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指で背中に文字書いて当てるやつ

 一月十四日土曜日、午前十時半。
僕はこの前の電話の時にした桜との約束通りに、桜と出会うことになった公園のベンチに腰掛けていた。

公園には僕の他にサングラスをかけた男が一人いるだけだった。

サングラス男は決めポーズのような体勢で微動だにしない。

僕とそのサングラス男以外は誰も……いや、もう一人いた。
一人というか一匹だけど。

そいつはピーンと尻尾を立てて僕の方に近づいてきた。

猫だ。
もっと言うと黒猫だ。

猫はベンチにピョンと飛び乗ると、僕の隣に香箱座りした。
僕の服の袖のところを踏んでいる。

今日は学校ではないので、僕は久しぶりに和服で外に出ているのだ。

「ごめんね。ちょっとどいてもらってもいいかい? 袖のとこ踏んでるからさ」

少し腕を動かしてみると、猫はビクッと体を震わせて飛び退いた。

猫はじっと僕を睨んできた。
僕も猫をじっと見つめた。

すると黒猫は唐突に猫パンチを繰り出してきた。

速い。
中々いいパンチを持ってるな。

僕はそれを右の人差し指で弾いた。
猫は面食らったように一瞬動きを止めたが、すぐにまた猫パンチしてきた。
僕も同じように人差し指で弾く。

何度か繰り返すと、猫は飽きたのか攻撃を止めた。

そして今度は袖のところを踏まないようにして僕の隣に落ち着いた。

僕はそっと猫の頭に手をやって、首から背中から尻尾の付け根にかけてスーっと撫でた。
猫は気持ちよさそうに目を細めた。

しばらくそうして猫を撫でながら穏やかな時間を過ごしていると、
「だーれだ」
という声が突然聞こえてきて、直後に背後から首をキメられた。

足音が近づいていることには気づいていたが、いきなり首をキメられるのは想定外だった。

もちろん背後に立たれた瞬間に何かをされそうな気配を察知していたから避けることも阻止することもできたのだが、急に動くと猫がびっくりしてしまうだろうから素直に首をキメられたのだ。

「久しぶりだね、桜」
なんとか声を絞り出すと、首を絞めていた腕が解かれた。
そしてモコモコした暖かそうな服を着た桜が僕の正面に回ってきた。

「はい! お久しぶりです!」
桜は相変わらず元気いっぱいな声で返事した。

「いいマフラーですね。似合ってますよ」
桜は僕の首元を見て言った。

「ありがとう。天姉からのクリスマスプレゼントなんだ。桜もモコモコしててなんかいいね」

「へへへ。ところで、その猫さんとはお知り合いなんですか?」
「いや、初対面」

「へぇ。お名前はなんて言うんでしょうね」
「さあ。ねぇ君、名前は?」
猫はにゃあ、と鳴いた。

「ニャーだって」
「へぇ。可愛いですね。撫でてもいいですか?」

「いいんじゃないかな。知らないけど。……なんで僕の頭を撫でるの?」

「え? 撫でてもいいですかって訊いたじゃないですか」
「……目的語を確認しなかった僕のミスか」

「はい。あなたのミスです。なので責められる筋合いはありません」
桜は得意げに胸を張った。

「そっか。……ちょっと背伸びた?」
「そうですかね? もしかしたら伸びてるかもです」
桜は背伸びをしてみせた。

「あなたはあまり変わっていないようにお見受けします」
「それって良い意味なの?」
「悪い意味ではないですよ」

「ふーん。……ここ、座らない?」
「あ、はい。じゃあお隣に失礼しますね」
桜は僕の左隣に座った。
僕の右側には猫が座っているから座るなら左側しかないのだ。

「……くどいけど、ほんとに久しぶりだね」
「ですねー。……学校、どんな感じです?」

「楽しいよ。色んな人がいるんだね。今までなんとも思ってなかったけど、小学校とか中学校とか行ってみたかったなって最近思う」
「そうですよね……」
桜は同情するように声のトーンを落とした。

「ああごめん。別にそんな悲観してるわけじゃないよ。どんなもんなのかなって思うだけだから。実際どんな感じなの? 中学三年間どうだった?」

「んー。そうですねぇ。まぁ普通、ですかね」
「普通かぁ」

「私の場合はあまり人付き合いが上手じゃないので、集団生活はちょっと苦手なんですよね。だから楽しいこともありましたけど疲れることも多くて、トータルで考えたら普通ってことになるのかなって思います」
「普通ねぇ。まぁ楽しくなかったわけじゃないなら悪くないのかな。よく分かんないけど」

