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暗 影.5


 法具で築いた空間の仕上がりになっとくすると、セレグレーシュは、リュックから円盤状の物体をとりだした。

 《発熱盤(はつねつばん)》——ものを煮炊(にたき)きできる熱源だ。

 防御法印を築く前、最寄(もよ)りに準備しておいていたのは、真水を生成する筒状の《製水(ポット)》で、すでに水が満たされている。
 それに光をはぐくみ放射する《光球(こうきゅう)》――箱から出されたことでそのサイズまで成長した例の白っぽい球体である。

 どれも法印を(むす)べる人間には必須ということもない道具だが、あれば便利なもの。使える手数が少ないセレグレーシュにとっては有用だった。

 現役の神鎮(かみしず)めにも、こういった法具を多用する者が少なくない。

 雨天でも問題なく使えるし、旱魃(かんばつ)時でも必要ていどの水を()られる。
 火や燃料がなくても煮炊きでき、明かりを(とも)せ、こめる力を加減すれば気温が低いとき身体をなぐさめる(だん)にもなる。

 《天藍(てんらん)理族(りぞく)》が改良作製する法具を使い方……用法で分類するなら、大きくわけて三系統。

 一、主に法印を築く基礎として使われるもの。

 二、それぞれに有効な方向性や容量、特質をそなえていて術者の作業を補助するもの。

 そして(みっ)つ目は、内部に法印構造をふくみ、きまった効能を発揮するものだ。

 いまセレグレーシュが手にしている熱を育む円盤(発熱盤)や、すこし前から外に出されていた筒状の壷と光球(それが入っていた箱など)は三番目――
 発現の性質・特徴(とくちょう)はそれぞれで、心力を(もち)いなくても、特定の条件、素材(主に法具)に対し自動で作動するものがあるいっぽう、必要なポイントに心気を注いだり一定量の心力を関知することで、その質や方向性に応じ、より能動的な効果を発揮する。

 結界……《防御法印》の一系である《一天十二座(いってんじゅうにざ)》を築くのに使った黒い玉は、主に一番目の目的…――法印形成の基礎として利用されるが、構造的には二番目の内的需要(要素)も備えるので使い道が多岐にわたる。

 彼の右手の中指にはまっている指輪――家の敷地を出ると無色透明に変化し、実体を(くら)ます作用があるので、いまはそれを所有する本人や法具の使い手でもなくば、容易に把握できない状態になっている――は、
 二番目と三番目で、心力の配分調整、流れの(むら)を整え補助するほかに、法の家で生活する上で彼という個人を証明する機能も合わせ持っている。

 法印活用を目的とするものであるだけに、心力に恵まれない者にとっては、ほとんどが使いこなせない骨董品(こっとうひん)
 ガラクタなのだが……。

 この種類の道具には、一般に買える手ごろな値段で流通する生活に即した小物もあり、強い心力を備えた人間を検出する手がかり・媒介(ばいかい)ともなっている。

 ちなみに、セレグレーシュがあとから持ちだした三種セットの鍋は、ありがちな合金製の備品で法具ではない。

〔てきとーにあさって、食べてていいよ〕

〔野宿する気なの?〕

 セレグレーシュは、すっと一度まばたきすると、冷めた表情で言葉を返した。

〔言ったろ? あの街で足を止めないと野宿することになるって。道程しだいでは、どうしたってそうなるけど。地図、持ってる?〕

〔あるわ〕

〔さっきの街はリーデン・シュルト。《家》からみれば、ほぼ南南東(にある)〕

 女稜威祇(いつぎ)が、ウエストポーチの横に下げていた細い筒を持ちだした。

 (つつ)に渡されている棒状の接続部を横にひくことで、内部におさまっていた紙面が、しゅっとあらわれる。

 ひきだされた(めん)(えが)かれているのは、法の家を中心とした周辺の土地の見取り図だ。

 一次考査を念頭に初期段階から生徒に配布される教材のひとつで、ちょっと使える情報が砂粒のような文字で(しる)されている。

 一定以上の心力を備えた者がそれぞれの定式にあわせて手を加えれば、拡大表示されたり立体展開されたりもする。
 さらに他の法具を連動させれば、現在位置を割りだすことも可能になる利器だ。

 その人が地理にうといと見て貸し出されたのだろう――むろん、彼も所持している。

 単独では効果的に使えなくても心力を備えた者に付きそうのだから必要な時には活かせるし、心力をもちいなくても参考程度の情報は得られる。
 ちなみにストラップの様式で附属している不規則(イレギュラー)ふさ飾り(タッセル)状の金属の束は、組みあげると、かなり一般的ではない空中模型風味(~外観~)の方位磁石になる。

