バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

暗 影.4


〔夕食の頃合(ころあ)いね。そのへんにお店もなさそうだけど、どうするの?〕

 女稜威祇(いつぎ)の意見を左に。セレグレーシュは、あたりのようすをぐるりと流し見てから馬の(あし)をとめた。

〔もう(ハラ)()いたの?〕

〔暗くなってきたって言ったのよ。陽が落ちても進むつもりなの?〕

 暮れゆく通りは、まさに街と宿場のはざま…――中間点もまだ先で、連れの女性が指摘したように、店どころか小屋も人家も見あたらない。

 道の両脇に蔓延(はびこ)るのは、切り株がふたつみっつ認められる雑木の森だ。
 それなりに密でも、採集や伐採、狩猟やなんやらで、そこそこ人の出入りがあるのだろう。

人目(ひとめ)につくから奥に入るよ。右奥にヴレス川の支流があるはずだ〕

 女稜威祇(いつぎ)は不思議そうにしていたが、とくに反発することもなく馬の背から降りた。
 二頭の手綱を手にしたセレグレーシュが森の中に入ってゆくのにならう。

 ()い茂った緑をよりわけながら水辺に出るまで進んだ彼は、馬に水を飲ませたあと、川に到るまでの過程で目星をつけていたポイントに足をむけた。

 背の高い同種類の木立に(かこ)われて残された、心もち広めの空間である。

 若枝の芽を養いながらも障害物といえるようなものはない。

 地盤が岩でもないのに、ぽっかりと、そこそこの空間が維持されている。

 もしかしたらそこは、人が目をつけてよく逗留(とうりゅう)するポイントなのかも知れない。
 いまも利用されているのかは不明だが、少なくとも最近そのあたりで火を(たい)いたり、居場所が築かれたような形跡(けいせき)はなかった。

 ともあれ都合がいいので、利用させてもらうことにする。

〔ここに法印をむすぶ〕

〔なんのために?〕

〔風よけと虫よけと、身の安全目的〕

 セレグレーシュが、ぱっと目についた石や落ちている枝を一定の範囲(はんい)の外へほうりはじめる。

 それは初歩的な構成を築くさい、誰もがなんとなくしてしまいがちな行動だ。

 構築の(さまた)げになるわけでもないのだが、地面にあるものを、いちいち構成に組みこまなければならなくなる。
 異物や起伏が多いと、はじき寄せる(・・・・・・)にしても埋めこむ(・・・・)にしても計算がより複雑になるのだ。

 はじめ(はな)から排除するつもりのない雑草はそのままに。ひとしきり地面を見て歩いた彼は、リュックから口径十四センチ・高さ二五センチほどの筒状(つつじょう)(つぼ)と、専用の箱に六分の一サイズに圧縮(あっしゅく)されて入っていた半透明な白い球体を取り出した。

 その半透明な玉は、厚みのある透明な台座(うけ皿)の上にころんと置かれると、特に手を加えなくても順調に成長し、直径一五三ミリになる本来の大きさをとりもどした。――サイズ変更のしかけがあるのは台座ではなく、主に入っていた箱のほう。
 いささか反応が緩慢(かんまん)だが、そういう(ゆう)仕様なだけで、少し手を加えれば、迅速(じんそく)還元する(もどす)ことも可能な素材だ。

 さらに黒い天然磁石の球体が複数(はい)っている袋をとりだす。

〔その(しげ)みより、こっちにきて〕

〔なにをするの?〕

〔だから、法印をむすぶ〕

〔…。必要?〕

〔家の流儀(りゅうぎ)(したが)ってるだけ。できれば(こわ)さないでくれ。内側(うち)から押されると、意外に(もろ)いんだ〕

〔それ……。()をよせつけないの?〕

〔うん。防御結界の一系統(一系)。基本の《一天十二座(いってんじゅうにざ)》――限界はあるし、玉石(ぎょくせき)だけの配置だから《(かた)》だけだ。隔離(かくり)はできても、姿が見えなくなるわけじゃない。ここは森林の勢力が濃いから、広域(こういき)()めるのは無理。どうしても小さくなる〕

 植物の多い土地には、それに向いた(むす)びが存在するが、セレグレーシュが知っているのは不足も少なくないその概要(がいよう)――特性と理論と必要になる道具の種類情報だけだ。
 築いたことはなかったし、それを形にする公式も(なら)っていない。対応する道具も所持してはいなかった。

