第二十話 決戦の地へ(其の二)
食事を済ませた一行は、再び村に向けて歩き出す。やがて家々の屋根が見え始めた頃、ディアーナが森の入口付近にたくさんの人影を見つけた。
「何かしら、あれ?」
「さあ? 行ってみましょうか」
小道へと折れ、三人はそちらへと近付いていく。しばらくすると、煉はその中に見知った顔があることに気が付いた。
「どうやら狩野村の人たちみたいですね。ちょっと様子を見てきます。お二人はゆっくり歩いて来てください」
そう言って彼は小走りにそちらへと向かっていった。才吉とディアーナは、彼の気遣いに従いそのままのペースで歩く。すると何やらディアーナがチラチラと才吉に目をやり始めた。
「どうしたんですか、ディアーナさん?」
しばらくすると彼女は、そっぽを向いたまま急に喋り出した。
「あー、その……。ケンセイには感謝しているわ」
「え?」
その言葉は才吉の意表をついた。彼女は立ち止まって彼の方へと向き直ると、ぎこちない仕草で頭を下げる。
「わたしたちエルフのために戦ってくれたこと、感謝しています」
才吉は何だか恥ずかしくなり、顔を赤らめた。
「ちょ、ちょっと、顔を上げてください。僕にとっては当たり前のことですから。皆さんには助けていただいた恩がありますし」
「助けたのは煉よ。わたしじゃない」
「う、それは、まあ……」
「何かお礼をあげたいところだけど、今のわたしには返せるものがないわ」
「いや、何もいりませんよ。言葉だけで十分です」
「でも、人間族の多くはお礼に金品を要求するはずよ。ドワーフもそう」
「いや、そういう人間ばかりではないというか……。ほら、煉さんや政さんだってそうじゃありませんか」
ディアーナはしばらくぼんやりとしていたが、やがて顔を綻ばせる。初めて見るその穏やかな笑顔に、才吉の目は釘付けになった。
「ふふ、やっぱりケンセイは変な奴ね」
「そ、そうですか?」
「いいわ。なら言葉だけにしておく。ありがとう」
そう言ってディアーナは手を差し出す。
「は、はい」
才吉は自分の服で手を拭くと、照れくさそうに握手を交わす。
「悪かったわね、これからが本番だというのに。煉のことは信用しているけど、それでもこの先どうなるかわからない。今の内にちゃんとお礼を言っておきたかったのよ」
「いえ、嬉しかったです。おかげで元気が出てきました」
そんな会話に気を取られていた二人は、いつの間にか煉たちのすぐ傍まで近付いていたことに気付いていなかった。ふと前方に視線を向けた才吉は、見知った顔があることに驚く。
「八重さん、竹子ちゃんも。こんなところでどうされたんですか?」
八重は才吉の怪我を見て一瞬青ざめたような表情になったが、すぐにほほ笑んでお辞儀をする。竹子の方はそんな祖母にしがみつき、なぜか薄っすらと涙を浮かべている。そこにいたのは彼女たちだけではなかった。周りにはたくさんの村人たちが集まり、ツナギ姿の見知らぬ男三人と対峙している。
ただならぬ雰囲気を感じ取った才吉の横で、ディアーナもやや緊張した面持ちを見せる。そんな二人にそっと忍び寄ると、煉はこう耳打ちした。
「あの三人が例の見届け人だそうです。引き渡し当日になっても我々が戻らないことを理由に、彼らは祖母と竹子を拘束し連れ出そうとした。それに気付いた村人たちが後を追い、ここで押し問答になったというわけです」
見れば村人たちは手に農具や調理器具を持ち、怒りをあらわにしている。
「さあ、どうけじめをつけるつもりだ? 約束通り、領主様は戻ったぞ!」
「そうよ! 八重さんたちに謝りなさい、あんたたち!」
口々に文句を言う村人たちを、煉がなだめる。
「まあ、皆さん。落ち着いて」
煉はそう言うと、男たちの方へと向き直った。
「お待たせしました。これからすぐに引き渡し場所に向かいますので」
すると、一人の男が虚勢を張るかのように後ろ手を組んで一歩進み出る。そしてわざとらしく咳払いをすると、こう言った。
「そちらはどなたですかな? ダークエルフの要求では領主以外に立会人の指示はなかったはずですが?」
男の目は才吉を見ていた。まさか、ここに来て邪魔が入るとは。唇を噛む才吉の横で、煉は落ち着いた様子でこう答える。
「ええ、その通り。でも、付き添いを禁ずるという指示もなかったはずです」
「それは、そうですが……。まあ、いいでしょう。では確かに見届けましたよ。我々はここで領主殿の戻りを待たせていただく。手早くお願いしたいものですな」
