57話 真っ赤な手紙
「久しぶりだね、ファビオラ嬢」
身支度を整えたファビオラを待ち構えていたのは、苦虫を噛み潰したような顔の両親とアダン、そして満面の笑みを浮かべるレオナルドだった。
「ヘルグレーン帝国の皇帝陛下から手紙を預けられるなんて、第二皇子殿下の婚約者ともなれば、重要な任務を託されるんだね」
ピンク色の瞳が、ファビオラを鋭く射貫く。
そこには隠せない、ヨアヒムへの嫉妬心が渦巻いていた。
ファビオラはこくりと、唾を飲み込む。
「手紙をグラナド侯爵へ渡し終えたら、ファビオラ嬢はやっと自由に動けるのかな?」
ここで頷けば、レオナルドに連れて行かれるのだろう。
その先が王城であればいい。
だが、もしあの屋敷だったならば――そこでの監禁生活が始まる。
レオナルドが管理する建物内へ、正式に踏み込むのは難しい。
だからトマスもパトリシアもアダンも、ファビオラを渡さなくていいよう、必死に考えを巡らせていた。
(私も考えなくちゃ。この場をやり過ごし、穏便に帰ってもらうためには……)
彷徨わせたファビオラの目に、トマスへ渡すはずの赤い封筒が映った。
あの手紙の中に書かれているのは、しごく当たり前の挨拶ばかりだ。
ウルスラがペンを走らせている間、それを隣で見ていたから文面は知っている。
ファビオラは内容を思い出し、この状況を打破する材料にできないか思案した。
――そして、レオナルドへおもむろに語りかける。
「手紙の中にも書かれているのですが……ヘルグレーン帝国とカーサス王国が、これからも友好な関係であり続けられるよう、私は橋渡しの役目を仰せつかりました」
「……それで?」
レオナルドの機嫌が、少しだけ悪くなる。
ヘルグレーン帝国の話題を多く持ち出すのは、悪手のようだ。
「ヘルグレーン帝国ではお茶会やパーティに出席し、幸いにも、多くの方々との縁を繋ぐことができました。ですが、お恥ずかしながら、カーサス王国では……」
「なるほど。ファビオラ嬢は、こちらの社交界では、あまり名が知られていない」
「その通りです。これから私は、大きなパーティに参加して、挨拶回りをしたいと思っています」
「……ファビオラ嬢は学生時代、僕の誘いをことごとく断っていたからね」
「その節は申し訳ありませんでした。今さらですが、王太子さまに仲介をお願いをしてもよろしいでしょうか?」
「つまり、僕のエスコートでパーティに参加したいってこと?」
「お力を貸していただければ、嬉しいですわ」
予想外のファビオラの依頼に、レオナルドは算段する。
当初の計画としては、カーサス王国に戻って来たファビオラを、すぐに誘拐するつもりだった。
しかし、ヘルグレーン帝国の皇帝の手紙を盾にされて、密命を受けた騎士たちは無理強いができなかった。
早馬でそれを知らされたレオナルドは、ファビオラの帰宅に合わせて、逃げられないようトマスの馬車に同乗する。
グラナド侯爵家に入り込み、そこからファビオラを改めて連れ出そうとしたが――。
(ファビオラと一緒に、パーティに参加するのも悪くない)
レオナルドの成人祝賀パーティで、ファーストダンスを踊ったファビオラを思い返す。
音楽に合わせて優雅にたなびく銀髪が、シャンデリアの光を反射する様子に、観衆の目は釘付けになったものだ。
(少し困っているファビオラの表情も、庇護欲をそそられた)
特別に誂えたレオナルド色のドレスをまとう、ファビオラを見たい欲求が沸き上がる。
そして、明らかにレオナルドの寵愛を受けていると分かるファビオラを、大勢の前に披露したい。
(第二皇子とは、まだ婚約止まりだ。次第によっては、解消される可能性がある)
むしろそうさせるため、レオナルドは積極的に動くつもりだ。
パーティの場は画策するのに相応しいのではないか。
レオナルドは神妙に頷いた。
「まんまと乗せられようじゃないか。すぐに相応しいパーティの招待状と、ドレスを贈るよ」
「ありがとうございます」
監禁を回避できて、ホッと胸を撫で下ろしたファビオラだったが、そこへレオナルドが命じる。
「ただし念のため、手紙の内容を確認させてもらおう」
「っ……!」
