バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

逃げるとは

「すまない。ちょっと抑えられなかった」

 握り込んだ拳を急いで解いて、軽く手を振る。ルーイがそれを見て、へへっと笑った。
 ようやくたどり着いた食堂に入り、二人で座席に座る。それぞれに食べたいものを注文すると、ルーイは先程の話を続けた。

「アイシュタルトといれば、旅も楽そうだな」

「ん? どういうことだ?」

「道案内ってカミュート中じゃねぇの?」

「あ? あぁ。それほど隅々までとは思っていないが、ある程度は見てまわりたい」

「だろ? 街と街の間には森も砂漠もある。そこは獣が暮らす土地だ。無駄に殺す必要はなくても、襲われれば倒さなきゃいけない。そんな時は強い方が有利だからな」

「ククッ。私に倒せというのか?」

「えぇ?! 俺がやるの? いいけど、アイシュタルト、逃げるの得意?」

「逃げろというのか?!」

 ガタン! と興奮して声を荒げると同時に立ち上がってしまった。椅子が大きな音を立てる。周りが私たちを伺う様な視線を投げる。

「お、おい。興奮するなって」

「す、すまない」

 ガタガタと私が椅子に座り直すと、数秒の後、店内はまた通常の状態を取り戻す。

「逃げろとは言ってないだろう? どこにそんなに興奮した?」

「ルーイが逃げるのが得意か聞くからだろう? 私に逃げろと言っているのかと思ったのだ」

 大きな音を立てたことで、周りの注目を集めてしまった私たちは、先ほどよりも少し小さな声で話をする。

「だって、俺が倒せるわけねぇだろ?」

「この街へ別のところから来たのだろう? 森も砂漠もあると言ったではないか」

「言った。だけど、そこで俺が獣を倒したとは言っていない」

「たしかに。それで?」

「俺、逃げ足速いんだよね」

 ルーイが得意げにふふん。と鼻を鳴らしてそう言った。

「やはり、逃げるのか!」

「落ちつけって。俺は逃げる。アイシュタルトは戦えばいいだろ?」

「な、なんだそれは」

「俺は逃げることに抵抗ない。アイシュタルトは倒せるぐらい強い。それなら、そうするしかないよな」

「私が倒してやる。だから、目の届くところにいてくれ。守れなくなる」

「おぉ! やりぃ」

 ルーイが運ばれてきたパンとスープを口に運びながらニヤッと笑った。

「はぁ」

 私はため息をついて、口に入れようとしたパンを皿に戻した。

「何? いらねぇの?」

「そんなこと言っておらぬ」

「アイシュタルトは逃げるの嫌なの?」

「普通嫌だろう。そもそも、騎士に逃げるなどと言ってくれるな」

「騎士?! って、アイシュタルトが?!」

「あぁ」

「うわ、まさか、騎士様だなんて」

 ルーイが頭を抱えて、机に伏せた。騎士ではダメだというのか? カミュートではあまり歓迎されない職なのか?

「おい、どうした? 何か問題だったのか?」

「い、いや。話し方から城の関係者だとは思ってたさ。でも騎士様だなんて思ってなかった。せいぜい門番ぐらいのことだと」

「騎士ではよくないということか? 門番の方が良ければそれでも良い。どうせもう関係のないことだ」

「良すぎるんだ……で、ですよ?」

「は? 何だ?」

「そん、そのように、城の中心にいる、いらっしゃる方が、こん、このような……」

「よくわからぬ。きちんと話してくれ」

「あー! だから、そんな城の中心にいるような人が、こんな所でメシ食ってて良いのかよ!」

「良いだろう?どこで食事をしようが、私の自由だ」

 ルーイが目を見開いて私を見る。驚かせてしまったようだが、何に驚いたのかがわからない。
 どうやらシャーノ国とカミュート国の間、もしくは騎士であった私と平民であるルーイとの間には常識のズレがあるようだ。

しおり