そう言い切ると男は一同に背を向け、残りの男たちもそれに倣う。その態度に村人たちは、再び抗議の声を上げた。煉はそんな人々をどうにかなだめ、村に戻るよう説得する。
しばらくして、ようやく落ち着きを取り戻した村人たちが見守る中で、八重は才吉たちにこう声を掛けた。
「くれぐれも無理だけはしないでちょうだい。必ず無事に帰ってくるのよ」
そう話す彼女の手は少し震えている。口には出さなくても、やはりその胸中は不安で一杯なのだ。そう才吉は思った。
「わかりました。行ってまいります」
そう返事をしながら軽くお辞儀をする煉に、才吉とディアーナも倣う。そうして大勢に見送られながら、一行は森の中へと入っていった。
森は何事もないように穏やかだった。靴底からは枯れ枝の折れる乾いた感触が伝わり、周囲の木々は陽の光を浴びて伸び伸びと枝葉を広げている。見上げれば風に揺れる新緑の間から真っ青な空が見えていた。時折、遠くから何かの動物の鳴き声が木霊する。
才吉は一瞬、地球の平穏な日々の中にいるような錯覚を覚えた。だがすぐに、全身に走る痛みが現実を思い出させる。
やがて道は、明るく開けた場所に三人を導く。そこは鬱蒼と広がる森にポツンと穴が開いたような、ただ乱雑に木々を切り倒しただけの空間。明らかに人の手によって作られた場所であった。
「ひどい……。どうしてこんなことを?」
一部とはいえ、変わり果てた森の姿にディアーナは悲しそうな表情を浮かべる。ここが外れ村でないことは、初めて森に入った才吉にもすぐにわかった。おそらくこれは闇の熊の仕業、あるいは連中に脅されたダークハーフエルフたちが泣く泣くやらされた結果に違いない。
周囲を警戒しながら進む三人。その足が、突然ピタリと止まった。
前方から歩いてくる人影があった。その赤毛の人物は道端の切り株に腰を下ろすと、身の丈よりも大きな剣の切っ先を地面に向け、柄を肩口に立てかける。
「お気に召したかよ? わざわざ舞台を用意してやったんだぜ」
野太い声でそう話す男に対し、煉は怖気づくことなく距離を詰める。才吉とディアーナは戸惑いつつ彼に続いた。
互いの表情が読み取れそうな位置まで近づいた時、才吉はディアーナの手が小刻みに震えているのに気付く。
次の瞬間、彼女は弓に矢をつがえ切り株の男に狙いをつけた。だがその直後、空気を切り裂く音と共に彼女の足元に一本の矢が突き刺さる。もちろんそれは彼女が放ったものではない。飛んできた方角は、三人の左やや後方。とっさに才吉は囲まれていることを理解した。
「まあ、そう死に急ぐな。時間はたっぷりある」
そう言って、赤毛の男は立ち上がる。すると、周囲の森の中から次々に仲間が姿を現した。ぐるりと三人を取り囲むその集団は、ざっと二十名ほど。全体的にガッシリとした体格の者が多い。驚いたことに、その中には二メートルを超す巨躯の者が二人も含まれていた。しかも一方は女性である。彼らが手にする武器や身に着けている防具に統一感はなく、共通点と言えば何かの毛皮を装いのどこかに施していることぐらいだった。
こんなにあっさりと敵の包囲を許してしまったことに、才吉は悔しさと焦りを覚えた。少し考えれば、奴らが目的地の手前で待ち伏せている事など見破れたはず。相手の申し出を馬鹿正直に受け取っていた己の甘さに腹が立った。
だが苛立っている場合ではない。才吉は気持ちを落ち着かせ、冷静に状況を把握しようと努めた。雰囲気と身のこなしから判断する限り、相当な手練れ揃い。赤毛の男がリーダーであることは容易に察しが付く。こちらは三人、しかも全員が消耗している。彼は背筋に冷たいものが流れるのを感じた。
そのとき、赤毛の男の後方から近づく細身の人物がいた。漆黒の髪と肌の色は才吉と同じ日本人のように見える。鋭い切れ長の目は冷たい印象を与え、同時にその眼光は野心的でもある。才吉は、なぜか彼が煉と似ていると感じた。だが一方では、対極の存在のようにも思える。顔つきはどちらも知的で美形、だが与える印象は真逆。それぞれにどこか人を惹きつける魅力を持っている。
黒髪の青年は赤毛の男の隣で立ち止まると、突き刺すような視線を才吉たちに向けた。
「うちの参謀が話をしたいそうだ。少し付き合えよ」
赤毛の男はそう言うと、再び切り株に腰を下ろす。だが手下どもに気を緩める気配はない。逃げ出す隙など皆無と言える。
そんな中、煉は少しも動揺することなく、金色に輝く髪をなびかせながらじっと遠くを見つめていた。それが余裕と諦めのどちらを表すものなのか、才吉には判断ができなかった。