第3話
それでいいんじゃないか、友人は優しく微笑みながら話した。
事故に遭って、痛い目をして、苦しい思いをして、辛いのなら、事故に遭ったことを夢だとしてしまえばいい。今ここでこうしておれたちは話してる。これを現実だとしてしまえばいい。
でも、保健室の記憶がないんだ。
少年はゆっくりと頭を振った。友人は手を払って続けた。
保健室からどうやって帰ったかなんて瑣末なことだろう。そんなことは忘れてしまえばいい。事故に遭ったことを認めたくないのなら、そうすればいい。お前自身が、そうしたいと思うほうを選べばいい。どちらの記憶も鮮明なら、どちらも現実たり得る。選ぶのはお前だ。お前の自由だ。おれはそう思うがね。
少年ははっとして友人を見つめた。
おれの自由。少年は声に出してしまったことには気づいていなかった。その目には、肯定するように頷いてから口を開こうとする友人の姿が映っていた。
そうだ、お前が見ている世界なら、お前が好きなほうを選べるはずだ。受け入れたい夢、受け入れたくない現実、認めたくない夢、認めたい現実、簡単なことさ。
でもそれは、認めたくない現実から逃げることになりはしないか。自分にとって都合が悪いからといって、現実から目を背けることになりはしないか。
震える手を抑えながら、少年は自分自身に問いかけるように語った。
事故に遭ったことは、おれにとっては文字通り悪夢でしかない。今お前とこうして話をしているのを現実だと思いたい。じゃあ、なんで事故に遭った夢を繰り返し見るんだ。こうやってお前と話していても、手の震えが止まらないんだ。それは、事故に遭ったことが現実だからじゃないのか。
少年は憔悴したようにうなだれた。友人は黙ったままだった。
おれは、事故に遭ったおれは、事故の原因の加害者のことをどうしても許せない。あいつがいなければ、事故に遭わなかったかもしれない。もしくは、お盆の休みに父の実家に行かない場合でも、事故に遭わずに済むかもしれない。でも今朝、父に言われんだ、今年のお盆にも帰省するって。もちろんおれは反対した。反対したけど、たぶん、無理かもしれない。
少年は顔を上げて友人を見つめた。
お前は昨日言ったよな。気になるなら夢とは異なるように行動すればいいって、そんなことを。おれ一人が父の実家に行くのをやめたとして、果たして事故が起きないだろうか。
少年は顔を左右に振った。
断言はできない。もしかしたら、そうしたとしても事故は起こってしまうかもしれない。
少年はうつむいて、机に置いている手を見つめた。その手を強く握りしめた。
だから、おれは、決めたんだ。事故に遭う原因がなくなってしまえば、事故に遭わなくて済む、と。
うなだれている少年に、感情を押し殺したような声で友人が話した。
だから、加害者が事故が起こる場所に来ないようにすればいいって、そういうことか、と。
少年は顔を上げて、友人の顔を正面から見つめて一言呟いた。そうだ、と。
友人は眉間にしわを寄せた。
殺すのか、重々しい口調でそう尋ねてきた。
少年は黙ったまま友人から目をそらした。
それは、今こうしておれと話しているお前がいる、この現実でのことか。
友人は冷ややかな口調でそう問いかけてきた。
少年は頷くことも口を開くこともしなかった。言質を与えてしまうと、友人に迷惑がかかるかもしれない。それだけは、どうしても避けたかった。
友人は黙ったまま、なにも話さなかった。
その日、友人とは、それ以上話をすることはなかった。友人は話しかけてこなかったし、少年も話しかけなかった。黙っていることでしか、感情を抑えることができなかったからなのかもしれない。
最悪の気分だった。
すべての授業が終わると少年は、虚ろな瞳で帰宅した。