでさえ苦戦しているのだから、十数年前にこの街が滅んだのは自明だった。
 魔族の数はモンスターよりも少ないけど、個々の能力が圧倒的に高いから敵わない。

 でも、それは勇者様が現れなかった場合の話。

 今は違うと思う。

「少しだけ休憩しようか。疲れて危機管理能力を失うのが一番怖いからね」

「そうですね」

「ほんとは早くアーサーくんのことを見つけたいけど、休憩も大事だししょうがないねー」

 僕たちは近くの瓦礫の上に腰を下ろした。
 もちろん、周囲の警戒を怠らずに。

「そういえば、レミーユさんとセシリアさんは、どうしてアーサーを追いかけているの?」

 ずっと馬を走らせていたから、詳しいことは中々聞けなかった。
 レミーユさんがハイエルフの国の第三王女様で、セシリアさんがアルス王国の第二王女様っていう話だけは聞いた。平民の僕やアーサーとは身分的に格が違う。

 そんな二人がアーサーを追う理由が気になった。

「彼を一人で行かせないためです。きっと故郷の村を救う為の行動だったかと思いますが、さすがに魔王は一人でどうこうできる相手ではありません」

「そうそう。きみはどうしてあたしたちに協力してくれるの? アーサーくんのお友達ってわけでもなさそうだけど」

「僕はアーサーに伝えたいことがあるんだ。だから死なれたら困る。家族のことで悲しんでいたから、こんな僕でも何か役に立てたら嬉しいかな」

 アーサーは両親が犠牲になったその訳を知りたがっていた。村長さんと話した感触からして、彼の両親が亡くなった原因は明白だった。
 易々と命を落としたわけではなくて、村長と村に殺されたんだってしっかり伝えたい。それがどう転ぶかは全くわからないけど、僕だったら自分の家族が亡くなった理由を知らないままなのは嫌だから。

「彼の家族は無事でしたか?」

「……」

 僕は肩をすくめる。言葉は必要なかった。

「そう、ですか」

「すごく悲しんでたよ」

 今思い返せば、アーサーがあれほどまでに早く出発したのには、自暴自棄になっている側面もあったのかもしれない。
 それだけお父さんとお母さんが大切だったんだ。

「……ところでさ、レミーユさんとセシリアさんに確認だったんだけど、勇者様は誰だと思う?」

 アーサーこそが勇者様であるっていう直感が、僕の勘違いじゃないかどうかの確認だった。
 二人は僕よりもアーサーと親しいだろうし、彼を見て何か感じているかもしれない。

「アーサーでしょうね」
「うん。アーサーくんが勇者だよ。直感的なものだから、あたしたち以外の人にはわからない感覚だろうけどね」

 澱みなく頷くレミーユさんと、得意げな様子で胸を張るセシリアさんが視線を交わしていた。
 二人も僕と同じだったんだ。

 聞いてみてよかった。

 単なる直感だったけど、やっぱり僕の勘違いじゃなかったんだね。

「僕もわかるよ。一目見て思ったんだ。アーサーこそが勇者様だってね」

「え?」

 二人は揃って素っ頓狂な顔になったかと思いきや、途端に訝しげな視線を向けてくる。

「な、なに? そんなに見つめて……どうしたの?」

「それはつまり、私たちと同じく直感でアーサーこそが勇者であると思った……ということですか?」

 レミーユさんは後退る僕に近寄り下から見上げてくる。猜疑心を孕んだ声色だった。

「だって、アーサーは百体以上の魔族をたった一人で倒してたし、何よりもあの佇まいはそうなんじゃないかなって思ったんだ。聖剣は抜けなかったみたいだけどね」

「ふーん……きみが、そうなんだー」

「え、えーっと、僕、何かまずい事でも言ったかな?」

 セシリアさんが瞳を細めてじっとりと見つめてきてるけど、意味がよくわからなかった。

「ううん。別に。ただ、運命ってあるんだなって思っただけだよ。百年前の勇者パーティーも運命に導かれて出会ったっていうしね。どうりで初対面なのにシンパシーを感じるわけかぁ……それなら納得だね」

