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泣きっつらに蜂.7


〔――…。たしか北の湖って言ってたよな? 北っていわれてもどれかわからない…。なんていう湖?〕

 帰途(きと)を志す道すがら。
 鹿毛馬の手綱を手にしたセレグレーシュが肩越しにたずねた。

 ならんで行くのは、アントイーヴと稜威祇(いつぎ)の少年を乗せた青鹿毛だ。
 後ろからは、女稜威祇(いつぎ)を背にした栗毛の馬がついてくる。

 手綱が放置されたままでも彼女を乗せた気立ての良好な牝馬(ひんば)は、自分のすべきことがわかっているように、先をゆく二頭の尻を追っていた。

〔知らないわ。人がつける名称()はいろいろあるものだし……。丘から見えるあれよ〕

〔――…家から見て北東。草原(くさはら)のはしにある《真透映(まとうえい)》だよ〕

 答えを明確にしたのは、アントイーヴだ。

 たしかに。
 《家》の周辺には泉や池が少なくないが、森の向こうや森の中ではなく、《千魔封じの丘》から直接、(のぞ)むことのできる天然の泉は、北東に位置し《家》の者に、その名で呼ばれるそれだけだ。

〔そこの法印は()いても問題ないのか?〕

〔問題ないこともないけど、また、封じればいいからね〕

()いて、またすぐ封じてしまうのか? なんのために解くわけ?〕

〔いっしょに封じてしまったんだ。獣人と稜威祇(いつぎ)を……〕

〔なんで?〕

〔このとんまが、よけいなことをしたの〕

 女稜威祇(いつぎ)が、いまいましげな視線をアントイーヴの背中にそそいだ。

〔反省はするけど許しは()わないよ。許してもらえるとも、もらおうとも思っていない〕

〔とうぜんだわ〕

 セレグレーシュは、よくわからないものを見るように、ふたりを見くらべた。

(それって、なま殺しじゃないか……)

 おぞましい感想は胸のうちに、どうにか前むきに考えようとする。

 スカウオーレス地方の主要都市、スカウオレジャを背景に。
 おなじように街をあとにしてきた荷馬車や商隊、旅人がまばらに目につくその通りを彼らは移動してゆく。

 派手さはなくても、そこそこ飾りのついた駿馬が三頭。旅行者としては、かなり荷物が少ない。

 はた目には長くても一泊する程度の用向きか、日帰りの遠のりと解釈されそうな並上の生活水準を感じさせる若い集まりである。

 そのなかのひとりは自前の青白い髪で。ほかの者も、あかぬけた容姿で余人の興味を惹くことはあったが、接触することもないほど間隔にひらきのある不特定多数のなかだ。
 いまはもう、目をむける者もなかった。

〔泥沼対策に、いっしょに閉じこめられた稜威祇(いつぎ)を救いだすってことか?〕

 セレグレーシュが思案がちに確認すると、アントイーヴは意表をつかれた顔をして言いよどんだ。

〔泥沼?〕

〔だって、そうだろ? さしだした首、なにされても、ひっこめる気がなくて、つかんだ首、殺さないていどに(しめ)めて放さないって言ってるようなものだ。オレには理解できないよ。
 なにがあったか知らないけど、(たが)いの人生、活性化しないように束縛しあっていたら(おさ)まりがつかない〕

〔あなたに、なにがわかるっていうのっ!〕

〔だから、わからないって…〕

 正直な意見を素のままに告げると後ろから(すご)い目で睨まれたので、セレグレーシュは思わず閉口した。

〔そうだね。見事に()かっちゃったよ〕

 アントイーヴが、ぽつりとこぼす。

〔だけど……セレシュ君。ぼくはまだ自分を許す気になれないんだ。
 ぼくが湖のそばに構築した法印に封じられているのは、獣人とメルの遺体(いたい)だから〕

 セレグレーシュは、えっ? と、アントイーヴを凝視した。

(…遺体…——?)


 ——そのひとが形成した法印に…、
   妖威と、メルとかいう稜威祇(いつぎ)の遺体があるという。


 過失といってもいい手違いがあったのかもしれない。

 つまり、彼らがとりだそうとしている者は死んでいるのだ。

 とっさには返す言葉がみつからなかったが、けっして無音ではない沈黙のなか、しだいに冷静さをとりもどした彼の赤ワイン色の瞳に真摯(しんし)な光が宿った。

〔故人を手厚く(ほうむ)りたいのなら、いいよ。手を貸す〕

〔手を貸す、ですって?〕

 女稜威祇(いつぎ)が、それこそ信じられない言葉を聞いたというように、小声で口ばしった。

 いっぽう、
 アントイーヴは、にっこり、御愛想(おあいそ)過剰な笑みを浮かべて、セレグレーシュに視線をくれた。

〔君が、手伝ってくれるのかい?〕

 彼の言葉には、相手の思いの深さのていど……腕前をそれと暗ににおわせることで揶揄(やゆ)し、事の把握の水準を(あや)しんでいるような――詰問(きつもん)めいた響きがあった。

 どきりとしたセレグレーシュが、思わずしりごみする。

 軽い気持ちで答えたつもりはなくても、女稜威祇(いつぎ)の独白も、しっかり耳に届いていたのだ。

 なにかもわからないが、手ひどい失策でも演じた気分になる。

〔だって、オレも…いちおーは、頼まれたわけだし……。…たいして、できることもないだろうけど……〕

 ぽつぽつと告げる。
 するとアントイーヴは、すっと真顔(まがお)になって、一度は()せた視線を前方に固定し、口を閉じてしまった。

 事態をもてあましたセレグレーシュが、女稜威祇(いつぎ)の方をふりかえり見ると、そこには彼を見据える気丈な水色のまなざしがあった。

〔これだけは、おぼえておいて。メルは、あなたがこっちに呼んだのよ。そして捨てられたの。
 これ以上、粗末(そまつ)にしないでちょうだい。あの子は、それだけでも喜ぶ…――〕

 言いたいことだけ言うと、女稜威祇(いつぎ)は、ぷいっと。自分たちが来た方面へ顔をそむけた。

 ()てたという。

 ありえないことではなかった。

 セレグレーシュは、自分が呼んだ者とは、ことさら距離をおこうとしたものだから……。

 彼女らの呼び名を聞くと、そこからなんとなく、その(しん)の響き――《真名(まな)》を知っているような感覚が生じたりもするのだが、いつ、どこで呼びこんだのか覚えていないのだ。

 アントイーヴは黙ったままだし、女稜威祇(いつぎ)は怒ってあらぬ方を向いてしまった。

 稜威祇(いつぎ)の少年はというと…、

 アントイーヴが制御する馬の後ろに横座りして、馬脚を並べているセレグレーシュのほうに背中をむけている。

 表情は見えなかったし、いま口を(ひら)くこともなかった。

 家では終始にこにこしていたのに、その稜威祇(いつぎ)の少年は、ほとんど笑わなくなっていた。

 この場の空気で微笑まれても困るが、幻滅されているような気もして……。
 セレグレーシュは、自分がひどく物事をはきちがえた愚か者のように思えた。

 睨まれてもへこたれることなく微笑んでいた、その稜威祇(~彼~)の笑顔が、いまは、少しばかり(ちょっぴり)、なつかしくも思える。

 三頭のひずめが石畳を蹴る音が()りかえされるなか、しばらく四人の道程には、重苦しい沈黙が続いたのだ。

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