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第十三話 人さらいの島

 足元がユラユラと揺れていた。顔を覆う仮面のせいで視界は狭く、自らの呼気で息苦しさと蒸し暑さを感じる。
 船首には紫色の光が灯り、それに照らされた舟の上には四つの人影があった。紫の光の正体は、魔光石ランプの表面に人食草の花びらを貼ったもの。煉は船首でランプの台座を掴みながら、ジッと前を見据えていた。全身は黒い外套に覆われ、深く被ったフードと仮面のせいで豪奢な金髪や端正な顔立ちを見ることはできない。
 舟の中央には、何本ものロープで上半身を縛られ猿轡(さるぐつわ)をかまされたディアーナが腰を下ろし、その隣には舟のへりに摑まって吐き気に耐える才吉がいた。

「情けないわね、那須野くん。そんな状態で戦えるのかしら?」

 呆れたように声を掛けたのは、後ろで(かい)を漕ぐ安室だった。やはり黒いフード付きの外套に仮面という出で立ちである。プライベートと言い張って結局ここまでついて来た彼女だが、そんな言い訳が通らない立場であることは全員が理解していた。以前ならもっと大きなフードでなければ収まらなかったはずの彼女の頭は、今ではそのボリュームをすっかり失っている。驚いたことに、安室はこの衣装を着るために短髪の才吉と同じくらいの長さに髪を切ってしまったのだ。
 才吉は荒れた呼吸を整えながら、周囲に目をやった。光を発する微生物によってあちこちの波間に色とりどりの光が現れては消えていく。その幻想的な風景のせいか、不思議と夜の海への恐怖は薄らいでいた。
 舟が進む先にはうっすらと光に覆われた島が見える。この世界の植物は内包するマナによって微弱な光を発するため、夜が一寸先も見えないような闇に覆われることはほとんどない。目を凝らすと波打ち際に紫色の光がいくつも灯り、耳を澄ませば岩礁にぶつかる波の音が聞こえた。
 今まさに、才吉たちは人さらいの島に向かっていた。ディアーナの引き渡し期限がいよいよ明日の正午に迫ったこの日、ようやく彼らは救出の準備を整えることができたのだ。後方の海上では四人をここまで運んだ大きな帆船が帆をたたみ、(いかり)を下ろして停泊している。もちろん所有者は煉の州立学校の友人、前田政である。
 第二州都を出港した政の商船は、普段通りに大和の港で積み荷を降ろした後、しばらくそこに停泊した。人さらいの島に向かう船は大抵日没前に大和の港を出港することになっているため、それを確認するのが狙いであった。
 幸いこの日は夕方に港を出る船はなく、才吉たちは太陽が沈むと同時に州都へ戻ると見せかけ、人さらいの島へと進路を取った。出港して一時間ほどで島影を視界に捉えた彼らは、海上でしばらく待機し、舟が出てくる気配がないか様子を探った。そうしていよいよ作戦が開始され、才吉たちは小舟に乗り換えて島へと向かったのである。
 舟が入り江に入ると、外海よりだいぶ波が穏やかになった。これで少しは酔いが治まるかと期待した才吉だったが、さすがにすぐというわけにはいかない。それでもいよいよ上陸が目前に迫ると、彼は船酔いのことなどすっかり忘れてしまっていた。
 安室が桟橋に舟を寄せ、煉が舳先(へさき)に縛り付けられたロープを見張り番に向かって投げる。桟橋には等間隔に例の紫の光が灯り、他にも数艘の小舟が繋がれているのが確認できた。おそらくはエルフ会所有の舟だろうと才吉は思った。
 才吉たちと同じ装いの見張り番は、ロープを桟橋に固定し終えると少し強い口調で声を掛けてきた。

