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第32話 探り合い

 炊き出しをしている学校の近くにある空き家にて、リプカはムナールとともに身を隠していた。

 自分達がオールランドの生存者に見付かると危険だ。だから彼らの前には極力姿を現してはならない。それは分かる。

 分からないのは、保護団体の指揮を執らねばならないハズの隊長ことヴァルターが、何故ここにいるのか、である。

(昨日、別の処刑人が、隊長には気を付けろと言っていたけど……何か関係があるんだろうか?)

 昨夜の出来事を思い出す。

 隊長には気を付けろと、そう忠告してくれたあの処刑人。
 その言葉に、どんな意味があるのか。はたまたその言葉自体が、自分やヴァルターを陥れるための嘘なのか。

(というか、暇なのかしら、この人?)

 先程、わざわざ部下を呼び寄せ、アトフ達に同行させてまでここに残ったこの男。
 自分達を見張るために残ったのか、はたまたこの隙に危害を加えようと思って残ったのかは知らないが……。

 でも、他にやる事はないんだろうか。

「あの、ヴァルターさんって、隊長ですよね?」
「いえ、副隊長です」
「でも、オールランドの生存者を避難させるための指揮を執られているんですよね? こんなところにいて良いんですか?」
「あなた方の護衛をするのも、私の仕事なので」
「それこそ、他の方でも良くありませんか?」
「あなた方の護衛こそが、今の私の最重要任務だと心得ております」
「いや、避難して来た人達を、今後どうするかの指揮を執った方が、良くないですか?」
「私の部下は優秀な者達ばかりですので、そのくらいなら私がいちいち指示する事もありません。どうぞ、ご心配なく」
「そうですか」
「そうですよ」
「……」
「……」
(それが本当なら、この人、上司としては無能なんじゃないの?)
(この女、オレを追い払って何をするつもりだ?)

 両者とも譲らぬ腹の探り合いの結果、リプカはヴァルターに失礼な判断を下し、ヴァルターはより一層の警戒心を彼女らに抱いた。

「ところで聞きたい事があるのですが」

 そしてこれ以上の腹の探り合いは無駄だと判断したのだろう。
 先手必勝とばかりに、ヴァルターが核心に切り込んで来た。

「氷の精霊憑きとは、何者ですか?」
「……」

 そう尋ねるヴァルターの瞳が冷たく歪んだのは気のせいだろうか。
 しかしその疑問を口にした途端、リプカの雰囲気が変わったのも、ヴァルターは感じ取ったらしい。

 殺気にも近いピリリとした緊張を肌で感じながら、ヴァルターは更に言葉を続けた。

「アトフ殿から聞きました。闇の精霊憑きと手を組んでオールランドを滅ぼしたのは、氷の精霊憑きであると。そしてそれは、あなたと同じくギルド・ブロッサムに所属していた少年であると。彼の事はよくご存知なのでしょう? 何者なんですか?」
「……」

 その問いに、リプカは言葉を詰まらせる。

 ここで重要なのは、アトフがどの程度の情報をヴァルターへと話したのか、だ。
 必要以上の事を話す必要はないが、必要以下の事しか話さなければ、余計な誤解を生んでしまう。

 さて。
 どの程度話すべきか。

「彼は彼女の同級生ですよ」

 と、これまでぼんやりとしながら沈黙を守っていたムナールが口を開く。

 その声にハッとしたリプカとヴァルターが揃って視線を向ければ、ムナールは何て事のないように、サラサラと言葉を続けた。

「僕からしてみても、彼は僕の後輩に当たります。卒業後、しばらくしてから彼女らの同級生の一人がギルドを立ち上げ、彼も彼女も誘われる形でギルド・ブロッサムに加入しました……だよね、リプカちゃん?」
「え? あ、そう、そう、そうです!」

 ヴァルターが尋ねているのは、氷の精霊憑きこと、カルトの人物像。
 ならば『精霊憑きのカルト』の話ではなくて、自分が知っている『同級生のカルト』という人物について話せば良い。
 ムナールの視線からそう感じ取ると、リプカはムナールの言葉に続けるようにして、『同級生のカルト』についての話を続けた。

「学生時代から何でもそつなく熟すタイプでした。ブロッサムでは最も高い戦闘能力を持っていて、私達も頼りにしていましたし、街の人達からも信頼を得ていました。魔物を倒すだけじゃなくって、受付係も私以上に上手に出来る人でした」

 思い出されるのは以前の彼。
 敵に向ける真剣な表情と、頼りになる背中。そして明るい笑顔。
 だけど……、

「今思えば、彼が変わったのは烙印が現れてからだったんだと思います。彼は急に変わりました。いつも優しかったのに、イラつく事が多くなって、凶悪な魔物の住処に一人で出掛けるようになって、私達を不安にさせて、それで……」

 烙印の恐怖に押し潰されそうになった彼は、私にこう質問しました。「精霊憑きが、オレ達の中にいるとしたらどうする?」と。

 彼は私が「友達なんだ、精霊に憑かれているかどうかなんて関係ない」と、そう答える事を望んでいました。

 けれども、私はそう答えてあげる事が出来なかった。

 だから彼は街を襲ったんです。

 彼を残酷な精霊憑きへと変える切っ掛けを作ったのは、他でもない自分です。

 ……でも、それは敢えて伝えないでおく。

「私も詳しい事は分かりません。けど、彼の口から直接聞きました。闇の精霊憑きと手を組んでいると。そしてブロッサムの仲間達を次々に殺したのも、自分だという事も」
「直接聞いた? それにしては、あなたは殺されなかったようですね。何か原因でもあるんですか?」
「そこにいるムナールが助けに来てくれたからです。彼が来てくれなければ、私も殺されていました」
「なるほど。ムナールさんが助けに来てくれたから、氷の精霊憑きはあなたを殺せなかった……つまり、ムナールさんは、氷の精霊憑きからあなたを救える程、お強いという事で間違いないですね?」
「……何が言いたいんですか?」
「別に。事実確認をしているだけです」

 怒りの籠ったリプカの赤い瞳と、冷ややかなヴァルターの青い瞳がかち合う。

 何なんだ、さっきから。失礼な事をズケズケと。
 だいたい、あなたが殺されなかった理由なんか聞くか、普通? 今、こうして生きているのがおかしいとでも言いたいのだろうか?

