1 ぽんこつナイトの日常
ヴィオラ王宮。
歩兵隊の執務室でジェイは懸命にペンを走らせていた。
「アルバトロス、報告書は書けたか」
「はい」
上官のラベンダーはジェイから書類を受け取って一読した後、肩で大きく溜息をついた。
「どうかしましたか」
何もわかっていないジェイに向けて、ラベンダーは怒りを通り越した憐れみの目を向けた。
「……わかってはいたことだが、貴様は書類の作成能力が壊滅的だ」
「む?と、おっしゃいますと……」
「どヘタクソ、という事だ!」
回りくどい言葉遣いはこの男には通じない。ラベンダーはジェイにだけは階級と見合わない言葉選びをしなければならず、逆に肩が凝る。
「申し訳ありません。これ以上どのように書けばいいのか……」
デカい図体でシュンと頭を下げる様は可愛くなくもないが、王宮に来た以上は腕っぷしだけでは仕事は務まらない。
仕方なくラベンダーはジェイからペンを引ったくって、書類の添削を書き始める。
添削というよりも、ラベンダーはイチから書類を書き直すはめになった。
「ほら!この通りに清書して提出しろ!」
「わかりました」
御礼も謝罪もせずにジェイは黙々とペンを走らせ始める。
礼儀がなっていない訳ではない。今のはラベンダーが命令口調だったせいだ。
常人なら自然と身についているカンというものを、この男は持っていない。
「今の添削、捨てるなよ。ひとまとめにして大事に保存しておくんだ、いいな!」
「了解であります。わからない時の参考にさせていただきます」
「参考にするな!そのまま書けばいい!」
「わかりました」
ラベンダーの苛立ちはジェイには伝わらない。最初はいっそ殺して自分も死のうかとも思ったが、ラベンダーの方がぽんこつに慣らされてしまった。
と言うよりも、こいつに敵うはずがないとラベンダーは最初から諦めるしかなかった。この、英雄には。
「……で、どうだ。王宮は?慣れたか?」
「だいぶ」
ジェイは大真面目な顔で大きく頷いた。その反応にラベンダーはもう笑うしかない。
書類仕事はお粗末。
上官へのお愛想もできず、仲間との雑談も的外れ。
訓練ではごぼう抜きの強さを見せつけて、たちまちハブられた。
そんな状態で、だいぶ慣れたとはよく言えたものだ。おそらくこいつは人の心がないのだろう。
なのにラベンダーはジェイのことが嫌いにはなれない。不思議なやつだと毎日疑問に思う。
「なるほど、さすがは
「いえ、自分はそのように称される身分ではありません」
「──ははっ」
やはりこいつは自分をわかっていない。ラベンダーは堪らずに笑い声を漏らす。
ジェイが大武勲をあげたのは先月のことだ。
大規模なベスティア討伐隊が編成され、東の森に派遣された。
ジェイが東の森の大木から巨大なベスティアが発現したという報告をあげたからだ。
通常なら十分な調査と斥候を派遣してから、作戦を立て部隊を編成するのに早くても一週間かかる。
それなのに何故かその時だけ、三日と経たないうちに討伐隊が派遣された。
下級騎士のジェイを部隊長に据えて。
その話は王宮勤めの騎士にまで届いていなかったが、傭兵の知り合いがいたラベンダーは偶然耳にした。
仮にも騎士身分の者が兵士や傭兵に混じって門番まがいの仕事をしていたことにラベンダーはまず驚いた。
そしてベスティアには騎士の剣しか効果がないのに、編成されたのは兵士と傭兵ばかりだと言う。
何か陰謀めいたものを感じたが、ラベンダーレベルではどうすることも出来なかった。
知り合いの傭兵には逃げることを勧めた。おそらくその部隊は全滅するだろうと思った。
だが、部隊は全員無事で戻ってきた。誰一人怪我をすることもなく、である。
聞けば部隊長のジェイが青く光る大剣をもって、森に巣食うベスティア数十匹をたった一人で駆逐したと言う。
兵士や傭兵は魔剣を持っていないのだから、とジェイが戦うのを禁じたらしい。
そしてジェイは自分の武勲を讃える数十人の証人を得た。
戻ってきたジェイは、カエルラ・ベラトール──蒼き戦士と讃えられた。
そんな武勲をあげた騎士に門番などさせられる訳がない。
すぐさまジェイは近衛歩兵隊に配属されて王宮に召し抱えられた。
大将軍ネモフィラの庇護下におかれ、ラベンダーの下について今に至る。
「とにかくここに匿ってくださったネモフィラ将軍に感謝して事務スキルを磨くんだな」
「自分は匿われているのですか?」
ジェイがキョトンとしてラベンダーを見つめていた。
どうやら自分が何者かに殺されかけたとは思っていないようだ。
「……まあ、お前は知らんでもいいことだ」
この件は、ネモフィラ将軍から表沙汰にするなと厳しく言われている。
つまり、ラベンダーは上官であると同時に監視役なのだ。
「ところで自分にはいつ休みがあるのでしょうか?」
ジェイは将軍の密命で王宮に軟禁状態だった。昼間は執務室で事務、夜は兵士の仮眠室に泊まらされている。
「そうだな……聞いてはみるが、何か用事があるのか?」
ラベンダーが聞くと、ジェイは真っ直ぐな瞳で答えた。
「ある人を探しに行きたいのです」
「誰なんだ?」
「そうですね……」
珍しく考えながらジェイは呟くように答えた。
「突然消えてしまった……もしかしたらあの子は天使だったのかもしれない」
ラベンダーは親身に聞いてやろうとした事を後悔した。