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無理難題.1


 夜明け間近(まぢか)

 ふぁさふぁさの金色の頭をした少年は、()の光が地平から差し込むのを待ちかねていたように連れの横に立った。

 油断すると生来(せいらい)の明るい色調をとり戻して広がってしまいがちな頭髪を、手櫛(てぐし)でなで整えながら寝台を見おろす。

 東の空が微妙に白みはじめているが、太陽はまだ姿を見せていない。
 しかし、
 その少年の感覚では、すでに曙光がさしていた。

「夜が明ける。起きろ」

 ぐっすり寝いっている青年がまぶたを持ちあげる(きざ)しはない。

 そんな連れのようすを眼下に――少年は侮蔑(ぶべつ)もあらわに眉を寄せた。

 陽色の双眸をなかば伏せた彼が、あるともなしの無音の溜息をついたその直後、

 ビビビビッ——と…

 細胞をわななかせるトゲのある衝撃——

 毛布にうもれていた青年の神経をゆさぶり起こす何かが、その肉体を走りぬけていった。

 一瞬で覚醒へといざなわれたその対象(人間)が青い瞳をめいいっぱいに見ひらいている。

 ぴりぴりしている指先を意識しながら、いっぽうの肩をおさえて……。青年は、のそりと半身を起こした。

 熟睡していた彼を襲った異常な感覚。

 これが初めではなく…――アントイーヴは、キッと。それをおこなった張本人を睨んだ。

「なに……するんだっつ」

「朝だ」

 非道を働いた少年が、冷めた表情で寝起きの彼を一瞥(いちべつ)する。

「…って……。——まだ暗いじゃないか。また、こんな早くに……。…」

()りないおまえが悪い」

 アントイーヴは、ここ数日、毎朝のように、このような事態に見舞われていた。

 ざきゅんっと。身体の芯を稲妻のようにかけ(めぐ)刺激(それ)は、一種の電流なのかもしれない。

 こんな起こしかたは()めてくれと何度も頼んでいるのだが、同行の稜威祇(いつぎ)は止めない。

 小鳥のさえずりが夜明けを告げる早朝。

 なにか秘訣(ひけつ)か、余韻(よいん)でもあるのか。
 そんなふうに起こされた日。アントイーヴは脳がフル活動しているように意識がはっきりして、おひさまが空にあるうちは欠伸(あくび)ひとつ出ないのだった。

 🌐🌐🌐

「……目的地がわからないと、やっぱり思うようには追いつけないよな」

 物体の影が、こころなしか淡く感じられる早天(そうてん)のもと。()けの光が、建物の東面をアプリコット色に染めあげている。

 行動の早い者は街を出た後だったが、人が起きて活動を始めるのに遅い時刻ではない。

 アントイーヴは、馬の背にいる連れのかたわらに立ち、これから進む方角を決断しようとしている。

 先を行くものの痕跡を見失(みうしな)っていたのだ。

 一度ならず、見当違いな情報に踊らされて退き返したことがあったので、追跡対象との距離は大きく(ひら)いてしまっている。

 その(へだ)たりを縮めつつある今、ここでの選択は慎重にいきたいところだ。

 視界に展開するのは、井戸あり荷馬車あり、屋外で夜をやり過ごした者の雑魚寝(ざこね)ありの…――広く(ひら)けていようと気分的には、やや、せせこましくも感じられる中央広場。

 この場を起点として、六方向にわたされている石畳。

 それら往来(おうらい)は、町の外れで、ぐるりといびつな円を描いて通じながら郊外へ伸びる土踏みの路面へと続いている。

 建物に統一性がないなかにも、注意力と記憶力、方向感覚が試される。
 人によっては、この上もなく紛らわしいものでもあったが、間違えても最小限の労で修正でき(~正せ~)るので、旅行者に優しい造りの街ともいえた。

 宿場としては大きい方でも、しょせんはポイントポイントに築かれるたまり場から発展したものだ。馬で疾走すれば、半時もなく町の外周をひとめぐりすることが可能だ(できる)

「いざ、ここに来ると迷うね。 あらためて検討しよう。どれにする?」

 自分たちが来た道がひとつ。
 以前の分岐でも行ける方面に向かう縁遠(えんどお)い流れがふたつ。

 残りは先行する者たちが通らなかったとはいえない選択対象だ。

「この三本にひとつだと思うよ」

「――…。開始期日はおとといだったな」

「うん。彼らはもう、どこかへ辿(たど)りついてるかもしれない。迷っているのかもわからない(彼女に試験する気があるのかも疑問だけど……)」

 見失った痕跡をとりもどすまでをひと(くく)りにして数えれば、迷うのも、これが三度目。

 移動中も人里にある時も情報収集をかかさない彼らだが、この町に(いた)っては、宿泊した建物(宿)を特定できただけだった。

 対象が特徴的な外見をしているので、宿を利用していれば、だいたいその方面の痕跡は残されている。

 旅行者も、これという理由でもなければ、いちいちすれ違う人間を注意して見ていないものだし、見かけて覚え(記憶し)ていたとしても赤の他人に話してくれるとはかぎらない。
 特定の情報にありつけることが得がたい幸運なのだったが、今回はその方面の収穫がなかった。

 遅れをとるほどに情報は拡散し、()れてくる。
 時には憶測や噂、客引きまがいの虚実といった、この上もなく無責任で(はた)迷惑な脚色がつくこともあるので、そのあたりはどうしようもない。

