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第四話

『心移し』とは、心を読む妖怪サトリ達の中で時折、起こる現象なのだそうだ。他人の心を読むことに疲れたサトリ達は普段は目隠しをして過ごし、その能力を抑え込んでいるが、能力を使う時、ごくたまに陥る現象らしく、心を読もうとした者の現在だけでなく、その過去、時には未来ですら心の在り様を見られるという。

「何か他のサトリと違いはあるのか?」
「う~ん……そうやねえ。多くは、『感受性』や『共感性』が高い子が多いぜよ。他人の心に当てられやすい子達やね」
「そうなると、どうなるんだ?」
「他人の心に引きずられる。その多くは帰って来んぜよ」

 それは言葉を濁してはいるが、『心を亡くす』と言っていた。それを聞いて、巫女は思わず『サトリの窓』を見る。そんな彼女に猿面の男は淡々と告げる。その声は男にしてはやや高い。

「もし、その人の子が帰って来ん時は、諦めた方が良い」
「……帰って来られると思うか?」

 巫女が胸に渦巻く不安を押し隠しながらそう訊くと、猿面の男はこてん、と小首を傾げて当たり前のように言った。

「サトリですらほぼ無理やき? ただの人間が戻って来れるとは、到底思えん」



 幻の自分が望の告白を断る場面で、涼佑は罪悪感に押し潰されそうになっていた。当時の自分は何も知らなかった。何も知らなかったからこそ、無常に断ることができたのだ。だが、今は違う。頭では彼女の事情など自分には関係無いとは分かっているのに、心がそれを否定する。お前も一度は関わったのだ。現実を見ろ、と。自分に告白を断られた望はその場から立ち去り、そのまま自分のクラスへは戻らず、トイレの個室にこもって泣いていた。彼女は学校でも思い切り泣ける環境ではなく、孤独だったのかと涼佑は哀れに思った。そんな彼の胸には彼自身が気付かぬうちに、黒紫の痣はどんどん広がっていった。



「どうすれば、こっちに引っ張ってこられる?」
「おまんも好きモノやねや。人間の一人や二人、おらんなっても現世には何の影響も与えんというに」

 猿面の男はにやにや笑いを浮かべていたが、巫女が真剣な表情を崩さないところを見ると、笑みを引っ込め、「おんし、本気やねや?」と今一度、彼女の意思を確かめた。それに巫女は口を開く。

「私は人の味方をする『幽霊巫女』だぞ。ここであいつを見捨てたら、先祖にも父にも顔向けできん。何の為にサトリであるお前を呼んだと思ってる? 柳」

「何とかしろ」と幽霊・妖怪に対してどこまでも横暴な巫女に猿面の男、基サトリの柳は面白そうに笑みを浮かべた。



 許せなかった。私を救ってくれると思った。
 なのに、あいつは私を簡単に見捨てたんだ!!

 学習机にそんな一文が浮かび上がる。涼佑が見ている前で、着々と望は彼を呪う作業を進めている。学校でも家でも一頻り泣き、絶望を味わった後、徐に立ち上がった彼女はただ一言「呪ってやる」とだけ呟いた。厳密に言えば、涼佑は悪くない。ただ運が悪かっただけだ。しかし、望にとってはそうではなかった。中途半端に手を差し伸べた涼佑が全て悪いのだと、逆恨みでしかないのに彼女はそれを自分の正義だと信じ込んだ。私を救ってくれないのなら、死ね。その命をもって償え、と庭先で捕まえた蛇の目に釘を刺し、暴れるその身をカッターで自身の指を傷付けながらも、縦に引き裂く。その一連の作業を敢えて壁に打ち付けたまましている間、望は無に近い怒りと憎しみをただただ蛇に刻み付けていた。望の顔はいつしか蛇の血で染まり、口元には醜く歪んだ笑みを浮かべている。時折、口から「ひひ、ひひひ」と漏れる笑い声が一層不気味さを醸し出していた。

「なんで……」

 ずぐ、とまた胸が痛む。今度は明確に痛みを伴って涼佑を襲った。痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……!

 だから、呪ってやることにした。
 私を見捨てたことを後悔させてやる!!

