6.LGBTQIA+ってどう扱うべきなの?
ある日の昼休み。
暇だ。
昼ご飯を食べた後、午後の授業が始まるまでの十分くらいの時間。これを何に使うべきかが永遠の課題だ。
寝るのが安牌ではある。机に突っ伏して眠気が来るまで一、二分ほど。そこから五分ほどまどろんだら勝手に目が覚める。寝付いてもチャイムで目が覚める。授業も集中できる。だがそれは、眠気がある場合の話。
第二の手段。スマホ弄り。できるだけ楽な姿勢で適当にSNSやら動画やらを見流す。生産性はゼロに近いが、体力を無駄に消費せずに済む。唯一の欠点はちょうど授業が始まるくらいに眠気を誘発しがちなこと。
今日は第二の手段を行使しつつ、なるべく寝ている気持ちになって、後で眠気が発生しないよう気をつけることにした。
キャハハ
ワハハ
ちらっ
若者の笑い声が耳についたのでそっと視線を向けてみた。
教卓周りでクラスカースト最高位の女子三人と、同じく最高位の男子二人が談笑している。何を言ってるかまでは分からない。聞き耳を立てるほど興味は湧かない。
特に気にはならないが、こういう人たちは何の話をするのだろうか、と疑問に思ったりはする。テストとか進路の話をするはずもないだろうし、今度どこかへ遊びに行く話でもしているのかもしれない。まぁ俺には縁の無い話だ。
キャアキャア
ワイワイ
じいっ
改めて見ると、女子三人の距離感がやけに近い。抱き合っていると言っていいくらい。雪山で身を寄せ合って暖を取るわけじゃあるまいし。身体的自由を阻害されて不都合なことこの上ないと思うが。寂しくて死んじゃうのか?男子二人も距離感は近いと言えるが、それでも制服の袖が触れ合うくらいだ。
人肌が恋しいのか?考えてみるとあの密着は、幼児気分の現れなのかもしれない。子供が母親に抱き着きだがるように、誰かの傍にいないと不安になる精神レベルの可能性もある。
なるほど、そう考えればあれは案外理に適った行動なのかもしれないな。
キーンコーンカーンコーン
授業開始を告げるチャイム。しかし教卓の五人は席に戻ろうとしない。先生が来るギリギリまで話し込むようだ。その胆力、天晴。
一分ほどして先生が来て、五人は名残惜しそうに解散した。全く。
「気持ちは分かるよ!私も友達とか従妹の子とハグくらいはすることあるもん!」
放課後、部室にて。
先ほどの思いを最大限優しい言葉で葦附に伝えてみた。
「そういうものか。あるあるなんだな。」
「あるあるだよ!そりゃあ、私もしょっちゅうくっついたりするわけじゃないけど、何となく、テンションが上がっちゃったりしたときは自然と距離が近くなっちゃうよ!友だちも受け入れてくれたら、『心の距離が縮まった!ウレシー!』ってなって、さらに近づいたりしちゃうなぁ。運動会とか文化祭とかさ、そうならない?」
「ならない。」
「どうだかねぇ。」
「そう?」
「それで、同性だけか?男子に抱き着いたりはないのか?」
純粋な疑問。決して他意は無い。高校生の何の気なしの会話だから、セクハラにも該当しない。決して。
葦附は頬を若干赤らめて、
「男子には…ないなぁ。さすがに恥ずかしいもんね。」
良かった。何が良かったかって、葦附が女子らしい恥じらいを持ち合わせていたことに、だ。まるで親かのようにほっとした。決して他意は無い。
「古城さんは?」
「えぇ?何がぁ?」
「無意識のうちに距離が近くなっちゃうこととか、無いの?」
「うぅん、私はあんまり人と関わらないからなぁ。近くなるってフェーズにそもそもいかないかなぁ。」
「そ、そう…」
引くなよ。今お前が目にしている二人はそういう人間なんだから。お前が集めたんだから。
「恋愛対象でもないのに、むやみに近づきたい、肌に触れたいって思いにはならないねぇ。」
「言われてみれば確かにそうなのかも。あれ、くっつくのってダメなのかなぁ?」
「ダメではないと思うが。人を選べば。」
「うんうん、相手がどう思うかをなんとなーく理解してやるんだったら、むしろオッケイだよぉ。」
「うん分かった!じゃあ古城さん、ハグしていい?」
唐突な光線銃が古城を襲う。
「へ?」
「ハグしていい?」
「ハ、ハグ?」
「いつ?今?」
「今!」
にっこぉ
笑顔が狂気に満ちている。
「…」
古城の顔がこっちを向いた、気がする。目線は合わせない。
知らない。お前の発言がフリになってそれを呼んだのだ。責任を取れ。俺は助けられない。
「嫌、だった?」
「…嫌じゃない、いいよぉ。」
「ホント?!ありがとぉ!じゃあ、遠慮なく…!」
ぎゅ
椅子に座る古城を覆うように、優しく包み込む。強過ぎず、弱過ぎず、ただ安寧をもたらす。
「…♪」
「…」
目をつぶり、無垢な顔つきの葦附。
ばつが悪そうな顔をするが、頬を染めつつ満更でもない古城。
実に穏やかで、少し甘酸っぱい空気が部室を満たす。
俺の存在、要る?
