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第五話

「そ、れは……」

 涼佑には何とも答えようが無かった。それはそうだ。彼自身にも何が起こるか分からないことだらけなのに、「責任はオレが取ります!」などと無責任なことを言える訳が無かった。言い淀んでしまった涼佑を見かねて、巫女が「いいよ、童子。どちらにせよ、一度は対峙してみないことには何も分からん」と宥める。その言葉に一瞬、何か訊きたそうな顔をした童子だったが、特にそれを言葉にすることは無く、涼佑に「よく考えておけ」と忠告だけしたのだった。
 夕食を食べ終わってお茶を飲み、少し胃も落ち着いたところで、巫女は涼佑に「で、どうする?」と出し抜けに訊いた。

「どう、って……?」
「望の父親の件だ。見るか? 見ないでおくか?」

 巫女の言葉に涼佑はそこで慎重に考え考え、それを口に出してみる。まだ確固たる自分の意見として自信を持てないでいるせいか、巫女に話しているというよりは自分の考えをまとめる為に話しているようだ。

「樺倉望が……こうなった、のは、オレには関係無い……と、思う」
「うん、そうだな。そこは私も同意見だよ」
「――でも、こいつにだって、こいつなりの理由があって、こうなっちゃった訳で……」
「そうだな」
「オレ……上手く、言えないけど。あいつがオレを恨むのは、間違ってると思うし、助かりたいっていうのは嘘じゃない。でも、あいつだって被害者なんだ。こんな姿になりたかった訳じゃないと思うんだ」
「うん」
「だから……」

 そこで涼佑は、はっと気が付いて、次の言葉を口に出すことを少し躊躇した。しかし、巫女も特に何か言う訳でもなく、涼佑のその言葉を待っている。涼佑は言おうとしている言葉とここに来たばかりの時を比較して、そのおかしさにふと笑った。

「助けたいんだ。あいつのことも」

 予想通り、否それ以上にお人好しな回答に、巫女は思わずからからと笑った。それまで成り行きを見守っていた鬼はそこで初めて巫女ではなく、涼佑に呆れたようだった。

「お人好しにも程があるだろ。自分を殺そうとした奴を助けたいなんてな……! はははっ! 気に入ったよ」

 自分の膝をぱんっと叩いて、立ち上がった巫女は廊下に出ながら涼佑を振り返る。空には青白い月が出ており、柔らかな月光を降らせていた。月光に照らされて、巫女の輪郭が闇の中に浮かび上がる。

「ならば、私も協力しよう。『願いが叶う神社』の『幽霊巫女』として、必ずお前を救ってやる」

 先程までの親しみを感じる雰囲気とは一転して、厳かでもあり、人外じみた、どこか狡猾さすら感じる笑みを浮かべて巫女はそう宣言した。そんな主人に鬼は珍しく何も言わず、同じように立ち上がる。

「そんじゃあ、今日はもう遅いから、呪いの件はまた明日な。あ、風呂は童子に訊いてくれ。私ももう寝る」
「あ、うん。分かった」

 もう眠いのか、巫女は若干舟を漕ぎつつ、廊下の奥へと去って行った。残された涼佑に鬼も風呂の場所を教えると、主人の後を追うように同じ方向へ去って行った。開けっ放しの障子を閉めてから、涼佑は感慨深そうにぽつりと独り言を呟いた。

「幽霊って、風呂入るんだ……」



 温かい湯に浸かって、体が冷えないうちに布団に入ると、途端にうとうとと眠気がやって来る。今日は何度も気絶したというのに、眠気が来るものなのかと半ば感心に近いことを涼佑が思っていると、ふと、細かなことに気が付いた。

「そういえば、財布もスマホも無くなってて……」

「明日、巫女さんに訊いてみなくちゃな……」とうつらうつら思いながら、涼佑は瞼を閉じた。



 翌日、「おっはよう!」という掛け声と共に障子を開けて起こされた涼佑は、「んにゃ……?」と低血圧特有の間抜けな声を上げて、どうにかこうにか起きた。片手に持った白黒の可愛らしい小鳥のぬいぐるみを頬に押し付けられ、甲高い声で「七時! 七時!」と追加の目覚まし声を聴かされる。そんな起こし方をされたことが無かった涼佑は、「んぁああ……」とささやかな抵抗の声を上げた。
 まだ少し寝ぼけている頭でただ時間だけを知らされた涼佑は一瞬、学校に遅れると思ったが、すぐに自分の状況を思い出して口に出すことは免れた。それより今は――

