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追 憶 ~ついおく~

 
 カウンターごしに差し出された一枚の紙。

 明記されているリストに目を通した黄褐色の頭の青年は、その内容が意味するところを憶測して、くすりと破顔した。

(より)りすぐり、とりたてて伸ばすなかにも力量を警戒されている印象だね」

「……そうなのか?」

 練習用の資材を求めに訪れた青白い髪の少年が、不思議そうにまばたきしている。

「どこまでできるか試しつつも、無難なところから作業に慣れさせて力が暴走するリスクを下げようとしているんだよ」

いまの注文(~いまの~)で、わかるのか?」

「カリキュラムはそれぞれだけど…――初手が防御系のようだし…。
 ひとつの技能の基礎が固まったのなら、発熱か揮発(きはつ)収束(しゅうそく)……または事象解析のどれかに進む……(心力の(さば)(かた)・特徴…癖を見極め、安定を図る目的の要項だから序盤(はじめのうち)は、その都度、次の段階の技能を修めるための前振り・能力上限・癖の確認になるものだけど……)」

 そこでひと呼吸おいた店頭の青年は、あきれたとも感心してるともつかない笑みをただよわせながらに告げた。

「君の記録にその方面の注文記録はないけれど、対策的なかぶり、重複はあるのかな。
 《隠形(おんぎょう)》の初手(さわり)までは順当(いい)としても、いきなり《一天十二座(いってんじゅうにざ)》で……。
 心力を高めて制御する課程はひと通りすっ飛ばして技巧方面……小業(こわざ)に跳んでいるんじゃないかい?
 一定レベルの知識と……ある程度の数理力、空間認識力…分析力——それに心力の確かさ。制御能力の裏付けがなければ、なし得ない(~ない~)流れだ。
 将来性あるね…」

 赤ワイン色の目をした少年は、いくぶん複雑そうな面持ちで嘆息した。

 卑屈(ひくつ)にはなりたくなくても、技能面では、とりわけ失敗が多い方なので、さして効果的に活用できているわけでもないとり柄を褒められようと嬉しくはなかった。

 いっぽう。対面に位置する青年は、にこにこと、くつろいだ表情を見せている。

「小耳にはさんだんだけど……君。
 稜威祇(いつぎ)や妖威をむこうに送る方法を調べているんだって?」

「…。うん」

「帰すつもりかい?」

「もう探してない。いま、急いで知ろうとは思っていないから……」

「時間をかけて、確実にいこうって事かい?」

「…。使うかどうかは別として。たち向かうものに関する知識は、ないより、あったほうがいいと思う……。だから、あるなら知りたくもある」

「(その方向性、方針)なら、ぼくも賛成だ。受けとめ方もいろいろだけど《鎮め》……法印使いは、(かたよ)らず本質を見るのが仕事だからね」

「…。(クギ)、刺してる?」

「いや。確認しただけだよ」

 あっさり追及をかわした黄褐色の頭の店員(臨時要員)は、儀礼的な笑みをたたえた。

 そして赤ワイン色の目をした客人のその黒っぽい着衣にうかがえるシミに目をとめると、ことのほか感慨深げに、まぶたを伏せたのだ。

(…雨の跡に、ワインレッドか……。…)

 🌐🌐🌐

 彼に懐古の情をもたらしたのは、ちょうど一年ほど前…――
 この季節に見かけた光景だ。

 西の図書棟(としょとう)の裏手。
 渡り廊下を歩いていた彼、アントイーヴは、こんもりした低木に見覚えのある赤ワイン色の布地がひっかかっているのを見かけたのだ。

 小雨がぱらつく庭におりて手にしてみたショールには、水滴が飛び散り(したた)って(しょう)じる帯状の模様(シミ)ができていた。

 降りしきる天水に湿り気を増してゆくなか、濡れきってもいない。

 そこで、ぐるりと。

 書庫の裏に広がる庭園に視線をはせた彼は、その一隅(いちぐう)に目的の人影を見つけると、ふっと微笑(びしょう)(さそ)われながら歩をふみだした。

 背の高い庭木や低木のむこう。

 図書棟の窓の下で、まっすぐな黒い髪の流れにかばわれた背中が、こそこそしている。

〔メル、そんなところでなにを…——〕

 声をかけると、ふり返った少女に、しぃと。懸命な身ぶりで静かにするよう示唆された。

 その未成熟さから繊細そうにも見える十四、五歳の風体の少女だ。

 中にいる人達に見つからないようにしているのだろう――察した彼は、(かが)み腰になったりしながら慎重に歩み寄ると、そこで姿勢を低くしている少女に、手にしていたショールをさし出した。