 セレグレーシュは地図を広げて立っている連れのかたわら、(つぼ)に満ちた水を小鍋に移しながら事情を説明した。

 とくに心力を貸し出したりしてはいないので、女稜威祇(いつぎ)は素のままの縮図に視線を落としている。

〔次の宿場までは、人の足で半日くらいの距離がある。一定でもないけど、スカウオレジャへ行くなら、ちょくちょくあることだ。あんな時刻に街を出たんじゃ途中で必ず日がおちる。真夜中の客は――…〕

 女稜威祇(いつぎ)の目が、じろりと。批判的(ひはんてき)な光を宿(やど)してセレグレーシュを映した。

〔急がなければ着かないなら、どうして急がなかったの?〕

〔急いでいるの?〕

〔くたびれるほど急ぐ必要はないけれど、時間がもったいないわ。ちゃんとしたところで休みたいし……布団がないじゃない。だいたい、洗髪や沐浴(もくよく)はどうするの?〕

 セレグレーシュの視界には、銀色の光沢をはなつ合金の鍋がある。
 それは発熱板の作用と熱をうけて、わずかに(ちゅう)に浮いていた。

 純度の高い濾過(ろか)水が三分の一ほどまで満たされた器具を視界に、彼は、つかのま思案した。

〔じゃぁ手綱、さばいてみるか?〕

〔手綱?〕

〔乗馬。兆戦してみる? またがって乗ってくれたほうが安定する〕

〔どうして? これは、あなたの試験(・・・・・・)よ〕

〔試験は八日(ようか)からだろう。教えるからさばいてみろよ。オレも少し(基本)習っただけだけど、《家》で貸し出される馬は(さと)くて素直だ。法具の梃子(てこ)入れもあるから多少のことでは動じないし、そんなに手数を必要としない。むずかしくないよ?〕

 女稜威祇(いつぎ)は、相手の言うことが理解できないという表情()をして不服をうったえた。

〔あなたが()きなさいよ。わたしは試験のつき()いでしょう? どうしてわたしが、あなたのためにそんなことまで覚えなければならないの? わたしには必要のない技能よ〕

〔……。牽引(けんいん)して歩いたら遅くなる〕

()いて走ればいいじゃない。馬の能力を知らないの? もっと走れるわ。人間なんかより、ずっと速いのだから〕

(どこまでも常識がないんだな)

 セレグレーシュの瞳に、投げやりな色が浮かんだ。

 馬の背にまたがることもなく横座りされたのでは、どう連れ歩こうと危険なのだ。

 不安定な荷を馬が嫌がるし、鞍が横乗り様式でもないので乗り手の腰にも過度な負担がかかる。ちょっとしたひょうしに落馬する恐れもある。

 彼女は闇人だから、それくらい対処できたりするのかもしれないが……。

 その気もなく、いっそ、無視しよう(そうしてやろう)かなどと考えたセレグレーシュは、なんとはなしに法印の外——木の枝に繋ぎとめてある馬の方へ視線を向けた。

(ふつうに食べてるけど、ハミって食事するとき邪魔にならないのかな? まぁ、法具だしな…。講師は負担にならないとか言ってたけど……)

 もぐもぐと野草を食んでいる二頭を視界に、なんとなく思案する。

〔夜ふけの客は嫌われる。予約してたり、(おど)しになるような信頼性の高い紹介状か旅券(パス)でもあれば別だけど、さし迫《せま》った事情がなければ部屋が()いていても宿泊を断られたりする。経営者や天候にもよるけど、小さな宿場は特にそうだ(オレはこの頭だから、よく警戒される……)〕

 なにげなしにあれやこれや意識して気を散らしながらも、セレグレーシュは、いま、ぱっと思いつくかぎりの事情を言葉(かたち)にした。

〔馬をせっついて、たどり着いても、宿屋の主人の方針と情けと機嫌次第。外で寝る覚悟は、しておかなきゃならない。馬を疲れさせるだけ(そん)だし、泊めてくれるところを探すのも手間(てま)だ。人里には人里の危険がある。窃盗(せっとう)がいないともかぎらないから、うかうか外で休んでもいられない。次の町に知りあいもいないだろう〕

〔知りあいはいないけれど、これがあるわ〕

 女稜威祇(いつぎ)が、胸もとからなにかひっぱり出した。
 繊細そうな鎖に吊られて現れたのは、背中あわせの鳥をかたどった白っぽいペンダントトップだ。

 ピンク色の玉石を中央に、なかばひらいた白い翼をわずかに持ちあげて(たが)いをかえり見ている二羽の朱鷺(トキ)

 瞳は水色。
 くちばしは朱色。
 風きり羽根には薄紅のラインがはいり、足は省略されているのか、たたまれているのか不明で、ちょっと見ただけで(みに)は確認できない。