「やめて、巫女さん」

 目の前の少女が持っているぬいぐるみを止めることだ。涼佑がぬいぐるみを持っている彼女の手を掴んで止めると、巫女はつまらなさそうに唇を尖らせる。

「なんだよ、可愛い鳥で起こしてやったんじゃないか。ちょっとは感謝しろよー」
「ん~……オレ、朝はその番組見てない……」
「マジか。鳥とアナウンサーの漫才が好きなの、やっぱり私だけか」
「オレ、兎のアニメが好きだから……」

「あれ好きなんだけどなぁ」と至極残念そうに呟いた後「朝ごはんだぞー」という呑気な巫女の声に「う~ん……」と相槌のような声で答え、涼佑は浴衣のまま、顔でも洗おうと取り敢えず、立ち上がった。背後から「じゃあ、後ろの家の方で待ってるからな~」という元気な声に生返事をしてすぐ、覚醒してきた涼佑の頭にある疑問が浮かんだ。

「後ろの家ってなんだ?」

 昨日、風呂に入る為に鬼に示された方角へ歩いていると、昨日は考え事をしていて気が付かなかったが、社務所と融合するようにして、普通に住居スペースがあったことに気が付いた。そういえば、この段差あったな、と社務所と住宅の区切りに丁度ある段差を下りる。清々しい朝の空気の中、とぼとぼと歩いていると、ある姿を見つけた涼佑は思わず「あ」と声を上げた。
 そこには朝の掃除をしている鬼の姿があった。巫女一人では手が届かない高所を雑巾で拭いている。涼佑に気が付くと、彼は一旦手を止めて声を掛けてきた。

「おお、はよう。涼佑殿。昨夜はよく眠れたか?」
「あ、はい。おはようございます。お陰様で」
「その様子では主人に起こされたな?」

 鬼の鋭い指摘に涼佑は「へへ」と誤魔化すように笑う。「全く、主人には困ったものだ。後で己の方から言っておこう」と口では言いつつ、鬼が浮かべている表情は娘を見守る父のような優しい表情だった。しかし、それもすぐに引っ込み、涼佑へ「朝餉ができているぞ」と教えてくれた。それに「はい、ありがとうございます」と会釈する。

「昨日もご飯、ありがとうございました。凄く美味しかったです」
「なに。己は式神故、あのような些末なこと、負担にもならん」

「貴殿も主人もよく食うので、作りがいがある」と大きな手でわしわし頭を撫でられ、突然のことに涼佑は「んわっ」と変な声を上げた。身長差から何だか子供扱いされているようで複雑な気分だったが、怒る程のことでもないので、涼佑は甘んじて受けることにした。
 一頻り鬼が満足するまで撫でられた後、涼佑は更にぼさぼさになった頭を直しに洗面所へ向かうのだった。

 一通り身支度を済ませた涼佑が廊下に出て少し歩くと、彼の姿を見付けた巫女が近くの部屋から顔を覗かせて手招きする。

「涼佑、こっちこっち」

 素直に従い、そちらへ向かうと、巫女に手を引かれて涼佑は隣に座らせられた。そこは涼佑がいた和室より少し広めの和室で、中央には大きく艶々した座卓に座布団、その前には大きめのテレビが鎮座している。今は巫女の好きな朝のニュース番組をやっていた。
 座卓には既に朝食が用意されており、巫女は涼佑が来るのを待っていたようで、まだ手を付けていない。

「手合わせたか?」
「うん」

「いただきます」の声を合わせ、二人はそれぞれ箸を持った。
 朝はよく焼けた鮭の切り身にふんわりと色の良い卵焼きとたこさんウィンナー、白いご飯に油揚げともやしの味噌汁。他にもご飯のお供が数種類。いつもパン食だった涼佑にとっては、久しぶりにしっかりした朝食だった。
 今日の朝食も美味しく食べ終わった二人は、食器を片付けつつ、今後の話に移っていく。

「巫女さん、望のお父さんのことなんだけど」
「お、見る覚悟決まったか?」
「うん……でも、昨日みたいなことが起こらないかどうか、心配で」
「そうだよな。流石にそっちはキツそうだしな」