一分もしたころ。
「もぉ、もぉいいかなぁ。ありがとぉ。」
古城が気まずそうにすっと身体を離す。
ようやく終わったか。
「うん!すっごく良かった!何か分かんないけど、うん!距離が、近くなった気がする!私たち、もっと仲良くなれたよぉ!」
葦附の底抜けの笑顔。
「うん、うん…部長には敵わないなぁ。」
にへっ
つられて古城もぎこちない笑顔を浮かべる。
一連を目撃した俺は真顔なのだが。
沈黙。
ただ二人の間には何か淡いものが浮かんでいるのが見える。
やれやれ。置いてきぼりにされるのは慣れてるが、ここは狭いんだ。それに部活の時間でもある。ほどほどにしてもらおう。
「どうだ?恋愛感情でも生まれたか?」
「えぇ?うーん、あったかい気持ちにはなったけど、恋愛は…?そもそも、恋愛って何なんだろう?ちょっと分からないなぁ。古城さん、どう?何か、私に感じた?」
「へぇっ?!あぁ、恋愛、恋愛ね?どうだろうかぁ?えぇ?私が、部長にぃ?いやぁ?いや…そんな…ことは…」
淡いものがいっそう淡くなる。
おいおい。さすがにピンクの空気には耐えられんて。
「恋愛って、ホントなんなんだろうね?何がきっかけでそうなるんだろう?」
「同性か異性かでも違ってくるのかもしれないな。」
「そういえば、LGBTって言うよね?あれも何なんだろ?うぅん、ちょっと気になるなぁ。」
「LGBTQじゃなかったか?あれ、もっと長かったか?」
「じゃあ、今日はこれについて話してみよっか!」
「あぁ、だけど社会的に難しい話だし、また慎重にいかないとな。」
「よし!古城さん、いいよね?」
「…」
「古城さん?」
「?!うん、うん、LGBTQ、LGBTQIA+ね。大丈夫、いいよぉ。」
ちょっと大丈夫じゃなさそう。
「古城がLGBTQIA+って言ってたが、LGBT以外にそんなにあったのか。」
「そもそも、どんな目的で作られた言葉なんだろう?」
「うん、基本的には性的マイノリティの人たち、彼ら彼女らを指す言葉ではあるんだけどぉ、もはやこの言葉を使うのが、正しいのかも分からないよねぇ。個人の自由、プライバシーに関わるところだから、そこを言い表す言葉も、世間に合わせて、常々認識し直さないといけないみたいだねぇ。まさしく常識、だねぇ。」
「そうかもしれないが、ここではLGBTQIA+という言葉に、ただその人たちを言い表す以上の意味は無いとして話を進めよう。」
「そうしよっか。」
「まず、性的マイノリティって何なんだろ?」
「性的少数派のことだよぉ。性は決められていて抗えないものではなく、自分で自由に決められるという考えのもと、性のあり方や恋愛対象を自由意志で決めた結果、それが世間の大多数とは異なった人たちのこと、みたいだねぇ。」
「おぉ、性別が可変的なものという考えは無かったな。男性か女性かに生まれるなんてどうしようもないもんな。だからって、それに縛られる必要も無いわけか。」
「確かに、後で変更がきくならその方がいいもんね!自分で好きに決めるって大事だし!今日の夕飯何がいいかとか、休みの日はどこに遊びに行くかとか!あ、いや、そのくらい軽く決められることでもないんだろうけど…」
