17話 見守る人影
「新商会の立ち上げ、おめでとうございます」
商業組合の受付にて、ファビオラが数多の書類にサインをし終えると、係の人からお祝いの言葉をもらう。
ヴィクトル辺境伯イェルノの紹介状のおかげで、ファビオラたちは滞りなく商会登録を完了した。
商会長がファビオラ、副会長がルビー、そして商会の名称は『七色の夢商会』に決まる。
ルビーは七色という言葉にこだわりがあるようだ。
もちろんファビオラも大賛成した。
なぜなら、『朱金の少年少女探偵団』の団旗には、七色の虹が刺繍されているからだ。
それは個性豊かな探偵団のメンバーを暗喩すると共に、メンバーの育った孤児院のシンボルマークでもあった。
続けて不動産を探そうと話していたら、組合でもいくつか仲介できる物件があると教えてもらい、ふたりはそれらの詳細情報とにらめっこをする。
ルビーに図面の見方を教えてもらいながら、ファビオラは一軒一軒の広さや間取りを確認した。
「この店舗、一階を売り場、二階を事務所、三階を住居にできるわ。ルビーさん、どうかしら?」
「大きな道路にも近いし、商品の搬入もしやすそうね。販売する品数が少ないうちは、一階の半分を倉庫にしてもいいかも」
「想定していた賃料よりは高いけれど、出せない額ではないわ」
「条件のいい物件はすぐに借り手が見つかってしまうから、決断するなら早めがいいわよ」
ルビーの安全面について心配していたファビオラは、この建物ならしっかり防犯対策がとれると判断し、取りあえずの仮契約を結ぶ。
本契約は物件の内見をしてからだ。
それから、用心棒も兼ねた荷物運びを雇いたいと、受付で依頼した。
「今日はここまでにして、宿で休みましょう。ルビーさん、お疲れ様!」
「ファビオラさんもね。いろいろ順調に決まってよかったわ」
笑顔で商業組合を後にするファビオラたちを、そっと見守る人影があった。
「声をかけなくていいんですか?」
そう尋ねるバートへ、ヨアヒムは静かに首を振る。
その胸中は複雑だった。
(似ている。髪色はまるで違うけれど、あの女の子の面影がある。しかし……これは私の願望が見せる、幻かもしれない。あの女の子であって欲しいという、私情が挟まれているのではないか)
ファビオラの乗った馬車が動き出すと、ヨアヒムはすがるように見ていた視線を外した。
あまり注視していては、どこかで監視しているだろう正妃側の密偵に、何かを勘繰られてしまう。
「叔父上には、問題は無さそうだったと報告しておこう」
あくまでも、イェルノの依頼で見守っていただけだ、という風を装う。
だがヨアヒムの脳裏には、ファビオラの顔がしっかりと焼き付いて離れなかった。
◇◆◇◆
ヘルグレーン帝国の皇城は、どこまでも続く白壁と、黄金に輝く急勾配の屋根が特徴だ。
威風堂々たる佇まいは、歴代皇帝の力強い統治を物語っている。
その中にある豪奢な謁見室で、カーサス王国の宰相オラシオは頭を垂れていた。
礼節をもって接している相手は、現皇帝の正妃ヘッダだ。
この帝国内では、皇帝に次ぐ権力を握る存在である。
「人払いは済んでいるわ。ここでの会話は、誰の耳にも届かなくてよ」
「ご配慮いただき、ありがとうございます」
オラシオは面を上げると、ヘッダの冷たい水色の瞳と視線を合わせる。
いつもは手紙でやり取りをしているため、相対して顔を見るのは数か月ぶりだ。
オラシオ本人としては、もっとこまめにヘルグレーン帝国を訪ねたいが、カーサス王国の外交としてはこの頻度が妥当だった。
ヘッダは髪色と同じ紫色の口紅を愛用していて、オラシオはそこから紡がれる言葉をじっと待つ。
「こうしてあなたと密会をするようになって、5年が経つかしらね。その間に、私の息子マティアスが皇太子になるかと思っていたけど、まったくもって状況は芳しくないわ」
ヘッダは長く伸ばした爪を前歯で噛んだ。
それが苛立ったときの癖だと、すでにオラシオは知っている。
「あれの護衛が、憎らしいほど優秀なのよ。まったく隙がないどころか、こちらの放つ暗殺者が、ことごとく返り討ちにされる始末……!」
「では、ヨアヒム殿下を亡き者にするのを、諦めるのですか?」