 あの台風の日、七津川に架かる橋の上で、望が蛇の死骸を血塗れの手で三つ編みにし、自身の首に掛ける。

「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……っ!!」

 何度も何度も涼佑の死を願い、歓喜に打ち震えているような、凍り付くような笑みさえ浮かべたまま、彼女は橋の上からどうどうと橋を薙ぎ倒す勢いで流れる七津川へ、その身を投げた。

「かはっ……!?」

 胸が痛い。黒い血を吐きながら、涼佑はあまりの痛みにその場に倒れ伏してしまう。心臓を抉られているのではないかとすら思える痛みと苦しみの中、胸を押さえてそれに耐え続けている彼はここにいない誰かへと手を伸ばす。痛い、苦しい、助けてと終わりの見えない辛さから解放して欲しくて伸ばされた手に、不意に細い縄のような物が巻き付いた。それはぐいぐいと涼佑の体を引っ張り、どこかへと連れて行こうとする。これ以上何をさせたいのかと、ゆるゆるとその先を見ると、そこには温かくも小さな光が見えた。その光に近づくにつれて、胸の痛みは段々と治まっていく。あの光に触れれば、きっと助かる。助けてくれる。状況も訳も、何もかも分からないが、そんなことを考えている余裕は無く、涼佑は必死に小さな光へ手を伸ばした。



 途中でまた痛みで気絶していたのだろう。数人の手が背中に触れたと感じると共に、涼佑はふっと目を覚ました。そこには巫女と鬼の顔があり、二人の顔を見た瞬間、「帰って来られたんだ」と涼佑は心から安心すると涙を滲ませる。そんな彼に同じように涙を浮かべた巫女は「なんだ、元気じゃないか。泣き虫だな、お前」と強がりを言った。

「心は喰われなかったみたいだな。ああ、良かった良かった。お前が窓に吸い込まれた時はどうしようかと思ったぞ」
「ごめん、巫女さん。心配かけて」

 涼佑の冷たくなった頬に触れ、ぎゅっと彼の存在を確かめるように抱きついてくる巫女を受け止めながら、涼佑は見慣れない人がいることに気が付いた。

「あの、童子、さん。その人は……?」

 まだどこか呆然としている涼佑に一瞬、痛ましいものを見るような視線を投げた鬼だが、それもすぐに逸らして「ああ、この方は……」と紹介しようとしたが、それより早く柳はさっと立ち上がって踵を返した。

「さて、坊も戻って来たし、うちはお暇するき。巫女ちゃん、その子のこと大事にせんといかんよ。心の優しい子やき、うちらみたいなのとはあんまり関わらん方がえいよ」

 それだけ言うと、柳はさっさとその場から立ち去って行ってしまった。残された涼佑は訳が分かっていない顔をし、巫女は彼から離れると、「なんだあいつ。もう行っちまったのか」と零す。さっきの柳の発言は聞き逃さなかったらしく、鬼に「童子、そのうち柳のとこに菓子でも持って行くか」と言うと、鬼は「ううむ……」と考え、「あの者達が菓子など食うものだろうか、主人」と困惑していた。
 それから『心移し』について巫女と鬼に聞いた涼佑は、ついさっき見た光景を思い出して、ぶるっと身震いをした。涼佑には『心移し』の危険性については伏せ、巫女は何食わぬ顔で「何か分かったのか?」と訊くと、涼佑は「あいつの、樺倉望の過去は分かった」と素直に答えた。実際、彼女の過去は分かったが、涼佑に落ち度があったかというと、甚だ疑問だ。涼佑の見たもの、体験したことを聞いた巫女は何事か考え、「じゃあ……」と切り出した。

「そもそも望が呪いとなった原因って、その父親のせいだっていうことになるよな? じゃあ、そいつの心を覗いてみるってのはどうだ?」

「そいつはまだ生きてるんだろ? だったら、気軽に見れるぞ」と言う巫女に、涼佑は露骨に嫌な顔をした。望の心を見た時でさえ、理解しがたい人物だったのに、またあんな光景を見るのかと思うと、気分が沈む。それを涼佑の表情から察した巫女は、「夕飯の後にするか」とだけ言うのだった。
 夕食にしようという雰囲気になると、どこからかいつの間にか仕入れたのか、涼佑の前に鬼は浴衣を出してきた。高校生の涼佑には少々大人っぽい渋い黒一色の浴衣だったが、「ありがとうございます」と彼が素直に喜ぶと、鬼は「ああ」と照れ臭そうにそれだけ言って、夕食の準備に取り掛かろうと部屋を出て行った。鬼が出て行くと早速浴衣に着替えたいと思った涼佑は、傍らにいる巫女へちら、と視線を送る。視線を送られた巫女は「なんだ?」とぴんときていない顔をしていたので、堪らず涼佑はそっと言った。