「まぁ最終的にはそのくらい軽い気持ちで選べるようになるといいのかもな。現実的な問題を無視すると、だが。」
「現実の問題の多いからこそ、権利として大きいものだと思えるねぇ。性別の自由。大きいねぇ、クラクラしちゃう。」
「じゃあ、LGBTQIA+って何の略なのかな?」
「だいたいこんな感じだよぉ。」
L…Lesbian(レズビアン)、女性の同性愛者
G…Gay(ゲイ)、男性の同性愛者
B…Bisexual(バイセクシャル)、両性愛者
T…Transgender(トランスジェンダー)、身体的性別と心的性別が異なるために違和感を持つ人
Q…Questioning(クエスチョニング)、性別について迷いがある人、性別を誰かに決められたくない人
I…Inter-sex(インターセックス)、性分化疾患(DSDs)、性器やホルモンなどの性的特徴が典型的な男性・女性に当てはまらないものがある人
A…Asexual(アセクシャル)、無性愛者、誰にも恋愛感情や性的欲求を抱かない人
+…Plus(プラス)、その他多様な性を包含する
「こう見ると、+は置いておいて、L、G、B、それとI、Aもかな?これらはどんな人のことを指しているのかだいたい分かりそうだけど…」
「TとQは違和感とか迷いとかって、ちょっと抽象的だな。このくらいふんわりとした定義なら、結構該当する人は多そうだぞ。」
「『自分は絶対にこっちの性別だ!』と言えない人たちを指す言葉だねぇ。恋愛対象は異性だけど、性的欲求の対象は同性だとか、『男性…女性…何となく、どっちとも言えないかも』みたいな、部分的な性別不一致を感じる人たちが、該当するんだと思うよぉ。」
「そういう話聞いたことあるかも!女の人と結婚して子供もいるけど、でも男の人も好きって人!あ、でもこれってバイセクシャルなのかな?」
「トランスジェンダーとクエスチョニングは範囲が広そうだからな。ベン図で書くならTとQの円が重なっていて、その重なりの中にL、G、Bがある感じがするな。」
「いい表現だねぇ。多分、間違ってないと思うよぉ。」
「ベンズ…?」
知らんぷり。
「レズビアン、ゲイ、バイセクシャルはよく聞くな。同性を愛するか、どっちも愛するか。」
「うんうん、トランスジェンダーとクエスチョニングはさっき言った通りで、恋愛対象や性的欲求の対象が、明確にどっちかって決められるほどではないけれど、どこか疑問を感じる人を広く指す言葉、みたいな印象があるよぉ。」
「それでI、インターセックスには疾患ってあるけど、病気なの?!」
「そうだな。男性や女性を象徴するような性器、ホルモン、染色体の発達中に典型的な過程から分化して、少し特殊な身体的特徴を持つようになった人のことを言うみたいだな。」
「なるほど、せい、性器ね…」
「…」
おい黙るなよ。女子二人の前で堂々と言った俺が今更恥ずかしくなるじゃねぇか。性器だぞ、せ、い、き!
