15話 満を持して
レオナルドを囲むお茶会が、王城の庭園で開かれている。
天気はあいにくの曇りだったが、令嬢たちの華やかなドレスの色が、場を明るくさせていた。
どの令嬢もレオナルドの婚約者候補として相応しく、身分高く礼儀正しく、そして美しい顔立ちの者ばかりだ。
王都の学校へは通わず、領地で家庭教師から学んでいる令嬢などは、初めてまみえた麗しいレオナルドの美貌に、ぽっと頬を染め、とろんと瞳を潤ませていた。
それを忌々しげに睨みつけているのは、銀色のドレスをまとうエバだ。
エバは宝飾品に至るまで、総身が銀色尽くしで、どの令嬢よりも目を引く格好をしていた。
そんなエバから、すでに何らかの制裁を受けた令嬢たちは、レオナルドから離れた場所に集まって、戦々恐々と身を寄せ合っている。
そして、何も知らずにレオナルドへ近づく令嬢たちを、ハラハラとした顔で見ていた。
「誰か、あの令嬢たちへ、忠告をしに行ったほうがいいのではなくて?」
「そのせいで、こちらがエバさまに目をつけられるかもしれないわよ」
「やっと切られた髪が、結える長さに戻ったのよ。私はもう、エバさまに関わりたくないわ」
「お断りできないから参加したけれど、正直、学校内と同じで居心地が悪いわね」
いらぬ疑いをかけられないよう、淑女科に通う令嬢たちは、常に一歩引いて過ごしている。
レオナルドには興味がないと、全身全霊で拒んで、ようやくエバに見逃してもらえるのだ。
「あの令嬢たち、きっとエバさまから罰を受けるわ」
その言葉を、誰も否定しなかった。
「私たちもそうだったけど、痛い目に合えば分かるわよ」
「今のところ、何も起こっていないし」
「見なかったことにしましょう。私たちは無関係よ」
令嬢たちは素知らぬふりをすると決めた。
そして、満を持してエバが動く。
◇◆◇◆
「レオナルド殿下、どうかお許しください!」
「大変なお目汚しをしてしまいました」
側近候補たちが頭を下げるのを、レオナルドは興ざめした思いで見やる。
先ほどまで開催されていたお茶会は、途中で多くの令嬢が体調を崩したため中止となった。
準備段階から運営を任されていた側近候補たちの顔色は青い。
催事をやり遂げられなかった、という責任問題だけではないからだ。
お茶会の最中に、それぞれの姉や妹が脇目もふらず手洗いに駆け込むという、およそ令嬢らしからぬ醜態を晒してしまったせいだ。
もうレオナルドの婚約者候補に、姉や妹の名前が挙がることはないだろう。
その失態が、己の今後の進退にも関わってくるのではないかと、びくついている。
だが、レオナルドが考えていたのは、そんな些事ではなかった。
(『17歳』のときに開催したお茶会でも、多くの令嬢が早々に帰っていた。僕が席を外したせいかと思っていたが、もしかしたら違ったのかもしれない)
ちょうどレオナルドはエバに話しかけられていて、件の令嬢たちが騒ぎ始めた瞬間を見ていない。
それは給仕がお茶や菓子を配り終わり、テーブルについて一息を入れているときだった。
「令嬢たちの飲み物や食べ物に、異変があったという報告は、上がっていないんだね?」
「今のところ……皆無です」
「すべての飲食物は、王城の厨房から運ばれています。そして同じものを、多くの令嬢が一斉に口にしました」
だが体調を崩した者とそうでない者がいる。
その差はなんなのか。
ふむ、とレオナルドは思案した。
(ずっと探していた。僕が大切に隠していたファビオラを、死に追いやった犯人を――)
16歳のレオナルドが、お茶会を前倒しで開催した理由は、一刻も早くファビオラを、婚約者に指名したかったからだ。
しかしファビオラが参加しないと分かって、この場を別のことに利用しようと考えた。
(公には罪人の娘として処刑され、あの屋敷の中でしか生活できず、王太子妃になることも叶わなかった――僕以外にとっては、ほぼ無価値だったファビオラが、どうして殺されなくてはならなかったのか)
すでにレオナルドはひとつの答えを導き出していた。
(僕がファビオラを愛していたのが、そいつは気に入らなかったんだろう)
だからレオナルドはこのお茶会で、適当な令嬢を見繕い、囮にしようとした。
レオナルドの寵愛がその令嬢にあると分かれば、犯人が何か仕掛けてくるかもしれない。
先んじて捕えたら、二度目のファビオラの死を回避できるのではないか。
(そんな想定をしていたんだけど、まさか僕と会話をした令嬢たちが、皆そろって体調不良になるとはね)
撒き餌に仕立て上げる前から、根こそぎ刈り取られてしまった。
だからこそ、分かったこともある。
(この時期から、すでに犯人はそばにいて、僕の知らぬ間に、多くの令嬢が遠ざけられていた)
王太子であるレオナルドが参加するお茶会で、証拠も残さず大それたことをやってのける。
こんな真似ができる度胸と、法の目をかいくぐる手段を持つ者は限られている。