 鉱物によるものと予測されるのに接合部がそれではありえないほど自然にとけあっていて、ガラスや陶器、エナメルペイントの工芸品のようにも見える。

 すぐにも闇に閉ざされようかという時間帯だ。
 木立のすき間からのぞく空に青さがのこってはいても、森林下にあって、かたわらの固定具にのっている球体が放つ光だけでは細部はもちろんのこと。とっさには、なんの石が使われているのか特定まではできなかった。

 片手でにぎっておさまるほどのサイズだが、それだけに高い技術が感じられる高価そうな細工である。

 とくに興味を示さなかったセレグレーシュの視線が、否定的な光を宿して伏せられる。

〔それ。《家》の任務証明だろう。《()》関係か上層でしか通用しない。わかる人間が見たら盗もうとするかも知れないし、わからなくても安いものじゃない。トラブルのもとだから見せびらかして歩かないほうがいいよ〕

 忠告もなかば。彼は野菜がぐつぐついいだしている(ナベ)に種類違いの粉末やスパイスを目分量で(直観的配分で)投入しはじめた。

〔なじむまで少しかかるから、こっち食べてなよ〕

 包みをひとつ、彼女に手渡す。

 しばし不満そうに渡されたものを見つめていた女稜威祇(いつぎ)が、もそもそとその包装をひらいた。

 あらわれたのは、いくらか固めに焼かれた日保(ひも)ちする種類のパンだ。

 拳大(こぶしだい)のそれを手頃な大きさに割って、さらに()ぎとり口に運んだ彼女は、ためいきまじりに肩をおとした。

〔あじけないわ〕

〔よく噛めば味も出てくるよ。これ、つまむか?〕

 セレグレーシュが小脇にあるハムとチーズ。それに(なま)の葉野菜を示したが、女稜威祇(いつぎ)はうかない表情で拒否した。

〔いらない〕

〔マスタードつければ悪くない〕

〔マスタードは嫌い〕

 しかたなさそうにパンをかじっていた彼女は、さほどなくセレグレーシュがさしだした器をうけとり(かたわ)らに置くと、自分の持ち物としてあった小袋から果実や木の実がデコレーションされた焼き菓子をとりだした。

 食べかけのパンは放置し、数刻まえには美味しそうに口にしていたフルーツタルトを気がすすまなそうに()んでいる。

〔次の街で塗り物(スプレッド)……。ジャムでも買うか?〕

〔そうね。わたし、ジャムなら青色をしたのがいいわ〕

 無意識に肩を上下させたセレグレーシュは自分用によそったスープを口のあたりまで持ちあげた。

 青い色彩のジャムは、そうそうあるものではない。
 それと聞きとめた彼が初めに連想したのは、青い花びらを特定のワインと蜜で漬けこみ加熱濃縮された、それなりに高価などこぞ(シャミール王国)の特産品なので論外としても……。

 ジャムとしてありがちなのは、赤系やオレンジ、黄色・クリーム系だ。

 青という表現を拡大解釈して黄緑から紫に範囲を広げればどうにかなりそうだが、それも時期によってはまったく手に入らない。

 季候や季節、製造者の発想・嗜好(しこう)に、その地域の食文化。
 栽培品目や加工方法――…設備・保存手段にもよるが、次の宿場で適当なものが手に入るかどうかも怪しいところだ。

 旅行中などは特に、あつかい・密封が確かじゃないと虫に(たか)られたり、(カビ)が発生したりする。

 手に入りにくいものを求めて捜しまわるのもいいが、いまはそういった目的で動いているわけではない。
 (おも)に《家》の外で流通する種類の法具――食に関わるところでは、密封・保冷・発酵促進(はっこうそくしん)など…――の持ち合わせもなかった(類似する効果を発揮する(転用できる)道具がないとまではいわない)。

 ()(ごの)みするにしても、そういった極端な方向に走るのは贅沢(ぜいたく)で悠長な冒険以外のなにものでもないだろう。

〔あなたは食べないの?〕

〔昼が遅かったから、そんなに(はら)(は)()いて(い)ない。スープ(これ)だけでいい。それより帰りの旅費、考えて使えよ?〕

〔これがあるから平気よ〕

 女稜威祇(いつぎ)が、自分の胸元でゆれるペンダントを示した。

〔法具店なら必要なものをそろえてもらえるんでしょう? お金もって聞いたわ〕

〔使いきる気かよ〕

〔なくなった時の話じゃないの?〕

〔店の位置、把握(はあく)してるか? 店構(みせがま)えによっては、そのへんの店に入るようにはいかないし、どこにでもあるものじゃ……ないんだからさ〕

 さすがに不安になったのか――女稜威祇(いつぎ)は食事を終えると、しばらく明かりのそばで地図を広げて眺めていた。

〔法具店の場所が記載(きさい)されていない――〕

〔手を加えればリストアップできるけど、登録されてるのは主だったところだけだ。
 ()ってる店でも、初回は売る品の上限を見定めるために能力や資質(だめ)しをされることがある。しょっちゅう場所変えるところもある。ちょっとやそっとじゃ、入ることも叶わないところだってある――(たいてい窓口ですまされるとしても…――任務証明があっても見ず知らずの闇人の類は警戒され、確認が成るまで待たされる。
 だいたい、試験中にむやみにそういう(そうゆう)のを頼ったら減点になるだろう……)〕