「あの、巫女さん。オレ、着替えたいんだけど」
「おう、良いぞ」
「いや、『良いぞ』じゃなくて、出てくれない?」

 そこまで言って漸く「あ、ああ、そうだな」と気が付いた巫女は、さっと廊下に出て障子を閉める。「サイズ合わなかったら言ってくれよー」と間延びした声が障子の向こうから聞こえてくる。それに返事をして、涼佑は制服に手を掛けた。
 どうにかこうにか着られた浴衣は涼佑の体にぴったりだった。制服より楽で動きやすい。着替え終わったと巫女に声をかけ、入ってきた彼女に「おお、似合ってるじゃん」と言われて少し笑う余裕が出てきた。その時、開けられた障子から鬼が顔を覗かせ、夕食を載せた盆を持ってくる。巫女と涼佑の夕食がちゃぶ台に並べられていくのを見ていると、彼は素朴な疑問を口に出した。

「そういえば、童子さんのは?」
「ああ、こいつは式神だから、食事は要らん。嗜好品としては食うけど」
「式神? 巫女さんのってこと?」
「いんや。こいつは元々、私の先祖が昔から使役していた式神でな。今は父の式神として、私の世話を任されている」

「謂わば、守役だ」とキャベツとじゃがいもの味噌汁を啜りながら巫女が箸で鬼を指すと、「行儀が悪いぞ、主人」と鬼に注意された。涼佑も白いご飯と蓮根の挟み揚げを食べつつ、相槌を打つ。そんな二人に「今日のはどうだ?」と鬼が訊くと、二人はそれぞれ「うん。むっちゃ美味い」と「美味しいです」という感想を言う。それを聞くと、鬼は満足そうに笑んだ。
 食事も半分程無くなった頃、「あ」と何か思い立った巫女は再び涼佑を箸で指して鬼に怒られるも、構わず言った。

「そうだ。お前も私の守役になったら、良いんじゃないか? 涼佑」
「んごほっ……!」

 突然の提案に思わず、口をつけていた味噌汁を噴き出してしまう涼佑。それを見て「うわ、汚いな」と言いつつ、畳に零れた味噌汁をティッシュで拭く巫女。巫女の行動に呆れたような調子で鬼が「ああ、主人っ。それじゃあ、畳に染み込む……!」と台布巾で拭き取ろうとする鬼。どちらにしろ、零れた味噌汁は染み込んでしまったので、二人とも諦めた。涼佑も拭こうと取り出したティッシュを持ったまま、気まずそうに固まっていたが、巫女の提案に改めて「守役って……」と困惑する。そんな彼に、巫女は努めて明るい調子で言った。

「だって、これからその呪いが解けるまでお前は現世に帰れないんだぞ? だったら、これから長い付き合いになるってことじゃんか。だったら、ここの『客』じゃなくて、守役としてなら、いつまでもここにいられるし、対策も立てやすいだろ。なぁ、童子」

「お前も弟子欲しいだろ?」と呑気な巫女に、童子は一瞬「は……?」と戸惑っていたが、すぐに涼佑を見て、「ううむ……」と考え込んでから「しかし、主人」と忠告する。

「まだ呪いと対峙はしておりませんので、もしかしたらということもあるかと」
「ああ。まぁ、その辺はな。でも、帰れない可能性はあるだろ? もし、涼佑が本当に現世に帰れなくなっちまった時には、お前の弟子として迎えようと思っている」

「ほっぽり出すのは幽霊巫女としてできん」と妙なところでプライドを見せる主人に、鬼は仕方ないとでも言いたげに「承知した」と承った。が、しかし、涼佑自身はまだ納得していない。

「いや、巫女さん。童子さんの言う通り、まだ本格的に帰れない訳じゃないし、万に一つってこともあるじゃんか! もしかしたら、案外簡単に解けちゃったりとか――!」
「あのなぁ、涼佑。さっきも言ったが、お前に掛けられた呪いはそう単純なものじゃない。手順を踏まなかった呪いだからこそ、厄介なんだ」

 巫女が言うには、正式な手順を踏んで掛けられた呪いは『呪詛返し』によって解呪が可能だ。しかし、涼佑の場合、そうではない。むしろ、純粋な恨みや憎しみが元である今回の呪いは解呪の方法すら分からないのだ。彼女の力で呪いを妖怪として具現化させて戦うことはできても、勝てるかどうかは実際に戦ってみるまで分からない。もし、万が一、彼女が倒せなかった場合は――

「責任が取れるのか? 小童」

 童子の真剣なその表情に、涼佑は何も言えなくなってしまった。

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