〔ひろってくれたのね〕

 返されたのは、ささやくような小声。

 少女は金と黒の瞳をきらきらさせて、こそばゆそうにほほ笑みながら、お気に入りのショールを受けとった。

〔ありがとう〕

〔こんなところで、なにしてるの?〕

〔ん…。ちょっとでも見えないかなって……〕

 部分的にはかなり濡れてしまっているショールを躊躇(ちゅうちょ)することなく羽織って、満足そうにしている。

 いっぽう。
 状況を理解したアントイーヴは、彼女が小脇でわたわたするのを無視して、すっくと足を立てた。

 そうして彼が(うかが)い見たのは、水の道ができている半遮光性(はんしゃこうせい)の色ガラスの向こう。

 地味な幾何学装飾がほどこされた窓のそちら側は、天井までとどく書棚が連続する情報の集積地だ。
 家に属する老若男女が大量の書物の(はざま)をまばらに往き来している。

〔彼がいるの?〕

〔うん…〕

〔棚の向こう……死角()にいるのかな? 見あたらないけど…〕

〔え…、そ、そう?〕

〔…。プルーは?〕

〔ん…。こんな天気だし、つきあってられないって〕

 🌐🌐🌐

 …——

 あの日も今日のように、ほとんど音がしない雨がぱらついていたのだ。

 笑いをかみころしている彼の前に、青と灰と黄がちらばる赤ワイン色の瞳がある。

「…。なにかおかしいか?」

「うん。ちょっとね。思いだし笑い」

「そう…」

 いっぷう変わった髪色の少年。セレグレーシュは、よくわからないものが視界にいるというような顔をしている。

「もしかしなくても内苑()けて来た? 裏手()(の入り口)から来れば、底辺(そこ)(御園)まで()りなくていいのに、わざわざ(くだ)ったのかい」

 全体が凹状になっている《法の家》にあって。
 法具店本店(この店)は、心部にあたる庭園と外の丘の区画をまたにかける状態で斜面の一角(いっかく)を占《し》めている。
 その規模は、登りの敷地が高みで(ひら)に落ちつくあたりにまで(およ)ぶので、内苑におりることなく南西の入り口から入店することも可能なのだ。
 ちなみに、この店舗において南西面と北東面のどちらが正面になるというような定まりは存在しない(受付・清算カウンターも事務所等で内部中枢に集約される状態(構造)で上下段左右に存在し、どれもメインとして機能する)。
 庭園側からは、床面が段階的に上がり調子になるメゾネット風味で、天井が高いあたりに吹きぬけ仕様の上階が備わっており、屋上が庭園を臨めるルーフバルコニーにもなっている。

「横断したんだ。まわりこむより近いよ。たいして降っていなかったし…。そんなに濡れてないと思うけど……」

「(起点や余暇(よか)のていどにもよるけど、この空だ…)――ぼくなら、同じ(くだ)るにしても、ゆるゆる(めぐ)(って店舗内部をおり)る方が順当(無難)な感覚だけどね。
 粉末や(すな)は、雨に濡れると癖がつくから、気をつけなよ?」

「ん…。でも、この箱……包装(包み)なら…。平気だろう?」

「うん。平気だろうね」

 アントイーヴが容器とクロスで二重三重に保護されている現物には目もくれずに肯定して、にこにこしている。
 そこでセレグレーシュは、不満があるとも言えない神妙な面持ち(反応)をみせた。

「屋根の下をいくよ」

「それがいいね。技の感覚は、自分で(つか)むしかないけど、どうしても上手くいかないようなら、おいでよ。
 けっこう派手にやらかしてるようだし。アドバイスできることがあるかもしれない」