〔《家》を中心にひろがる、この曲がった黄色い線はなに? ぐにゃぐにゃしてて、ところどころ消えてる……――距離?〕

〔徒歩・三日の平均目安。
 個人の移動の速さにもよるし、半日あまりも(~充分な~)休憩をとる形式の標準だから、急げばそのかぎりでもないよ。
 ――拡大すれば、一日単位の白いラインも浮かびあがる。
 とぎれてるところは、とる行動や個人(ひと)によって差が大きくなるからで……。
 (けわ)しい難所とか湖や河。……街の規模は、けっこう変動するから、かなり省略されてる。
 どれも《家》を中心にした目安だ。少しでも()れて進路を斜にとる(ななめに移動する)と、その限りではなくなる。
 ……(ふち)にある縦横の目盛り()参考にするといいよ。(――心力の梃子(てこ)入れなしには(めん)でしか確認できないから、それはそれで、内にひそむ距離が読み(づら)くなるけど……)〕

〔青いラインは?〕

一般的な(・・・・)馬の(あし)速歩(トロット)で三日の平均目安……(法具補正が入れば、速度・耐久時間がのびるから、その限りでもない。拡大すれば水色のラインが…――以下略)〕

 連れがなげる疑問に答えながらセレグレーシュは、不可解な思いをかかえていた。

 特権階級のお金の使い方など知らないが、王侯貴族のふところ役でも金貨や《銀の()》を持ちだすのは大きな出費があることがわかっている時だけなのではないだろうか?

 地域や目的。取引相手、個々の事情によるとしても、法貨はほぼ変質や酸化、変形が起きないこともあって、一般の貨幣より二割から七割増し高価(たか)く取引されがちだ。

 ひと月ふた月の旅行であれば、その価値・純度・素材を疑われたり、ケチをつけられ無視されたりして正当に評価されない場合、それにこまごまとしたトラブルが生じることを想定しようと、銀貨が三枚もあればじゅうぶんなのだ(連れの稜威祇(いつぎ)が求めるような贅沢をしなければという条件はつく)。

 文化慣れしてない女性が審査役に抜擢(ばってき)されたのも不思議だったし、あんな大金を預ける《家》の方針にも疑問がのこるところだ。

 運営側の考えが見えてこなくて読み切れもしない…――こういった種類の問題は、考えはじめればきりがないが……。

(馬も一般人の旅には過ぎる立派なものだし、わざと荷物になる人材もってきたってことは……――あり、なのかな?)

 彼女が(たずさ)えているお金の大半は、試験に同行するさい、彼女に支給された契約料と考えたほうがまだしっくりくる。

 一介(いっかい)の教え子にそれだけの資金を()くだけの価値があるかをいわれると、それはそれでまた疑問なので――。やはりここは、その人がなにか他の目的(もしかしたら馬が必要になるような)仕事を(たずさ)えてきてるか、そうでなければ非常時用……もしくは、彼女の浪費(ろうひ)習癖(しゅうへき)も想定に入れた予備費用と考えるべきなのかもしれない。

 いずれにせよ望外(ぼうがい)な金額なので裏がありそうなのだが。

 お金を所持したこともなさそうな彼女のことだ。そのへんの事情を正確に認識していないだけなのかもしれない。

 セレグレーシュが彼女を見てうける印象……その(うと)さそのものが演技で、それを〝どうさばき、切りぬけるか〟というのが、彼に提示された試練・課題である可能性も考えられる。

 この遠征は試験なので、そんな流れもありえないものではないのだ。

〔君……家から頼まれて審査官になったの?〕

〔あなたはそんな事、知らなくていいのよ〕

 探りを入れてみたところに返ってきたのは、上の立場からくだされる有無を言わさぬ解答拒否だ。

 (たが)いの距離を知らしめるような冷たい視線にさらされたセレグレーシュは、そっと肩をおとして、ぼそりと忠告した。

〔まずは手持ちの資金でやりくりすることを考えたら? それ以上に求めると君の借金になるかもしれないよ〕 

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