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無理難題.2


〔今日中に()くの?〕

〔まだ、先のようね〕

〔あと、どのくらいあるんだ?〕

〔そのうち着くわよ〕

(開始期日は、とっくに過ぎてるぞ――…)



 薫風(くんぷう)の月。一〇日——。

 馬影がふたつ。てくてくと、町はずれの道を移動してゆく。
 深い森におおわれた山とも丘陵ともつかない土地に渡された(いち)経路(ルート)で、人家がとぎれてから、それなりの時が経過していた(かなりになる)

〔なぁ…、もしかして迷ってるか?〕

〔しつこいわね。迷ってなどいないわ。こっちでいいって…――あなたがこの道だと言ったのよ?〕

 それは、この月の八日を過ぎたあたりから頻繁(ひんぱん)に繰りかえされているやりとりだ。

 目標としていた街に着いたところでそこも通過点と知り、遅れを意識しはじめたが、それと覚悟して腹をくくっても案じずにはいられない。

 連れの女性はいささかの迷いもなく断言するのだが、セレグレーシュは自分がおかれている状況を危ぶんでいた。

 彼女に馬のあつかいをおぼえる気がないので、しかたなく彼が牽引(けんいん)してここまで来た。
 いっぽうが連れの手綱を()くやり方ではスピードは出せず、そのせいかなとも思ったが……。このままでは帰りもおなじくらい時間がかかりそうなのだ。

 迅速(じんそく)に戻る手段なら、いろいろ考えているが、審査官が彼の足をひっぱっているという事実は(いな)めない。

 おなじ足手まといなら慣れない闇人よりは、老いぼれて一筋縄ではいかなかったとしても経験豊富な賢者の方がよかったな……と。

 セレグレーシュが鬱々(うつうつ)とそんなことを考えていると、ふいに連れの女性が話しかけてきた。

〔あなたは、どうして《神鎮め》になりたいの?〕

 めずらしく状況を見て交わされる事務処理的な問いではなかった。

 なにか起こる予兆……試験の前振りのようにも思えたので、セレグレーシュは少しばかり身構え、慎重に口にする言葉を選んだ。

〔鎮めになりたいわけじゃないんだ。でも、目指すことで欲しい知識が得られるかもしれないから。そのために必要なステップなら、その選択も考えようかと思っている……(――鎮めになる気なんてないけど)〕

〔なにを知りたいの?〕

()……、稜威祇(いつぎ)――魔神とか。魔物。妖威の(たぐい)をもといたところに帰す方法……〕

〔どこまでも勝手なのね。帰したいなら、さっさと戻せばよかったのよ〕

 すっぱりと。とりつく島をとっぱらうような指摘に、むっと(ほお)をふくらませたセレグレーシュは、不服を胸にくすぶらせながら反論した。

〔方法がわからなければ帰せない――〕

〔巻きこまれて事後承諾(じごしょうだく)しろと言われてもできない。人はみんなそう(・・)! 考えなしなのよ〕

 トゲのある彼女のもの言いには、深刻(しんこく)さを感じさせる切実な響きがあった。
 セレグレーシュの表情から、すっと。毒気がぬける。

〔君は……〕

 会話の流れから、それはもしかしたら向こうから召喚された闇人でもなければ出てこない言葉のようにも思え……

 どうじに彼の異質な能力を示して言っているようでもあり、

 とまどいと驚きのなかに不透明な予感をもてあましたセレグレーシュは、とっさにかたちにできなかった疑問を喉の奥にとどめ置いたまま唇を湿(しめ)らせた。

 向こうの要素が濃くありながら、一抹(いちまつ)の不自然さもなく存在している…――
 セレグレーシュの感覚で、そんなふうに受けとれる連れの稜威祇(いつぎ)……彼女は、誰かに召喚された闇人なのだろうか?

 (じか)に招かれたものであれ世代交代を重ねたものであれ、闇人の類型には、ゆがみや癖、余剰・不足が付きものだ。

 ここまで順当に安定している者は非常にめずらしいのだが、特異な能を備えて産まれた彼は、そんなふうに彼らを呼べること……過不足のない完全な状態で召致(しょうち)できることを知っている。

 世間知らずに思えた(うと)さ——由縁はそのへんにもあるのかもしれない。

 思いいたると、セレグレーシュの心臓はあらぬ予測に鼓動を速めた。

 自分とおなじ境遇の者がいるのだろうか?