「……君。六日後から修了検定なんだろう?」

「そうだよ」

「それって、法印士の見習い期間も兼ねていて、合格いわれるまで……。人によっては、一〇年かかっても抜けられないとか聞いたけど、違うのか?」

「いや、(上も下も年齢制限はないから…)その通りといえば、そうだけど……。
 大抵は三月(みつき)から半年。多少長びいても一年以内(ほど)で…――。一〇年も(ねば)る人は、いないんじゃないかな」

「そうなのか?」

「二年目(正確には一年と三ヶ月以降)からは、考試手数料が発生するからね。
 人員を()かれ、それなりに手間も資材もかかる。そうなる前に本気でやれっていう、(うなが)しのようなものだ。
 充分な後ろ盾、コネがなければ、経済的にも体力的にも(つら)くなる。
 まあ、がんばる人もいるよ?
 六年くらいなら知ってるけど、あまり例もないしね…」

 思うことでもあったのか、彼の青い双眸が憂いげに伏せられ、ひと呼吸ていどの間が生じた。

「能力が検定受けられるレベルに達していれば、難関というほどのものでもないはずだし、そもそも達しない者は受けられない。
 それ以前に足踏みして、ふるい落とされている。
 それで通らないのは、その段階まで見落とされていた背景や性格的な問題が見えたか、能力に補強矯正(ほきょうきょうせい)しようのない欠陥(けっかん)があったか、修正課題になるような癖が露見した場合……。
 あとは一身上(いっしんじょう)の都合的な退陣(リタイア)だろうね…」

 語られるなかに感傷的な表情も見えたが、受ける権利をつかめたら受かるのがあたりまえと言っているようなものでもある。

 通過率が伏せられているなかにも、一般には、受けられる段階に到達するのも難しいといわれているものなので、セレグレーシュは、ちょっとした感動を胸に目を見ひらいて相手を見つめた。

 そのうえで、その人の助力の申し出は、機会があればという社交辞令だな、と。独自に解釈して、提供された資材を(ふところ)にかかえながら去ってゆく。

 いっぽうのアントイーヴは、最近親しく話すようになった年若な友人の背中を視界に、にこにこと機嫌のいい笑みを浮かべていた。

(……メルレイン…。…たまに、こそこそしているのを見かけた。君も彼と、話してみたかったろうな…――)

 🌐🌐🌐

 ――…彼は、契約を必要としない鎮めになるの……

 ――メル。技に優れても、稜威祇(いつぎ)と契約しないと《神鎮め》とはいわれないんだよ?

 ――どうして?

 ――そういう(そうゆう)決まり。慣例だから。

 ――ふぅん? でも、彼はそう呼ばれるの。
   闇人・亜人……妖威と呼ばれるもののよりどころ。とても愛されていたけれど……一度、命を落としてる…

 ――命を落としていたら、今ここにいないだろう。君は時々、理解に苦しむ発言をするけど…。空想癖でもあるのかい?

 ――空想? これがそうなの…?
   いま、そこで起きているみたいな……これは空想?

 ――それなら、幻覚か……。白昼夢かな…?

 ――げんかく…はくちゅうむ…。

 ――いいよ、君が楽しいのなら。

 ――…。楽しい……? そんなこと…。見たくなんて……

 ――ん…?

 ――…イーヴ。彼をお願いね。彼は、わたしたちの救いなの。

 ――う…ん……(救い…か)。
   それは機会があれば、だね…。彼がぼくを知らないように、ぼくは彼のことをほとんど知らないから…――

 ――また、そんなふうにはぐらかす。

 ――はぐらかしてなど(なんか)いないよ。心外だなぁ……

 🌐🌐🌐 

(…。…一〇年先か、一〇〇〇年先か…。叶うものなら彼がいるうちに、あそこから出してやりたいよな…――)

 青い目をしたペリの若者は、そんな、自己欺瞞(ぎまん)まじりの想いを胸に、読み()けぬ未来へ思いを()せていた。 



 ~~ 魂呼び子編/了 ――ありがとうございました~~

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