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29話 隣に立つ権利

 ぐす、と洟をすするクラーラを、エアハルトはぎゅっと抱きしめた。



「おそらく俺に届く手紙も、俺が出す手紙も、王族に検められていたんだ。キースリング国の配達業は国営だ。個人の手紙など、権力でどうとでも出来たんだろう。俺の手紙はなかったことにされ、クラーラの手紙は偽造された。――企んだのは、ヨゼフィーネさまか侍女長か」

「王族がそんなことをしてはいけません」

「まったくもって、クラーラの言う通りだ。俺とヨゼフィーネさまの婚約を画策して行われたのだろうが、それくらいでクラーラへの想いを枯らす俺ではない」



 ヨゼフィーネの体調を慮って、大人しくし過ぎていた。

 エアハルトからの連絡が何か月も途絶え、どれだけクラーラには心労をかけただろう。

 修道院で隠れて暮らしていたクラーラが、オルコットを名乗って手紙を出した意味が、エアハルトにもやっと分かった。

 王族から届いた手紙を、さすがに無視するなんてできない。

 

「クラーラ、差出人名にオルコット姓を使ったということは、もしかして……?」

「王族に戻りました」

「だが、王城にはクラーラを狙う敵がいただろう?」

「……ダイアナさまは逝去されたのです」



 だから、兄のベンジャミンがクラーラを迎えに来たのだと説明する。

 それでもエアハルトは腑に落ちない。

 

「修道院で見習いシスターをしているクラーラは、毎日が楽しそうだった。もし、俺のために無理をして王族に戻ったのなら――」

「きっかけはそうでした。でも、王族に戻ったことで、私は目標に何歩も近づけました。だから無理をしているわけではないんです」

「院長や子どもたちと離れて、寂しくはないか?」

「うふふ、王族のお勤めの中に、孤児院の慰問があるんです。だから院長先生にも子どもたちにも、会いに行ってるんですよ」



 柔和に笑うクラーラを見て、ようやくエアハルトも納得したようだ。



「俺が不甲斐ないばかりに、クラーラには多くの決断をさせてしまった」

「とんでもありません。それよりエアハルトさんは、熱があったのではないのですか? お医者さまも分からない病気だと聞きました」

「あ~、あれは……その……ちょっと、興奮しすぎて」

「興奮? 熱が上がってしまうほど?」

「クラーラはズルい、あんな恋文を書くなんて。もう俺の心も体も未来も全て、クラーラにもらってもらわないと駄目だ。俺はクラーラへの愛にのぼせ上がって……それで、意識を失うほどの高熱を出した」

「まあ!」



 クラーラが頬を染める。

 自分が手紙に何を書いたのか、思い出したのだ。

 あのときはイライザの発破もあって、クラーラは常にないテンションだった。

 エアハルトへの想いの丈を、何枚もの便せんに綴った。

 最終的には封が閉まるかどうか、ギリギリの分厚さになるまで。

 

「クラーラ、愛しているよ。どうかクラーラの隣に立つ権利を、俺にください」



 まだ熱が少しあるのだろう。

 やや潤んだ黒眼でエアハルトが希う。

 それにクラーラは胸を撃ち抜かれた。



「それは……私こそ願ってきたことです。エアハルトさんに相応しくなりたくて、その目標に向かって一歩一歩進んできました」



 そして――。



「私、けっこう成長したと思うんです。それに、まだ伸びしろもあるはずです! ……エアハルトさん、一緒にオルコット王国へ帰りましょう。私にとっても、オルコット王国にとっても、エアハルトさんは無くてはならない大切な人なんです」

