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16話 初恋の女の子

 褐色のフードを目深にかぶって、身なりを旅人に似せると、朝早くにヨアヒムはヴィクトル辺境伯領を出発する。

 バートと並んで馬を駆けさせながらも、頭の中では先ほど聞いた、叔父イェルノの言葉がぐるぐると巡っていた。

 

『その子が帰る間際に、不思議なことを尋ねてきたんだ。殿下と呼ばれる身の上で、朱金色の髪をした男の子を知っていますか、ってね』



 イェルノは顎に手をやり、無精ひげをじゃりじゃり言わせながら、なんと返事をすればいいのか迷ったという。



『ヨアヒムのことだろうな、とは思ったんだよ。だけど君の髪は、昔と違って今や金色だろう? 果たして該当するのかどうか……』



 うーんと頭を悩ませている内に、その子は質問を引っ込めたのだそうだ。

 イェルノもその意図が気になっているのだろう。

 ヨアヒムに、こう勧めた。



『良かったら、その子に会いに行ってみないかい? これから商都で組合に加入すると言っていたから、ヨアヒムが皇都へ帰る途中にも立ち寄れるだろう。実は用心棒を雇いたいと言っていて、物騒なことでもするつもりなのかと心配で――』



 なんだかんだと、イェルノは優しい。

 初めて会った女の子に、すっかり絆されていた。



(この話を叔父上から聞いたとき、もしかしてその侯爵令嬢とは、あのときの女の子じゃないかと思った)



 名前も教え合わずに別れたせいで、ヨアヒムも外見しか手掛かりがない。

 少年時代のヨアヒムと同じ朱金色の長い髪、美しい碧色の瞳、誰かのお下がりのようなブカブカの服。

 『朱金の少年少女探偵団』が大好きで、かなり読み込んでいるらしく、台詞をよく覚えていた。

 三つ編みをたなびかせ元気に走り回る姿は、一見したら貴族とは思えなかったが、女の子の弟はとても礼儀正しい言葉遣いをしていた。



(おそらくは身分を隠して、町で遊んでいたのだろう)

 

 その女の子が、ヨアヒムの髪色を頼りに、所在を探してくれてるとしたら――。



(こんなに嬉しいことはない。私だって、ずっと会いたくて、探したくて……でも出来なくて)



 興奮を隠せぬ声音で、ヨアヒムはイェルノに、その女の子の特徴を聞いてしまった。

 そして月の光のような美しい銀色の髪だったと教えられ、希望が一気に萎んだのだった。



(あの女の子と違うのだろうか……いや、でも瞳の色は碧だったと)



 ヒヒーン! といななきを上げて、先行するバートの馬が足を止める。



「っ……!? どうした、バート?」

「それはこっちの台詞ですよ! そんなに意識が散漫な状態で、馬を走らせないで欲しいですね。いくら優秀な馬でも、乗り手がそんなんじゃ、いざというときに咄嗟の反応ができないでしょう!?」



 目を吊り上げたバートの説教が始まった。

 集中力に欠けていた自覚のあったヨアヒムは、素直に謝る。



「すまない、まだ叔父上の領地内だと思って、油断していた。ちゃんと周囲に気を配るよ」

「……安全な場所なんて、数えるくらいしかないんですからね。まあ、何に気を取られていたのかは、分からないでもないですけど」



 バートがやれやれと首を横に振る。



「どうせ初恋の女の子について、考えていたんでしょう?」

「な、なぜ、それを!」



 図星を突かれ、赤くなっているだろう頬を、ヨアヒムは慌ててフードで隠す。

 

「ヴィクトル辺境伯に、根掘り葉掘り聞いていたじゃないですか。見ず知らずのグラナド侯爵令嬢について、髪の色や瞳の色を――」

「み、認める。だから、もう、それ以上は……」



 もごもごと口ごもったヨアヒムを、バートはあっさり許した。

 本当に怒っていたわけではなく、注意喚起をしたかっただけなのだ。



「間もなく次の領地に入りますからね。領主があちら側に買収されている可能性も考慮して、走り抜けますよ」



 ヨアヒムの命を狙う敵対勢力とは、第一皇子マティアスを次期皇帝にと望んでいる正妃派だ。

 これまでならば、長子継承の習いに則って、後継者はマティアスが選ばれていただろう。

 しかし、現皇帝であるヨアヒムの父ロルフは、その慣例を覆した。

 大々的に、どちらか能力が高い者へ皇帝の座を譲る、と宣言したのだ。

 おかげでヨアヒムは現在進行形で、血なまぐさい皇位継承争いに巻き込まれている。

 

(父上はいまだに、自分よりも優秀な叔父上こそ、皇帝になるべきだったと考えている)



 当人のイェルノはうっかり担ぎ上げられないよう、自衛の手段として、皇都からほど遠い辺境伯家へ養子入りした。

 兄弟で争う不毛さを、愚かだと思うのはヨアヒムとて同じだ。

 しかし現状のままでは、マティアスとの衝突は避けられない。

 

(義兄上がもう少し、まともだったなら……争わずに済んだのだろうか)