「それってどういうこと……?」

 僕はセシリアさんからレミーユさんに視線を移す。
 すると、レミーユさんはひとつ咳払いを挟んで口を開く。

「んー……多分、アーサーくんが勇者なら、レミーユちゃんは賢者になるの。そして、あたしは僧侶かな。じゃあ戦士は誰だろうね?」

「……ごめん、全然意味がわからないや」

 楽しげに茶化してくるようなセシリアさんの問いかけを理解することができなかった。
 見かねたレミーユさんが呆れた面持ちで息を吐く。

「セシリア。そのような遠回りな言い方をしても誰も分かりませんよ」

「はいはーい」

「では、バザーク。大前提として、貴方は勇者様を見つけ出す方法をご存知ですか?」

「えーっと……聖剣を抜いた人が勇者になるよね……あれ? もしかして他にも方法があるのかい? 僕は庶民だからそういうのには疎いんだよね」

 含んだ笑みを浮かべるレミーユさんの表情からして、まだ僕の知らない何かがありそうだった。

 聖剣を抜いた勇者候補が勇者に栄転するというのは僕でも知っているけど、それ以外の方法なんて聞いたことがない。

「賢者モルド様の話によれば、資質を持った賢者と僧侶と戦士は直感で勇者を見つけ出せるみたいですよ。更に、賢者と僧侶と戦士は運命的に惹かれ合うとか……」

「そうなんだ」

「まだわかりませんか?」

「え?」

「私たちが初対面なのに妙なシンパシーを感じたことには意味があると思いませんか? 更に、アーサーこそが勇者様であると直感した理由を考えてみてください」

 レミーユさんは真っ直ぐ僕の瞳を見ていた。
 
 なんとなく、その言葉を聞いてわかった気がするけど、それはあまりにも非現実的すぎて信じられなかった。
 でも、今の話が本当なら、それしかあり得ない。

「……僕が、勇者パーティーの戦士?」

「その通りです」

 微笑みながら頷くレミーユさんを見た途端、僕の心臓は大きく跳ねた。
 それは喜びと不安によるものだった。運命に選ばれた自分のことが怖くなる。

「いや、待って。仮にそれが本当だったとしても、アーサーが聖剣を持っていなかったのはどうしてなんだい? アーサーが勇者様なら聖剣を抜けるはずだよね?」

 レミーユさんとセシリアさん、そして僕が賢者と僧侶と戦士だったとても、それはアーサーが聖剣を抜けなかった理由にはならない。
 勇者様は聖剣を抜くことができる。その事実に変わりはないのだから。