「どうしようか。手分けして確認する?」

「順にあたってみよう」

 稜威祇(いつぎ)の答えを右手後方に聞いたアントイーヴの視点が、珍妙そうに宙を泳いであらぬ屋台におりる。

 道は三本。規準をそれとするなら三択だ。

 次の人里に、ふたりが通った痕跡が残されているかどうかなのだが、行ってみなければ確認しようがない。確認できるかもわからないという、やっかいな場面。

 おりよく、その方面から来た人間や地元の住民が、望む情報を持っていればいいのだが、そんな幸運には、なかなか恵まれないのが現実というものである。

 法具を使えるアントイーヴには、遠隔的に疎通(そつう)を図る手段がまったくないわけではない。

 その技を活用し、手分けして情報を集め、適当な場所で合流するのが効率的なのだ。

 それなのにこの連れは、またいっしょに行動することを選んだ。

 道中、野人や夜盗の徘徊が噂される街もあったが、いまここで別れて行動することに特定の危険がともなうわけでもなければ、なつかれている……ということもない。

 はじめにその少年が疾走している馬の脚に追いついてきたことを考えれば、生半可な生きものより速く動けることはあきらかだ。

 (とも)に行動しようとするのには、なにか裏の理由がありそうで…――。

 アントイーヴは、馬上にある少年の横顔をじっくり観察した。

 道のひとつを見つめているのは、気丈な美少女と見まごうあかぬけた造作だ。

 その頬は上気して、ごく淡い紅色なのに、目のまわりはうっすらと影がさしたように青い……。
 輪郭もこころなしか青白く、病的に思えた。

 一時期は汚泥のようであった周辺空間のゆがみは、もう(かすみ)ほども感じられないのだが……。

「どこか悪いの?」

(いや)

「寝不足かい? 睡眠負債は体に良くないよね。それとも…――」

 そこでアントイーヴは、あえて言語を変えた。

〔成長過程の稜威祇(君ら)にありがちな不調かい?〕

「おまえには関わりないことだ」

 アントイーヴは、あきれ半分、(あご)で地表を示唆(しさ)した。

「まぁ、個体(ひと)によりけりだよね。降りて。そのへんに場所見つけて対処しよう――〔稜威祇(いつぎ)()れになると思わなかったから、充分じゃないけど、まったく手段がないこともないから……〕」

〔おまえが形成したものに入っても、壊すのがオチだ。「先へゆく」〕

 とかいいながら、その少年は、初めの一度以来、ひとりで飛びだすこともしないのだ。

 二十日あまりもいっしょに行動していながら、いいかげんにして欲しいというのが本音だったが、口にするだけ無駄なようでもある。

 その人が造る壁――無意味な警戒心がもどかしかったが、当面は軟化しそうにない。
 そこでアントイーヴは、いま直面している問題にたち戻ることにした。

 宿や物産店、雑貨屋やくちいれ屋などが(のき)を連ねる三方向を見くらべる。

「じゃぁ、どれにする?」

「一番近いのは?」

差はあるけど大したことない(にたりよったり)

「では、どれでもよい」

「…――しょうがない。はじから行こうか」

 追跡対象が、この街に宿泊したのは四日前。

 先をゆく者達の移動速度はそんなに速くなかったので、かなり間合いをつめている感触はあった。

 手懸かりがないからと、ここでじっとしていてもしかたがないので、最悪の場合、往復を繰りかえすことを覚悟して、運を天にまかせたかたちだ。

「違っても、文句を言わないでくれよ?」

「責めるべき部分がなければ」

 あるとも限らない情報を頼りに移動している人を追いかけているのだから、捕捉するまで迷うのはあたりまえだ。

 しかし。

 法印技術に通じ、困ったときに用いる手札をむやみやたらに備えているアントイーヴには、恐いもの知らずな能動性と、つかんだ情報に流されがちな経験の浅さがあった。

 十五の時受けた適性考査も、難易度の低くない課題を(こな)しながら問題の少なくない現地界隈で悠々自適にやり過ごし、『安易にこれを合格させてよいものか』と審査役を悩ませた人間である。
 気のゆるみが危機的状況を呼びこみかねない状況下にあって、主導権をもって長旅をするのもこれが初めなのだ。

 的外れな情報に流されて方向を(たが)え、追跡対象の泊まった宿がみつからない……情報も転がっていない——そんなことが続いたとき彼は、迷いながらも進みつづけた。

 『本気で追う気があるのか?』と非難されながら、子供の遊びめいた占いで道を選択する……というような浅慮(せんりょ)も演じてきている。

 いっしょに行動している稜威祇(いつぎ)が、もう少し熱心な忠告をくれていたら考えなおしたかも知れない——アントイーヴが思うのは、(コト)の後だからこそで、

 その頼みの少年はいま毅然(きぜん)とはしているものの、やっと(たも)っているような中途半端な気迫をただよわせている。

「棒倒しもあてずっぽうも、あまり変わらないよ。はずれたら戻るんだから……」

 さほどの熱意もなくこぼれたその反論は、つれない相手へ投げられた不平の発露だ。
 はきちがえた方面に本音がひそむ苦情なので、言葉にした内容にさほどのこだわりがあるわけでもない。

「あの(しゅ)の采配は、おこなう者の癖や天候、土地の状態、道具にも左右される。結果のわかりきった試みは公正(フェア)ではなく……運とするにも確率が(かたよ)りすぎている。判断の甘さはもとより、その後の行動に問題があった。愚かな選択のくり返しだったな」

 手応えとして、当面は押そうと引こうと歩み寄ってくれる気がなさそうだ。

 連れの酷評(こくひょう)に沈みがちな表情を見せたアントイーヴだったが、そこで、すぅっと深呼吸した。
 気分をいれかえて、(さか)しげな視線を前方に(そそ)ぐ。

「こうしていても仕方ないね。行こうか」 

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