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旨意錯綜.1


 幾何学的な異物——《法印》は、深い森林の中にぽつんと場を占めていた。

 (たい)らに(なら)し整えられた人工の広場のようでもあるそれは、直径が一八〇歩ほどある真円(しんえん)平地(ひらち)としてあり、ぶあつい絨毯のごとく蔓延(はびこ)るたった一種類の(コケ)によっておおわれている。

 その中央には、周辺の森の木々とおなじくらいの高さを備えた円錐形(えんすいけい)の石碑が配置されていた。
 そのつるつるに磨かれた黒御影石の()を軸として、扇子(せんす)扇面(おおぎめん)を三枚、ぐるりと外向きに(ひら)いて寝せ置いたような造形が組まれている。
 地面に敷かれた扇状のそれは、構成に(あら)さが見てとれるピンク色の雲母花崗岩(うんもかこうがん)——表面がよく研磨されたサクラ御影石のようだ。

 碑銘(ひめい)はなかったし、形にこれという変化も見られないので、どこが正面なのか特定もできない。
 前後左右を決めて造られたものではなさそうなそれは、スカウオーレス地方、最大の自治都市スカウオレジャの市長が、古くからあった円形の平地にすえ置いて、《森の鎮守》としたもので……。

 数百年前。スカウオレジャ(その方面)から、法印の有無を問い合わせる使者が訪れたことで、一線で活躍する鎮めや法印士のあいだで固い構成の代表格(代名詞)のように語られるようになった場所だ。

 見るからに(いわ)くつきと映る自然に見えない仕上がりなので、生きた存在を封じた構想としては例外的に知名度・認知度の高いもの。

 それでもいくらか人里から離れた森の奥深いところにひっそり置かれていたので、誰もがその所在地(それがある場所)を知るというものでもなかった。

 噂になったのも、かなりむかしのこと。
 いまとなっては、それと知るのは、近隣の住人のうち《生き字引(もの知り)》とか《好事家(こうずか)》《オタク》《インテリ》といわれる種類の人間と、そのあたりから話を聞く機会があった者。
 あとはその技能を専門とする有識者くらいのものとなっていた。

 存在を封じる種類の法印の情報は、その技術の大本である《法の家》が無暗(むやみ)な干渉を避けようと秘密裏に管理しているので、そう表に出てくるものではないのだ。

 いっかいの生徒にすぎないセレグレーシュの耳にも届いてはいなかった。

 むろん、訪れたのもこれがはじめだったが、それでも。
 セレグレーシュは、ひと目でその本質を看破した。
 彼には、感じとれたのだ。

 これは何者かが内部に(ひそ)むものだと……。

 それが秘めている情報量の多さに細々とした仕組(しく)みにまでは認識がおよばなくとも、根幹に存在する(居る)ものの気配(もの)を見抜いたのだ。

 複数の法具が幾何学的にかみあい、ひとつになった亜空の構造物——《法印》は、盗人が目の色を変えて噂する資材の宝庫である。

 通常の空間からはなにも存在しないようでありながら、そこには一般の人類が宝石として珍重する美麗な鉱物や《天藍(てんらん)理族(りぞく)》がブレンドする特殊製法の合金。
 繊維、溶媒(ようばい)、器物など、非常に高価な代物が、精緻(せいち)な芸術作品のごとき陣容(じんよう)を形成しながら保持されている。

 その精工さは、セレグレーシュが(むす)べる初歩の防御方陣とはくらべものにならない。

 多様な形質の法具を基礎として法印構成が幾千と組まれ、たがいに影響しあうことで容易(ようい)には解けない、ひとつの巨大な法則が隠されているのだ。

(〝あけっぴろげ〟というか、たけなわ(・・・・)っていうか……。これって、向こうからたちあげると、すごいんじゃないか?)

 存在が封じられている法印は家にいくらでもあったが、公的な権限を持たぬ者が干渉することは禁じられている。

 不用意に触れると、それを察した管理者に怒られる。程度によっては処罰もされるので、正道を行きたいなら、できるのは(はた)から眺めることくらいだ。

 だがこれは、触れてもいいのだ。

 ほかの誰かのために用意された課題なのかもしれない…――そんな懸念が消え去らない中にも、その構成を目の前にしたセレグレーシュの表情は、欲しがっていたおもちゃを与えられた子供のように輝いた。

