2 ぽんこつナイトの旅立ち
「少年だと!?」
ジェイの上官、ラベンダーは思わず声がうわずった。
天使かもしれない、なんて言うから意外に女性に色惚けた面があるのかと思ったのに。
「はい。明るくて可愛らしい……少年といっても18歳だと言っていましたが」
ジェイは特に恥じらいもせずに淡々と言う。
淡々と男を可愛らしいと言ってのけるとは、やはりこいつは人の心がない。
「その少年が突然消えたと言うのか?」
ラベンダーはバカバカしいと思いつつも聞かずにいられなかった。
この男のする話は常識に当てはまらない表現ばかりだからだ。ラベンダーは好奇心に抗えなかった。
「そうです。突然現れて突然消えました。やはりミチルは天使……」
「まあ待て、アルバトロスよ。その少年は実在はしたのだな?」
「もちろんです。一晩この腕に抱きましたから」
「──ガフッ!」
ラベンダーの精神はノックアウト状態だった。
部下のY談なら星の数ほど聞いた。だが、こんなケースは初めて聞く。
大真面目な顔して、物凄いことを言いやがった。やはり人の心が略。
「私の剣が蘇ったのもミチルのおかげなのです。折れた剣をミチルが再生してくれたのです」
「おい、そんな経緯は初耳だが!?」
「はあ……初めて言いましたので」
ジェイが大武勲を上げ、
元々持っていた支給品の魔剣とは大きく違っている。ネモフィラ将軍は今も秘密裏にジェイの大剣を調べているはずだ。
この調査は内々に、秘密裏に、ひっそりと行われている。
何故ならジェイを狙う何者かにこの大剣の存在を知られてはならないからだ。それもジェイを軟禁している大きな理由である。
本人にも一切教えずにこちらで調べているのが逆に良くなかった。そんな重大な要因があったとは。
「その少年は一体何者なのだ!?」
ラベンダーが身を乗り出して聞いても、ジェイは一切怯まず一本調子で答えた。
「異世界から来たと言っていました。チキュウとか、ジャパン……とか?」
「なんだそれは、知らん地名だな」
「ですから異世界だと」
「いやいやいや、新大陸のルブルムが発見されてまだ百年あまりだ。なおも未発見の大陸があるのかもしれない」
「なるほど……勉強になります」
ジェイはハッとして考え込む。
そんな可能性も考えずに異世界なんぞとトンチキなことを信じたのか。ラベンダーは心底呆れた。
「その少年、ミチルと言うのか?」
「はい」
「それが本当ならチル一族なのでは?」
「あの伝説のですか?」
ジェイはまたもハッとして顔を上げる。
どうして思い至らないんだ。チル一族のお伽話などはカエルレウムに育った者なら常識中の常識なのに。
ラベンダーは察しが悪すぎる部下を怒鳴りつけたかった。だがどうせこの男には効きはしない。喉の無駄遣いだ。
「こうしてはおれん!将軍に報告せねば!!」
ラベンダーは弾かれたように立ち上がった。
将軍、と聞いてジェイも立ち上がる。
「自分も連れていってください。ネモフィラ将軍にお会いして御礼を申し上げたいのです!」
おい、まず上官の俺に「いつもすみません」くらい言ってみろ!
そう怒鳴りたいのをぐっと堪えて、ラベンダーはジェイの両肩をガシッと掴んで座らせた。
「将軍はいずれお前にお会いになる。だが、まだその時ではない」
「それはいつ頃になるのですか?」
「全てはネモフィラ将軍の御心次第だ。お前は私からの知らせをここで待て」
「……わかりました」
ジェイは明らかに不満そうだったが、ラベンダーは彼を執務室に残しダッシュした。
青い魔剣、チル一族かも知れない少年。そんな重大な情報が今頃判明するとは、おそらく叱責では済まない。
ラベンダーはやはり共に死ぬべきだった、と青ざめながら走った。
数日後。
執務室で事務仕事を続けるジェイの所に、散々くたびれたラベンダーが訪れた。
「ジ、ジェイ・アルバトロス……」
「どうなされたのですか、そんなにおやつれになって」
ああ、人を気遣う心がついにこいつにも芽生え始めたか……
ラベンダーの心身は弱りきっているので、些細なことで涙腺が緩んだ。
だが、そんな感慨に耽っている暇はない。
ラベンダーはキリッと直立してジェイに一通の辞令書を差し出す。
「出張命令だ。今から貴様は密命を帯びてアルブスへ行け!」
「アルブスですか?」
「貴様の青い大剣、それを持ってアルブス王家を頼るのだ。かの国は魔法が盛んな国。世界一の魔術師もいると言う」
「はあ」
ラベンダーの言わんとすることはジェイにはまだ伝わっていない。
疲れた体に鞭打って、ラベンダーはわかりやすい言葉で怒鳴った。
「だから!アルブスの王様にその大剣を見せて意見を聞いてこい!これは王命だと思え!」
「……」
「返事は!?」
「御意」
そうしてジェイはようやく直立姿勢で辞令を受け取った。
「それから、急がずにゆっくり観光でもしながら行け」
「は……?」
「旅の途中で、その天使の少年の情報があるかもしれんからな」
「──ありがとうございます!」
初めて聞くジェイからの御礼の言葉に、ラベンダーはうっかり泣いた。