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泣きっつらに蜂.8


 四人で行動するのも四日目の夕刻。

 部屋の貸し借りの商談が成立し、宿の案内役がたち()って行くを目のはしに見ながら、セレグレーシュは提案した。

「はんぱだな。街で時間つぶすより、野宿でもして帰らない?」

 日暮れ前には宿を決めて、ゆっくり身体を休められる余地(よち)がある。

 法具のあつかいをよく知っているアントイーヴがいることで、彼の移動速度は、ぐんとあがっていた。
 けれども――朝の出発も遅ければ、日のあるうちに宿場をとびこえて、次の街にたどり着けるほどではない。

 アントイーヴが急ごうと思えば、女稜威祇(いつぎ)を改心させることなく連れ歩いても、それ以上の速さで進むことが出来そうなのに、いまのところは陽が高いうちにとなりの集落に入れるていどだ。

 《心力》も人の体力・精神力に準じるもの。
 無限ではないが、彼にできることがあるなら手伝うのもやぶさかではなかったし、叶うなら挑戦してみたかったり(みたいくらいだったり)もする。

 それにセレグレーシュが観たところ、アントイーヴには、まだ、かなり余力がありそうなのだ。

 寝起きは遅くても瘦軀(そうく)ながらに健康そうで、さして疲れているようにはみえない。
 そのアントイーヴが言う。

「いまのままでも期間内には着けるよ。急ぐこともないだろう」

「オレは、早急に(早く)もどりたい……」

〔わたし、野宿なんて嫌よ〕

 姿だけを見れば、はかなげにも見える金髪碧眼の女稜威祇(いつぎ)が、不満そうに主張した。

 狭量(きょうりょう)なこだわりから解放された影響か、凍りつきがちだった表情が、とても豊かになった。

 不服を口にしても、当初ほど冷徹にも繊細そうにも見えない。

〔意外だな。好きだと思ってたけど〕

〔どうしてよ〕

〔以前は楽しんでいた〕

 アントイーヴの指摘に、一瞬、暗い表情を見せた女稜威祇(いつぎ)は、口惜(くちお)し気に唇をひき結んで、ふいっと顔を(そむ)けた。

〔……いっしょにいる人によるもの〕

 セレグレーシュの視点は、いまひとりの闇人に流れた。

 そのあたりから意見があがることを期待したのだが、その少年は変わらない沈黙をまもっている。

 なにを考えているのかわからない顔をして、視線が出合っても、これという反応を見せなかった。

「君らがのんびりしたいなら、ばらばらに行動してもいいだろう? 方針はもう、かたまってるのだし。オレも、そうする。だから……」

「みんなで行動したほうが安全だよ」

 アントイーヴは別行動をとることに反対のようだ。

「第一、君、文無しじゃないか。みんな燃えちゃっただろう?」

 彼の荷物は、(後に補填し備えた衣料品類をのぞいて)リュック意外、失われてしまっていたが、試験中の財布は、女稜威祇(いつぎ)がにぎっている。
 それが収められているウエストバックは無事なので、認識の相違をおぼえる発言だ。

 とはいえ、事実、独自に所持しているわけではなかったし、開始されてしまっている試験の旅費が現地賄い(独自解決)とされていないとも限らない。
 その試験も、中断し、見送りが決定されている感があったが……。

「……いいさ。(冬でもないし)オレだけなら、なんとでもなる。馬は一頭、連れていくから」

「君にそんな行動を許したら、曲がりなりにも先達(せんだつ)として、ぼくが鬼畜(きちく)呼ばわりされるよ。
 晴れた日は、ひと街()えで手をうたない? それで時間が合えば、お昼も街でとれるし」