 ヨアヒムと違って学校に通ったマティアスは、そこで多くの信奉者を集めたという。

 そして行われたのは、子どもの世界とは思えぬほどの、醜悪な集団いじめだった。



(正妃派についた令息や令嬢を優遇し、扇動して側妃派の令息や令嬢に直接的な危害を加えた。学校の理事長が正妃派だったこともあり、その多くが黙認され、耐えられずに学校を辞めた者も数知れない)



 それらは親世代の縮図だった。

 正妃の実家である公爵家と、側妃の実家である公爵家は、それぞれ青公爵家・赤公爵家と呼ばれている。

 一族の者が、青い瞳であったり、赤い髪であったり、始祖に似た色をまとって生まれてくるからその名がついた。

 そしてこの二大公爵家は、昔から仲が悪いのだ。



(今代では両家からひとりずつ妃が出てしまったせいで、余計に衝突が絶えない。どんな些細な失敗でもいいからあげつらって、常に相手をこき下ろそうと目を光らせ合っている)

 

 なんて無駄なことだろう。

 権力は、何のためにあるのか。

 政治とは、誰のためのものなのか。

 『朱金の少年少女探偵団』の中に書かれた民の暮らしぶりが、ヨアヒムに皇帝とはどうあるべきかを教えてくれた。



(懸命に生きている民のため、より懸命にならなくてはいけない。それが民を統治する者の気概だと思う)



 気に入らない者を放逐するために権力を使うマティアスや、青公爵家の勢力を拡大するために政治を利用する正妃に、ヨアヒムは屈してはならないのだ。

 必ずや皇帝の座に就き、民のために懸命に働くと決めた。

 その未来を掴むため、今はこうしてバートと共に、地方を視察して回っている。

 

「行こう、バート。夜までには森を抜けたい」



 ヨアヒムは国境を越えて他国とも交流を持ち、情報の収集に努めていた。

 そこで分かったことがある。



(ヘルグレーン帝国の評価は、年々下がってきている)



 二大公爵家の威信をかけた皇位継承争いが、その主な原因だ。

 総力を挙げて、血で血を洗う戦いになるんじゃないかと、他国はその動向を注視している。

 それはもちろん、なるべく余波を受けずに済むよう、自国を防衛するためだ。



(私も早く決着をつけたいが――まだ、時間がかかる)



 それにはヨアヒムの年齢が関係していた。

 皇太子の指名を受けるには、成人しているのが条件だ。

 現在はヨアヒムが18歳になるのを待ち、それからふたりの皇子の優劣を競うことになっている。

 3歳年上で19歳のマティアスは、すでに公務にも携わっていて、派手な実績作りに余念がない。

 さらに可能ならばヨアヒムが成人するまでに、亡き者にしてしまいたいと願っているだろう。



(あと2年――生き延びて、皇太子として認めてもらえるよう、もっと頑張らなければ)

 

 襲撃を受ける前、10歳の少年ヨアヒムには、作家になりたいという夢があった。

 だが、仕掛けられた暗殺によって、穏やかな時間は終わりを告げる。

 喧嘩を売られ、面子を汚され、黙ったままでいるのは貴族ではないのだ。

 青公爵家と赤公爵家による、水面下での熾烈な争いが始まってしまった。

 もうヨアヒムには決着がつくまで、平和を望むことは許されない。

 ぎゅっと手綱を握りしめると、バートに続くべく馬へ拍車をかけた。



 ◇◆◇◆



「お嬢さま、組合というのは、ここじゃないですか?」



 モニカが指さす先には、金属製の黒い看板が下がっていた。

 天秤を模した彫りが入れられ、いかにも商業の組合らしい。

 建物の前に馬車を停めると、ファビオラたちは揃って降りる。



「当たりだといいわね」

「さっきのは銀行だったものね」

「どのみち口座も必要だったから、ちょうど良かったわ」

「考えてきた名称が、まだ登録されてないといいけど」



 ルビーが胸を押さえ、そわそわしている。

 ファビオラから商会の名づけを依頼されて、数日かけて悩みに悩んで決めたのだ。

 

 大きめの扉をぎいと押し開け、ファビオラが中の様子をうかがった。

 数名の利用者が受付に並び、それぞれ何らかの手続きをしているようだ。



「見て、あそこ! 間違いないわ!」



 ルビーが興奮して、天井を指さす。

 そこにはヘルグレーン帝国では有名な、商いの神様が描かれていた。

 大きく立派な絵に、ファビオラが感嘆の溜め息を漏らす。



「一神教のカーサス王国と違って、多神教のヘルグレーン帝国では、分野ごとに神様がいるのよね。不思議な感じだわ」

「こういうのも知っておかないと、商売の機会を逃しちゃうからね」



 ルビーはヘルグレーン帝国の神様について調べて、宝飾品のモチーフにしようと考えたことがあるという。

 しかし、あまりにも多岐に渡って神様がいるので、何が売れ筋になるのか読めず、結局は諦めたと言っていた。

 

「お嬢さま、あの受付が空きましたよ」



 モニカに促され、ファビオラとルビーはお互いの顔を見合わせると、こくりと頷く。

 そして意気揚々と、新たな商会の登録をしに向かうのだった。

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