トマスが赤い封筒を手に取り、ペーパーナイフで口を開く。
中から出てきたのは、封筒と同色の赤い便せんだ。
文面に目を通したトマスは、レオナルドにも読みやすいように、手紙の向きを変えた。
なんら不審のない内容を検め、最後の最後でレオナルドは声を上げて笑う。
「差出人は皇帝陛下ではなく、側妃殿下だったか。……ファビオラ嬢は賢いね」
騙された騎士たちを怒るでもなく、レオナルドは愛しげにファビオラを見つめる。
その光景に、トマスとパトリシア、アダンは危機感を強めた。
「ではまた、パーティの日に会おう。楽しみにしているよ」
ファビオラに断りもせず、銀髪に手を伸ばし一房つかむと、レオナルドはそこへ口づけた。
ゾッと背筋を這い上がった怖気を、笑顔でやり過ごす。
レオナルドが騎士をつれて立ち去ってから、ファビオラはやっと自由に息が吸えた。
「なんて厄介なんでしょう、レオナルド殿下は!」
珍しくアダンが切れ気味だ。
「なかなか、強引な手を使うようになってきたね」
トマスはやれやれといった表情をしている。
「もう一度、髪を洗いましょうか」
パトリシアは触られたファビオラの髪を清めようとする。
ひと騒動あったが、こうして家族に囲まれて、ようやく家に帰ってきたという安堵がファビオラを包んだ。
「お父さま、お母さま、私もう眠ってしまいそうです……」
「ここまでよく頑張った。きっと気が緩んだのだろう」
「旅の疲れが出たのよ。さあ、寝室へ行きましょう」
「お姉さま、肩を貸しますよ」
アダンに支えられ、ファビオラはふらふらと歩く。
「後のことはボクたちに任せて、どうかゆっくりお休みください」
「アダン、ありがとう」
瞼を閉じると、ファビオラは底なし沼に沈むように眠りについた。
残された三人は、レオナルドからファビオラを護るには、どう動くべきか考えた。
「いざとなればレオナルド殿下は、躊躇わずに王族としての権力を行使するだろう」
「私たち臣下は逆らえないものね」
「ボクはヘルグレーン帝国との連絡を、密に取るのがいいと思います」
アダンの言葉に、トマスは再び便せんに目を落とした。
「実はね、レオナルド殿下には見えないように、手で隠した部分があるんだ」
「あら、どこなの?」
パトリシアが身を乗り出す。
トマスは赤い便せんの一番下を指さした。
「ここだけ、赤い色のインクで書かれている。紙の色と同化して、目を凝らさないと分からない」
「なんだか秘密の暗号みたいね」
「多分、ファビオラに隠れて、書いたんじゃないかな」
そこにはトマスに向けて、こう綴られていた。
『皇太子となるヨアヒムの隣に立つのに、ファビオラさんほど相応しい女性はいません。早くお義母さまと呼んでもらえるよう、私も尽力します』
ウルスラがファビオラに太鼓判を押した。
それの意味するところは、一つだ。
「ヨアヒム殿下との婚約は、仮初ではなくなるだろう。ファビオラはとても、気に入られたみたいだから」
トマスが苦笑いをこぼす。
ファビオラが認められたのは嬉しいが、遠方へ嫁に行かれるのは寂しい。
そんな複雑な心境なのだ。
それはパトリシアも同じだった。
「トマスが宰相になれば、外交の一環として、ヘルグレーン帝国へ行けるのではないの?」
その際はもちろん、パトリシアも付き添う。
目を輝かせている妻の願いを、トマスも叶えてあげたい。
「しかし今の宰相は、あのアラーニャ公爵だからな。一筋縄では、その地位を突き崩せないよ」
そう言いつつも、トマスの脳裏には、横領に関する疑念がチラついていた。
誰がどう見ても、最もお金に困っていない貴族が、アラーニャ公爵オラシオだ。
だが、ファビオラの予知夢から弾き出した金額は、しっかりと外交部門を指し示している。
(危険を冒してまで、宰相が横領する意義が見い出せない)
だからこそ、これまでオラシオは容疑者の枠外にいた。
(外務大臣かと思って監視を付けたが、違った)
限りなく黒に近いのは、やはり裁可の権を握るオラシオなのだ。
(相変わらず、金の使い途も分かっていない。この謎が解ければ、もしかして……)
まさかその答えを、熟睡しているファビオラが握っているとは、トマスは想像もしていなかった。