 ——闇人を呼ぶもの。


 もしくは失われたといわれている召喚技法を知る存在があるのかもしれない。

 現状を考えれば、自分のように闇人を呼べる者がいても不思議はない。けれども、多数でないことはあきらかで……。

 そういった人間が、おなじ時代に産まれて生きているとも限らない――そんな感覚的な確信……認識もあって。

 いぶかしく思うとどうじ、もし存在するなら会ってみたいと。

 確かとも言えない予感にさらされたセレグレーシュは、そこに自身が置かれている状況の好転……理解者の発見、交流――…見いだせるとは限らなくとも解決への糸口、事態の進展を期待した。

 彼女とは、この試験の審査官として紹介されたのがはじめのはずだし、しばらく闇人を呼びこんだ憶えもない。

 この土地へ来る過程でひとり呼び出し、失敗しているが、それこそ三、四年ぶりの暴走だったのだ。

 あまり考えたくないが、(まね)いておきながら彼自身が知らずにいたり、忘れたり(・・・・)しているのでなければ、だが。

〔闇人をむこうから呼べる人間……。いると思う?〕

 セレグレーシュが恐る恐るたずねてみると、女稜威祇(いつぎ)は一度、視線を伏せただけで、あとはどこ吹く風というような顔をして無視を決めこんだ。

〔――…むかし。東に闇人を呼びこむ魔女がいたんだって……。呼ばれると、やっぱり……――呼ばれた方は迷惑なんだろうな……。…〕

 落ちこみがちなセレグレーシュを右前方に。
 女稜威祇(いつぎ)は、ぷいっと顔を(そむ)けた。

 そうしていくらか進むと、しばし同じ方向へ投げられていた彼女の瞳の焦点がついと移動して、延々と森をわけている道筋の行くて、左に伸びて見えた細い隙間をとらえた。

〔左の道、どこにでるの?〕

 うん? と、示された方角をふり仰ぎ、その始まり視界におさめたセレグレーシュが、こころもち(こうべ)を傾ける。

 人里から遠くない森には、猟師が世代を通じて築いたなじみの道程や仕事場、水辺にいたる小道などがつきものだ。

 築いた者や現地の人間しか知らないようなもの、それと秘め隠された(まぎらされた)ものまでは彼も把握していない。

〔さぁ? 知らないよ〕

〔見てみる〕

 女稜威祇(いつぎ)が視線をその方面に意識をはせているようだったので、セレグレーシュは、それとおぼしき枝道の前に来たところで馬の脚を止めた。

 水色と藍……それにもう一色くらい色相が(ひそ)んでいそうな稜威祇(いつぎ)の瞳に、なにが映っているのか。
 彼にはわからない。

 それでも闇人は、なにかしら人間にはない特性を備えているものという認識はあった。

 なかには人間とさして変わらなくて、これと言えるような能力()を持たない個体もあると耳にするが……。

 たとえ能動的な効果が顕著(けんちょ)なものでなくとも、闇人には大なり小なり特殊化した資質が備わっているのがあたりまえという直感めいた感覚もあり……(――ただし。混ざりものや、こちらで産まれ(発生し)たものは、その限りではない)。
 群れから外れた弱者や未熟者が早々に絶えがちな里で育ち、対応力のない闇人やその類型に出会ったことがない彼には、あまり実感が湧かなかった。

 実情がどうあれ、少なくとも、いま(となり)にいる人は、その弱者ではない。

 それは一緒にいて、なんとなく承知していた。

〔ここを進むわ〕

 さほど待たされることなく。彼女が探りを入れていた横道を(あご)で示した。

 大人がひとりで行くにはゆとりがあるが、ふたり並んで行こうとすれば少し(せま)い――そんな中途半端な幅の道だ。

 人の手によるものようで土壌に埋もれた砂利がとぎれがちに敷かれていたが、ひんぱんに使われているような形跡はなく、雑草に脅かされがちになっている。

 生い茂る木々にのまれて先が見えなくなっている。
 これと思いあたる情報、手がかりがないので、どこまで続いているのかも読めなかったし、まっすぐな道でもなさそうだ。

〔この先。行きつくところに闇人が封じられているわ。その封印を解いて——…〕

 セレグレーシュが、……え? と。連れの女性に視線を返した。

 信じられない内容だったので、まず自身の耳の方を疑ったが、次に告げられた言葉がその事実を決定づける。

〔契約を結ぶ……これが、あなたの課題よ〕

〔オレ、実技の方は、まだからっきし……初歩段階だぞっ! そんなのって……〕

〔そう? 愚昧(ぐまい)なのね。(――聞いていたけれど…。いろいろ免除(めんじょ)されているわりに進みが遅いとか…――)〕

 女稜威祇(いつぎ)は、だから(おろ)かなことをするのね……というような目で彼を見た。

〔でも、これがあなたの課題なの。法印をおけるなら、解く方法も習っているでしょう? それを応用すればいいんじゃないの? 来月の八日(ようか)までにできればいいのよ。時間はある〕