「…具体的には、性器の形が典型的なそれとはちょっと違ったり、大きかったり小さかったり、尿道の位置がズレてたり、とかかな。」
「もっと複雑な状態もあるみたいだけど、ちょっと難しい話になってくるから、一旦はこのくらいの認識でいいかもねぇ。」
「それによく知らないのにあれはあれ、これはこれって言うのも何だか無責任だしな。」
「うん、こういう状態もあるっていう知識は持っておこうね。」
「というかちょっと何かがズレてたりとかは全然ありそうだけどな。何がとは言わんが。」
「私も思ったよ!普段他の人と比べたりしないから、自分がどう違うのかって分からないよね。実際お医者さんに診てもらったりして初めて気づくとか、ありそう!何がとは言わないけど!」
「確かに、何か問題が起きない限りは気づく機会も無いかもねぇ。まぁ自分で問題意識を持つ必要が無いと思うなら、別にいいんじゃないかなぁ?不安に思ったら病院に行く、くらいで。何がとは言わないけどぉ。」
「あぁ。」
「うん。」
「A、アセクシャルかぁ。誰に対しても好きにならないし、その、性的欲求も抱かないかぁ。どうなんだろ、何か、結構当てはまりそうな気もするけど?」
「俺も結構数いそうな気がするな。恋愛もしないし性的欲求も湧かない人ってそれなりにいるんじゃないか?なんなら、俺もそうかもしれないし。他人に興味あんまり無いし。」
「えぇ?!そうなの?!あ、驚いちゃいけないのか。いやでも、うーん?」
「副部長はそうなのかぁ?ホントに好きな人、だーれもいないのかなぁ?」
じっ
じいっ
ううっ
二人の熱い視線が刺さる。思わず顔を逸らす。
くそっ、ここで顔を赤くしてはならない。そんなことをしては後々の立場が危うくなる。平常心、平常心…
「…そうじゃないかもしれない。」
「そっかぁ。じゃあ、どういう人がそう言えるのかな?」
もう興味ねぇのかよ。
「アセクシャルの中にも、恋愛はするけど性的欲求が無い、みたいな人もいるみたいだよぉ。そう考えると、他人に興味が無い人っていうことでもなさそうだねぇ。」
悪かったな。
「つまり、性的欲求が無い人ってことになるのかぁ。性的欲求…うーん…どんななんだろ…私、考えたことないかも…?」
思春期なのに?俺はほぼ毎日真剣に取り組んでいるのに?そ、そうなのか。女子って、そうなのか。こ、古城は…?
そっと目を向ける。
あ、目が合った。
プイ
ガーン
あぁ、逸らされちゃった…俺、キモかった…?
「まぁまだ高校生だしねぇ。そういうのもゆっくり考えていこうよぉ。」
「そ、そうだな。そうしよう。」
同意せざるを得なかった。
「あ、待って待って。アセクシャルの人ってさぁ、誰にもってことだったけど、アレはどうなるの?」
「アレ?」
「二次元。」
あー、そうか、なるほど。その着眼点は無かった。
「二次元が好きって感情はあるかもしれないよな。それこそ、結婚したりだとか、性的欲求を持ちたいとか思うかもしれない。その場合は、どうなるんだ…?」
「うぅーん、ちょっと難しいねぇ。でも、結局、個人に任せるってことでいいんじゃないかなぁ。」
「?どういうこと?」
「アセクシャルを名乗るかどうかは自分次第ってことぉ。三次元に興味は無いけど、二次元に強く興味があって性的欲求もあるから、私はアセクシャルじゃないですっていうのもアリだしぃ、それとも二次元に興味はあるけど三次元に興味は無いからアセクシャルですっていうのもアリなんじゃないかなぁ?」
「つまり、捉え方次第、個人の勝手というわけか。」
「二次元が好きなんだから、あなたはアセクシャルを名乗らないでくださいってのも酷いもんね。そうなるかぁ。」
個人の自由、自由ねぇ。でもなぁ。
はぁ
「そうなるとますます難しくなるけどな、性別の問題って。判断を個人に任せるのも大事だが、そうすると『私は○○ですから周囲には○○みたいな配慮を求めます』みたいな要求で溢れかえって、国も対処しきれなくなるに違いないよなぁ。」
「それこそ人の数だけ性別があると思った方がいいかもねぇ。」
「でもそれじゃあ、どうやって対処したらいいんだろ?一つ一つ個人に合わせるなんて絶対無理だし…」
「やっぱり性別の大枠を決めて、それでしばらくやっていくしかないんじゃないか?男女トイレみたいに。ジェンダーレストイレとか一時期話題になったけど、普及しなかったろ?結局そうするしかないんだよ。」