「それは私たちにもわかりません。ですが、アーサーは聖剣を抜く時に不敵に笑ったそうですよ。それにも何か意味があると思いませんか?」

「うん。パパは資質がどうとか言ってたけど、自分の故郷を助けたくて余裕がなかったアーサーくんが、そんな場面で意味もなく笑うわけがないものね」

「……じゃあ、アーサーは《《聖剣を抜けなかった勇者様》》ってことかい?」

 随分とおかしな話だけど、アーサーは聖剣の力を信じすぎるなって言ってたし、必ずしも聖剣が必要なわけではないのかもしれない。

「私とセシリアの推測ではそういうことになりますね。無論、彼自身に聞かなければ真意は分かりせんが」

「ちなみに……聖剣は持っていないけど特殊能力は持っているんだよね? 僕はあまり詳しくないけど、とびきり強い能力だったりするのかい?」

 聖剣以外にも気になっていた事だった。

「わかりません」

「わからない? どうして?」

「アーサーは、私やセシリアだけではなく、周囲の誰にも自分が持つ特殊能力の事を語っていないので、彼が持つ力を知る人はこの世に存在しません」

 僕に隠しているとか嘘をついているとか、そういうわけではないみたい。不服そうに頬を膨らませている様子を見るに、本当に何も知らなさそうだった。

 となると、ますますわからなくなる。
 たくさんの疑問が頭の中に湧いてくる。

「……確かに、魔族を倒した時も剣しか使ってなかったかな。どうして隠すんだい?」

「それもわかりません。きっと何か深い理由があるはずなんですが……」

「アーサーくんは『特殊能力を使うには覚悟が必要』って言ってたよ。だから、多分相当訳ありなんだろーね」

 セシリアさんは天を仰いで呆れた面持ちだった。
 唇を尖らせて不満そうにしている。

「訳ありって……まさか、彼は聖剣でもなんでも無い剣一本で魔王を討伐するつもりなのかい?」

「そのようです。特殊能力を使用せずに魔王に挑むだなんて自殺しにいくようなものですよ」

 レミーユさんは大きな溜め息を吐く。アーサーの身を案じるあまり気が滅入っているみたいだ。

「でも、アーサー自身は特殊能力の事を誰にも話したくないんだもんね。無理な追求はしない方が良さそうかな?」

「うん。あたしも最初はグイグイ聞いちゃったけど、あんなに誤魔化されたってことは本当に言いたくないんだろうなぁって」

 セシリアさんは確かにグイグイ聞いちゃいそうだ。
 僕も初対面でにじり寄られたしね。

「そうですね……私も彼の能力が心底気になりますが、これ以上の追求は控えようかと思います。
 いっそ、剣だけで魔王を討伐するという勇者様のことを賢者として信じてみます」

 僕たち三人の中で一つの約束事が決まった。
 勇者様であるアーサーが剣一本で魔王討伐を成し遂げるって言ってるんだから、仲間である僕たちがそれを信じないのは間違っているしね。

 まあ、まだ実感が湧かない部分があるけど。

「それにしても、僕が戦士かぁ……夢みたいだなぁ」

 考えるに連れて、胸の辺りには温かみが宿る。
 心臓の鼓動が早くて、力が漲る気がする。

「私も同じです。アーサーが勇者様である事実は信じられるのに、自分が勇者パーティーの一員である事実は未だ信じきれません」

「あたしは最初から自分のことを信じてたよ! だって、あたしと同じくらいの回復魔法と補助魔法を使える魔法使いなんて他にいないしね! レミーユちゃんも謙遜してるだけで一緒だもんね?」

「まあ……威張るつもりはありませんが、否定はしません」

 胸を張って堂々とするセシリアさんと照れ臭そうなレミーユさんは、対照的でありながらも相性が良さそうに見えた。
 適度な相性と仲の良さは戦闘において優位に働く。
 特に連携面に関しては言うまでもない。
 僕の気さくな性格と空気に溶け込む力は、そういう面で役に立てそうだ。

「……さて、そろそろ出発しようか」

 僕は瓦礫から飛び降りて体を伸ばした。
 短い時間だけど、談笑することで気を休めることができた。

 空は黒い雲に覆われているけどまだ夜って感じではないし、もう少し先に進めると思う。
 この先には別の小さな街があるから今日の目標はそこに辿り着くことかな。
 魔族を倒しながら進むアーサーはそれほど遠くにはいないはずだから、彼に教えた最短ルートをそのまま辿っていくのが良いと思う。

「バザーク、魔王城まではどのくらいですか?」

「地図上の話だとこっちの方向に果てしなく進めば魔王城があるね。かつての大国を魔王が侵略してそのまま使ってると思うよ。でも、地殻変動と悪天候のせいで簡単に辿り着くことはできないし、距離も相当あるはずだよ」

 魔王城の場所は変わっていないと思う。
 魔王は魔王城を中心に勢力を拡大していて、その度に人類から現れた勇者と戦っている。
 百年前は同時に勇者様にかなり追い詰められて力を落としたみたいだけど、ここ数年はめきめきと活性化を図っている。

「まあとにかく、アーサーを追いかけようか」

 僕は二人に微笑みかける。

 レミーユさんは笑みを返してくれたけど、なぜかセシリアさんは高く積まれた瓦礫に目をやり固まっている。
 横顔しか見えないけど、瞳を閉じて耳に手を添えているのがわかる。

「……セシリア? どうかしたのですか? 瓦礫に何かあるのですか?」

「うん……何か聞こえない? 近づいてくるよ……何かが飛んでくるよ!」

 耳を澄ましていたセシリアさんは突如として目を見開き叫びを上げると、僕とレミーユさんの手を取って後方へと駆け出す。

 寸秒。地鳴りのような轟音が響き渡る。

「な、何が起きたのですか——」

 レミーユさんの叫びは、刹那の間に流れゆく爆風によってかき消される。更に、同時に発生した砂煙は僕たちの視界を遮り、一瞬、辺りの様子が見えなくなる。
 しかし、すぐに煙を切り裂くようにして、一陣の風が吹き抜けた。

