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30話 難攻不落なのはどちら

「おかえり、クラーラ。さあ、お兄さまのもとへおいで」



 オルコット王国の港で、既視感のある出迎えをしてくれたのは、両腕を広げたベンジャミンだ。

 その隣にはファミーとイライザもいる。

 ずらりと総出で並ばれて、船から降りたクラーラは驚いた。



「お兄さま、お義姉さま、それにイライザさんまで。わざわざ来てくれたんですか?」

「クラーラの初めての対外的な公務だったろう? それを労おうと思ってね」

「ベン、正直に言ったほうがいいわよ。帰ってくるまで気懸かりで、夜もそわそわして眠れなかったって。今日は朝からまんじりともせず、港で待機していたんだって」



 ファミーに心配性ぶりを暴露され、ベンジャミンは決まりが悪そうな顔をする。



「クラーラの力量を、疑っていたわけじゃないんだ。ただ、航海中に天候が悪化して事故が起きるかもしれないとか、オルコット王国よりも強大なキースリング国にクラーラが相手にされないかもしれないとか、考え出したら止まらなかったんだ」

「お兄さま……そんなに私のことを、案じてくれていたんですね」



 クラーラは感極まり、ベンジャミンの腕の中へ飛び込んだ。

 そんなことをしたのは、少女のとき以来だったが、これが家族の暖かさだったとクラーラは思い出す。

 無事でよかったと抱きしめるベンジャミンと、ただいま帰りましたと微笑むクラーラ。

 ダイアナの件で生じた溝が完全になくなり、二人は仲の良かった兄妹の姿へ戻っていた。

 そんな抱擁を温かく見守っていたエアハルトを、ファミーが王家の紋章がついた馬車へと誘う。



「よろしければ、一緒に乗りませんこと? 帰宅先まで送りますよ」

「いいえ、遠慮しておきます。俺の迎えも来ているだろうから」



 その予想は間違っていなかった。

 少し離れたところから、フリッツが手を振っている。

 エアハルトの眼には、その眦が僅かに光っているのが見えた。



「どうか家族水入らずで、お過ごしください。また改めて、ご挨拶に伺います」



 エアハルトが退こうとするのを察知し、クラーラがそちらを振り返る。

 手を伸ばそうとしたが、エアハルトがウインクをして立ち去ったので、クラーラは肩を落とした。



「クラーラさん、私たちの圧が強かったみたいね。ごめんなさい。もう少しエアハルト君と、過ごしたかったわよね」

「エアハルトさんとは、ずっと船上で一緒でしたから……大丈夫です」



 謝るファミーへ一抹の寂しさを隠して、クラーラが嘯く。

 そして四人は、大きな馬車へと乗り込み王城を目指した。



 途中、城下町の大通りを抜けたら、道沿いからにぎやかな声が上がっていて、景気の回復を感じさせた。

 ベンジャミンもファミーも、民の生活を愛おしそうに眺める。

 クラーラもそれに倣っていたら、隣に座ったイライザから話しかけられた。

 

「彼を無事に取り戻せて、良かったわね! お披露目パーティのエスコート役も、引き受けてくれるんでしょう?」

「正装のデザインを合わせよう、という話をしました。多分、近いうちに王城を訪ねてきてくれると思います」

 

 エアハルトと会う約束があるのを思い出し、クラーラの気分は分かり易く上昇した。

 それを見て、向かいのファミーがベンジャミンを肘でつつく。



「こんなに想い合っているのだから、クラーラさんとエアハルト君の邪魔をしては駄目よ?」

「是非の検証は大事だよ! ちらっと見た限りでは、体躯もたくましいし、人が良さそうだし、悪くない印象だったけど……」



 エアハルトに欠点がなく、もごもごとベンジャミンは口ごもる。

 ファミーが続きをすらすらと述べてみせた。

 

「しかも起ち上げた事業を見事成功させて、オルコット王国の景気を上向かせているんだから、なにも文句のつけようがないじゃない」

「そんな完全無欠な男、この世に存在するかなあ……どこかに瑕疵がありそうなものだよ」

「ベンは疑い深いのねえ。クラーラさんはエアハルト君にエスコート役を頼んでいるみたいだから、お披露目パーティで見定めるのはどう?」

「そうだねえ、エアハルト君の対抗馬になりそうな令息をぶつけて、反応をみるのもいいねえ」

「そんな令息がいればいいけどね」



 どこを探してもいないだろう、とファミーは高を括る。

 なぜなら、クラーラが愛しているのは、エアハルトなのだから。



「ベンが納得いくまで、検証したらいいわ。ただし、やり過ぎるとクラーラさんに嫌われるってこと、忘れない方がいいわよ」

「えええ!? それは困るよ!」

 