「おい、いったい何事だ? 事前の連絡が来てねえぞ。ちゃんと昼間のうちに伝書鳥を飛ばしたのか?」

 才吉の心臓がドクンと高鳴る。柳家といえどもこの短期間の調査では漏れがあったらしい。だが煉は動じることなく、落ち着いた様子でこう答えた。

「急で悪いな。こいつを捕まえるのに手間取ったもんで、日没前に飛ばせなかったんだ」

「チッ、だったら明日にすればいいじゃねえか。出直して来な」

「まあ、そう言うなよ。これで頼む」

 煉はそう言って、小さな袋を差し出す。男はそれを受け取って中を覗き込むと、何食わぬ顔で懐へとしまい込んだ。

「ふん。まあ、来ちまったもんは仕方ねえ。愛喜様に報告するからついて来い」

 そう言って男は桟橋を戻っていく。才吉はホッと胸を撫で下ろし、その後に続いた。
 桟橋の先では大きな落とし戸の門が行く手を阻み、その傍らにはランプを手にしたもう一人の見張りが立っている。そそり立つ岩の隙間を塞ぐように佇むその門は、大きな丸太を数本組み上げて作られており、容易に持ち上げられる代物ではなかった。
 見張りの男は門の前まで来ると木槌を手に取り、門柱に吊るされた半鐘を鳴らし始める。そのリズムは独特で、闇雲に叩いて真似できるようなものではないと才吉は感じた。しばらくすると門がゆっくりと動き出し、完全には上がり切らない位置で止まった。
 身を屈めて通れるくらいの隙間から向こう側へと出る才吉たち。無事に第一関門突破。そんなことを思いながら見回すと、そこは岩壁と植物に囲まれた広い空地であった。普段人が歩く部分は土が踏み固められており、それが道となって先の上り坂へと続いている。それ以外の場所には草が生え、それらが発する淡い光のおかげで彼らの普段の行動範囲を把握することができた。
 岩壁の近くには門番たちが寝泊まりしていると思しき小屋があり、少し離れた場所では体格の良い二人の男が何かの装置を操っている。高い気温のせいか、男たちは上半身裸で仮面も外套も身につけていない。装置の中央には大きな金属製の柱がそびえ立ち、そこから放射状に長い取手が数本飛び出している。柱の上部には門に繋がれた太い鎖が巻き付いていて、それが開閉装置であることは違う世界から来た才吉にも容易に理解できた。
 ふと見ると、小屋から顔を出した三人の男がディアーナを見て何か話している。やはり仮面はつけておらず、ランプに照らされたその下卑(げひ)た表情を見れば、何を言っているかは大方の察しがつく。それはディアーナも同じだったらしく、彼女はひどく不機嫌そうに眉根を寄せていた。
 男の案内で才吉らが門をくぐり抜けたのを確認した外の見張りが、再び半鐘を鳴らす。すると落とし戸を止めていた男たちが掛け声と共にゆっくりと動き出した。
 そうして門が落とされた瞬間、才吉と安室はまるでビリヤード玉が弾かれるかのように別々の方向へと地面を蹴った。
 才吉が向かったのは、門の開閉をしていた二人の方向。強化された足腰によって、見る見るうちに間合いが詰まる。そして呆気にとられる手前の男に、勢いのまま足を振り上げる。(すね)が股間へとめり込み、白目をむいて悶絶する男。才吉は、すぐさまもう一人へ意識を向けた。
 それはちょうど、男が拳を振り上げ才吉に殴りかかる瞬間であった。しかしマナにより強化された才吉の目には、その攻撃はひどく鈍いものに映る。丸太のような腕を冷静に躱しつつ、顎先目掛けカウンターを放つ。抜けるような手応えが腕に伝わり、男は糸が切れた操り人形のように崩れ落ちた。
 才吉は即座に別方向へと走り出す。ふと目をやると、ちょうど煉がディアーナの猿轡を解きにかかろうとしていた。その傍らには突っ伏したままの動かない案内役の男の姿がある。
 どうやらあちらは問題なさそうだと判断した才吉は、そのまま安室の方へ走った。そこには、今まさに小屋から出てきた三人の男と対峙しようとする彼女の姿があった。才吉は全速力で距離を縮めると、そのまま止まらずに彼女の脇を走り抜ける。刹那、二人の視線が交錯し、その直後安室の両手から魔法が発動された。
 才吉は魔法の構えに入っていた手前の男に対し、直線的な蹴りを見舞う。彼の攻撃が先んじたのは、相手の魔法発動が遅かったため。魔法の発動時間には個人差があり、安室のように瞬時に発動できる者ばかりではない。
 体ごと吹き飛んだ男は小屋の外壁に強く背中を打ちつけた。ガシャンと音を立てて掛けられたランプが落ちる。しかし才吉は攻撃の手を緩めない。すぐさま低い姿勢で懐に入り込み、下から突き上げるように拳を食らわせる。全身の伸びる力をのせた重い一撃。強化された鉄拳がみぞおち深くめり込む。短い呻き声と共に、男はドサッと地面に倒れ込んだ。
 すぐに次の目標に目を向けた才吉だったが、残りの二人はすでに安室の飛石魔法(ストーンバレット)を受けて気を失っていた。どうやら彼らは魔法が使えない体質だったらしい。才吉がそう察したのには訳がある。通常、魔法を使う者は全身にくまなく広がる毛細魔法管(もうさいまほうかん)と、その末端に存在する極小の副発現部位(ふくはつげんぶい)によって魔法障壁(まほうしょうへき)を常時展開している。この障壁は同じマナを原料とする魔法攻撃にだけ干渉する性質を持ち、物理攻撃を防ぐことはできない。
 つまり初手で魔法の直撃を食らった男たちは、魔法障壁を持っていなかったということになる。そして才吉が最初に魔法を使おうとした男を攻撃したのも、魔法障壁の性質を踏まえてのことであった。
 才吉は常々この魔法障壁と魔法の関係が不思議だと感じていた。同じマナを源とし互いに干渉するにも係わらず、一方は人体や周囲の物体に物理干渉するが、一方は触れることさえ出来ない。主発現部位と副発現部位の違いとしか言いようのないことだが、魔法に馴染みのない才吉には何とも理解しがたい現象といえた。
 倒れた男たちを尻目に、才吉と安室は小屋の中へと押し入る。他に敵の姿が見当たらないことを確認すると、才吉はようやく緊張を緩め安室にこう言った。