「でもそうすると、性別マイノリティの考えが潰されちゃわなぁい?せっかくそういうのがあるって分かってるのに、それを無視していいのかなぁ?」
「いやよくは無いけど、でも…」
言葉に詰まる。あちらを立てればこちらが立たずだ。
「うぅ、頭が痛くなるぅ…人それぞれに性の捉え方が違うのに…どうすれば皆んな納得できる世界になるんだろう…」
「だから結論出さなくていいって。ここからは俺らの仕事じゃない。」
「そうそう。お偉方にお任せですよぉ。こんなふうに認識はしておいて、いつか国から『こんな対処しようと思いますけど、どうですか?』って聞かれたときに、『私はこう思います!』ってきちんと意見を言う準備をしておけば、いいと思うよぉ。」
無責任じゃない。俺たちにはできないから仕方無い。
「うぅぅぅ…あ、あ、あぁー?!」
素っ頓狂な声を上げる。
「どうした?」
「じゃあ、じゃあね?外で皆んなを個別に対処するのは難しいから、家の中だったら、どう?」
「は?」
意味が分からない。
「どういうことぉ?」
「いやね?家の中だったら何してもいいじゃない?だから、家の中で、その、性的欲求なり何なりを満たせればいいなって思ったの!」
???何を当たり前のことを。
「いや…それはそうだが…でも、それが何の解決になる?誰かに認められるわけでもなく、家に引きこもれって?それでいいのか?」
「そういうわけじゃないんだけど…でも…何か…」
悩みながら言葉を紡ごうとする葦附。諦めない姿勢だけは尊敬できるが。
「何だよ。家にいながら外に出て、認めてもらえってか?そんな世界があったらいいな?」
「あ…」
「そう、そうだよ!それがいいよ!」
「え?」
「あるじゃん、確か!VRとか!」
ポロッ
目から鱗が落ちた。
VR、だとぉ?顎に手をやって考え込む。
「そうかぁ、現実世界が難しいなら別世界で自分だけの性を実現すればいい、確かにねぇ。」
「うんうん!それにVRって、何かこう、キャラクター?で自分の姿を決められるんでしょ?だから、個人の自由に性を決められるんじゃないかって思うの!」
「…アバター、な。アバターのスキンは自分の好き勝手に設定できる。異性のスキンはもちろん、人間である必要も無い。動物、植物、無機物、ファンタジーの生き物、何でもござれだ。多様な性を実現するなら理想的かもしれない。確かにVR、というかメタバースか。そこならどんな性も実現できる。しかも外に向けて。」
「まぁメタバースとはいえ好き勝手やっていいわけじゃないだろうから、媒体、サーバーごとのルールを守った上で、今まで心の内に押し隠してきた性を発散する、というのは、現実より現実的かもしれないねぇ。」
「誰もが自由に自分を表現できて、それが受け入れられる世界!何だかワクワクしちゃうね!ね!」
「まぁ機会があれば体験してみたくはある。」
「同じくぅ。」
「じゃあ文化研究部の皆んなでいつか、メタバースで集まろうね!」
「約束はできない。」
「同じくぅ。」
「あれぇ?」
「それで、色々話してきたけれど、最後に一個、聞いておきたいことがあるんだ。」
「何です部長ぉ?」
「自分の身近な人が性的マイノリティだったとき、自分はどんな反応をするかってこと。」
「身近な、人か。」
「そう、例えばお父さんが、お母さんと結婚して家庭も持ってるけど、実は男性が好きだってことが分かったりしたら、とか。」
「おぉ、お父さんかぁ。」
「お父さん…」
ちょっと想像して、すぐやめた。
正直、キツイ。さっきまで散々多様性に配慮しようみたいな方針だったし、俺もニュースで見るような人たちを偏見の目で見るようなことは無い。
だがそれは、他人だったからだ。見ず知らずの他人が誰を好きになろうが関係無いから、当事者では無かったから。それで、いざ自分が当事者、関係者になったとしたら…?
父親がそうだったとすると、何で今更なんだよって怒るだろうな。そんな思いを隠してた、実は辛かった、何て言われても俺にはどうすることもできない。だったら最初から結婚なんてせずに俺なんか作らなきゃ良かったんだ。
それで、打ち明けてどうする?離婚するのか?恋人でも作って幸せになるのか?俺を捨てて?
