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第二十五話 後日譚

「おはようございます」

 開いたばかりの店先で、才吉の元気な声が響いた。狩野村の商店は、通勤や通学の時間に合わせて店を開ける。竹子を学校まで送り届けたついでに、毎朝一番で買い出しを済ませるのが最近の彼の日課だった。
 商品を並べていた主人が、才吉の声に顔を上げる。

「おはよう、才吉くん。今日も元気だね。今持って来るからちょっと待ってて」

「はい、お願いします」

 奥から戻って来た主人は、一日分の食材と数日分の薪を重そうに抱えていた。才吉はそれを受け取ると、翌日の注文票を渡す。

「毎度あり。またよろしくね」

 支払いは月に一度煉が給料日に済ませるため、その都度は支払わない。馴染みの客が多いこの村では、こういった信用取引が一般的であった。才吉は食材だけを背負子(しょいこ)に載せると、縄で縛り上げられた薪を両手に持つ。ずっしりとした重みが腕に伝わってくる。
 基本的に彼は、日常生活の中では強化能力を使わないことに決めていた。普段からそんなものに頼っていては、身体は衰える一方だ。以前は煉や彼の父親がやっていた力仕事は、今では全て居候の才吉の仕事になっていた。
 通りですれ違う人々と挨拶を交わしながら家まで戻ると、さっそく薪割りに取り掛かる。斧の重みを利用しながら刃先を真っ直ぐに振り下ろすと、気持ちの良い手応えとともに木が真っ二つに割れた。母に叩き込まれたことの一つが、今ここに活かされていた。
 やがて全ての薪を割り終える頃には、午前九時を知らせる鐘の音が教会から聞こえてきた。勝手口から家に入り、洗面所の水道で手と顔を洗う。
 ふと玄関の方から聞こえる物音に気が付いた才吉は、濡れた手や顔を拭いながらそちらへと向かった。

「やあ、才吉くん。ただいま帰りました」

 そこには第二州都から戻ったばかりの煉の姿があった。

「おかえりなさい、煉さん。また夜通し歩いてきたんですか?」

「うん、ちょっと昼まで休ませてもらいます」

「お疲れ様です。後で話聞かせてくださいね」

「ええ、もちろん」

 徹夜明けとは思えない爽やかな笑顔を見せると、煉は別室で針仕事をしている八重に声をかけてから自室へと入っていった。どうやら八重は、先日の戦いでダメージを受けた才吉や煉のツナギを直してくれているようであった。
 あれからもう二週間が経過していた。白い森から帰った才吉たちは、とりあえず狩野村の守備隊に修理の身柄を預けた後で、丸一日眠り続けた。
 翌日には修理の第二州都軍部への引き渡しが決まり、煉がそれに同行することになる。一方の才吉は闇ギルドの動向にまだ不安が残っていたので、八重と竹子の元に残ることにした。
 その後、州裁判所は今回の事件に関する裁判を異例の速さで開くことを決定。おそらくはエルフ国への配慮が背景にあると思われ、煉も証人としてその裁判に参加することとなった。また同時に臨時州議会も開かれ、彼はこちらにも領主として参加しなければならなかった。そこでは大和の領主罷免や大和町の処分について話し合われたという。
 才吉はそういった話を煉からの手紙ですでに知っていたが、結果についてはまだ知らされていない。

「どんな結果だったのか、楽しみだな」

 そう呟いてみたものの、煉が起きるまでは待たねばならない。才吉は仕方なく、いつものように洗濯に取り掛かった。こちらの世界には洗濯機などないので、洗濯板と石鹸を使っての手洗いになる。これがなかなかの重労働。特に寒い時期には水の冷たさがこたえることだろう。
 才吉が洗濯を終え洗濯物を裏庭に干し始める頃には、あちらこちらの煙突から煙が上がり始めていた。どうやら家々で昼食の準備が始まったようだ。
 午前十一時の鐘が鳴り響く。
 昼食を終え片付けも済んだ後で、ようやく煉から裁判と州議会の話を聞くことになった。才吉と煉はリビングに移動し、椅子に腰を下ろす。八重は台所でお茶を入れてくれているようであった。

「さて、まず裁判の結果ですが、首謀者である大和田堕艶は死罪、奴の一族には国外追放処分が言い渡されました」

 極刑と聞き、才吉は納得の表情を浮かべる。

「あれほどの人命が犠牲になったんだから当然ですよね。やはり決定打は修理の証言ですか?」

「ええ、彼は潔く罪を認め全て白状しました。無駄な足掻きを見せたのは大和の方です。奴は修理に全てをなすりつけようと、根も葉もない言い逃れに終始してました」

「往生際の悪い奴だ。修理や愛喜の処分はどうなりましたか?」

「修理は無期限の禁固刑。愛喜はその魔法能力の希少さゆえに、国の機関で矯正教育を受けることになるそうです」

「そうですか。彼らからは恨みを買ってしまったかもしれませんね」

「愛喜には会えませんでしたが、これまでの悪行を考えれば決して悪い処分ではないでしょう。修理とは州議会の前に話す機会がありました。恨み節どころか、彼は策を看破した我々に敬意を表していましたよ」