「俺を望んでくれるのか。嬉しいな」



 すり、とエアハルトがクラーラの肩に頬をすり寄せる。

 クラーラはそっと手を伸ばし、エアハルトの首元を触る。

 やはりまだ温かかった。



「エアハルトさん、私が看病しますから、もう少し休んでください。しっかり元気になってから、オルコット王国へ帰りましょう」

「分かった。クラーラの言うことは、なんでも聞く」

「ここへ来るのに、カロリーネさまにもご助力いただいたのです。エアハルトさんが無事だったと、報告してきます」

「……もう少し、一緒にいて欲しい」



 横たわったエアハルトが、おずおずと手を差し出す。

 クラーラはそれをしっかりと握りしめた。



「熱があるときは心細いですからね。エアハルトさんが眠りにつくまで、ここにいます」

「ありがとう、クラーラ」



 少年のように屈託なく笑うと、まもなくエアハルトは眠ってしまった。

 クラーラと会えて、興奮していた感情も、落ち着いたようだ。

 寝顔はとても穏やかだった。



「おやすみなさい、エアハルトさん」



 クラーラが寝室から出ると、そこには医師が待っていた。

 どうやら中で話している二人を慮って、こちらで待機していてくれたらしい。

 クラーラはそれに感謝をしながら、エアハルトの熱の原因について伝える。

 すると医師は、「知恵熱でしたか。小さい子が出すものと、思っていましたが」と苦笑していた。



 ここまで先導してくれた騎士と一緒に、カロリーネがいるだろう謁見室へと戻る。

 紛糾しているだろうと思っていた話し合いは、すでに終盤に差し掛かっていた。



「クラーラちゃん、おかえり。愚弟の様子はどうだったかしら?」

「知恵熱だそうです。お医者さまからも、すぐに元気になるでしょうと言われました」



 知恵熱と聞いて、カロリーネは噴き出していた。



「何に興奮したんだか、だいたい想像はつくけどね。どうせ、クラーラちゃん関連なんでしょう?」

「あ、それは……そうですね」



 顔を真っ赤にして恥ずかしがるクラーラを、カロリーネが優しく見やる。

 エアハルトが寝込んだタイミングを知っているシュテファンは、クラーラの手紙が原因だったかと得心した。



「エアハルトの部屋の近くに、二人の客室を用意しよう。そこで回復を待つといい」

「お気遣いに感謝します」



 きれいに礼をするクラーラを見て、やはり惜しいなと思いながら、シュテファンは謁見室から立ち去った。

 カロリーネに容赦なく口撃されて、すっかり青息吐息の国王を引きずりながら。

 

 ◇◆◇◆



 次の日、クラーラはカロリーネを伴って、エアハルトの部屋を訪ねた。



「おはようございます、エアハルトさん。体の調子はいかがですか?」

「ぐっすり眠ったからか、すっかり熱が引いたよ。朝食もきちんと食べた」

 

 クラーラに褒められたいエアハルトが胸を張る。

 それに駄目出しをするのはカロリーネだ。



「そんな柔な体に育てた覚えはないわよ。クラーラちゃんやフリッツに心配をかけて……少しは反省しなさい」

「姉さんも心配してくれたんだろう? 悪かったよ、俺がもっと早くに気がつけばよかったんだ」

 

 改めてカロリーネから、ヨゼフィーネの所業の全貌が説明される。

 クラーラもエアハルトも、開いた口が塞がらない。



「まさか仮病だったなんて……そこから疑わないといけなかったのか」

「エアハルトの気を引くために、弱々しい姿を装っていたそうよ。本当は走り回れるくらい健康なんだとか」

「せっかく書いてくださったエアハルトさんの手紙が、切り刻まれてしまったのは残念です」



 しょんぼりするクラーラに、エアハルトは奮起する。



「これからいくらでも出すよ。オルコット王国の配達業は順調なようだし」

「楽しみにしていますね。エアハルトさんが会社へ戻れば、フリッツさんも喜びます」



 いつの間にか恋人同士になっている二人に、カロリーネはふふっと笑みを漏らす。



「ヨゼフィーネさまの騒動で、二人の絆はかえって深まったみたいね。今後は邪魔をさせないように、私がしっかり監視しておくから安心してちょうだい」

「そう言えば、ベルンシュタイン辺境伯領で国王陛下とヨゼフィーネさまを預かるって? どうするつもりなんだ?」



 国境警備には役立ちそうにもないが、とエアハルトが呟く。

 

「国王陛下はローラントさまに丸投げするつもりよ。かなり今回の件に立腹していたから、特大のお灸を据えるんじゃないかしら? ヨゼフィーネさまは私が躾し直すわ。侍女長もついてくるらしいから、そちらも一緒にね」

 

 カロリーネは、ぱちんとウインクをして見せる。

 その厳しさを知っているエアハルトは、特訓風景を思い出してうへえと呻いた。

 何も知らないクラーラだけが、カロリーネの力添えに感謝する。



「何もかもをお任せした形になってしまって、申し訳ありません。私にも協力できることがあれば、ぜひ――」

「クラーラちゃんはエアハルトを幸せにしてくれたから、それだけで十分よ」

「わ、私も、エアハルトさんから幸せをいただいてます」

「いいや、絶対に俺のほうが幸せをもらってる! 俺はもっと、クラーラを幸せにしないと!」



 元気になったエアハルトの部屋には、明るい声があふれた。

 遠からず二人はオルコット王国へ戻る。

 そこにはクラーラの連れてくるエアハルトを見定めようと、ベンジャミンたちが待ち構えているのだった。

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