許せない。自分だけ楽になって幸せになるのが我慢ならない。
そうだ、本来の性を晒したところで、今までの行動で背負ってきた責任は消えない。性はどうあれ、責任は残る。性は尊重してやりたいが、それすら捨て去ろうとするのは看過できない。
「私だったら、きちんと話した上で同性の恋人を作る、とかだったら別にいいかなって思っちゃうなぁ。お母さん…がどう思うか、想像もつかないけど…」
「私も部長と似た感じだねぇ。話し合って、同性が好きだってことを、家族皆んなが納得した上で、それで、家族の形を今まで通り保つってのが、ベストかと思うねぇ。それでたまには、男性俳優とかの話を一緒にして、『あの人が格好いい』『この人とこの人だったらどっちが好き?』みたいな話をして、あげられたらなぁ、って思うかなぁ。」
「うん、私もそのくらい、今までと変わらず、むしろ距離が近くなった感じでコミュニケーション取っていきたいなぁ。」
「…でも、家族っていう形は壊したくないんだよな。」
「そうだね、それだけは…嫌かなぁ…」
「私も、壊したくは、ないよねぇ。」
「父親が壊したいって言ったら、どうする?」
「え?」
「家族を捨てて、好きな同性と一緒になりたいって言い出したらどうする?」
「え、えっと…それは…」
「…副部長はいいとこを突くよねぇ。うぅん、私だったら、認められないかなぁ。私たちから離れていって、家族が今までの形でなくなるのは、できるだけ回避したいかなぁ。」
「私も、ちょっと嫌だ。でも…どうしても、どうしてもそうしたいってお父さんが言うのなら、そうさせるしかない、認めざるをえないかも、しれないよね…」
「そうだな。」
「…うん、たくさん、たっくさん話し合って、残った私たち家族をどうするのかを、真っ剣に話し合って…それで家族皆んなが納得、いや納得なんて無理かもだけど、一応結論が出たら、それで、お父さんにはさようなら、するかもしれない…」
「うん、そうだよねぇ…」
シーン
っかぁー。またやっちゃったよ。俺の悪い癖。空気を重くしちゃう。
でもいいか。真剣に話し合いしてる証拠だもんな。
「俺も葦附が言う感じになるな。残った家族に対してどう責任を取るのか、そこをきちんと決めた上で、適切な条件を提示されたら、まぁ、仕方ないってことで決着になるかな。」
「うぅん、身近な人だと本当に難しい問題になるね。」
「そうだねぇ。でもありえないことじゃないからぁ。もし実際にこういう問題が起こったときに、今日話したような知識があれば、ちょっとは落ち着いて話を進められると思うよぉ。」
「そうだな、今日のことが良い予防線になるかもな。」
「うん、うん!そうそうその通り!じゃあ今日は、この辺にしとこっか?」
「おう。」
「そうしよぉ。」
「いやぁー!今日も頭使って話したねぇ!つっかれたぁー!」
葦附がぐぃっと背伸びをする。
「あぁ、葦附はいい着眼点持ってるよな。」
「そうだねぇ。でも副部長も、深いとこまで考えられる、優秀な頭を持ってるんだって、感心させられるよぉ。」
え?そ、そぉ?そう思って、くれてるのぉ?
頭ポリポリ
「うん!私もそう思う!それに古城さんだって、色々調べて話進めてくれてるし!ホントに助かってるよ!」
「それは俺も思う。」
「えぇ?そぉ?全くぅ、照れちゃいますよぉ。」
えへ…
あは…
何だこの互いを褒め合うお花畑空間は。
でも居心地、悪くない、じゃん?
今日の話し合いは実にいい空気で幕を閉じた。
帰り道。
今日も頭を使った。特に自分の父親のそれを想像したせいだな。それで父親への印象が勝手に悪くなってしまった。全く、家に帰ったらいきなり、
「お前たち話があるんだ。」
とかやめろよ?笑えないから、もう。
ふと、宅急便の配達員を見かけた。夕暮れ時に、大きな荷物を両手で抱えて駆け足で運んでる。大変だなと思いつつ、ちょっと、上着をまくった前腕に目がいってしまう。
うぉっ、筋肉すごっ。
筋肉で肥大化した前腕のは、自分の倍くらいありそうだ。そこに血管が浮き出て、いっそう逞しく見える。手もゴツい。指一本一本が太くて長くて、骨ばっている。力強いことこの上ない。いいなぁ。俺も筋トレ、してみようかなぁ。
姿が見えなくなるまで目の端で追っていた。
ハッ
違う、違うからね?!そういう目で見たんじゃないからね?!ただ男としていいなって、いや違う、いや違うくもないのか?あぁもう、とにかくそういうんじゃないからぁ~~~!お父さん、俺は、違うからぁ~~~!
若干泣きべそをかきながら、走っておうちに帰る。
今日は、性の多様性と、運送の人は自然と逞しくなる現実を学んだ。