「僕とリプカちゃん二人を相手にするのが、面倒だったみたいですよ。どうせ放っといても魔物に殺されるだろうと言って出て行きましたから」

 その睨み合いに終止符を打ったのは、ムナールであった。
 彼はリプカのように感情的にはならずに、淡々と事実だけを述べる。

 するとヴァルターは、その質問の矛先を、リプカからムナールへと移した。

「なるほど。では、彼の事は追わなかったんですか?」
「それよりも、魔物を倒し、街の人達を助ける方が優先でしたから。僕達は彼の後は追わず、魔物を倒す事に専念しました。あなたも知っているかと思いますが、魔物は死なず、僕達の行動は全てが無駄に終わったんですけどね。……何か、おかしい事はありますか?」
「……いいえ。しかし、それですと、あなた方にも彼らの行方は分からない、という事ですか?」
「そうですね。僕にも、リプカちゃんにも、彼の行方は分かりません。何度もお話しますが、僕達は彼を追う事よりも、魔物を倒す事を優先させましたから。だからまだオールランドにいるのか、それとも別の場所に向かったのか、それすらも分かりません」
「そうですか……。分かりました、お話下さり、ありがとうございました」

 淡々と説明してくれたムナールに、とりあえずは納得してくれたのだろう。
 ヴァルターはフッと乾いた笑みを浮かべながら、その話を終えた。

「隊長、ただ今戻りました」

 と、その時。
 扉を開けてウィルが顔を出す。

 それに顔を向けるだけの反応をするヴァルターに対して、ムナールが、勢いよく椅子から立ち上がって反応を示した。

「ウィルさん! リトちゃんは……っ!?」
「ああ、お連れした」

 ムナールの問いにウィルがコクリと頷けば、彼に促されるようにして次々と人が入って来る。

 シェーネにアトフ、見慣れぬ中性的な顔立ちの少年、そして……、

「リプカ! 良かった、あなた無事だったのね!」

 久しぶりに見る彼女の姿に、勢いよく駆け寄って来る少女。

 黒に近い藍色のおかっぱ頭に、大きくも凛とした黒い釣り目。
 リプカと同級生というのが些か信じられないのは、彼女が醸し出す大人びた雰囲気のせいだろう。
 色白の肌に映えるルージュの唇が印象的な少女……リトは、リプカに駆け寄るなり、彼女の手をギュッと強く握り締めた。

「オールランドが災厄に遭ったって聞いて心配していたの! カルディアやローニャは!? 一緒じゃないの!?」
「あ、えーと……」
 
 リプカは「そこまで親しくはない」と言っていたが、リトの反応からして、やはりそれなりに面識はあったらしい。

 不安そうに尋ねて来るリトにリプカが視線を彷徨わせれば、その意味を察したリトが、悲し気にそっと視線を落とした。

「そう……他の同級生は?」

 他の同級生。
 サイドやグラディウス、オールランドにいた他の同級生達。
 先の二人はもちろんの事、他の同級生についても、カルトは「殺した」と話している。

 誰も生存はしていないだろう。

「私の知る限りでは、生存者は多分いない」
「そっか……」

 フラリと、リトの体がショックによろける。
 それを中性的な顔立ちの少年、ラジュルが支えれば、ムナールがそっと彼女へと歩み寄った。

「久しぶりだね、リトちゃん。覚えているかな、ムナールです」
「……ええ、もちろん。学校でリプカと親しかったのは知っているから。それに……リンとも、仲が良かったでしょう?」

 ムナールの表情から、彼が何を言わんとしているのか、その予想がついてしまったのだろう。
 何も言わずとも涙ぐむリトに、ムナールもまた声を震わせた。

「ごめんなさい……僕は、その……キミの妹や家族を、助ける事が出来ませんでした……」
「……」
「本当に、ごめんなさい」
「……」

 スルリと、リトの体がラジュルの腕から零れ落ち、力なくその場に膝を着く。

 予想はしていた。
 暗い顔をしたラジュルやアトフ、シェーネが自分を訪ねて来た時から……いや、炊き出しに来る生存者達の中に、自分の知った姿がなかった時から。

 でも、その予想の中でも、少しの希望は待つようにしていた。

 彼らはきっと、怪我をして動けないだけなんだろうって。
 今は医務室で治療を受けているから、姿を見せないだけなんだろうって。

 けれどもそれは今、絶望に変わった。

「ごめんなさい……」
「謝らないで。あなたが謝ったところで、リンも家族も、誰も帰っては来ないんだから……」
「……」
「あっ! 違う! 違うの! ごめんなさい、そんな事が言いたいわけじゃなくって……っ、その……ごめんなさい、あなたを責めたいわけじゃないの。でも、今はもうこんな言い方しか出来なくって……その、ごめんなさい……」

 謝りたいわけでもない。
 誰が悪いというわけでもない。

 だけど……。

 親しい者を亡くして絶望に沈むリトに、ムナールはもう一度、「ごめんなさい」と小さく呟くしか出来なかったのである。

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