酒
問題なく彼女の部屋に戻った。
家の者が起き出す気配もない。
騒がなければ普通に話していても大丈夫だろう。
彼女にあてがわれた浴衣を着た。
「どうだい? 私には少し大きかったからすっかり仕舞い込んでいたものだが」
「ちょうどいいの。ピッタリじゃ」
「そうかそうか。それは良かった。それも男性用のものだから、もし気に入ったら貰ってくれて構わない」
「そいつはありがたいの。そういうことなら遠慮なく貰うことにする。というかなんでこんなに男物を持っとるんじゃ」
「まあまあ。私の話はいいじゃないか。それより早く聞かせてくれよ。君の旅の話を」
明らかにはぐらかされたが、色々してもらった対価として相手が求めていることなので、気にせず素直に話すことにした。
しかしわしが口を開こうとすると彼女に遮られた。
「あ、すまない。ちょっと待ってくれ。酒を取ってくる。君も飲むかい?」
「いただこう」
「分かった。じゃあ申し訳ないが、またちょっとだけ待っててくれ」
「おう」
彼女はニコニコしながら酒瓶を何本か抱えるようにして戻ってきた。
そしてわしにお
「いくつか持ってきた。それぞれ飲み比べようじゃないか」
「す、すごいの。流石金持ち」
「そこのタンスにスナック菓子を隠してるんだ。ちょっと取ってくれ」
「おう」
彼女が指差した木製のがっしりとしたタンスの引き出しを開けると下着が入っていた。
男物と女物が同じくらいの数ある。
「あ、そこじゃなくて。一個上だ」
言われた通り一個上を開けると大量のスナック菓子がストックされていた。
いくつか取り出して彼女に渡す。
彼女はそれ受け取ると、袋を開けた
「よし。準備完了だ。話を聞かせてくれ」
わしは彼女に注がれた酒を一口飲んでから話し始めた。
といっても、わしの旅なんて各地を転々としながら山籠もりしたり、道場破りまがいのことをやったりといったことを繰り返すだけの退屈なものなのだが。
それでもわしが話す間、彼女は目を輝かせて聞き入っていた。
「ふむふむ。それでそれで?」
と、ノリノリで話を聞いてくれるものだからなんだか気分が良かった。
「……と、大体こんなもんかの」
話し終えたわしに対して、彼女は惜しみない拍手をくれた。
その音で誰か起きてこないかと少し不安になったが、彼女の喜んだ顔を見たらどうでも良くなった。
「すごいな! なんだか大変そうだが、やはりすごく楽しそうだ! 面白い話を聞かせてくれてありがとう。とてもいい酒の肴になった」
「楽しんでもらえたのなら良かった。つまらなかったから出て行けとか言われたらどうしようかとひやひやしておったぞ」
「あはは。そんなことしないさ。私は人を見る目はあるつもりだ。君は多分悪い奴じゃないし、それにあの時少し困っていた。お節介を焼くのも当然さ。困った時はお互い様だ。そして一度始めた親切は途中で投げ出すべきじゃないと私は考えている」
「あんたいい奴じゃの」
「そうかな。そんなことないと思うけど」
そうは言いつつも彼女は顔を綻ばせ、顔を隠すように酒をあおった。
「あんたは随分旅というものに対して憧れがあるようじゃの」
「お、分かるか? いや~実はそうなんだよ。この家はかなり厳しくて、色々制限されて育ったものだからね。子供の頃から私は自由な生活に強く憧れているんだ」
「そんなこと言う割には結構自由な振る舞いをしているように感じるがの。今日だって夜中に窓から外へと抜け出して酒飲んだりしとるし」
「親からの支配に対するささやかな抵抗さ。こんなことをしても本質的には何も解決しないことくらい分かってはいるんだがね。……ちょっと私の話をしてもいいかい?」
「おう。聞かせろ」
彼女はニッコリと笑顔を作って頷いてから話し始めた。
「私の言動から察しているかもしれないが、私は親と不仲なんだ。つい何年か前まで、私は何から何まで親から決められた道を進んできた。言われた通りに勉強して、指定された学校に入学して。人間関係にまで口出しされてきた。あの子とは関わってはいけない、あの子とは仲良くしなさいってね。趣味も好みに至ってもアレにしろコレにしろと命令されるんだよ? この家の者が私を一人の人間として見ることはなかった」
「……そりゃ息苦しかったの。自由に対する強い憧れがあることも、公園でわしが旅をしていると言った時、異常なほど興味を示して家まで連れてきたのも納得じゃ」
「うん。まぁさっき会ったばかりの関係であるにも関わらず家にまで連れて来てしまったのは流石に酔った勢いだったけどね。明日の朝には後悔しているかもしれない」
「そんじゃ朝になるまでには退散するかの」
「あー違う違う。そんな意味で言ったんじゃないさ。朝までいるといい。他に当てもないのだろう? この部屋を使ってくれ。布団を持ってくるよ」
「いや、そこまでしてもらわんでもいいぞ。わしは別に床に寝っ転がるだけで大丈夫じゃ。山の中ではそれが当たり前じゃったし」
「客をそんなぞんざいに扱えるわけないだろう。嫌なら私と一緒の布団で寝てもらうことになるが?」
「それは嫌じゃの。しかし、あまり人に借りを作るのは好きじゃないんじゃがな」
「じゃあせめて毛布を持ってくるよ。それくらいならいいだろう?」
「あんたがそう言うなら」
「ああ。持ってくる」
彼女は立ち上がってドアの方に歩こうとしたが、フラフラとよろけてバランスを崩した。
正面に倒れる彼女の肩を慌てて掴む。
その拍子に彼女の浴衣の襟の部分が外側に膨らんで背中がちらりと見えた。
やはり刺青がある。
彼女の肌は病的に白いため、黒が余計に際立って見えた。
「おっと。すまないね」
「気をつけるんじゃよ。完全に酔っ払っとるぞ」
「はは。大丈夫だよ。ほら、私は酔ってなんかいない」
彼女は軽く頭を揺らしながらわしに向かってピースした。
「ほんとに大丈夫かの……」
「だいじょぶだいじょぶ。それじゃ取ってくるよ」
彼女はゆらゆらと揺れ動きながら部屋を出た。