 素材で分類される《法印使い》、基本の七つ道具は――

 《(みず)》――軟水・硬水・純水をもととして、特定の要素が融けこんだ水溶液や蒸気。
 準ずるものとして、氷や雪、結晶なども……。

 《精髄(エッセンス)》――精油、油類(ゆるい)、樹液および樹脂、(みつ)(ろう)酒精(エタノール)木精(メタノール)……香水に香油など。
 疎水性(そすいせい)(水となじまない性質)・両親媒性(りょうしんばいせい)(油とも水とも馴染む要素をふくむもの)の両方が存在する。
 いずれにせよ、純度・濃度の高いものがこれとされ、ある種の有機化合物(エーテル類)もこれに分類される。

 《繊維(せんい)》――紙や木、綿や絹、(りん)や羽毛、革や糸、ゴムなど、合成・天然両属(りょうぞく)ふくむ。

 《合金(ごうきん)》――金銀銅、白金(プラチナ)など、純度の高いものをはじめ、(はがね)真鍮(しんちゅう)、鉄、アルミ、硝子(ガラス)、人工磁石などの複合的な金属類。

 《玉石(ぎょくせき)》――鉱物の中でも宝石と位置づけられる構造のものが主体で、石墨(せきぼく)、雲母、天然磁石なども。
 世俗的な観点から、宝石類は人の手による合成であってもこれにふくむ。
 ……このへんは形状が球や楕円に限らず多様なので、分類・材質を異にするその他・外観が幾何学的な整いの法具(単体のものも合体構造のものも)もろともひっくるめて《モデル》や《フォーム》とも呼ばれる。

 《岩石類》――主に宝石以外ともされるが、宝石(それ)の原石や不純物が多くて結晶がかなり不規則なものはこれ(・・)とされる。
 珪藻土(ダイアトマイト)隕石(いんせき)類、大理石、花崗岩(かこうがん)、砂岩、岩塩など。

 そして、炎や光線、音波や電子など――波動に属し《虹気(こうき)》または《光気(こうき)》と総称されるもの。これで、七つになるが――…

 中間に位置するとされるもの――
 真珠や琥珀、オパールや瑪瑙、白亜(チョーク)、石炭、石灰、石膏(せっこう)、硫黄、灰、滑石(かっせき)火打石(フリント)

 墨、霧、煙、泡、ミルク、アスファルトなどの膠質(コロイド)類。

 原油・《燃える氷(メタンハイドレート)》など、ガスの(たぐい)、それに骨や軟骨(とう)

 稀少(きしょう)だったり独自性が強過ぎたりして例外視されるもの――(さん)・塩基の(たぐい)
 ハロゲン、レアメタル、希土類(レアアース)など。

 さらには、状態や性質、素材、形から感覚的に分類されがちな、多方面に(また)がるもの――主に沙《すな》や〝さざれ〟、塗料(とりょう)、ポリマーやフィルム、金箔(きんぱく)などの(はく)類。幾何学立体(剛体や分子・電子模型のような複合体/主にモデルやフォーム(フォルム)と呼ばれる)など…――も少なくないが、それぞれに多彩な形状性質、ときには構造(組みあがり)を見せながら、数十から数万種も存在する。

 《神鎮め》や《法印士》は、それら《天藍(てんらん)理族(りぞく)》の手によって特化改造された道具を必要に応じ、組合せを変えて使いこなすのだ。

 現存する法具の種類の四割から五割ほどは、製作者の探求心と欲念、遊び心から生まれた品で、玄人(くろうと)でもめったに使わない珍品らしいが……(――あくまでも〝数量〟ではなく〝種類数〟/試作品や玩具・または名器あつかいされるもので、単品ものが多数を占める)。

 いま、セレグレーシュが持ちあわせているのは、基本中の基本ともいえる二一品目だ。

 物理的に見えない亜空に秘められた構造を明らかにするための《視水(しみず)》は、法印が築かれている土台の状態や湿度・温度はもとより、構成によっては、形成当時と明らかにしようとしている現在の状況による差分が生じ、いちいち配分や濃度、必要要素が変化する。

 そして、見たい部分にもよる。

 対象をしぼり、部分的に対応するなら、土と石には《金沙水(きんさすい)》。

 植物には《銀沙水(ぎんさすい)》。

 合金には《白露(はくろ)》。

 たいていの法印構成に混ざりこむ《空(大気・空間)》に対応するのは、特定の光をはなつ法具と《水鏡(みずかがみ)》、フィルムやレンズ、(ほむら)類になる。

 肉眼で見えるよう《視水(しみず)》で形成を暴露しなくても、見るコツ、感覚、知識をそなえた技能者には、その相対関係・比率が目で見るより精密に感じとれるもの――
 道具(主に法具)を(つう)じて量ろうとすれば、相応の手間と資材が必要になることもあり、玄人(くろうと)でそれを得意とする者なら(はぶ)いてしまうことも少なくない作業だったが、複雑な法印を読むことに慣れていないセレグレーシュとしては、まだ省略できない。

