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いまはまだ、白でも黒でもなく…….2


 音、光、気体、液体、波動……

 物体と物体の相性、法具素材が空間におよぼす作用、環境との関係……配分。

 密度、重力、圧力、量子……。

 環境や独自性の強い道具による反応の違い。相互作用…――

 法印は、おもしろい。

 その知識と技術は、自分の運命を変えてくれると思っていた。

 (きわ)めれば、自分のやっかいな資質に、対処できるかもしれない。
 封じること、凌駕(りょうが)すること……制御することが可能かもしれないと。

 しかし……

 やはり、家を出たほうがよかったのではないだろうか?

 日が落ちても、その疑問は消えない。

 セレグレーシュはいまも迷っていた。

 あの闇人は信頼にあたいするのか?

 寝台にうつ伏せに横たわり、枕もとにおいた球体が放出する光を眺めながら思案する。

 少なくとも一度は命を救われている。他者(アントイーヴ)がらみではあるが。

 悪いやつとも思えないけれど、腹の底が見えない。

 自分は、あの声に騙されているのではないだろうか?

 彼が口にした闇人の世界のありようは真実か…――それとも事実をくらますための虚構か……

 ほんとうにこれで、よかったのか? 

 自分はいま、こうしていていいのだろうかと。


 コッ、コッ…


 金属が、木をたたく音がした。
 誰かが彼の部屋のドアのノッカーを動かしたのだ。

(いまごろ誰だ?)

 この家は、真夜中を過ぎても、けっこう人の動きがあるのだが……。こんな時間帯に、(たず)ねてくるような者にこころあたりはない。

 コン…

 今度は軽く――音の感じから、おそらくは素手で――ノックされたので、セレグレーシュは、もそっと身体を起こして身がまえた。

「セレシュ君? もう寝てしまったかい? 少し、話ができればと思ったんだけど…」

 ひそやかな声が届いた。

 思量を感じさせる(おだ)やかな響き。
 それを示す独自性の強い呼称(呼びかけ)――アントイーヴだ。

 彼とは、朝方、湖畔の森で別れたきりになっていた。
 あまり想像したくない憶測もよぎって、応じることにためらいをおぼえる。

 それでも無視を(つらぬ)くことにも抵抗があったので、セレグレーシュは寝台からおりた。

「いま、()ける…」

 施錠を外し、両開きのドアの一方を引くと、留め具でまとめられた十数枚の紙面を手にしたアントイーヴがいた。

「ごめん。起こしてしまったかい?」

「…起きてたから」

「そうかい? じゃぁ少しだけ、お邪魔するよ。今朝(けさ)は君、途中で抜けちゃっただろ? だから、結果を知らせようと思って……。いま、その報告書をしあげたところなんだ」

 訪問者を部屋に招き入れた部屋の主、セレグレーシュが、(きびす)を返し、天井にとりつけられている楕円形の法具照明に手をのばそうとすると、アントイーヴは手に持っていた紙面をかるくふった。

「光球が()きてる――充分だ。(おそ)いから、長居する気もないし…。おかまいなく」

 (ことわ)りを入れ、室内へ歩を進めた彼が、これと目をつけて背中をあずけたのは、かなりまでが用途自由な万能棚になっている扉側の壁だ。

 部屋の主が過分に物を所有しない方なので、目隠し(シェード)付きのワードロープ機能も備えたその棚は、あまり活用されていない――手頃な段に支給された法具や予備の靴、日用品が乗っているだけで、七割あまりが空になっていた。

 部屋に入ったところで、ぱっと目につくのは、(せま)くはない空間に、ぽつんとひとつだけ配置されている寝台と、その手前(足側の後ろ手)に鎮座しているけっこうな大きさの長持ちだ。

 下三段が、大小、引きだしになっている。

 個人の衣類をはじめ所持品を収納するべく与えられるその収納箱は、持ち主が特定の技能を身につけると、よく、肉眼では見えないところにしまわれがちなものだ。

 出しっぱなしにしておくと、かなり邪魔になるが、いかんせんセレグレーシュは、それをしまいこむ技術をまだ会得(えとく)していない。

 客人の動きを視界のはしに意識しながら。セレグレーシュは、寝台の枕元に転がっていた光珠を、そのすぐ横のチェストのそばにあった専用スタンドに移動した。

 その動作の中に、三割ほど光量をあげる。

「さっそくだけど、セレシュ君。あの法印にメルが残されたままというのは本当?」

「法印、解かなかったの?」

「《(むろ)》は崩していない。メルはいるんだよね?」

「ならそのままだと思う」

「よかった。それも確認したかったんだ」

 《(むろ)》……。コアが解かれていないということは、あの娘は無事…――とも言えないかもしれないが、あのままなのだ。

 その事実にセレグレーシュは安堵(あんど)した。
 そしてどうじに言いしれぬ不安も覚えた。

 法の家では築いた法印の情報を報告することがおおむね定式とされているが、先の考査での違反があるので、今回は特に法具用途の査定が厳しくなっている。

 湖畔の法印がそのまま残っていて獣人を封じたのなら、問題の獣人をどうやって、その中から出したのかを問われる。

 行きと帰りで持ちだした法具の差分が生じているから、なにもしなかったという言いわけは通用しない。
 うまく(くら)ませる自信もなかったし、どう判断されるか読めないので、正直に報告するのにも支障があった。

 なぜ法印がふたつになったのかを徹底して探られるのが目に見えているのだ。

 やはり、ここにいたら身の破滅なのではないだろうか? 