 途端に砂煙が晴れると、さっきまでそこにあったはずの瓦礫が砂塵に変わっていた。
 砂塵は山のようにこんもりと膨れている。

「な、なに!?」

 セシリアさんだけじゃない。僕とレミーユさんも困惑して視線を交わす。

 何かが瓦礫に激突したのは間違いない。それは魔法かはたまた別の何かか。とにかく、先ほどまで平穏だった空気には暗雲が立ち込めていた。

「セシリア! 臨戦態勢に入ってください! 私に魔法の威力を高める補助魔法を! バザークにはデコイとして動けるように俊敏性と肉体防御を上げる補助魔法を!」

「言われなくてもわかってるよ!」

 レミーユさんとセシリアさんが動き出すのは早かった。
 山のように膨れる砂塵を見据えて警戒の色を露わにしている。

「……魔族?」

 砂塵の山を凝視する。
 細かな粒子が山のように膨れた砂の奥には僅かな動きが見え、中に何かが埋もれていることが分かった。
 
 僕はレミーユさんとセシリアさんに視線を送り、恐る恐る砂塵の山に近寄る。
 すると、突然、砂の山からガバッと手が飛び出してくる。
 次に空気を手繰り寄せるかのようにして腕が現れ、順に頭と体が砂の中から姿を見せる。

 現れたのは僕達が探していた人物だった。

「くそ……」
 
 苦々しく吐き捨てるように立ち上がったのは、傷だらけのアーサーだった。
 百五十体の魔族を蹂躙した勇者様の姿とは思えないくらいボロボロだ。

「アーサー!」

 レミーユさんは砂塵をかき分けてアーサーに駆け寄ると、彼の体の状態を確かめるように優しく手を這わせていた。

「ヴェルシュ? それにセシリアとバザークまで……どうしてここに?」

 驚愕するアーサーの鎧は所々が砕け、露出した肌には生々しい傷が刻まれていた。それでも彼の目は戦意を失わず鋭い光を放っている。
 痛みに嘆く表情なんて一切見せず、真剣な顔つきで眼前を見つめる。

 今は戦闘の最中なのだということがわかる。

 でも、雰囲気からしてあまり優勢ではなさそうだ。

「助けに来たんだよ、きみのことを!」

 セシリアさんも駆け寄りアーサーの手を取った。
 でも、アーサーは手を取らずに彼女らのことを突き放した。

「……お前たちは早く逃げろ。ヤツが来る」

 アーサーは剣を一振りして砂塵を吹き飛ばし、何も見えない眼前の虚空に向かって剣を向けた。
 構えからして何かを捉えようとしているのはわかる。でも、その姿が見えない。

「ヤツって何よ? あたしたちにも手伝わせて!」

「ダメだ。俺一人でやる」

「なんで!」

「……もう、誰かを失うのはごめんなんだ」

 酷く悲しい声色だった。背中しか見えないけど、きっと彼の顔は悲壮感に溢れていると思う。

 でも……だからこそ、今度は僕が手を貸す番だよ。

 救ってもらった命は君の為に使うから。

「僕は逃げないよ。君も逃げずに騎士団のことを助けてくれたからね」

 僕は腰から長剣を抜く。

「私も……ダンジョンでは貴方に救われました。きっと逆の立場なら、貴方はこの状況でも逃げないと思います」

 レミーユさんは背中から長杖を引いた。

「アーサーくん、あたしたちはきみのために戦うんだよ! もう一人にはさせないからね! あたしたちは勇者パーティーだよ!」

 セシリアさんは弾けるような笑顔で呼応する。

 皆の思いが合わさった瞬間だった。
 僕達が彼にこの身を捧げる覚悟は出来上がっていた。

「……死んでも知らないからな」

 アーサーは呆れ混じりに言っているけど、僅かに上擦った声色を僕は聞き逃さない。
 僕は彼の悲観した声しか聞いた事がなかったから変化がよくわかる。

「死なないように全員の力を合わせるのですよ。では、セシリア。まずは彼の治療をお願いします」

「うん!」

 セシリアさんは言われる前に回復魔法を発動させていた。放たれた翠色の光はアーサーの全身を包み込む。
 アーサーは体の感触を確かめるように剣を振る。準備運動のように見える動作の一つ一つは、目にも止まらない速度で繰り出される。

 僕の剣の腕とは比べることすら烏滸がましいほどの明確な実力差があった。

 やがて、回復魔法の癒しを受け終えたアーサーは一つ息を吐くと、さっき自分が飛ばされてきた方角を見る。
 
「来るぞ」

「……魔族。それも上級魔族だね。かなり強そうだ」

 アーサーが見つめる先には、闇を纏う黒々しい何かがいた。四足歩行で徐々に近づいてくるそれは、見ているだけで気分を害される。
 錯覚に陥るような、頭がぼやけてくるような感覚だ。

