転校生
家を出ると、昨日の天気が嘘だったかのように晴れていた。日差しが強い。
いつも電車で行っていたが、音海が公共の乗り物は最低限にするタイプらしいので
仕方なく歩いて行った。
学校に着くだけで一日分の体力を消費してしまった気しかしない。
入り口が違うらしく、校門の前で別れた。
新学年、新学期二日目。
音海大丈夫かな、時が気でない。見るからに美形なのに、そっけない感じは絶対に女子の恋の的に
なる。
「あーっ水無瀬じゃん!いたんだ!」
しばらくは彼の話題で持ちきりだろうと考えていると、和美が遠くで手を振っている。
相変わらず声の大きい奴だ。和美はじつは名字らしいが、なんとも、本人は女の子のファーストネームみたいで好きになれないんだとか。
「いたんだ、ってなんだよ。」
「最近見てないからさっ? あー、怒んないでよごめんって、」
彼はまぁ、分類すると陽キャ側になるだろう。人気者なのかは何ともいえないが、ノリはいい。
「水無瀬は何組になったの?」
「2組」
「おんなじじゃん、でも俺昨日水無瀬見なかったよ?」
「和美がたまたま気づいてないだけ」
二日目の教室は、もうにぎやかだった。ほぼみんな顔見知りだ。顔と名前くらいは一致するし、喋ったこともある奴も多い。
朝礼を終え、先生が改まった口調で始める。
「突然ですが、転校生を紹介します。」
入ってきていいよ、と手招きして出てきたのは、クールな美少年____。
軽く会釈をして、
「麻木 梓です。よろしくお願いします。」
「好きな食べ物は? 」
「スクランブルエッグです。」
「趣味とかある? 」
「音楽を聴く事です。」
慣れたようにスラスラと質問に答えていく。
女子たちは皆、興奮した様子で目を輝かせている。
「ありがとう。じゃぁ席は____」
元々この学年は一人少ない。となると、どちらかの組の、誰かの席の隣が空くって訳だ。
皆の視線が、音海から自分に変わる。
これ見よがしに目だけで何かを伝えようとするひと、悔しそうに唇を噛むひと、席が近い、と喜ぶひと。
そして、ハッと口を押さえてこちらを見つめる彼女たちは、そっち系のひと。
休み時間中、音海はずっと目を輝かせたクラスメイトたちに囲まれていた。
「なぁ、水無瀬も気にならない?」
「なにが?」
「だから、決まってるじゃん!あの転校生だよ。麻木、だっけ。」
「まぁ、気にならないって言ったら嘘になるね。」
「じゃあつまり気になるってことか。」
何を話しているのかはだいぶ気になっているのに、騒ぎ声で聞きたいことが聞こえない。
音海は適当にあしらっているようだが、彼女らは懲りずに攻めてくる。
本を読むフリをして、目の端で彼を観察する。
授業開始の合図とともに、皆花のように散っていく。
隣にいる彼の瞳は、じっと水無瀬を見つめていた。
家に帰ると、音海はやっぱり居なかった。
ちゃんと家へ帰れただろうか。
買ってきたゼリー飲料を飲みながら、なんとなくテレビをつける。
画面越しの、緊迫した雰囲気と主人公の演技が何とも言い難い。
戦闘系、スパイもののドラマか何からしい。
主人公が銃を2発放つと、敵が一斉に襲ってくる。
『32号! 』
『電波が途切れた! 』
『通信状況は!? 』
状況が悪いのか、焦った様子でキーボードを打つ彼ら。
「__ねえ、」
画面越しではなく、そばで聞こえた声に振り向く。
「____あれ、」
帰ってきたの?
家は?
どこから入ってきたの?
その格好、どうしたの……?
色々ツッコミどころが多く、言葉に詰まる。
頰は切れ、髪は乱れている。きているのは、煤やら灰やらで汚れた制服。
「とりあえず、制服脱いで、顔洗ってきな。」
「ぁ、」
首に手をかけてボタンを外す。
「ほら、日があるうちに洗わないと乾かせないじゃん。」
「__自分でやる。」
リモコンを消すと、一気に静かになった。
音海が脱いでいる間、ずっと今日気になっていた事を聞いた。
「あのさ、音海って名前なの、苗字なの?」
「__どっちでもいいだろ。」
「じゃあ、麻木と音海はどっちが本名?」
「どっちも偽名」
「へぇ」
内心吃驚だった。偽名を日常的に使わないといけない人なんて初めて出会った。
そして、なぜもともと水無瀬に『麻木』と名乗らなかったのか。
何か事情があるなら別だが、もし自分だったらそんなに細かく使い分けない。
考えても仕方ないので、部屋を後にして自室へ向かった。
一通りやるべき事を終了させた頃、窓辺でその声は言った。
「シャワー浴びた。
……包帯とかってあったりするか?」
窓辺に腰掛けているのは、肩、腹、足など色々な箇所を薄らと赤く染めたバスローブを羽織る音海。
「……?」
冗談なんかじゃない。
「包帯は、買えばあるから買ってくる。ていうかさ、どうやってそこに来たの?
あと、外寒いから風邪引くよ?? 」
そう言うと、ゆっくり歩いてこっちにやって来た。
「なに? 」
「____なにも。」
「ちょっと色々買ってくるから、ここで静かに待ってて。絶対動かないで、」
せめて、安静にしていて欲しい。
外に出ると、涼しい風が優しく吹いていた。ドラッグストアで包帯、絆創膏、消毒液などを買う。
店の人に聞くと、良い商品を教えてくれた。あっても困らないので、複数買って帰る。
橙色に染まった夕焼けを、ただ、綺麗だと思った。
音海は、結果的にいうと、きちんと動かずに待っていた。しかし、何故だか椅子には座らず突っ張り棒のように立っていた。
「買ってきたから、脱いで。」
「__いい、自分でやる。」
「背中とか上手くできないでしょ、」
仕方なさそうに羽織ったものを落として現れた体は、水無瀬の想像以上に____。
傷の酷さに言葉を失っていると、そんなに深くないと思う、と音海は言った。
肩、腕、背中、太もも、足、腰。ありとあらゆる箇所を見ていると、だんだん見ている方が痛くなってくるような
気がしてきた。ドラッグストアの店員についでで教えてもらったやり方で、消毒をし、包帯を巻きつけていく。
たまに音海は顔を顰めたが、それに構わず早く終わらせたい一心でいた。
はぁ、と言葉にならないため息を吐く。腕が一気にやられた気分。
「これ、着て。汚れてもいいやつだから。」
そう言いながら袋の中の下着諸々を渡すと、包帯だらけになった音海が小さく頷いた。