「でも、二人は居場所を失ってしまった。あんな組織でも、彼らにとっては家のような存在だったのではないでしょうか?」

「だからこそ潔かったのかもしれません。全てを失ったことで、むしろ彼らは過去の呪縛から解放されたのではないでしょうか?」

「なるほど、そういう見方もできますね」

 八重が台所からお茶を運んできたので、才吉は立ち上がりそれを受け取りに行った。ハーブティーのいい香りが部屋中に漂う。

「ありがとう、才吉くん」

 そう言って八重は自分の椅子に座る。才吉は二人にお茶を配ると、自分もティーカップを手に席に戻った。

「それで州議会の方はどのような決定が下ったのですか?」

 才吉の問いに、煉はお茶に息を吹きかけながら答える。

「まず大和町は州議会と州軍部の管理下に置かれ、新たな村として再建されることとなりました」

「領主が大罪を犯した町のままじゃ、みんな嫌がりますもんね」

「それと狩野村の町への昇格が決定しました。今後、各種ギルドも移設される予定です。私の給料もちょっと上がりますよ」

 煉はそう言って無邪気に笑う。

「おお、やった!」

 才吉は喜びの声を上げ、八重も嬉しそうにニッコリと笑った。

「あ、それとエルフ会ですが、ようやく州軍部が重い腰を上げました」

「え、今更ですか?」

「何せ隣国にまで存在が知れ渡ってしまいましたからね。しかもやってることがエルフの人身売買とくれば、さすがに放置できない。聞いた話では、軍の突撃作戦によってエルフ会の会長はじめ幹部全員が死亡したとか」

「それはまた、ずいぶんと容赦ないですね」

「世間では口封じという噂で持ち切りですよ。裏で繋がりのあった政治家や軍のお偉方が手を回したんじゃないかと」

「はは、それはありそうな話だ」

 そんな才吉たちに、八重が心配そうな面持ちで問いかけた。

「あなたたちは大丈夫なの? 闇ギルドに狙われたりしないか心配だわ」

 煉が頷いて答える。

「今回の事件で第二州都の闇ギルドグループは傘下組織を二つ失いました。報復の可能性は十分に考えられる。それと追放された大和の一族にも注意が必要です。我々は今後、それらのことに心を砕かねばなりません」

 才吉も表情を引き締め大きく頷く。そして不安げな表情をしている八重に、こう言葉をかけた。

「八重さん、大丈夫ですよ、煉さんはとても強くて聡明な方ですし、頼りになる友人もたくさんいらっしゃいます。僕も微力ながら力を尽くしますので」

「そうね……。あなたたちは世間様に恥じるような行いは何もしていない。悪人なんかに怯えず、胸をはって生きるべきね。わたしもそうするわ」

 そう言って八重はほほ笑む。煉は嬉しそうに頷くと、さらに話を続けた。

「それから安室隊長ですが、上層部からの待機命令に背いた件について、軍法会議で裁かれる心配はなくなりました」

「本当ですか? それは良かった」

「彼女の部下や同僚から減刑を望む嘆願書が提出されたそうです。でも何よりも効果的だったのはリヒャルトが送ってくれた書状。今回、人間族が起こした事件でエルフ国が被った損害を不問とする代わり、これを解決に導いた者たちへの特別な計らいを望むといった内容だったそうです」

 才吉はそれを聞いて、やはり彼は一角の人物なのだと確信した。あのときディアーナに見せた態度は、決して偽りではなかった。

「それを受けて州議会では事件解決の功労者に褒賞を授与する決議がなされました。国内の対象者は安室隊長に柳先輩、政、そして才吉くんと私です。とりあえず各々の希望を聞くということですが、才吉くんはどうします?」

「えーと、どうしよう……。皆さんはどうされるのでしょう?」

「安室隊長は命令違反をお(とが)めなしに。政は州都大学商学部への入学許可を希望するそうです。どうやら大学進学は親との約束事らしくて。柳先輩はあくまで仕事上の事だと辞退されました」

「うーん、煉さんはどうするんですか?」

「私は予算を多めに回してもらえないか掛け合ってみようと思ってます」

 才吉はハッとした。町に格上げになれば、ギルド施設の移設負担金などが発生する。煉は自分の褒賞をその足しにしようとしているのだ。

「あの、僕の分もそれに回せないでしょうか?」

「いや、それはいけない。才吉くんはそんなこと気にしなくて大丈夫です」

 すると突然、八重が遠慮がちに口を挟んだ。

「あのね、才吉くん。ずっと気になっていたんだけど、故郷には戻らなくてもいいのかしら? 勘違いしないでね。決して帰ってほしいという意味じゃないの。わたしたちとしては、ずっとこのまま居いてもらいたいのよ。けど、あなたの家族のことを思えばそういうわけにはいかないと思うの」

 それを聞いた煉は、少し寂しそうな表情を(にじ)ませた後、意を決するようにこう言った。

「おばあさまの言う通りかもしれません。もし才吉くんが望むのなら、褒賞として故郷への旅費を受け取ることも可能です」

 才吉は悩んだ。二人が気にかけてくれることは嬉しい。だが、自分にはこの世界に故郷など存在しない。今の自分が帰れる場所は、この狩野家の他にないのだ。だからといって、転移の事実を話すのはやはり躊躇(ためら)われる。どう言えばいいのだろうか? 彼はしばらく考え込んだ末に、こう切り出した。

「実は僕には母と祖父がいるのですが、どちらも遠いところにいて、会いに行くのは難しい状況なのです。ですから、できることならもう少しここに居させてください」

 煉と八重は顔を見合わせ、同時に強張(こわば)っていた顔を綻ばせた。

「もちろんですよ。そんな事情があるなら、いくらでもここに居てください」

「そうね。わたしもぜひそうしてほしいわ」

 二人の嬉しそうな顔に、才吉の心も喜びに満ちる。

「ありがとうございます。そんなわけですから、褒賞は煉さんと同じ使い道を選ばせてください。少しでもこの町の役に立ちたいのです」

 才吉は二人の言葉に感謝しながらも、そう願い出た。

「わかりました。才吉くんがそう言ってくれるなら、お言葉に甘えさせてもらいます。ありがとう。町を代表してお礼を言います」

 そう言って、煉と八重は揃って頭を下げた。

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