「たまのカウンター攻撃に注意が必要なだけで、実力はそれほどでもない。ただ、俺一人では手数が足りないんだ。どうもヤツは無数の細かな残滓で構成されているみたいでな。真正面から斬りつけても剣だけでは絶ちきれない。おまけに復元能力に優れているせいで、何度やっても倒せない。かれこれ三日は繰り返しているがな……」

 アーサーは悩ましげな顔つきだった。

 先ほど吹き飛ばされてきたのは、彼の言うたまのカウンター攻撃を浴びてしまったからなのかな。
 いくら勇者様と言えど人間だ。三日も攻防を繰り返せば隙が生まれるのも無理はない。

 でも、今は僕たち三人も一緒だ。
 それぞれが補い合う事ができる。

「それなら、僕たちが協力するよ。僕はデコイとして敵の気を逸らしてチャンスを生み出す」

「私は攻撃魔法で加勢します。やっと貴方に私の攻撃魔法をお見せできそうです」

「あたしは補助魔法で俊敏性を高めてあげる! 太刀筋が速くなると思うよ!」

「……頼んだ」

 アーサーは僕たちに視線を這わせて力強く頷いた。
 それ以上の言葉は必要ない……みんながそう思っていた。強い信頼関係が芽生えた瞬間だった。

「それじゃあ、まずは僕がデコイになるね! セシリアさん、補助魔法で防御力を高められる?」

「もちろんだよー! はい、いいよ!」

 セシリアさんは無詠唱で僕に手のひらを向けるだけで魔法の発動を終えた。
 一瞬、魔法なんてかかっていないんじゃないかって思ったけど、感覚的に全身に漲る底知れない力がわかった。

 今の僕はより頑強な肉体を持っている。

「……勇気が湧いてくる」

 僕は敵の元へと徐々に歩みを進める。
 いつもなら怖いのに、今は違う。
 背中に皆がいてくれるからか、不思議と恐怖は感じなかった。

 むしろ、安堵感が強い。

 僕ならやれるって、強く思っていた。

「少し、追いかけっこでもしようか!」

 僕は途端に駆け出して、目の前の黒い敵の注意を引く。ヤツは上級魔族にしては知能が低いのか、まんまとつられて僕のことを追いかけてくる

 足は遅いけど、今くらいの耐久力を持っていれば攻撃を受けても何とかなると思う。
 というより、攻撃を受ける前に、アーサーとレミーユさんが何とかしてくれるよね。

「アーサー! 私が先に光の矢を放ちます! タイミングを図って追撃してください!」

「ああ」

「あたしは先に補助魔法をかけとくね! 一番強力なやつだから、効果が切れた後は結構ダルくなるかも!」

 逃げる僕を尻目に、三人は着々と準備を整えていく。
 レミーユさんの周りには既に数百本の光の矢が顕現していて、矛先はもちろん僕を追随するヤツに向いている。
 少し離れた位置に立つアーサーは全身に妙な淡いオーラを纏いながら、姿勢を低くして剣を構えていた。
 傍目ならわかるけど、あのオーラこそが補助魔法なんだと思う。

 予想はしていたけど、やっぱりレミーユさんもセシリアさんも凄まじい力を持っているみたいだ。
 
「——はぁ! 今です!」

 レミーユさんが光の矢を一斉掃射する。数百本の矢は一直線にヤツの元へ向かい、その全身を最も容易く
 貫く。
 ヤツは獣のような唸り声を上げて立ち止まる。

 僕は即座に距離を取って行く末を見守る。

 同時にアーサーが駆け出す。

 彼は僕が一つ瞬きをする間に既にヤツの懐に忍び込んでいて、縦横無尽に剣を振るっていた。

 ヤツの鈍い雄叫びは途切れる事なく続いていく。

「終わりだ」

 アーサーが最後の一太刀を振るうと、ヤツははらはらと空気に溶けるようにして飛散した。
 
 あっけない終わりだった。

 でも、これは力を合わせて掴み取った勝利だった。
 あんなに強いアーサーが三日かけても倒せなかった相手を、僕たちは力を合わせる事でたった数分で倒す事ができた。
 それは何よりも素晴らしい事だった。