(エバ――ファビオラを殺したのは、君だったのか)
瞬く星より美しい、と評されるレオナルドのピンク色の瞳が、どろりと濁った。
◇◆◇◆
「叔父上、お久しぶりです」
ファビオラたちが発ったヴィクトル辺境伯領を、すれ違いで訪れた者がいる。
隣には従僕のバートが並び立っていた。
「やあ、一年越しに大きくなるね。また髪色が一段と、兄さんに似たんじゃないか」
「一族の者には、この金髪は不評ですよ。これで赤いのは、瞳だけになったと嘆かれます」
「気にするんじゃない。赤だろうが青だろうが、色で人間を分けるなんておかしいだろう?」
イェルノは快く甥を出迎え、もてなしの準備を執事へと頼む。
「突然の訪問ですみません。先触れを出そうと思ったのですが……」
「叔父と甥の関係じゃないか。そんな水臭いこと言うな」
もうすぐ16歳になる甥に、背丈が追い越されそうなのをイェルノは喜ぶ。
少年時代には、死の淵をさまよったこともあるのだ。
健康でいてくれるだけで、嬉しかった。
「むしろ、もう少し早ければよかったのに。面白い子が来ていたんだ」
「こんな国境付近に、お客さまがいらしたのですか?」
「帝国の民じゃない。カーサス王国からの訪問者だよ」
カーサス王国と聞いて、甥が右肩に手をやるのを、イェルノは目の端にとらえた。
襲撃されたときの古傷が痛んだわけではないだろうが、思い出すものがあるのだろう。
湿っぽくならないように気を付けながら、話を続ける。
「その子は15歳の侯爵令嬢だと言うのに、このヘルグレーン帝国に、新たな商会を立ち上げたいのだそうだ」
「なぜ、自国ではなく他国へ?」
「私も最初は、ヘルグレーン帝国を探る、偵察が目的なのかと疑った。義妹の紹介でなければ、後援を断っていただろう。だが話を聞くと、これが令嬢らしからぬ令嬢なんだ」
そこでイェルノは、目を細めて思い出し笑いをする。
「真剣な顔をして、『虫害にお困りではないですか?』なんて言い出すから、噴き出すのをこらえるのが大変だったよ」
お茶の給仕をしていた執事も、そこで頬を緩ませた。
その場面を目撃し、イェルノと同じ苦痛を味わったのだろう。
「自領内で開発した、人工薪を売りたいのだそうだ。ただし、自領内ではすでに価格が安定していて、そのままでは利益が見込めないから、人工薪が知られていないヘルグレーン帝国で販売したいと言っていた」
「人工薪、とは何ですか?」
「さすがに製法は教えてくれなかったけれど、実物をもらったよ。通常の薪より煤が出ず、高い火力が長持ちし、よく乾燥していて爆ぜもせず、虫も付いてない、と良いこと尽くめの薪だった」
イェルノが指で合図をすると、執事が暖炉の脇から人工薪を持ってきた。
それを甥に手渡すと、あらゆる角度からしげしげと眺め始める。
「実際に使ってみたが、残る灰も少ないんだ。暖炉の掃除をした使用人たちが感心していた。これは冬季の長いヘルグレーン帝国で、爆発的に売れると思うね」
「画期的な品だというのは分かりますが……それでも、侯爵令嬢が商売をするというのは……」
甥が首を傾げるのも無理はない。
ヘルグレーン帝国では、身分による役割がはっきりしている。
侯爵令嬢が物を売り歩くなど、考えられないのだ。
「その辺り、カーサス王国は緩いみたいだね。その子は学校で、商売についての教育を受けていると言っていた。……お隣の国では、学校が学び舎として、ちゃんと機能しているんだね」
「それは幸せなことですね。ヘルグレーン帝国では、ただの権力抗争の場ですから」
いつ誰が、反対勢力となって襲い掛かってくるか分からない。
敵も味方も入り乱れ、子どもと言えど容赦なく蹴落とされる。
それがヘルグレーン帝国の学校だった。
「そのせいで、君は学校に通えなかった。本来ならば、そこで多くの友人ができただろうに」
「私にはバートがいます。背中を預けられる者がいるのは、ありがたいことです」
あの襲撃の後、急に大人びてしまった甥に、イェルノは責任を感じている。
矢傷を受けてからというもの、甥の天真爛漫な笑顔を見ていない。
「二大公爵家の衝突を、野放しにした私たちのせいだ。もっと兄さんと連携して、取り組むべき課題だった」
「叔父上には叔父上の、事情があると知っています。今もこうして皇都に近寄らず、父上と距離を置いているでしょう?」
「兄さんが嫌いなわけではないんだよ? ただ……私がそばにいると……」
「どうか、気にしないでください。父上の弱さは父上のせいで、叔父上のせいではありません」
きっぱり言い切る姿に、イェルノは甥の心の成長を感じた。
皇帝を父に、側妃を母に持つ甥は、赤みが抜けた金髪を肩に垂らし、赤星のような瞳で前を見据える。
昔のイェルノと同じ、第二皇子という重圧は、けっして軽くはないだろう。
それでも――。
「本当に、大きくなったね。頼もしい限りだよ、ヨアヒム」