「そうですね。ってかあの人はずっと何をしているんですかね」
桜は決めポーズのまま全然動かないサングラス男の方を見て言った。

「さあ。僕がここに来た時からずっとあのままだけど」
「そうなんですか。そういえば何時に来たんですか?」
「十時半くらいだったかな」

「え、はや。待ち合わせ十一時でしたよね? それじゃあ結構お待たせしちゃった感じですか」
「いや、よく考えたら四十五分くらいだったかも」

「だとしてもでしょ。私十一時ちょうどくらいに着きましたからね。十五分前行動ですか。しっかりしてますね」
「あー違う。よくよく考えたら五十五分だった」

「なんで考えるたびに時間が進むんですか? え、結局どれが正解なんです?」
「五十五分」

「ほんとですか?」
「うん」

「……恭介さん」
「なに?」
「ダウトです」
桜は僕の頬を指で突いた。

「え?」
「あなたは嘘をつきましたね?」
「なんのことやら」

「あなたが来たのは十時半くらいのことでした。それなのにあなたは嘘を重ね、最終的に五十五分に来たということにした」
「しょ、証拠はあるのか!」

桜がやけに芝居がかった口調で喋るから僕も乗っかってみた。

「あります」
「あるんかい」

「はい。待ち合わせ時間の一時間前、つまり十時から私は隠れてスタンバってました」
「……はい?」

「そしてあなたが十時半に来た後も隠れ続けてました」
「怖っ。一体なんのために?」

「いや、別になんのためとかってわけじゃないですよ。普通に見惚れてただけです。勘違いしないでください」
「はぁ……そうなんだ。意味分かんないけど」

「真面目な話、ドキドキしすぎて話しかけられなかったんですよ」
「なんだそれ。恋する乙女じゃあるまいし」

「まぁいいじゃないですか。恋する乙女じゃなくてもドキドキくらいしますって」

「へぇ。ってかそれなら桜だって嘘ついたことにならない? 十時にはもう来てたのに十一時に来たようなふりをしたってことでしょ?」

「あ、本当だ。私たち、似た者同士ですね。えへへ。……そんな冷めた目で見ないでくださいよ」

「まぁそんなことはいいんだけどさ、そろそろ本題に入らない? 今日はなんで会いたがってたの?」

「あれ、電話で話しませんでしたっけ? あなたが夢に出てきて全然寝れないからですよ」
「それは建前でしょ。本当の理由はなんなの?」

「建前じゃないですよ。ガチです。もうちょい詳しく説明した方がいいですか?」
「うん」

「えーっとですね。例えばなんですけど、お腹いっぱいの状態で更にご飯を食べるのってキツいじゃないですか」
「そうだね」

「私、今そんな感じなんですよ」
「どういうこと?」

「私の頭の中であなたに関することの割合がデカくなりすぎてしんどいんです」
「へぇ」

「だからなんか嫌いになれるような酷いこと言ってください」
「難しい注文だね」

「私のためだと思って、是非」
「んー。……やーい。桜のバーカ」
「小学生ですか」

「……わざと傷つけるようなこと言うのはちょっと嫌だな」

「そうですか。なら仕方ないですね。無理言ってすみません」
「力になれなくて申し訳ない」

「別にいいですよ。今日会ってくれただけで十分ありがたいですし。……そうだ! ゲームしません?」
「突然だね。ゲーム?」

「そうです。指で背中に文字を書いて当てるやつです。知ってます?」
「知らん」

「じゃあやってみましょうよ。ちょっと背中見せてください」

僕は右に身をよじった。
黒猫と目が合う。
桜は僕の背中を指でなぞり始めた。

「私がなんて書いたか当ててくださいね」
「分かった」

「まずこれが一文字目です。ちなみにひらがなですよ」

「んー。……だ」
「いいですねぇ。どんどんいきますよー」

「……い」
「おぉ。次です」

「……す」
「最後ですよー」

「……け?」

僕が答えた瞬間に、今までまったく動きを見せなかったサングラス男が突如として激しく踊り始めた。
僕と桜はそれを呆然と見つめていた。

サングラス男はしばらくの間踊りまくっていたが、やがて太陽を眩しがるようなポーズになって動かなくなった。

「び、びっくりしましたね」
「そうだね……。急に動き出したからね」

「えーっと。気を取り直してもう一回やりますね」
「了解」

「次はアルファベットでいきますよー」
「うん。……d、a、i、s、u、k……e?」
「なんで!?」

桜が叫ぶと同時にまたサングラス男が動き始めた。
キレッキレの動きを見せるサングラス男を僕たちは唖然として見つめていた。

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