「じゃあ、ロープもらってきます」

「ちょっと、那須野くん」

 煉たちのもとへ向かおうとした才吉を、安室が呼び止める。

「あと一人、忘れているわよ」

 彼女が親指で指し示した方向は、あの大きな落とし戸の門であった。才吉は外にもう一人見張りがいたことを思い出す。どうやらこちら側の騒ぎには気付いていないらしく、急を告げる半鐘の音は聞こえてこない。
 安室と煉に門を開けてもらい、才吉は手早く外の見張りを無力化した。その際、門を開けた状態で開閉装置をロックさせられることに気付いた彼らは、退路確保のために落とし戸を上げたままにしておくことにした。
 そしてディアーナを縛っていた縄で総勢七名の敵を拘束し終えると、一行は手分けして所持品や小屋の備品を調べ上げた。この先で必要となる鍵などがないかどうかチェックするためである。だがそれらしいものは何も見つからなかった。
 最後の仕上げとばかりに拘束した七人を小屋の中に押し込めると、才吉たちはその入口を塞いだ。

「ふう、これでいいでしょう。皆さん怪我はないですか?」

 暑苦しい衣装を脱ぎながら、煉が皆の安否を気遣う。彼の腰には太い革製のベルトが巻かれ、そこには立派なレイピアが一本下げられていた。

「かすり傷ひとつないわ。まったく手応えのない連中ね」

 安室が仮面を外しながら、物足りなそうに答える。

「僕も大丈夫です」

「わたしも……。縄の跡がついただけ」

 まだ縛られていた感覚が抜けきらないのだろうか、彼女は大きく背伸びをして関節をコキコキと鳴らした。その手には煉から受け取った弓を持ち、背中には革製の矢筒を背負っている。

「それにしても、出て来る気配はないわね。寝ているのかしら?」

 安室はそう言って道の先に目をやる。煉も同じ方向を見ながら、こう答えた。

「まさか。人狼(ワーウルフ)がこの騒ぎに気付かないはずがありませんよ」

 ちなみに、才吉たちが仲間の振りをしたまま敵をやり過ごさなかった理由は二つ。一つは後顧(こうこ)の憂いを断つため。そしてもう一つは、何十人もの女子供を無事に連れ出すには安全な退路を確保する必要があったからである。
 さらに彼らがこの場で変装を解いたのは、すでに愛喜や使役獣に気付かれているという前提があるから。そうでなければ、変装したまま近付いた方がいいということになる。

「じゃあ、先に進みましょうか」

 一行は煉を先頭に、敵の襲撃を警戒しながら坂を上がっていく。道の両側には太い木が何本も生え、隙間を埋めるように様々な植物が生い茂っていた。それらが発する光のおかげで視界は確保できるが、それは同時に敵に見つかる可能性が高いことを意味している。
 やがて坂を登り切った一行の前に、大きな二階建ての屋敷が姿を現した。侵入者を警戒し、窓枠には全て鉄格子がはめ込まれている。柳家の情報によれば、あの建物の中庭を抜ければ収容所はもう目と鼻の先である。

「さて、ここからが本番です。気を引き締めて行きましょう」

 煉の言葉に頷くと、才吉たちは注意深く建物に近付いた。そして入口の前まで来ると、立ち止まって状況を確認する。見張りの男は才吉たちをここに連れてこようとしていたが、彼の所持品の中に鍵らしきものは見当たらなかった。

「もしかするとさっきの鐘みたいに、何かの合図が必要なのかしら?」

 小声でそう話すディアーナの横で、才吉は扉に耳を押し当てる。中の音を盗み聞きするための行動であったが、意外にも扉は何の抵抗もなく動いてしまった。

「あれ? 施錠されてませんよ、このドア」

 そう(ささや)きながら中を覗き込む才吉に、煉たちも倣う。四人の視線の先にはがらんとしたホールが広がり、壁にかかった魔光石の照明が妖しく光を放っていた。

しおり