「何か予防する術とか無いかな?」と心配そうな顔をする涼佑と思案する巫女。そうして数秒後、納得したように頷いた彼女は涼佑に言った。

「サトリの窓のことはサトリに訊こう。それが一番手っ取り早い」



「それで、うちを呼んだち?」

 結論が出てすぐに巫女は鬼を呼びつけて、猿面のサトリ・柳を呼び寄せた。彼としては、人間である涼佑にあまり関わりたくないからこそ、昨日の去り際に忠告をしたというのに、まさか次の日にも呼ばれるとは思っていなかったようで、訪問時に「まさか、また呼ばれるとは思うちょらざったよ」と苦笑していた。そんな柳を「まぁまぁ」と宥めて、巫女は涼佑の布団を片付けた客間へ通した。
 話は既に通っているらしく、柳は座布団に座ってすぐ「それで、『心移し』を防ぐ方法やったっけ」と早く帰りたいのか、本題に入る。巫女が肯定すると、柳は考えるまでも無く、言いのけた。

「『心移し』を防ぐ方法は『とにかく見ん』。これに尽きるね」
「……え、それだけか!?」
「昨日もゆうたけど、ありゃあ見たいと思って見るもがやない。他人の心を見たがしまい、勝手に見えてくるものだ。防ぐ方法らぁて、こっちが知りたいわ」

 辛辣に「こがなつまらんことで呼び出しやがって」と悪態を吐く柳に、巫女も涼佑も開いた口が塞がらない。鬼はこれを予想していたらしく、「やはりか……」と独りごちる。「けんど」と柳は涼佑を見据えて、勝気な笑みを口元に浮かべた。

「おんし、よおあこからもんて来れたな?」

「大抵は心を取られるってがやき」とあっさり言われて、涼佑も巫女も最初は理解できなかったが、数秒後には両者共はっとして、涼佑は巫女を見、巫女は勢い良く彼から顔を背けた。

「そんな危険性あるなんて、聞いてないけど!?」
「そ、そうだったかぁ?」

 巫女の不誠実な態度にまた鬼から「主人」と圧力が放たれる。それに「分かったよっ」と観念した巫女は涼佑に向き直り、「済まなかった。余計な心労を掛けたくなかったからな」と謝る。彼女の気遣いを知って、涼佑も却ってバツが悪くなり、「別にいいよ」と許した。

「じゃあ、うちはこれで失礼させて頂きゆう」
「待て。まだ話は終わってない」

 二人が本題から意識が逸れたところで、さっさと帰ろうとする柳を巫女は肩を掴んで止めた。それに一瞬だけ苦い顔をした柳は、愛想笑いを浮かべながら振り返る。しかし、その顔には「早う帰らして欲しい」と書いてあった。そんな彼の主張を分かっていながら、全く意に介さず、巫女は「対処法が分からんのなら、一緒に対策を考えてくれ」と申し出た。しかし、柳は少し思案した後、「あのねぇ」と続けた。

「うちじゃち、助けちゃりたいのはやまやまなんやけんど、分からんものは分からんがじゃ」

 その反応で涼佑は、巫女と共にかなり無理なことを言っているのだと漸く理解したが、それでも何とか協力して貰えないだろうかと涼佑は頭を下げた。しかし、柳は頑として首を縦に振らない。

「頭なんか下げんとってよ。無理なもんは無理なが」
「私からも何とか頼むよ。この通りだ」

 涼佑に倣って巫女も頭を下げ、柳はぎょっとして「おまさんまで頭下げんとってよ。うちが悪いみたいやないか」と狼狽えた。声を掛けても頭を上げる様子が無い二人に、やがて柳の方が折れた。

「分かった! 分かったき頭を上げてくれ!」

 その言葉にぱっと頭を上げる二人。嬉しそうに巫女を見る涼佑と勝ったとでも言いたげに笑む巫女を見て、「やられた」と米神の辺りを押さえる柳。正直断りたいが、一度協力すると言ってしまった手前、すぐに撤回することもできず、柳は観念することにした。

「『心移し』に遭わん方法ねぇ……」

『心移し』とは能力でも技でも無く、偶発的に起こる現象だ。心を読むサトリの中でも『感受性』や『共感性』が一際高い個体が他者の心を覗く時に高確率で起こる現象で、実際に『心移し』に遭ったサトリの多くは他者の心に巻き込まれ、逆に心を亡くしてしまう。サトリにとってはこれ以上無い程、恐ろしいものだ。だから、柳は『心移し』なんかには関わりたくなかったのだ。それに自分の都合でしか物を考えない、人間という種族に嫌気が差していたということもあって、柳は涼佑には近寄りたくないと思っていたのだった。しかし、これが巫女の頼みとあっては別だ。

「しゃあないよなあ」

 人間なんて嫌いだが、そう自分に言い聞かせて柳は誰にも気取られないよう、密かに渋い顔をした。

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