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いまはまだ、白でも黒でもなく…….3


 …——もしかしたら、うまくいくのかもしれない…。

 アントイーヴが去った後。
 寝台に腰をおとしたセレグレーシュは、サイドチェストにのっている光る玉を眺めた。

 まゆつばものの現実にさらされたような顔をしている。

 真新しい記憶としてよみがえるのは、アントイーヴの筆跡と思われる飾り気がなくて読みやすい文字の羅列。

 簡略化して描き表されていた、ふたつの封魔法印の構図……。
 使用した法具。持ちだしながら使わなかった法具の一覧。

 ふたつの法印の陣容は、どちらも《初白雪》の野で目にした構成(かたち)とは違っていた。

 アントイーヴは、外せるところを外して《(むろ)》を二重したのだと言っていた。

 その構造様式に興味をひかれたセレグレーシュは、あれこれ質問をあびせたが…。
 記載されているのは《封魔法印》だ。

 本来なら機密文書。

 提出するものでもあったので理解する前にアントイーヴに持っていかれた(彼の知識量では、その十分一も把握できれば良い方だったが…――)。

 ともあれ、
 物事がうまく運びそうな感触がある。

 まだ油断はできないけれども…。――ここに居られるかもしれない。

 アントイーヴという先人と、プルーという稜威祇(いつぎ)の容認も嬉しかったが、なにより、この家にいられるのならヴェルダに会える……かも知れない。


 ——ほんとうに会えるのだろうか?


 ふっと思いたったセレグレーシュは、光球に宿してあった心気を散らした。

 住みなれた部屋が暗い闇にしずんだところで、もそもそと寝床に身をうずめる。

 家にいられるかもしれない。

 だが、行動の読めない稜威祇(いつぎ)……闇人の子供が味方なのか、そうでないのかを明確にする機会を逃したようでもある。

 この場合、事態が悪い方向にむかった時はっきりすることだったので、現実になってほしくなくもあるが。

 とても気になる。

 ヴェルダかと思ってしまう、アシュという名の闇人……。

 そんなに似ていただろうか?

 セレグレーシュは自分のうちにある記憶を掘り起こそうとした。

 ヴェルダの目の色。髪の印象。

 忘れようがないようにも思うのに、何故(なぜ)か思い出せない。

 家に入る一年くらい()前、見かけなくなったのだから、ほんの三、四年前には、月に二度三度と目にしていたものだ。
 それなのに、
 こまごまとした形容、色彩がうろおぼえになってしまっている。

 体型と色の白さは、似ているかもしれない。

 西をめざしていた頃——その少年は自分より背が高く、豊富な知識を備えていた。

 けれど、おとなというには幅や厚みがなく……。背丈も記憶にある自分の母親より、いくらか低いていどで……――というこれは出会ったばかりの頃の感覚で……。
 その当時、里で見かける年上の少年たちとおなじくらいに思えたので、ふたつかみっつ、上だろうと。
 人間ならそのくらいだったから勝手にそう思いこみ、納得していたのだ。

 ヴェルダが人間なら成人に達していないまでも成長し、身長がそんなに伸びなかったとしても、いくらか大人びて年相応の体つきをしているはずだ。

 だが、闇人なら…?

 闇人や亜人は、外見で年齢をおし量れない。

 その種族は個体差がいちじるしく、生命としてのありかた、生体周期(バイオリズム)がいちいち(こと)なるのだ。

 法の家でもそう教えているし、それを身近に出没するアシュという稜威祇(いつぎ)が体現してもいた。

 人間のようにおおむねそろうものではなく、成長や老衰が早かったり遅かったり、表面的には見えなかったりするものだと……。

 人間ではありえない姿も闇人や亜人ならありえる。
 そして自分が錯覚するくらいなのだから、声は、よく似ていたのだと思う……。


 ——…ぼく? ぼくは…ヴェル()

 ——われの名はアシュだ。…——気がむいたら耳を傾けてやろう……


 二者をならべ連ねていると、ふっと、セレグレーシュの直感に響いたものがあった。
 それは把握しきれぬまでも、かつてはそれがあたりまえだったというような…――妙に懐かしい感覚でもあって…。


 ——あの稜威祇(いつぎ)……。闇人は——…


「…〔アシュ〕…ヴェルダ…?」

 もしかしてと思った感触を音にしてみる。

 よく似ている音で(つむ)がれた響きだ。

(…アシュ…ヴェルダ…)

 本人の口から聞いた組み合わせでもないので、それが正しいのか、その発想の正否は彼にもわからない。

 半分は、どこまでも人の言語の域だ。
 しかも。その〝ヴェルダ〟の方はおそらく…——便宜(べんぎ)(じょう)()かされた通称に過ぎないもの。
 本名の韻をふんでいるのか、いないのかも不明なものだ。

 霊的な奥行きが異なるので、上下に並べてもそぐわない組み合わせだったが、セレグレーシュは、やたら冴えてしまった目を丸くしながら、もぞもぞと枕に顔をうずめた。

(でも、あいつ……。石は持っていない…。
 はじめから、覆面なんてしてなかったし……してるところも見たことない。
 ——あの香炉の石…。
 ヴェルダは自分の命のようなものだって言ってたし、ヴェルダに闇人みたいなところなんて、ぜんっぜん……——全然?)

 そう思いたってしまうと、眠ろうとしても、寝つけなくなってしまって…。

(まさか、な…)
 
 セレグレーシュは、闇の中で、黄と灰と青い色彩が微細に散るワイン色の瞳を(ひら)いたり閉じたりした。

 🌐🌐🌐

 セレグレーシュが住まう(むね)の裏手。
 庭木に背中をあずけていた稜威祇(いつぎ)の少年は双眸を閉じて、うっすらと笑った。

〔おもしろい語呂あわせだね。さすがと言うべきか……〕

 ひっそりと呟いたあと、かげりをおびた飴茶色の瞳が(ひら)かれる。

(やはり……似ているな。無闇な発散はなくても……。……本質はそのもののように思える…。
 どれも人間なのに、その限りでもなく…。
 あの在り方……彼の印象は、まるで、あの(ひと)の内側に沈んでいた本性……本質のようなものが部分的に表に現れて、人を(かたど)ったような……。
 おかしなものだ。あの(ひと)が現実に存在していたのかもわからなくなっているのに…――どちらかといえば、あの男、そのものだというのに……。
 ……ぶざまだな……。こんな依存・執着(~の~)は、虚しいだけなのに……)

 紫色の瞳を(すが)め、建物を見あげた彼は、一度まなざしを伏せると、もの音ひとつ起てずに、その木の下を後にしたのだ。



 ▽▽ 予 告 ▽▽

 次回、【神鎮め1】の〆となるエピローグ【追憶】になります。

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