稜威祇(いつぎ)交渉なんて、修士の上位課程、修めたやつが始めることだろう〕

〔試しもしないうちにあきらめるの?〕

〔それは……、見てから考える、……けど……。……〕

 ただの遠征と思っていた試験に実技がふくまれている——なかば信じていなかったことが現実になろうとしていた。

 それも《稜威祇(いつぎ)交渉》とは――。

(相手がどんなやつかもわからない。(きずな)の結び方だって知らないのに、むちゃくちゃな)

 考え、ふと、ひっかかりをおぼえた彼は、審査役の女性に疑いの目を向けた。

〔それ、ほんとうにオレの課題なのか?〕

〔そうよ〕

 例によって、あたりまえというような顔で返されたが、セレグレーシュには、この事態が手違いとしか思えなくなっていた。

 人の事情に(うと)そうな稜威祇(いつぎ)のすることである。ほかの生徒の課題を間違えて持ってくるくらいのことはするかもしれない。

 この年度で十五という学生は、彼をふくめて五名。修士課程に入ってる者があるという話は聞かないが、それを噂される者ならいた。

 実技では、はじめから会うことはなく、その女子が苦手としているらしい空間構成の授業(座学)でなら一、二度、いっしょになったことがある。
 同世代のよしみで課題を組まされ、言葉を交わしたことがあるだけの関係だが、たしか彼女は、まだこの考査を受けていなかったはずだ。

 十五でこの考査を通過しそこねた生徒の課題……という可能性も考えられた。

 そのくらいになれば、不足があっても、おうおうに知識も積んでいるだろうから、実益(じつえき)をふまえた試験になるのかもしれない。

(行ってもどるだけ……。監視つきのひとり旅のようなものじゃなかったのかよ)

 妖魔が跳梁(ちょうりょう)するともいわれる土地を通りぬけてきた…――遭遇(そうぐう)したことこそ、そんなに多くはなかったが……。ともあれ。
 そんな経歴をもつ彼は、過去の杵柄(きねづか)と家の知識で補強した対応力で、さっさと帰る(済ませる)つもりでいた。

 見落としがないとまでは言わないが、どこに流されてもいいように一帯の地理や都市の性質、道や水路の情報、民族傾向まで――いま手が届く知識の範囲は、しっかり頭に叩き込んでいたし、《一天十二座(いってんじゅうにざ)》の防御方陣だって、ぎりぎり完成させた。

 この課題が手違いだったとしても、期間中、考査に集中させるという大義名分のもと指定されない限りは、講習返上・学習内容の持ち出しや法印技能に関わる自学自習禁止のこの試験。
 失敗したら、次の機会に……となるに違いないのだ。

 これを突破しなければ、おあずけになる知識もあるという。
 それがなになのか。
 先人はだいたい笑ってごまかすだけなので概要も知らなかったが、なりゆきで住みついた《法の家》で試みたいことをみつけた彼には気になるものだ。

 そしてこの期間は、がんばっている人間には、あまりにももったいないひと月(移動期間をふくめるとプラス二一日)の空白なのだ。

 これが連れの手違いによって生じた暗礁なら、災難として甘受しようにもあきらめきれない。

 かけだし同然の彼には、とうてい蹴散らせそうにない高すぎる障害()。ハードルである。

(ここまで来ておいて、あんまりだ……)

 これという打開策も思いつかなかったが、安易に事態を投げだす気にもなれず……。

 たほたほと脇道に馬を進めたセレグレーシュは、雑草に根元を占領された道端(みちばた)の木々を見据えながら心の中の友人に、そっと語りかけた。

(ヴェルダ……。オレ、ここぞという時の運はいいのかも、って……。そう……思ったこともあったけど。やっぱり、すごく悪いのかもしれない……)

 悄然(しょうぜん)とする彼の視界の先では、子供の手のひらほどもある黒い蝶が、一羽。落ちつきなく、羽根をぱたつかせていた。

 木肌にからみついた(つた)が咲かせる青い花のまわりを、優雅にはばたきながら、かさかさ、ひらひらと……。 

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