 町の喧騒に負けないくらい、馬車の中も騒がしかった。



 ◇◆◇◆



「フリッツ、心配をかけた」

「無事でなによりです。クラーラちゃんがキースリング国へ乗り込んでくれたおかげですね」



 銀縁メガネを外し、フリッツが歓びの涙を拭う。



「何があったのかは、後でゆっくり聞きましょう。取りあえず旅の疲れを取ってください」

「俺はこれくらいの航海なんて慣れっこだ。それより配達事業の進捗が知りたい」

「……ハルは船酔いしないんでしたね」

「クラーラもしてなかったぞ」

「どうせ軟弱なのは僕だけですよ。デレクにも心配される腕の細さですからね」



 ぷくっと頬を膨らませたフリッツだったが、それならばとエアハルトを用意した馬車へと誘う。



「移動しながら話しましょう。これまでの経過はすべて、僕の頭の中に入っていますから」

「さすがだ、それでこそフリッツだ」



 エアハルトに褒められ機嫌をよくしたフリッツは、順調に進んでいる事業内容について具体的な数値を出して説明する。

 デレクのアイデアで番地図を用いた文字の習得が進み、雇用の促進と識字率の上昇に貢献していることに言及すると、エアハルトが感心の声を上げた。

 

「オルコット王国はキースリング国よりも字が読める人が少ない。その点がやがて、配達事業の人手不足に繋がるだろうと思っていた。デレクはそれを早々に解決してしまったんだな」

「おかげで手紙を出す人も増えて、相乗効果でありがたいことになってます」



 フリッツの報告を一通り聞き終わると、エアハルトは腕組みをして考える。



「そろそろ城下町を飛び出してみようか。近隣の都市間の配達は、手紙よりも荷物が多くを占めるだろう。そうなると次に必要なのは、荷馬車と御者だな」



 エアハルトの帰還により、配達事業はここからさらに大きく発展していく。

 後にエアハルトとフリッツは、オルコット王国から勲章を授与され、傑物として歴史に名を刻むことになるのだった。



 ◇◆◇◆



「それで? ベンがエアハルト君の対抗馬として出馬させるのが、どうしてうちの息子のオーウェンなの?」

「クラーラを訪ねてちょくちょく王城に来るエアハルト君を観察していたが、どこにも隙がなかったんだ! こうなったら、オーウェンのあどけなさで勝負するしかない!」

「面倒くさいんだから。さっさと諦めれば楽になれるのに……」



 裏側ではそんな国王夫妻の会話がされていたが、無事にお披露目パーティが開催された。

 ファーストダンスの曲が始まると、主役のクラーラに注目が集まる。

 そしてそれと同じくらい、クラーラを腕に抱くエアハルトが、貴族たちの耳目をかっさらっていった。

 

「エアハルトさん、すごく見られていますよ」

「大勢に見られると、クラーラがすり減りそうで嫌だ」



 自分の体でクラーラを隠そうとするエアハルトに、クラーラが破顔する。

 野菊のようなその可憐さに、エアハルトは胸を射貫かれる。



「俺はクラーラになら殺されてもいい」

「なんてことを言うんですか!」

「クラーラの笑顔は殺傷能力が高い」



 エアハルトの笑顔だって、そうだ。

 そう言い返したくて、クラーラの唇がむずむずする。

 すると、踊り終わると同時に、そこへちょんと何かが触れた。



「っ……! 駄目ですよ、人前なのに!」



 真っ赤になったクラーラが抗議するが、すでに目撃した観衆からはどよめきが起きていた。

 エアハルトと小鳥のようなキスをするようになったのは、つい最近だ。

 それなのに、こんな大舞台で仕掛けてきたエアハルトは、涼しい顔をしている。



「わあ! 先を越されちゃった!」

「よくも! よくも……グスッ」



 オーウェンの無邪気な声と、ベンジャミンの恨み節が聞こえる。

 そしてそれに続いて、大きな喝采が沸いた。

 

「クラーラ殿下、おめでとうございます!」

「なんて素敵な演出でしょう!」

「きっと彼がクラーラ殿下の婚約者ね!」

「国王陛下からの発表を待ちましょう!」



 貴族たちの期待の高まりに、ベンジャミンは応えるしかなかった。

 ごほんと咳ばらいをすると、余所行きの威厳ある声を出す。



「彼こそが、配達事業を成功させた青年実業家であり、我が妹クラーラと将来を約束した相手――キースリング国ベルンシュタイン辺境伯家のエアハルトである」



 ホールの中央では、紹介に合わせてエアハルトが一礼をする。

 クラーラも同じく、腰を落とした。

 若々しい二人の婚約を祝して、改めて多くの拍手が贈られる。

 

「先手必勝だ。クラーラの義兄上は、なかなか難攻不落だったからな」



 ニヤリと悪びれずに口角を上げるエアハルトを、クラーラはもう叱れない。

 

(だって、私も嬉しいんだもの!)



 ベンジャミンのお墨付きをもらった二人は、やがて正式に婚約して結婚する。

 そして配達事業の対象地域拡大に合わせ、エアハルトとクラーラは国中を旅してまわった。



「野菊の花咲く丘で、こうなる未来があるといいなって思っていました」

「クラーラの可愛い願いは、全て俺が叶える。実はクラーラに、カフェごとクレープを贈りたいと思っていた」

 

 初めてのデートの思い出を語っては笑う二人。

 クラーラが丁寧に作ったスープは、思いもよらない縁を引き寄せた。

 

 ――ひとりぼっちになった王女が辿り着いた先は、隣国の青年実業家との溺愛婚でした。

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