暗 影.7
〔…———…ァルト……〕
酸素欠乏にあえいで身を固くしている少年が、なにか言ったような気がした。
人の言葉など発しえない状態にあって。彼女の
危ぶむように彼を見つめていた女
表面的には特に変わったようにも見えない。
けれども。
複数の空間がよじれ、からみ融けあい……不充分ななかにも整理され、ゆるんでゆくようにも感じられたそのあたりに、より複雑ななにかが見えてきそうな――
そんな気配が
感覚的には穴が
なんだろう? と。その異質な印象に気をとられていた女
いくらか距離を
闇から生まれ出たように色をとりもどし、ぶれを帯び、うち震えたのは――遠隔的に配置されていた天然磁石の球体だ。
天にひとつ。地表に十二。天と地を結ぶ中空に六つ。
目に見えない天幕を築いていた黒色の玉が、それと見定めたように
〔きゃっ…!〕
背中、肩、腕、
突然の出来事に集中が途切れ……
硬質な玉石に殴打された彼女が、小さな悲鳴をあげて、すっくと立ちあがる。
対象に一撃を与えたことで威力を
または、接することなく行き過ぎながら不意に進む方向を
〔なにをするのっ!?〕
キッと——玉石を叩きつけた犯人をそれと決めつけて威嚇する彼女の視線の先で、
その《法具》の持ち主である少年は、ゼイ…ハァ……と
その身体を満たしてゆくのは、ようやくありつけた空気。
彼が生きるために必要としていたものだ。
身体をまるめて。本能的に過呼吸になるのを抑制しながら、息をつないでいる…――その彼の背中を睨みすえていた彼女……女
彼女の水色の双眸が、連れの少年と自分の中間に落ちていたモノをとらえる。
さっき、空間の奇異を見たあたりのさらに下方。
気づけば、彼女の着衣のすそを
足もとに人間の上半身のようなものが、
〔…う……ぐぇ…グ……〕
苦痛をうったえ、
赤と黒と紫——色相が、いれかわる双眸。
助かる方法はないかと、
だが、
成人男性のものとおぼしきその肉体は、おなかのところで、ぷっつりととぎれていた。
両腕も
すっぱり
そこからあふれだす、にごった体液。
腹から下のない闇人が、その視界に女
開きかけていた瞳孔——もうろうとしていたその瞳の焦点が、彼女を映して結ばれる。
苦しげな呼吸を数回くり返したあと――その男は、ふっと。
開放されたような笑みを浮かべた。
ともなく。
しめやかに双眸を閉ざし…――動かなくなる。
いっぽう。
ただよう血臭に気づいて身を
体勢をいれかえ、うつ伏せに
地面に爪をたてた彼の手が、ぎゅっとにぎられて
〔…ごめん……。オレが片づける、から〕
しようと思って起こるわけではない。けれども……。
召喚に失敗したのだ。
ブレーキがかかったのか集中が途切れたのか、力がおよばなかったのかもわからないが、
それは、すべてを招きいれる前。不充分なかたちで終ることが、少なくなかった。
どうしても認めたくない異能…——そのやるせなさが彼の心を暗くひずませる。
(なんで…、出てく……――出てこようとするんだよ…。
なにが〝まだ〟なのか、理解しているようなのに、把握しきれてなどいなかったが……。
とにかく、招いたつもりなどないのだ。
見つけて、それと把握できたから、その名前をちょっと呼んでみただけ。
そこにいるものを知り、それと理解して、うっかり呼んでしまっただけだ。
それなのに…――出てくる……。
そのなにげない行為が、彼の
日常を突きくずす危うさを秘めていることは、幾度も経験して、わかっていた。
思い知らされ、自覚もしているはずなのに――…。
それでもこれまでは失敗しても手とか脚とか、その一部で……その命まで脅かしたことはなかったのだ。
いま、視界に横たわっているものが示す現実はあきらかだ。
変わり果てた男の
拒否したくても、それは……拒絶して回避したくても違わずそこにある。
セレグレーシュは、彼らに対して、そこまでの加害を――…
いま目の前に転がっているもののように対象を痛めつけたことを実感したのは、これが初めだった。
…自分は、——してしまったのだ。
(…これだから、嫌なんだ……)
🌐🌐🌐
日の出もそう遠くない青暗い闇の中。
少年は地面に穴を掘っていた。
ザクッ…ザシュッ……
かたわらには事切れて見える闇人の上半身。
彼が穴を掘る道具としているのは、合金製の鍋のフタだ。
土から露出した木の根が地中になわばりを固持している——
地面が固く
この場に埋めることに決めた。
せめて、あるものだけでもいっしょにしておいてやりたいと。
いまとなっては甲斐のない無意味な感傷とわかっていたが、彼はそうしたかったのだ。
硬い金属に圧しかえされる手のひらに痛みが走る。おそらくは、そのあたりにマメが三つ四つ形成されはじめている。
無理な力がこめられる指が
休みたがる。
それでも自分を叱咤して、
たとえ
そんな彼の心の中にあるのは、かつて繰りごとのように口した言葉だ。
(——どうして、来るんだ……)
このところは、あまり考えなくなっていたこと。
親友だった少年は道のようなものを持っているんじゃないかと言っていたが、とうの本人にはそんな感覚もない。
(——どうして…)
《法の家》に住むようになってからは闇人を呼びよせることもなくなっていて……。
忘れたわけではなかったが、もしかしたら、その力がなくなったのではないか、と。
セレグレーシュは、そんな期待を抱いていたのだ。
けれども。やはり、そうではなかった。
呼び込んだ闇人とのトラブルで、大切な友達にケガさせてしまったこともある。
そのあと、その闇人をとんと見なくなって……、
その友人も二ヶ月ちかく姿をあらわさなかった。
ひさびさに会えたその日も、たしかこれと似たようなことがあって。
ずっと程度の軽いものながら、血まみれの指の先が二本落ちていて…――
それを道の片隅に
『ヴェルダ…——ヴェルダだ…っ。――どーして…。
どうして、いつもこうなんだよっ? オレが心配しないとでも思っているのか?
……。…うぅん、いいや。いなくていい……いなくても…。でも、ケガの具合くらい看させろよ(教えてくれたっていいはずなのに)……』
当時。その左肩のあたりにあるだろう傷を強く意識したセレグレーシュは、
覆面の上にまたたく、けむるような双眸をのぞきこむ。
『大丈夫。深くはないんだ。治るから……これは。それより、あれからほとんど進んでないようだけど、なにかあったのか?』
『——っ。…起きたら……!
うぅん……なんでもない。ちょっとドジやっただけ……。
だって、進もうと思っても進めないじゃないかっ。心配だったんだ! …だから……』
『ぼくは……君が無事なことのほうが嬉しいよ』
その時セレグレーシュがなにをしていたのか……。なにを埋めていたのか…。
その人は、うち明けなくても
なにが起きようと恐れることも否定することもせず、そのままに受けとめてくれた思いやり深い友。
その人は、どうしているだろう?
いま
左右から雑草まじりの土をもってきて少し高くなったところに、掘る道具にしていた鍋のフタをぱたっとかぶせる。
そうして彼は、つかず離れず、じっと彼のすることを観察していた連れをふり返り見た。
〔……。遅くなったけど、行く?〕
相手を驚かさないよう、ようやく届くくらいの声でたずねると、彼女は、ぷいっと顔を
〔土まみれよ。血も、ついている……〕
そして。
彼が闇人の墓を築いているうちに近くの川で身ぎれいにして、着替えもすませていたその女性は、
〔不潔な人とは、いっしょにいたくないわ。洗いおとしたらどう?〕