 セレグレーシュは、おちつかなげに客人のようすを探り見た。

 いま目の前にいる彼が、どうするつもりなのかもわからない。

 なりゆきを憂慮していると、その客人がリラックスしたようすで話し始めた。

「プルーと話して決めたんだ。あの法印は残しておく。
 獣人にあわせて作ったものなんだけど……まぎわに(かな)う範囲の対処もしたし…。きっと、死に近い状態だったから、うまくいったんだな…。能動的な能の放出……威力の解放がなかったのも、よかったのだと思う。
 家には法印を解いてみたら生きていた。運べるような状態ではなく、維持もし()ず、生存も危うかったので、その場のものを再利用して、封じてしまったと報告する。ほら、見てみるかい?」

 アントイーヴが紙面のまとめをさしだしたので、セレグレーシュがそのままに受けとる。

 ありきたりの紙には書き込みきれない情報を集約し、記録できるクラスタペーパーだ。

 光気も含む紙面型の法具で、《家》では地図や法印構図の詳記・報告などによく利用される。

 ちょっと心力を注げば、細々とした情報や構造を立体視でき、必要とあらば工夫次第で音や映像も記録可能なものだ。

「少し手を入れてきた。
 ()ける部分は解いて、組み直したんだ。
 《(むろ)》を崩すわけにはいかないから《稜威祇(いつぎ)封陣》にはできなかったけど、状態が状態だから言い訳はたつ。よほどのことがない限り虚構を指摘されることもないと思うよ? バレるとしたら知る者が口を滑らせた時だろうね。
 ……苦心はしたけど欲しいところは、稜威祇の少年(あの子)が店まで走ってくれた。
 道具とセットで、監視役(いらないおまけ)もついて来たけど、それくらいは予測していたし……。(すご)いね、彼」

「ん? 彼って?」

 問い返されたアントイーヴは微《かす》かに笑ったが、疑問に答えることはしなかった。

 法具を求めに行った法具店で、出会ってしまったのだろう…――その男(監視役)の性格からして、アントイーヴを逃がしてしまった後、そのあたりで対象がもどるのを待ち伏せするだろうことは想像するに(かた)くなく…――事実、そこで時間を潰していたようで……。

 あの稜威祇(いつぎ)の少年が、その男を(ともな)っても問題ないか、遠隔的に話しかけてきたのだ。

 ――〔支障があるなら相応に対処する…〕とも。

 どう対処するつもりでいたのかは不明だが、彼が不都合を口にすれば、可能なかぎり穏便にやり過ごせる種類の(ものかも判らないが)(さく)(ろう)して、目的を達成する構えだったに違いない。

 身の回りで起きたことをすべてその稜威祇(いつぎ)に結びつけるのは視野(しや)狭窄(きょうさく)というものだが、ここまでくると、今朝、監視役がアントイーヴの部屋の前で正体もなく寝転けていたのは、もしかしたらと……考えてしまわないでもない。

「はぐらかせたと思うから、安心していいよ。あれは……いまのぼくが出来るところでは、会心の作だ」

「…どうして?」

「なぜって、死ぬかも知れないんじゃ出せないよ」

「…うん。でも……」

「法具の技術は、日々、進歩しているんだ。
 こんな理由で封じられている稜威祇(いつぎ)があれば、法具の開発・研究もそちらへむく。そうなるよう催促するし、稜威祇(いつぎ)……闇人・亜人の能力も一様(いちよう)じゃない。メルを救える者が、現れるかも知れないだろ?
 いつか、彼女が無事に出られることを願っているんだ」

「そうか…。でも、そうじゃなくて……」

 セレグレーシュがもどかしげに口をもごもごさせていると、アントイーヴはしたり顔で笑った。

「法印を解いて、出てきた獣人は離して他に封じた。それでいいんだよ。
 ぼくは、こういう(こうゆう)ことには融通(ゆうずう)が…——というよりは、アバウトなんだろうな。結構、自分でも無茶苦茶しているし……。君がおかしな方向を見て、つっ走るようなことがあれば、その先までは約束できないけれど…――プルーも口を閉ざすそうだ。
 君のそれが、どんな危険をはらむか。危うい方向へ向かなければ、どんな利潤をもたらすか…。ぼくなりに話してみたんだ。
 メルの件で君を煩わしそうな予感もあるけど、気がむいたら、つきあってやってくれないかな?
 極端に走ることはあるけど根はいい子なんだよ?
 そういえば、あの獣人だけど……。封じる時、やたら毛が抜けてさ(後から生えてもきたけど……)。
 生え変わる時期だったとしても、あんなのってあり(・・)なのかなぁ……? 前の時とは、かなり勝手も違ったんだけど――…(あまりにも手応えが(あっけ)なくて……妙な感じだった……)」

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