「…うん。……妥当(だとう)なところ(なの)かも…」

 その場は、アントイーヴの譲歩でおさまった。

 セレグレーシュが睨んだとおり、その男には、それができる余裕があるのだろう。

 誰かの寝起きが遅いので、出発が昼近くなることも少なくないのに可能ということだ。

 うろんに思わないこともなかったが、ともあれ。話し合いがもたらした成果に不満はなかった。

 けれども彼としては、そんな事柄()は、なかばどうでもいいことで……。

 もやもやしている最大の理由――鬱屈(うっくつ)大元(おおもと)(ほか)に抱えていたセレグレーシュは、その後も煮えきらない顔をしていた。

 「ちょっと散歩してくる…」と言いおいて、宿を出る。

 気にしないようにしてはいても…。
 にこりともしない稜威祇(いつぎ)の少年を視界の(はし)に見ていると、ひとりになりたくなったのだ。

 家にいる時は、近づいてこようとしなくても、にっこにこと寒気がするほど愛嬌をふりまいていた。
 なのにこの数日は、怒っているのではないかと思えるほど笑わないし、言葉数も少ない。

 道中は終始、彼に背中をむけている。

 そんなこんなで彼は、この状況にどう対処すればいいのかわからなくなっていた。

 一線をひいて無心を(つらぬ)くことができればいいのだが、ときおり不意をつくように耳に飛びこんでくるその少年の声には不覚にもつられてしまう。

 セレグレーシュとしては、その響きをどうしても無視できないので、それが苛立ちを通りこし、悲壮感ただよう疲労へと変貌するのだ。

(ヴェルダ……おまえ、どこにいるんだよ。オレ、あいつがわからない)

〔どこまで行く……。日がおちるよ…〕

 道なりに歩いていると、後ろから声をかけられた。

 足音はおろか、けはいなどみじんも感じられなかったのだが――セレグレーシュは歩みをとめ、半歩足をもどして背後を確認した。

 明度のおちた土踏みの道路上。色白な稜威祇(いつぎ)の少年が追いついてこようとしている。

 (さと)そうな目をした未成熟な少年。

 後ろに聞いたのは闇人の言語だったし、
 たぶん、そうだろうなとは思ったのだ。

 期待したわけではなかったけれども、そこに確認できたのが特定の人物でなかったことで、セレグレーシュの口から憂鬱(ゆううつ)な溜息がこぼれた。

〔街を出るのか?〕

 問われて周囲を意識してみれば、来た方角で家並みがとぎれている。

 郊外へ出ようと考えていたわけではないが、あてもなく道を辿(たど)っているうちに、街はずれまで来ていたようだ。

 答えることはせずに沈黙していたセレグレーシュが、ふたたび()をきざむような動きを見せると、例の声が彼を追いかけてきた。

〔ゆくのなら、同道しよう〕

〔散歩だよ。出る気なら馬を連れている。なんでついてくるんだ?〕

〔つきまとおうというのではない。だが、知りたいのだろう?〕

 すげなく受け流していたセレグレーシュの表情に、ふと変化が生まれた。
 その足がとまる。

〔君は聞いても流すようなことだから、おぼえていないのだろう〕

〔なんのことだ?〕

〔われも子細までは知らぬが、《真透映(まとうえい)》に眠る稜威祇(いつぎ)の話なら耳にしたことがある〕

 あてが外れたセレグレーシュは、口惜(くちお)しげに唇を噛んだ。

 ほかでもない。ヴェルダに関係することかと思ったのに、違ったのだ。

 稜威祇(いつぎ)の少年の瞳が、うかがいがちな気配を()びながら生真面目に見開(みひら)かれている。

〔知りたくないのか?〕

〔いや、知りたくないこともないけど…。…かまわない(~いい~)。聞くから、話せ〕

 うながされると何を思ってか、稜威祇(いつぎ)少年は、くるりと身をひるがえして背を向けた。

 琥珀、黒、紫……

 錯綜(さくそう)する彼の双眸が、踏みこみたくても踏みこめないものを見るように、背後にいる人の子を意識していた。

 そのまなざしが意を決したような(おもむ)き……タイミングで伏せられる。

〔われの名は〝アシュ〟だ。気が向いたら耳を傾けてやろう。おぼえておけ〕

 そこで、なんの予告もなく下された、どこか尊大な名乗り。

 その時、本人の口から発せられた闇人の呼称(・・・・・)を前に、セレグレーシュの内に(カスミ)のように存在していた望みは泡のごとくはじけた。

(…ヴェルダじゃ……ないのか……)

〔…。《真透映(まとうえい)》と呼ばれる(いずみ)近郊(きんこう)の森林には、獣人が住みついていた。半世紀ほど前からと聞いている――〕 

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