説教
ロミさんに夢を打ち明けた後、私たちは大聖堂に急ぎました。
やばいです。
お仕事まで時間がありません。
途中でロミさんは
「私は後から追いつくので、先に行ってください」
と死亡フラグを立てるようなセリフをのたまったので、私は一人で大聖堂に走りました。
私のお仕事とは、教会に礼拝しにいらっしゃる方々にお説教をすることです。
私は聖女になって数年のひよっこなので、まだまだベテラン聖女のように上手な説教をできるわけではないのですが、それでもなんとか来てくれる方の心に届くように頑張っています。
大聖堂に到着した私は、汗を拭ったり手鏡を取り出して乱れた髪を整えたりしたあとに一度深呼吸してから礼拝しに来られた方々の前に立ちました。
この仕事も今日で最後かと思うと、なんだか感慨深いものがありました。
「すみません。お待たせいたしました。えーではさっそくですが、本日の説教のテーマは怒りを鎮めるための方法でしたね」
礼拝に来られた方々は静かに私の話に耳を傾けています。
私は続けました。
「この世界を作った神様は皆様ご存じの通り、とてもお酒好きな神様です。教えにも、『ムカついたときは一旦どうにかしてその場を離れ、そして酒を飲んで忘れろ』とあります。一見するとこれはただお酒が飲みたいだけだと感じてしまうかもしれませんが、多分その通りです。あの人は特に何も考えていません。ですが、私は立場上それをもっともらしい風に解釈し直して皆様にお伝えしなければなりません」
聖女の説教というのは今言ったようにあの人、もといこの世界を創造した神が適当に言った言葉を自分なりに良く解釈して人々に伝えることです。
私がさっきから神のことをあの人などと馴れ馴れしく呼んでいるのは、会ったことがあるからです。
人ではないのであの人と言うのはおかしいかもしれませんが、三人称としてこっちの方がしっくりくるので、私はあの人と呼びます。
私だけでなく、聖女というのは総じてあの人と会ったことがあります。
まぁ詳しい話はまた今度にいたしましょう。
今は説教をしなくてはなりません。
「私の考えるところによりますと、これはつまり腹が立った時にはすぐに自分のイライラをぶちまけるのではなく、少し時間を稼ぐことが大切なのだという意味です。私たちはムカついたとき、例えば人と口論になった時など、つい感情のままに声を荒げてしまうことがありますが、それではいけません。そうしてしまえば、さらに相手を刺激してしまいます。結果としてもっと激しく言い争うことになってしまうでしょう。そうではなく、一度離れてみるのです。これはとても勇気のいることかもしれません。逃げたと相手に思われるのではないかと心配になると思います。ですが、これは決して負けではありません。こちらにとっての負けとは、そのことについてずっとイライラした気持ちを持ち続けることです。ムカついたことに対してずっとムカつき続けることこそが負けなのです。相手にどう思われるかなど気にしてはいけません。だからお酒を飲むのです。自分をムカつかせたことなど忘れてしまうのです。そして次にその相手と会う時にはケロッとしていればいいのです。これはきっと一例として出したというだけで、その方法がお酒である必要はないでしょう。何かしら自分を楽しませることをすることが大事なのだと思います。世の中はなんだかんだ楽しんだ者が勝ちなのです」