旨意錯綜.4
太陽が地平に没し、
青白い髪の少年が広場に
その彼が連れているのは、ブリーダーでもなければ所有がそれなりの組織か裕福層に
二頭の馬をデモンストレーションを兼ねて連れ込まれた商品と勘違いして声をかける者、通りに獣を連こんだ行為を注意する者があったが、少年は、それらを言葉少なに
必要物資の確保・購入にとりかかる。
ところによっては
洗剤など、消耗していた生活必需品を確保し、もれなく紙も
「
「
用事があって……。明日とあさっては(午前・午後とも)
予約して、確実にきてくれるなら安くしてあげますよー」
「いや、三日後
店でも農家でも。できれば、一ヵ所で仕入れてしまいたいんだけど……」
「ん。近いところ……。ないことはないけれど、まとまったお金がなければ、お勧めできないかなぁ。買い物中、馬、あずけるよゆうがないのなら、よけいにね。
向こうの大通りならいざ知らず、店じまい
立派な馬だから心配なのでしょうけど、ここは行政管理だから怪しい奴にひっかかりさえしなければ大丈夫よ。
役人さんによっては
「うん…――(どんな仕様か、条件づけか……しつけか作用かもわからないけど、《
この時間だし、たくさん仕入れなきゃならないのに荷車もないから(荷物を持ちきれない)――…それに、急いでる」
「(そう)みたいね。急がば回れを言ってもいまさらか。
――そこの赤い家の横の道をゆくと、大通りに出るちょっと手前にノイの店(家)がある。
入り口に、《ノイ》って書いた木彫りの看板が出てるからすぐわかると思う。
でも、あそこ。
知りあいでもない
「うん。ありがとう」
少年は暗い空にいまにも消えそうな日暮れのなごりを見あげると、先を急いだ。
赤っぽい屋根の家からはじまる路地へ向かう。
🌐🌐🌐
…——
「ありがとよ、兄ちゃん。君の顔は、お得意さまとしておぼえておこう。また寄ってくれよな」
商売用でもあるのだろう…――
青磁色の髪の少年セレグレーシュは、生来の明るさと人情味が見えてきそうな笑顔を小脇に見るともなく、うつむきかげんに
(それは、ありがたいような、ありがたくないような――…好意はべつとして、あまりうれしくはないか。おぼえられても、ここに長くはいないし。さほどの期待もしてないのだろうけど、自分の
「どこかで野営会でもやるのかい?」
「これは、
「そうかい。……しかし、見事な馬だ」
「ん。主人のなんだ」
「ほうほう。あんなのを預けられるなんて、勤勉でいい子に違いない。意外と腕も達つのかも知れないな。信頼されているねぇ」
穀物店のおじさんは、にこにこしながら彼が購入した品を運んでくれた。
「だが……。頼むから、
大袋をひとつ肩に
こういった店をきりもりするのだから、非力ではやっていられないのだろうが、ぷよっとした体型で、身体がなまっていそうに見えるのに力持ちで…。なんとなく、油断大敵の代名詞みたいな気もするおじさんだった。
セレグレーシュが前に抱えている箱は、
「この森の先に
それと彼に振られると、穀物店のおじさんの表情が微妙に
「そこの鎮守さまかい?」
「うん」
「なにがいるかって、みんな(知ってるやつ)は穏和な
(それは、あまり関係ないと思うけど……)
「だが、あの丸い原っぱは、ずーっと、むかしからあったっていうからな。
石が置かれる前は、苔むした倒木だらけだったそうだし、いるかいないかなんて、わからないのさ。
市長なら、なにか知ってるかもしれないが……」
「いまの市長が碑を建てたの?」
「いや。碑が建ったのは何百年も前だ。
そうだなぁ。ここは世襲でもないし、聞きにいっても見こみは薄いだろう。こう
「どうして?」
「そりゃぁ、そういうのを狙って荒稼ぎしようとするやつがいるからだ。誰だって近所で問題起こされたくない。口も重くなるさ…。
――なぁ、ぼうず。おかしな気ぃおこしてるんじゃないだろうな?
鉱脈とか宝探しとは、わけが違う。冒険するのもいいが、あーいった領域のものに悪さすると、神鎮めサンから見えないところに閉じこめられちまうぞ?
興味本意で
店の主人に手伝ってもらって馬の背中に荷を固定しながら。セレグレーシュが見あげた天空には、ちらほらと星がまたたき始めていた。
空を見ていて、ふっと思いだした彼は店主の方に向き直った。
「この時間でもパンを売ってくれそうなところを知らない?」
「んー? 安さと
言うなり店の主人は、あわただしく建物の中に駆けこんでいった。
さほど待たされることもなく戻ってきた穀物店の主人の手には、甘茶色の油脂の包みがあった。
「これを届けてくれたら確実だろうさ」
セレグレーシュが、なにが入っているかもわからない包みを見おろす。
(近所なら自分で持っていけばいいのに。おおらかというか、ぬけているというか。人が良すぎ。
やることが
無用心をいうなら、届けてやってもいいような気になっている彼も相手のことを言えないのだが……。
受けいれるのは、ついでといえばついでで、親切な対応に対する義理といえば義理であり、紹介状ならぬコネ効果としての期待であり、自身の啓発を兼ねた自己修養でもある。
「そっちのつきあたりを右に行って七軒目。庭先にユスラウメの木が二本ある家だ。いまは、ちっこい赤い実がいっぱい
「いいよ。行ってみる」
「つまみ食いするなよ? しょっちゅう会うからな。届けたものに歯形なんかついていたら、すぐわかるんだぞ」
(食べ物か。これくらいなら
「まだ、そんな
きゅんと腹が鳴いたが、セレグレーシュは包みをひらくこともなく、そのまま届けることにした。