「まさか! マティアスにとって、あれは目の上の瘤よ」
「それを聞いて、安心しました。私と交わした当初の約束を、お忘れになったのかと思いました」
ヘッダとオラシオが共に願うのは、ヨアヒムの死――だからこそ手を組んだ。
「ちゃんと約束を守るつもりはあるのよ。ただ、このままでは遅々として進まないと気づいたの」
「具体的には、何をどうするおつもりなのでしょう?」
「マティアスの命令で動く、秘密の私兵団を作るのはどう? 圧倒的な武力でもって、赤公爵家を踏み潰すのよ」
続く失敗に、ヘッダは業を煮やしたのだろう。
恨みの対象が、ヨアヒムから赤公爵家にまで拡大されている。
しかし、人海戦術は才の無い者が選ぶ手だ。
オラシオは呆れの混じった溜め息をつくのを、なんとか堪えた。
「二大公爵家が真正面からぶつかり合えば、相当の被害が出ます。確実に国力が削がれますよ?」
「一時的なものでしょう? その後、マティアスが皇帝になって、辣腕を揮えばいいのだわ」
すっかりその気になっているヘッダを、オラシオだけで説得するのは難しい。
「マティアス殿下は、この案をどのようにお考えなのでしょう? なにか、危惧されたりは――」
「それがね、あの子も意欲的なの。小さいときは木剣を振り回して、よく騎士の真似事をしていたものよ」
騎士の真似事と、法から外れた私兵団を動かすのは、だいぶん違うとオラシオは思う。
だが、大勢で弱者をいたぶるのを、マティアスは好む。
己の命令に従う軍隊を、所有する欲が沸いたのだろう。
「この件は、決定事項と理解したらいいのですね」
オラシオの確認に、ヘッダは鷹揚に頷いた。
そして、声をひそめてオラシオへ要望を伝える。
「お金が必要よ。兵士を雇い、武器や防具をこしらえるために、今以上にね」
「……かしこまりました」
今日、呼び出されたのはこのためか。
オラシオはようやく腑に落ちた。
(暗殺者を雇うだの、領主を買収するだの、これまでにも多額の金をせびられたが、たかが知れていた。しかし私兵団となると、必要になる桁が違ってくる)
ヘッダやマティアスが、どの程度の規模を想定しているのか。
それによって、用意しなくてはならない金額は、変わってくる。
(面倒くさいな。たった一人を殺すのに、何年もかかるボンクラどもが、人数を揃えたところで無駄だろう)
だがオラシオには、10数年来の目的がある。
そのために、ヘッダやマティアスを上手に使わなくてはならない。
ここはヘルグレーン帝国の領内――カーサス王国の宰相オラシオが、しゃしゃり出ることは許されないのだ。
それに青公爵家と赤公爵家が衝突し、ヘルグレーン帝国が弱体化すれば、オラシオの計画も進めやすくなるかもしれない。
そう思うと、心の整理はついた。
「準備が出来次第、また送金いたします。しばし、お時間をいただきたく……」
「ええ、分かっているわ。あなたの手腕を疑ってはいないもの。今後もよろしく頼んだわよ」
満足しているヘッダと違って、オラシオは無表情のままだ。
しかし、この接見の後には、褒美が待っている。
その悦びが我慢できず、じわりと感情が漏れ出そうになった。
それが分かっているのか、ヘッダがオラシオにとって、最も重要な情報を告げる。
「今夜は皇帝陛下の執務室にいるはずよ。その周辺で暇をつぶしていれば、会えるでしょう」
「ありがとうございます。では、御前を失礼いたします」
ヘッダが伝えたのは、ヘルグレーン帝国の側妃ウルスラの居場所だった。
そそくさとオラシオは立ち上がり、もう用はないとばかりに謁見室を出て行った。
これまでの丁寧な態度をかなぐり捨て、一刻も早くウルスラの元へ向かおうとするオラシオの姿を、ヘッダは口元を隠してせせら笑った。
(あの宰相がウルスラに惚れている限り、私のいい手駒となるわ。頭が切れるようだから、使い方には気を付けなくてはいけないけれど――)
何かあれば、ウルスラの命を盾に取ればいい。
ヘッダにとっては、ヨアヒムもウルスラも、邪魔者でしかないのだ。
「それにしても……宰相は美しい顔をしているのに、女の趣味が悪いわね。あんな石頭の、何がいいのかしら?」
生意気なウルスラの顔を思い出して、ヘッダは紫色の唇をひん曲げた。