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マドルスルー ~muddle through~.1


 じわじわと、心身にしみわたる光線。
 心地好い陽の光にさらされながら、うとうとしていると、彼の上に淡い影が(たたず)んだ。

 重怠(おもだる)いまぶたを持ちあげて影の正体を見極めようとする。

 まばゆい光の中にあったのは、すんなり伸びた足と成長しきっていない細めの身体。

〔適度に休息をとらないと能率が悪くなる〕

〔…おまえか。……〕

 内苑の草地に寝転がっていた少年には、声で相手がわかった。

 親しいというほどではなくても警戒しなければならない種類のものではない。

 以前に比べれば姿を見せることも少なくなっていた、その闇人……。
 セレグレーシュが知るかぎりでは、五日ぶりの出現だった。

〔おまえ…。最近、笑わなくなったな……〕

 ぼそっと指摘してみる。

 少年の姿をした闇人……稜威祇(いつぎ)は、彼の言葉を耳にしても、その追及には答えなかった。

 集中しやすい箇所をのぞけば、人の密度が高いというほどではない朱鷺色の家。

 それでも敷地内にあれば、そこかしこの雑音が小鳥のさえずりのように聞こえてくる。

 きらきらと、頭上で()ぜる光。
 枝と葉のすき間からさしこむ白金の光線。そして、清涼なひろがりをみせる空の青。

 ふたりは涼しい風が通りぬけてゆく日陰のそば。陽のあたる場所にいたのだ。

 陰をつくっている木の根もとには、昨晩ともされて、いまも光を発しつづけている球形の法具。
 《光球(こうきゅう)》が鎮座している。

 空が白みだした頃までの記憶はあった。

 セレグレーシュは、もたらされた真新しい課題を 自分のものに(~確かに~)しようと、ひと晩、()かしたこの場所で、眠ってしまっていたのだ。

 眠りを妨げられようと大地に身をゆだねたまま、瞳を閉じてしまった彼だったが、ふっと。思いだしたようにまぶたを持ちあげた。
 そこに青と灰色と黄の斑点がちらばりひらめいて見える赤ワイン色の虹彩がある。

 その一風変わった瞳の持ち主は、顔の横に落ちていたボードをつかまえると、固定してある紙面の文字を読もうとして寝覚めの双眸を細くした。

 見えないようで見えている可視光線が散乱する白日のもと。白い紙が見せる反射光が、そこに描かれた図形や数式をのみこんで見えにくくしている。

 芝の大地に転がって、 お復習い(おさらい)を始めてしまった彼を足もとに、いっぽうの少年は、そっと吐息を吐いて、あらぬ方面へ視線を投じた。

 そんな彼の流麗にはねる金茶色の頭髪は、下からのぞむと先端の一部が空の青と降り注ぐ光にのまれ、融けて消えてしまいそうに見える。

 それはいま、その足もとで、うつぶせに寝転がって紙面に見入っている少年、セレグレーシュが、数瞬前、寝ぼけまなこに映した、まばゆい錯覚でもあった。

 …タタタッ——

 石畳をかける靴音が近づいていた。

 庭に人影を見て、それと目星をつけたところで歩調をゆるめ、恐る恐る接近してきた足音の主は、「あ…」と。小さな声を発して息をのむと、さらに、ふたりの方へ突き進んできた。

 石畳を後に草の地面を踏んだ足が、再度速度を落とし、そのあたりで、ひたと止まる。

「そのっ、レイスさん。僕……言伝があって来たんだけど……。邪魔?」

 ふたりを交互に見て、遠慮がちにたずねたのは、長いさらさらの黒髪を背中の中程でひとつに()い束ねた十歳ほどの少年だ。

 法具を製造する家系に生まれながら、法術を学んでいる《天藍(てんらん)理族(りぞく)》の変わり種。
 シーファこと、シンファルダである。

 芝の地面に寝そべっていたセレグレーシュが、もそっと身体をかえして、上体をおこす。

「いや…。これ(・・ )は気にしなくていい。ど(う)した?」

「ん……。イーヴさんに頼まれた。今月二十日。起床時刻に放牧場、《北表(きたおもて)》に集合、だって」

「集合? なにかあるのか?」

「聞いてみたけど、僕には教えてくれなかった」

「そうか。その人、今日も店?」

「うん。最近は真面目にこき使われてて……。出てると思うよ。なにかやったのかな? このところ、監視みたいなのがついてるんだ」

 応じた少年の目が、ちらと。遠方に見え隠れしているエンジ色の壁のような連続を意識する。
 セレグレーシュも、その方を見た。

 いくらか距離があるが、アントイーヴの勤務先は、ここから、さほど遠くないところにある。

 先日、法具を勝手に持ちだしたことで、多大な借金を背負ってしまったその男は、検定を受ける期日が定まるまで時間があるからと、いまもそこで仕事をもらっているのだ。

「後で寄ってみるよ」

「うん。それがいいね。それと…――」

 シンファルダは、かたわらに立っている稜威祇(いつぎ)の少年の顔色を、ちらと(うかが)うように見て、気まずそうに身をすくめた。

「…僕、気にするなっていわれても、やっぱり気にしてしまうよ」

 どうやら次の用件は、彼がいると話しにくいようだ。
 正確には九歳の少年が、黒目がちな瞳を思慮深げに曇らせている。

「こいつは、そこにいてもいなくても聞き耳たてるから気にしてもしかたないよ」

 その闇人の行動傾向など、ほとんど知らなかったが、セレグレーシュは無責任にも(うそぶ)き決めつけて、少年の用件の方をうながした。

「そうなの? じゃあ、隠しても意味がないね」

 シンファルダが妙に才気ばしった顔をして請け負う。

 それと理解したことで、さっさとこだわりを廃棄(はいき)したのだ。なっとくさえすれば、きりかえの早い子である。

「子供の稜威祇(いつぎ)が鎮めのパートナーにむかないっていわれる理由、調べました。まだ推量段階で不明だらけだけど、とうぶんは進展しそうにないから、一度、報告しておこうと思って…――」

 戦利品を勝ちとったような得意顔を視界にセレグレーシュは、〝なんで、それをオレに報告するんだろう?〟と思った。

 そこにいる稜威祇(いつぎ)につきまとわれていたから、おせっかいを焼かれているのかも、という推測なら、つけられる。

 以前に比べれば、見かけることも少なくなったが、いまも時々はセレグレーシュの動向を気にかけているのだろう……不思議な虹彩を備えたその稜威祇(いつぎ)も子供といっていい外見である。

 絆を結ぶ気などさらさらなくても、敵を知ろうというのか味方にしたいのか、どちらともつかない心境で、セレグレーシュの耳はシンファルダが持ってきた情報に傾いた。

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