「…………うんうん! これだよ、これ! あたしが求めていたのはこういうのだよ! みんなで力を出し合って脅威を討ち取る! これこそが冒険、これこそが旅、これこそが勇者パーティーだよ!」

 セシリアさんは楽しげな様子で声高らかに口にした。
 満面の笑みには喜びの色しかない。まるで子供のようにはしゃいでいる。それほどまでに勇者パーティーという存在を渇望していたのかもしれない。
 レミーユさんは小さく笑っている。

 僕も同じだよ。さっきまではいじいじして実感が湧かなかったけど、たった一つの戦いを通す事で、僕は僕である理由がわかった気がする。

「……勇者パーティーって、何のことだ?」

 当のアーサーだけは、僕たちが円満な空気なる理由がわかっていなかった。
 首を傾げている。

 レミーユさんが一つ咳払いを挟んでから口を開く。

「アーサー。貴方に幾つか把握して頂きたいことがあります。
 まず一つ、賢者モルド様が示してくださった、勇者様を見つけ出す直感は当たるということ。
 そして一つ目を踏まえて二つ、私は賢者でセシリアは僧侶、バザークは戦士だったということ。私たちは互いに運命的に惹かれ合いました。
 最後に三つ、私たちは貴方を勇者様として認識し、ここに勇者パーティーを結成します。もう、貴方は一人ではありません」

「どういうことだ?」

 怪訝な面持ちでアーサーが聞き返す。
 説明を聞いてもなおわかっていない様子だった。

「全部レミーユちゃんが言った通り、あたしたちの直感に間違いはなかったってことだよ。やっぱり、勇者はきみしかいないんだ! 聖剣を抜けなかった理由はわからないけどね!」

 セシリアさんはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねるほど、心底嬉しそうな口振りだった。
 空の暗さなんて吹き飛ばせるような底抜けの明るさがある。良い意味で王女様っぽくない。

「そういうことです。アーサー、貴方が何と言おうと、私たちは貴方についていきます。そして、魔王討伐を成し遂げます。私は賢者として」

「あたしは僧侶として」

「僕は戦士として、ね?」

「……長く険しい旅になるぞ?」

 鋭い視線で睨みつけてくるアーサーだったけど、僕たちは問答無用で首を縦に振った。

「もう、大切な人に会えなくなるかもしれないぞ?」

 答えは変わらない。

 アーサーは少し沈黙を置いた末に……大きく溜め息を吐く。

「……わかった。勇者パーティーの結成だ。どうせ、何を言ってもついてくるんだろ?」

「わぁい! やったぁー! 憧れの僧侶になれたし、勇者パーティーにも入れたー! アーサーくん、絶対に魔王討伐を成し遂げようね! レミーユちゃんとバザークくんも!」

「はい。私は元よりそのつもりです。賢者モルド様が成し遂げられなかった魔王討伐を必ずやら現実のものにしてみせます」

「僕も一生懸命頑張るよ。まだ皆に比べたら未熟者だけど、旅を通して強くなってみせる」

 僕は弱い。アーサーとは比べるまでもなく、もちろんレミーユさんとセシリアさんと比較しても実力は劣る。でも、戦士に選ばれたからこそ、皆の足を引っ張らないために頑張る必要がある。

「……ふっ……」

 盛り上がる僕たちを見てアーサーは小さく笑っていた。
 僕が知る彼はずっと悲しい雰囲気だったけど、今はそれが嘘のように晴れやかだった。

 彼の笑顔は、僕たちにとってはまさしく希望の象徴だった。
 これまで彼が背負ってきたであろう孤独と重圧が、僕たちの支えによって少しずつ解きほぐされていくのを感じた。
 長く険しい旅が待っていることは誰もが理解していたけど、僕たちは共に戦う決意を固めた。

 暗雲が立ち込める空の下で、勇者アーサーを中心に結成されたこのパーティーは、どんな困難にも立ち向かい、魔王討伐という偉業を成し遂げるために団結する。これが、僕たちの新たな始まりであり、そして彼が一人ではないことを証明する旅の幕開けだった。

 それぞれの役割を胸に刻み、僕たちは進む。魔王討伐を成し遂げるその瞬間まで。


 ——およそ百年ぶりとなる勇者パーティーは、いまここに結成されたのだ。

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