 道具の持ちあわせが気になっていても、できるだけ見えるようにしてから、解く方法を検討(けんとう)するつもりでいた。

 法印には、仕上がりが固いものと柔らかいもの、そして、両方の性質がブレンドされた中間のものがある。

 それは、どれがどれに(まさ)るとも言えない甲乙つけがたい印そのものの個性であり、特徴、性質だ。

 数百年前の故事とともに、その代表例として語られるだけあって、この封印は、とても堅固(けんご)なように見えた。

 (たい)らな表面に一種類の(こけ)がはびこっているだけで、樹木はもちろんのこと根の浅い草も受けつけない。

 ()(やす)さに関していえば、固さ・柔軟さは、あまり関係ないのだが……。

(…――石や土に対応する《視水(しみず)》は《金沙(きんさ)》……。
 この地面には、金と銀の混合……いや、苔はのってるだけみたいだから関係ないか。でも、なにか植物対策ある感じだから、間違いではないと思うけど――。
 干渉(かんしょう)し合っていて、いちいち比率が違う。
 予測して(わかって)はいたけど、未習得知識(まだ習ってないところ)だらけだ。
 ……起伏や過剰・不足を望む状態に(なら)し、邪魔なもの、とっぱらったみたいな細工がありそうだ。こう手が込んでいると……やっぱ。
 最終的に(なら)されていても単純に混ぜちゃ駄目だ。
 できるだけ個別に……自立させて発動しないと……。
 ……これ。ぜったい材料、足りなくなる!)



 ——時は経過して、滞在二日目。

 セレグレーシュは、封印が組みこまれている地面や石碑のまわりをぐるぐる行き来しながら、その性質・特徴を読み、理解しようととり組んでいた。

(おさ)えの()、かなりあるな。整理されているようでも、くどく(から)みあってる。
 どこから手をつけるんだろう? うー……ん)

 ようすを見ていた女稜威祇(いつぎ)が、ゆらりふらりと、気のままの動作で彼に歩みよる。

〔いつになったら、始めるの?〕

〔ん…。今日のうちに水()いて、陣の形だけでも暴露できたらと思って(は)いるんだけど……〕

〔昨日もおなじようなこと言ってなかった? 始めなさいよ〕

〔これだけ大きいと慎重にもなるよ。材料に限りがあるから失敗したら、やりなおしがきかない〕

〔……。おなかが()いたわ〕

 セレグレーシュは、君の腹のていどまで知るかとでも言いたげに女稜威祇(いつぎ)を一瞥した。

今朝(けさ)ので、おしまいだったでしょう? 乾パンやラスクは残ってるけど、おいしくないものばかりだし。ナッツもドライフルーツも、嫌なのしか残っていない。一度、街にもどらなきゃ〕

〔自分でなんとかしろよ。馬で飛ばせば、半日もなく戻れるだろ。(はず)れの集落で、あるものゆずってもらうだけなら、そんなにかからな…――〕

〔わたしだけでは馬が進んでくれないもの〕

(そりゃぁ(彼ら)は、ただ乗っているだけじゃ、いうこときかないから……)

 あきれかえりながら連れのあつかいを持てあましたセレグレーシュは、次の行動を迷って、苔むした地面に視線を落とした。

 こんなところに逗留(とうりゅう)するなら、もっと、買いこんでおいたのにと。いまさらそう思っても、後のまつりである。

 そういったものは、人の居住区に行かなければ手に入らない。

〔あなただって、おなか()いているでしょう?〕

〔オレは、二日(ふつか)三日(みっか)食わなくても平気。探せば見つからない季節、土地でもない。クラクラしたら、てきとーに探して食うし。まだ多少はあるし……〕

 セレグレーシュが、なにげなしに相手に視線をやると、そこには困りはてている白い横顔があった。

 円形の平地のはし。法印構成の外。森のはじまりのあたりに置いてある、彼らの荷物を見ているようだ。

〔いまから行っても(おそ)くなる。明日まで待てよ〕

 セレグレーシュは、ふいっと顔を(そむ)け、足もとの存在様式に注意を戻した。




 ▽▽ 場 外 ▽▽

 ここで道具として指摘した《エーテル》は、第五元素や神秘要素のエーテル(たい)の方ではなく、有機化合物とあらわしたことでもわかるように化学で(もち)いられる方になります。

しおり