 彼がいま成そうとしている技で、この土地に見合った場を確保しようと(こころざ)せば、少しばかり強引なものになる。

〔少しせまいけど、我慢(がまん)して〕

〔あなたは中にいるの?〕

〔ん。出られないのも不便だし。人が来ると面倒だから、ご飯済ませたら寝る時まで(は)外すけど〕

 嫌なら外にいなよ、と——そう続けようとしたところ、女稜威祇(いつぎ)が範囲の内側に入ってきたので、セレグレーシュは(もく)して作業を続けた。

 黒真珠のような光沢をはなつ天然磁石の玉は、全部で一九個。

 磁力が内部に内包・強化されているので、心力の梃子(てこ)入れなしには、互いに引き合うことも反発することもない――それを知り、識別できる者でもなくば、手にとってみても磁石とは思わないだろう。

 こういった性質の改良・ねじ曲げは、法具であればよくあること(ふつう)だ。

 ひとつひとつの大きさが、直径五〇ミリていどになるそれを、三個づつ手にとる。

 彼が触れることで理力をおびた球形の法具は、その手を離れても、使い手と地面の中間をただよった。

 (たが)いに影響をおよぼし、(ささ)え合い、目には見えない糸かゴムひもで繫がっているような印象だ。

〔なんのために法印を築くの?〕

羽虫(はむし)()りのスープ、食いたいの?〕

〔嫌よ。そんなもの作る気なの? あなたが食べなさいよ。わたしの視界の外でやってね。信じられない……気味の悪いひと…〕

 いくぶんずれた反応が返ってきたが、セレグレーシュは、(つと)めて冷静に受けながした。

〔そーいう(ゆう)殺生(せっしょう)()けたいからこその法印だよ。こういう(ゆう)環境だと、ふつうに飛びこんでくる〕

 むかしはカビが生えようと、パンはパンで……。彼の命を支えてくれる大切な(かて)だった。

 だから、身体に悪そうなところをとりのぞいて食べていた。

 スープに虫がまぎれこむと、入った虫に同情することもなく「なにをするんだ」という抗議的な意思か、「不運」「なんで、そこに来るかな…」「ひどいや」などという冷めた感想で見かぎり、いっしょに失われる微量(びりょう)(しる)のほうを()しみ、ときには悲しい気分になりながらはじいていたのだ。

 特定の屋根の下で、飢える心配もなく生活するようになって、軟弱に……いや、贅沢(ぜいたく)になったのかもしれない。

 セレグレーシュは、生真面目に思いかえしながら、手もとにある黒玉(こくぎょく)に視線をおとした。

 最後に残されたひとつが、ほうり投げたようにも見えなかったのに、すいすいと高みをめざして上昇をはじめる。

 天に一、中空に六、地表すれすれに十二…――。

 セレグレーシュのまわりで、気まぐれにも思える交錯(こうさく)をみせていた球体が、(しめ)された秩序(ちつじょ)(したが)い一定の速さで散開《さんかい》し、森林下に、目に見えない六角屋根に十二の支柱のテントを築いた。

 ふたりの足もとでは、なんら変わりなく雑草が緑の葉を広げているが、周辺の細い枝や(しげ)みは、そこに透明な障壁でもあるようにしなり、押しやられている。

 いっしょにその地面下(範囲の外(縁の外)まで寄せられた虫の類が、新たな居場所を求めて、ざわざわ兢々(きょうきょう)とあたりへ散っていった。

 表層が掘り起こされたりしてはいないが、一定の深さ――三センチ程度土壌下(どじょうか)にいた虫の類もあらかた寄せら(排除さ)れたので、存外けっこうな数になる。
 結果として、捕食者の餌食(えじき)になるものもあった。

 地面におりた玉石は、なかば地中に()もれ、かなり歪《いびつ》な十二角形の境界線を(えが)く位置にある。
 大地の表層(ひょうそう)に穴があいたのではなく、多次元的に組みこまれたのだ。

 立っているセレグレーシュのほぼ目線の高さに、ぐるりと浮かんでいる六つの玉は、地におりた十二の座と、セレグレーシュ(使い手)の頭上……かなり高みまで昇った天の一個をとりもつ位置に浮いている。

 無色透明の立体障壁で……

 基礎に使われた玉は、内から目を()らせば、色をなくしただけのようにしてあるが、外側からは、そこに存在することすら確認できなくなっている。

 天然の森林下に形成したので、かなり破天荒(はてんこう)な最終形態になったが、特に補強(ほきょう)しなくても安定している。
 ――天と地を結ぶ(あいだ)の六ポイントにある玉石()などは、いちいち高度が異なっているが、位置が確定されたいまはもう、ゆらぎもしなかった。

しおり